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01 女神

 
 頭上を銃弾が掠めていくのが風を切る音で判る。まるで、よく研いだカミソリで空気を切り裂いているような細く鋭い音だ。銃弾が飛んでいった方角から考えるに、敵がアンブッシュしていた位置は、雄一郎から見て十時の方向だろう。
 
 大木の影から構えていたAK47を、十時の方向へと向けて引き金を絞る。パパパと短い破裂音が鳴って、銃口から小さな火花が散るのが見えた。同時にジャングルの向こうから飛んでくる銃撃が僅かにだが減った。一人ぐらいは仕留められただろうか。
 
 
「ユーイチロー、無事か」
 
 
 ぬかるんだ泥の中を匍匐前進で這いずりながら、オズワルドが足下まで近付いてきていた。元から褐色の肌が泥のせいで余計に黒く見える。
 
 オズワルドも雄一郎と同じ、フリーの傭兵だ。この戦場で出会ったのはつい一週間前だと言うのに、元来人懐こい性格なのか、随分と雄一郎には慣れた口を聞くようになっている。初対面の時に、右手を差し出して「オズと呼んでくれ、ユーイチロー」と屈託のない笑みを向けてきたのを思い出す。その若々しい目元や口元を見ると、今年で三十七歳になる雄一郎よりもずっと年下なのかもしれない。
 
 
 
「無事だ。味方の損害は」
「新兵が二人やられた。片方は頭を撃たれて即死。もう片方は腹をやられてのたうち回ってるところだ」
「腹を撃たれたって銃は持てるだろ。死ぬまでは戦わせろ」
 
 
 淡々とした雄一郎の言葉に、オズが口笛を吹こうとするように小さく唇を尖らせた。だが、その唇からは音は漏れない。その代わりに小さな問い掛けの声が零れた。
 
 
「敵の数は把握したか?」
「四から六名程度。茂みに隠れて、こっちを狙い撃ちしている。このまま撃ち続けたんじゃ、お互いの弾切れを待つだけだな」
「一度後退するか」
「後退したところで、結局はこいつらを潰さないと他に道はない」
 
 
 このクソ暑くてジメジメとしたジャングルを一週間も歩き回ってきたのに、今更逃げ帰るなんて冗談じゃなかった。ミッションを完遂できなければ報酬も支払われない。この不快極まりない一週間がタダ働きになるのだけは耐えられなかった。
 
 オズへと右手を差し出す。
 
 
「手榴弾を持っていただろう。一つくれよ」
「転がすには遮蔽物が多すぎるぞ」
「解っている」
 
 
 解っていると言いながらも手を下げようとはしない雄一郎の姿に、オズが溜息を漏らしながら手榴弾を一つ掌へと乗せてくる。受け取るなり、雄一郎は手榴弾のピンを引き抜いた。頭の中でカウントを始める。
 
 カウントが残り二秒になった瞬間、手榴弾を振りかぶって、全力で放り投げた。手榴弾は敵陣の真上に達した瞬間、激しい爆音を鳴らす。同時に鈍い断末魔の声が聞こえてきた。敵兵の身体には、頭上から降り注ぐ金属片が突き刺さっていることだろう。
 
 オズが今度こそ小さく口笛を吹く。
 
 
「空中爆発か。エグいことするな」
「死に方が安らかだろうがエグかろうが、死ぬのは一緒だ」
 
 
 握っていた手榴弾のピンを地面へと放り投げながら呟く。すでに敵陣からの銃弾は止まっている。全員死んだか、死んだフリをしているか。手元の時計へと視線を落とす。五分待つ。その後、敵兵の生死確認に向かう。
 
 まるで機械のような雄一郎の動作を見て、オズが苦い笑みを滲ませた。
 
 
「あんただけは敵に回したくないね」
 
 
 ちらと視線を向けると、オズは肩を竦めて続けた。
 
 
「時―いるんだ。あんたみたいに生き死にの区別が曖昧になっちゃってる奴。そういう奴は大抵ロクな死に方をしない」
 
 
 まるで予言めいたオズの言葉に、雄一郎は露骨に眉を顰めた。
 
 
「俺だって生き物と死体の区別ぐらいつく」
「そういう意味じゃないよ」
「じゃあ、どういう意味だ」
「ただ、呼吸をしているだけで生きてるって事ではないってこと」
 
 
 ますます訳が解らない。威嚇する犬のように雄一郎が鼻梁に皺を寄せると、オズはその口元に人懐こい笑みを浮かべた。その快活な笑みに、人を殺して金を稼ぐ者の卑しさは覗き見えない。
 
