Skip to content →

10 龍

 
 咄嗟に手が動いた。肩の上に乗っていた何かを叩き落とす。途端、鈍い声が上がった。
 
 
「いだぁ!」
 
 
 その声は、はたき落とした何かが上げたようだった。足元に転がるそれを見下ろす。それは一瞬蛇のように見えた。全長は一メートルもなく、細長くうねる身体は緑色の鱗で覆われている。口からは四本の鋭い牙と二股にわかれた真っ赤な舌が見えた。
 
 だが、普通の蛇とは違う。頭には赤い鬣が生え、短い手足もある。鼻先からは二本の髭がふよふよと泳いでいた。
 
 
「龍」
 
 
 唇から無意識に言葉が零れていた。東洋の絵画でよく見る龍の姿をしている。おとぎ話の生き物が、この世界には存在しているということなのか。
 
 
「お、お前、イズに…宝珠に何てことするんだ…!」
 
 
 それまで、むっつりとした様子で黙り込んでいたノアが引き攣った声を上げる。
 
 
「ええんよ、僕がいきなり触ったんが悪かった」
 
 
 予想外に砕けた口調が龍の口から出てくる。まるで関西人のオッサンのような喋り方に、雄一郎はぽかんと口を開いた。唖然とする雄一郎を、龍が三日月が浮かぶ目でじっと見上げてくる。
 
 
「きみ、名前は何て言うん」
「…尾上雄一郎」
「ユーイチロか。僕はイズラエル。この国の宝珠であり、きみの守護獣でもある」
「守護獣?」
「そう、僕がきみを守る」
「守るってどうやって」
 
 
 まるで小さな蛇のような龍を見下ろして、鼻で笑いながら呟く。すると、イズラエルと名乗った龍はぷかりと宙に浮かび上がると、雄一郎の顔へとその瞳を近付けた。
 
 
「愛で」
「は?」
「まぁ、それは冗談で」
 
 
 呆気に取られる雄一郎を見て、イズラエルがその厳つい顔を緩める。龍でも笑うんだと初めて知った。イズラエルは無遠慮なまでの仕草で、雄一郎の首元へとその身体を擦り寄せてきた。生ぬるい鱗が首筋を舐める感触に、ぞぞっと身体が震える。
 
 
「嗚呼、僕の愛し子や。ずっときみのことを待っとった」
「やはり、雄一郎様が女神様で間違いありませんか?」
 
 
 それまで黙っていたテメレアが口を開く。その声音はどこか刺々しい。まるでイズラエルに対して怒りでも感じているかのような声音だ。
 
 
「もちろん、彼や! 彼以外にありえん!」
 
 
 イズラエルが短い手足でぎゅううぅっと雄一郎の上着を鷲掴んで叫ぶ。雄一郎は気味悪く龍を見下ろしながら、薄く唇を開いた。
 
 
「俺が女神だって言うのか?」
「間違いない!」
「俺は37歳の男というか、オッサンなんだが」
「それでも、きみや」
 
 
 イズラエルが腕に絡み付いて囁く。
 
 
「きみがこの国を救い、この国の国母になる」
「国母!?」
 
 
 国を救う、という部分はまだ聞き逃せた。だが、国母という単語だけは聞き逃せなかった。素っ頓狂な声をあげた雄一郎に驚いたのか、イズラエルが腕からほどけて床へとコロンと転がる。イズラエルはそのつぶらな瞳をぱちぱちと瞬かせながら言った。
 
 
「そや、国母や」
「待て。繰り返すが、俺は37歳のオッサンだ」
「それは解っとる」
「じゃあ、国母って言葉はおかしいだろうが」
 
 
 おかしい、というか、完全に気狂いの言葉だ。完全に頬を引き攣らせた雄一郎を見て、イズラエルは不思議そうに首を傾げた。また、ふよりと浮かぶと、雄一郎の肩へと身体を沿わせてくる。
 
 
「国母っつうのは、この国の次期王を生む存在のことや。それがユーイチロやと言うとるんだが」
「何度も説明させるな。俺は男だ」
 
 
 いい加減話が通じないことに苛々してきた。あからさまに苛立ち始めた雄一郎を見て、テメレアが嘆息を漏らして唇を開く。
 
 
「雄一郎様、貴方が男性であることは関係ないんです」
「何?」
「貴方の世界では違っていたでしょうが、この世界では男でも子を孕めるのです」
 
 
 テメレアの言葉に、雄一郎は絶句した。唇を開いたまま硬直した雄一郎の姿に、同情するようにテメレアが小さく首を左右に振る。
 
 
「女神の役割は二つです。兵を率い、正しき王に勝利をもたらすこと。もう一つは、正しき王と女神の御子をこの世界に残すこと」
 
 
 反射的に視線がノアへと向いた。ノアは下唇を噛みしめたまま、微か青ざめた表情で床を見つめている。その瞬間、ノアが雄一郎を女神であってほしくないと願った理由が解った。自分の倍以上の年齢の男を孕ませなくてならないというのは、幼い子供には余りにも酷だろう。
 
 

backtopnext

Published in 37歳のオッサンが戦場で女神と呼ばれる世界

Top