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09 愛し子

 
 湯を浴びて、全身にこびり付いた汚れを落としていく。皮膚から流れ落ちていく血と褐色の水を眺めていると、先ほどの戦闘の記憶が蘇ってくる。オズは、おそらく死んだだろう。手榴弾の直撃を食らって、生きている確率の方が低い。
 
 だが、『何故』と疑問がわき上がってくる。何故、自分だけ地面に伏せなかった。一人だけで逃げていれば、おそらく怪我は負っても死ぬことはなかったはずだ。逃げず、手榴弾に覆い被さった理由は――後ろに雄一郎が居たからだ。雄一郎をかばうために自分の身体を盾にした。もしその考えが正しいのであれば、あいつは大馬鹿野郎だと思う。
 
 感謝や同情心よりも、唾棄したいような胸糞悪い感情がわき上がってくる。その感情の名前を知りたくはない。知ったところで反吐が出そうな気持ちが消えるわけではないと知っているからだ。
 
 
 全身から汚れが落ちたところで、備え付けられていた巨大な浴槽へと浸かった。湯に浸かるのなんて何ヶ月ぶりだろうか。浴槽の左側は壁がなく、吹き抜けになっていた。そこから見えるのは、白銀の空と地平まで続く広大な砂漠だ。両腕を縁に預けたまま、暫く光景を見つめる。悠大だが、拭い切れない孤独感を感じさせる光景だった。
 
 白銀の空には、幾多の星が散らばっている。その中に、地球がないかを探そうとする。だが見つけたところで、郷愁の念が湧いてくるとも思えなかった。元の世界に未練はない。雄一郎は、何も残せなかった。ならば、この世界では何かを残せるのか。
 
 馬鹿馬鹿しい感傷を振り払って、浴槽から立ち上がる。雑に水気を拭ってから、用意されていた服へと袖を通す。上下共に白いシャツとズボンだ。触り心地は麻に近かった。
 
 服の傍らには当たり前のようにAK47とサバイバルナイフが置かれていた。サバイバルナイフは既に血が落とされ、研がれている。腰裏にナイフを隠し、AK47を肩に担ぐ。
 
 浴室から出ると、扉の直ぐ傍に立っていたテメレアと目が合った。テメレアも湯を浴びてきたのか、先ほどと服装が変わっている。導師じみた長いローブを羽織っており、まだ湿り気を帯びた髪の毛は首の後ろで一つに結ばれていた。
 
 
「お待ちしていました」
「待ってくれなんて言ってないがな」
 
 
 茶化すように憎まれ口を叩くと、テメレアはほんの少しだけ口角に笑みを浮かべた。テメレアに促されるままに歩き出す。歩いて数十秒経ったところでテメレアが独り言のように呟いた。
 
 
「雄一郎様の気質が少しだけ解ってきました」
「へぇ、どんな気質だ」
「とても愛らしい方だと思います」
 
 
 咄嗟にずっこけそうになった。半眼で見遣ると、テメレアは更に笑みを深めた。改めて思ったが、テメレアの美しさは際立ったものがあった。その美貌からは何処か神々しさすら感じる。
 
 
「あんたみたいに綺麗な顔をした奴に、美しいだの愛らしいだの言われても小馬鹿にされてるようにしか思えんな」
「私の本心です」
「本心だとしたら狂気の沙汰だ」
「狂気というよりも呪いに近いです」
 
 
 意味の分からない事を言う。横目で睨み付けると、テメレアは咽喉の奥から小さく笑い声を漏らした。隠微さを感じさせる、羽虫のような笑い声だ。
 
 
 迷路のように入り組んだ廊下を進み、大きな扉の前で立ち止まる。扉が開かれると、がらんとした広間が見えた。天井に大きな硝子がはめられた、陽当たりの良い部屋だ。
 
 その部屋の中央には、白い台座があった。白い台座の上には、真珠色に輝く丸石が置かれている。バスケットボールを一回り小さくしたような大きさで、天井から射し込む光に反射して艶やかに輝いている。
 
 台座の傍らには、既にノアが立っていた。その隣には、ゴートが気だるげに床に胡座をかいている。こちらに気づいたノアが不機嫌そうに顔を歪めて、そっぽを向く。
 
 
「ありゃ、女神様いらっしゃいませー」
 
 
 ゴートがひらりと手を振ってくる。近付くと、ゴートはだらだらとした仕草で立ち上がった。
 
 
「その女神様っていうのは止めてくれ。鳥肌が立つ」
 
 
 両腕を擦りながら言うと、ゴートはひひひと不気味な笑い声を上げた。
 
 
「じゃあ、隊長で」
「隊長?」
「今後、軍の指揮権はすべて女神様のもんですから、隊長と呼ぶのが相応しいかと」
 
 
 当たり前のように告げられた言葉に、雄一郎は顔を歪めた。
 
 
「軍の指揮権が俺のものだと?」
「そうです。名乗るのが大層遅れましたが、俺はラスティ=フォルグ・ゴートと申します。ノア様とは従兄弟に当たる、しがない弱小貴族です。今後、隊長の補佐官を勤めさせて頂きますのでお見知り置きを」
 
 
 ゴートが仰々しい挨拶を述べて、緩やかに頭を下げる。だが、その顔はにたにたと笑ったままだ。その挨拶に呆れたようにテメレアが呟く。
 
 
「弱小なんていうのは嘘です。ゴート家は、ジュエルドで最も古く強大な大貴族です」
「それも親父が生きてる間だけの話ですよ。ついこの間、親父は教会で骨まで燃やされちまいましてね」
 
 
 ははは、とゴートは声を上げて笑っているが、内容は笑えるものではない。曖昧に口角を引き攣らせて、雄一郎は問い掛けた。
 
 
「その前に、俺が隊長なんていう話が初耳なんだが?」
「あらま。もしかして、女神様の役割をまだ聞いてないんですかい?」
 
 
 質問に質問で返される。ゴートが目を丸くして雄一郎を見つめていた。睨み付けると、テメレアは軽く肩を竦めた。
 
 
「今からご説明します」
 
 
 悪びれもせずに言う。大人しげな見た目にそぐわず案外いい性格をしてやがる。
 
 テメレアは台座の上に置かれた丸石に緩く手をかざすと、イズラエルと呟いた。まるで何かを呼び起こすような密やかな声だった。
 
 特に何が起こるわけでもなく、沈黙が流れる。
 
 
「おい、説明してくれるんじゃないのか」
「それはイズラエルが来てからです」
「イズラエルっていうのは――」
 
 
 誰だ、と問い掛けようとした瞬間、首筋をぞろりと這うものを感じた。何か、生温かいものが雄一郎の首筋を沿うように撫でている。ぞわりと背筋が隆起するのと同時に、耳元に声が吹き込まれた。
 
 
「来たか、“愛し子”」
 
 
 振り返ろうとした瞬間、鼻先が触れ合いそうなほどの至近距離で何かと目が合った。爬虫類の目が雄一郎の顔をじっと覗き込んでいる。びっしりと覆った緑色の鱗が陽光に照らされて、ぬるりと艶めいていた。
 
 

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Published in 37歳のオッサンが戦場で女神と呼ばれる世界

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