Skip to content →

08 チューニング

 
 門の前で馬車を降り、見張り兵の横を通り過ぎて城内へと進んでいく。誰もがノアやテメレアやゴートを見ては立ち止まり、深々と頭を下げる。そして、隣を歩く血塗れの雄一郎を見て、ぎょっと目を見開いた。彼らの唇が何か恐ろしいものを見たかのように小さく震えている。
 
 先ほどまでは余り気にとめていなかったが血臭がすさまじい。腕を鼻先に近付けて、くんと臭いを嗅ぐ。血と泥の臭いだ。一週間もジャングルを歩き続けたおかげで汗と脂の臭いもすごい。全身が発酵した死体になったかのようだ。
 
 
「くさい…」
 
 
 自身の臭いを嗅ぐ雄一郎を見て、ノアがぽつりと呟く。
 
 
「今更言うか」
 
 
 そう返すと、ノアはやさぐれたような目で雄一郎を見上げた。目元がまだ赤い。泣きはらした子供の目だ。先ほどあれだけ言葉で痛めつけられたというのに、それでも雄一郎に悪態をつけるのだから中々根性はあるのかもしれない。
 
 
「くさい女神なんてあり得ない…」
 
 
 拗ねた子供のような言い分に、思わず笑いが込み上げた。
 
 
「俺は女神じゃないんだろ?」
 
 
 問い掛けると、ノアは不貞腐れたように緩く唇をへし曲げた。
 
 
「…あんたが女神であってほしくないと思ってる」
「俺が人を殺したからか?」
 
 
 素っ気ない声で返す。ノアは一瞬気まずそうに視線を逸らした後、微か苦しげな表情で雄一郎を流し見た。
 
 
「それもあるけど、それだけじゃない」
「それだけじゃないって言うのは何だ」
 
 
 問い返すと、ノアは今度こそ押し黙った。その耳が微かに赤い。朱色に染まったノアの耳を見つめていると、斜め後ろからテメレアの声が聞こえた。
 
 
「宝珠に会う前に、湯浴みをしましょう」
 
 
 当たり前のように『会う』と表現された事に、雄一郎は首を傾げた。
 
 
「さっきから言ってる宝珠ってのは何だ。人の名前なのか?」
「人ではありません。宝珠とはジュエルドの国宝のことです」
 
 
 余計に訳が分からなくなる。曖昧に眉を顰めると、テメレアはほんの少しだけ嫌そうな顔をした。あまり宝球というものに良い感情を抱いていないらしい。見た目は冷静そうに見えるが、案外感情が表に出やすいタイプか。
 
 
「宝珠は国が混沌に陥った際に、『正しき王』と『仕え捧げる者』を選定する存在です。ノア様も私も、宝珠によって選ばれた者です。雄一郎様がこちらに飛び越えてくることも、宝珠によって知らされました」
 
 
 テメレアの説明に、ふぅんと相槌を漏らす。
 
 
「つまり、宝珠っていうのは『予言者』みたいなものなのか?」
「そう思って頂いても結構です」
 
 
 予言者、という単語が伝わったことに、僅かに驚く。
 
 
「なぁ、気になっていたんだが。俺の言葉は、あんたたちにはどんな風に伝わっているんだ。俺は“何語”を喋っている」
 
 
 この世界に来てから不思議だったことを口に出す。テメレアは一度ぱちりと瞬いてから、ゆっくりとした口調で答えた。
 
 
「雄一郎様が喋る言葉は、私たちと同じ言語に聞こえます。この世界にきた時に『チューニング』が合わされるそうです」
「チューニング?」
「はい、今までこちらに飛び越えてきた女神様のお一人が、言葉が頭の中で『自動的変換』されることを『チューニング』と表現されたそうです」
 
 
 チューニングという単語に、思わず口元に笑みが滲んだ。何ともチープで可愛らしい表現だと思う。
 
 
「ですが、一部チューニングが合わない部分もあります。例えば、雄一郎様は、ロートやエイトという距離や時間の単位が変換されて聞こえませんでしたね」
「ああ、そうだな」
「一度チューニングが合わなかった部分は、永久に変換されることはありません。その原因は解りませんが、これも女神様のお一人が『違和感を与え続けるため』だと言葉を残しています」
「違和感?」
「この世界は自分の世界ではない、という違和感です」
 
 
 妙に悲しい言葉だなと思う。一瞬の沈黙の後、雄一郎は唇を開いた。
 
 
「今まで、元の世界に戻った女神はいるのか」
 
 
 今度はテメレアが黙り込んだ。だが、数十秒後、掠れた声が聞こえてきた。
 
 
「戻られた方はいます」
 
 
 どうやって、と訊ねようと口を開き掛けた瞬間、テメレアが立ち止まった。掌で右手側の扉を示しながら、テメレアが言う。
 
 
「湯浴みが終わりましたらお声掛け下さい」
 
 
 それ以上の質問を躊躇わせるほど、その声は事務的だった。
 
 

backtopnext

Published in 37歳のオッサンが戦場で女神と呼ばれる世界

Top