 
「お前は何で傭兵なんかをしてるんだ?」
 
 
 問い掛けると、オズは咽喉の奥でくくと小さく笑った。
 
 
「僕の方こそ聞きたいよ。あんたこそ、どうして傭兵をしてる?」
「決まってるだろ。金のためだ」
「金のために命を捨てれるのか?」
 
 
 不躾にもとれるオズの問い掛けに、雄一郎は僅か鼻梁に皺を寄せた。
 
 
「俺は金のために生きて、金のために死ぬ」
 
 
 極端かつ攻撃的に言い放つ。呆れるかと思いきや、オズは口元に柔らかな笑みを浮かべた。まるで幼い子供を見詰めるような、慈愛じみた眼差しだ。
 
 
「なぁ、金は美味いか」
「何?」
「金は美しいか」
「お前の言っていることは意味が解らん」
 
 
 呆れ半分にオズを見遣る。すると、オズはまるで子供のように唇を尖らせた。
 
 
「――自分の富に依り頼む者、その者は倒れる、と聖人も言っている」
「お前は宗教家か」
「いいや。でも、聖書は面白い。エログロバイオレンス三拍子揃った最強のエンターテイメント小説だ。あんたに貸してやるよ」
「俺には要らんよ」
 
 
 首を左右に緩く振る。だが、オズは雄一郎の仕草に目を遣ることもなく、自身のバックパックから古びた聖書を取り出した。赤い表紙は擦り切れていて、それが何度も読み返されていることを想像させる。
 
 オズは、有無をいわさず古びた聖書を雄一郎のバックパックへとねじ込んだ。そうして、眩しいくらい白い歯を剥き出しにして笑った。
 
 
「いつか、あんたの役に立つさ」
 
 
 死んだら役には立たんだろ、と思わず言いそうになった。言葉を喉奥へと飲み込みながら、再び時計へと視線を落とす。五分経った。
 
 遮蔽物に身を隠しながら、オズと二人で音の消えた敵陣へと向かう。敵陣に近付くと、噎せ返るような血臭が漂ってきた。草の影から覗き込むと、五名の男が血を垂れ流しながら倒れている姿が視界に入った。そのうち一人は銃創が見て取れる。
 
 
「全員死んでるか」
 
 
 オズが小声で囁き掛けてくる。その声に緩く目線を向けて、唇に人差し指を押し当てる。雄一郎の仕草を見て、オズが上半身を屈めたまま足音を立てぬよう倒れた敵兵へと近付いていく。雄一郎もオズの斜め後ろに続いた。
 
 オズが銃口を向けたまま、うつ伏せに倒れた敵兵を仰向けに転がしていく。二人目の時だった。オズが突然大声で叫んだ。
 
 
「逃げろ、ユーイチロー!」
 
 
 叫び声に視線を向ける。仰向けになった敵兵がピンの抜かれた手榴弾を胸に抱いているのが見えた。血に濡れた敵兵の唇には、紛れもない笑みが滲んでいる。
 
 オズが手榴弾の上に覆い被さる。そうして、次の瞬間、鈍い爆音と共に光の矢が眼球を貫いた。爆発の衝撃が全身を通り抜ける。背骨が大木へと叩き付けられて、目蓋の裏が真っ暗になった。
 
 
 
 
***
 
 
 
 
 砲弾が地面を抉る音で目が覚めた。薄く目蓋を開くと、小さな身体が自分にしがみ付いているのが見えた。まだ十代も前半だろう、頭も肌も真珠のように真っ白な少年だ。勿論、雄一郎の知り合いではない。
 
 数度瞬く。耳鳴りと頭痛が酷い。頭を動かさず、視線だけを周囲へと巡らせる。狭く、薄暗い場所だ。洞窟か、防空壕か。近くに川があるのか、砲撃の音に混じって水が流れる音が小さく聞こえた。
 
 
「どいて、くれ」
 
 
 胸にしがみ付いて震える少年へと、掠れた声を零す。雄一郎が声を掛けると、少年は驚いたように顔を上げた。雄一郎を見つめる瞳は、目が覚めるような鮮やかな青色をしている。
 
 軋む上半身を起こすと、背骨に痺れるような鈍痛が走った。全身が血にまみれている。おそらくオズの血だろう。予想はしていたが、周囲にオズの姿はない。
 
 
「ここは何処だ」
 
 
 小さく言葉を漏らす。雄一郎の周囲には、少年以外に一人の男がうずくまっていた。その男も少年と同じく、真っ白な髪と肌をしている。男は、まるで神に祈るかのように雄一郎へと両手を組み合わせたまま、理解できない言語をブツブツと呟いていた。
 
 仕方なく少年の両肩を掴んで、その顔を覗き込む。
 
 
「ここは何処だ。誰から攻撃を受けている」
 
 
 どうしてだか少年は、雄一郎を敵意を滲ませた眼差しで睨み付けていた。少年の唇が動く。
 
 
「―――o――…ena――」
「何?」
「――お――えなん――」
 
 
 最初は聞き取ることすら出来なかった言語が頭の中で自動的に組み直されていく感覚。形すら解らなかったパズルが一つずつ嵌まっていくような。
 
 
「お前なんか――」
 
 
 砲撃の音が近い。
 
 
「お前なんか女神じゃない」
 
 
 言葉が頭の奥で結ばれた瞬間、口元に引き攣った笑いが滲んだ。
 
 三十七歳のオッサンが女神であってたまるか。
 
 

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Published in 37歳のオッサンが戦場で女神と呼ばれる世界

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