Skip to content →

03 仕え捧げる者

 
 狭い地下洞窟を、上半身を折り曲げるようにして小走りに進んでいく。砲撃に絶え間なく晒された洞窟は、不定期に揺れ、岩の破片を頭から降らせる。今にも天井が崩れて生き埋めになってもおかしくないほどだ。駆けていく雄一郎の後ろを、青年と青年に支えられたノアが必死で追い掛けてくる。
 
 暫く走り続けていると、大きく開けた空間に辿り着いた。天井は高く、白銀に発光している。こんな材質は今まで見たことがない。その真下に透き通った泉があった。近付いて、指先で水に触れる。熱くも冷たくもない。舌で舐めると、無味だった。これなら潜れそうだと判断する。
 
 振り返ると、息を切らした青年とノアの姿が見えた。
 
 
「泳げるか」
 
 
 問い掛けというよりも断定に近い口調で言い放つ。ノアが口を半開きにしたまま、絶望的な表情で首を左右に振る。青年へ視線を向けると、今度は首肯が返ってきた。
 
 
「泳ぎます」
 
 
 泳げる、ではなく、泳ぐと答える気概が気に入った。雄一郎が思わず口元に笑みを滲ませると、また青年は驚いたような表情を浮かべて視線を逸らした。その目元は苦渋に歪みながらも、微かに赤い。
 
 ノアが舌を縺れさせながら、慌てて言う。
 
 
「ぼっ、僕は泳げない。今まで泳いだことがないんだ…!」
「じゃあ、溺れ死ぬか、岩に押し潰されて死ぬかを選べ」
 
 
 冷たく言い放つと、ノアの目に再び憎悪の炎が灯った。歯噛みをして雄一郎を睨みつけると、自棄になったように肩に羽織っていたマントを脱ぎ捨てる。何枚も羽織っていた仰々しい服を脱ぐと、簡素な白い衣服だけになった。
 
 
「泳げばいいんだろ…!」
 
 
 がなりながらもノアの声は微かに震えていた。隠しきれない死への恐怖がその掠れた語尾に滲んでいる。
 
 その声を聞いた瞬間、不意にぞわりと背筋が隆起するのを感じた。初陣の時を思い出す。まだ二十歳になったばかりだった。両手に抱えた銃が手が千切れそうなくらい重たくて、耳元を掠める銃弾の嵐に震えが止まらなかった。結局一発も撃てず、ただ小便を漏らして帰った雄一郎を、上官は鼻が折れるほどにブン殴った。そして、お前が撃てなかったせいで仲間が死んだ、と言われた。あの瞬間の全身が真っ暗な穴に吸い込まれていくような絶望的な感覚は、今でも忘れられない。
 
 短く息を吐き出す。雄一郎も上着を脱ぎ捨てた。編み上げのブーツを手早く脱いで、防水袋に入れてバックパックへと収める。
 
 
「潜る前に深呼吸はするな。逆に脳が酸欠になってブラックアウトするぞ」
 
 
 そう言い残して、湖へと飛び込もうとした瞬間、青年の声が聞こえた。
 
 
「女神様、貴方のお名前は」
 
 
 振り返り、じっと青年を見つめる。すると、青年は気付いたように自身の胸元へと掌を当てた。
 
 
「私は、テメレア。テメレア=アーク・ラドクリフ、仕え捧げる者です」
「仕え、捧げる?」
「はい、貴方に」
 
 
 妄執的にも聞こえる言葉に、片眉が僅かに跳ね上がる。不意に、頭を過ぎった。雄一郎に聖書を押し付け、手榴弾に覆い被さった馬鹿な男のことが。他人のために命を捧げた男。
 
 
「俺は、尾上雄一郎だ。女神様じゃない」
 
 
 テメレアと名乗った青年は、ゆういちろう様、と拙い口調で繰り返した。まるで大事な言葉でも口ずさむような繊細な囁きに、むず痒い何かを感じる。それを振り払うように雄一郎は、雑に言い放った。
 
 
「使い捨ての傭兵を様付けで呼んだりするな。俺はお前たちを助けるつもりはない」
「それでも、私は貴方に、雄一郎様に祈ります」
 
 
 間髪入れずテメレアが返してくる。呆気のとられた表情でテメレアを見返す。テメレアは真っ直ぐ雄一郎を見つめていた。言い返すのも躊躇うほどに、その眼差しは真摯だ。雄一郎は短く首を左右に振って、ため息混じりに呟いた。
 
 
「勝手にしろ」
 
 
 そう残して、一息に湖へと飛び込む。全身を、さぁっと柔らかい水が嘗めていく。湖の底も天井と同じく淡い白銀に発光していた。そのおかげで水の中でも視界がよく利く。左右を見渡し、湖の奥底にあいた穴を見つける。確認するように肩越しに振り返ると、雄一郎と同じく水に潜ったテメレアが深く頷いた。テメレアは、死にそうな形相をしたノアの腕を掴んでいる。
 
 両腕を動かして水を掻く。穴へと向かって進み、水に沈んだ狭い通路を泳いでいった。息が苦しくなってきた頃、ようやく水面が見えてきた。浮き上がって、水面から顔を出すと同時に大きく息を吸い込む。胸が荒い息に上下する。数秒後、ノアとテメレアの頭が数メートル離れた位置に出てきた。
 
 出たのは、広い河の真ん中だった。数十メートル先に見える岸まで泳いでいく。地面へと這い上がり、体内から響く自身の鼓動を感じながら耳を澄ませる。砲撃の音は遠い。だが、止まってはいない。
 
 岸に掴まったまま虫の息のノアとテメレアの服を鷲掴んで、岸へと引きずり上げる。
 
 
「立て。休んでる暇はない」
 
 
 言いながら、左右を見渡す。緑のない、ゴツゴツとした岩肌が目立つ大地だった。柔らかく細かい砂地に、まるで石碑のように幾つもの白い岩が不規則に立っている。三メートルを越す岩もあれば、三十センチに満たない大きさのものもある。そして、頭上を仰ぎ見た瞬間、雄一郎は目を見開いた。
 
 白銀色の空に、信じられないほどの大きさで幾多の星が散らばっている。星のクレーターすら肉眼で確認できるほど、星々は近くにあるように見えた。空を棚引く銀河がまるで虹のように天を横切っている。もしここが地球であれば、天体望遠鏡がなければこのような光景は見えるはずがない。
 
 

backtopnext

Published in 37歳のオッサンが戦場で女神と呼ばれる世界

Top