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11 報酬

 
「馬鹿じゃねぇのか」
 
 
 無意識に悪態が口をついて出ていた。
 
 
「できるわけねぇだろ、そんなこと」
「できない? 何でだ?」
 
 
 意味が解らないと言いたげなイズラエルの声に、不意に堪えようもない憤怒が湧き上がってきた。肩にとまっていたイズラエルの首を片手で鷲掴む。途端、ぐぇ、とイズラエルが呻き声を上げた。その三日月の目を間近で睨み付けて吐き捨てる。
 
 
「いきなり訳のわかんねぇ世界に来させられた上に、劣勢の軍を勝たせろ、男だがガキを産めと言われて受け入れられる奴がいるのか? 人を舐めるのもいい加減にしろ」
 
 
 ギリギリと歯噛みしながら言い放つ。その間も、イズラエルが苦しげに尾をびたんびたんと宙で蠢かせていた。その様子を、テメレアは冷たい眼差しで眺めていた。先ほどから思っていたが、テメレアはイズラエルに好意を抱いていないらしい。逆に憎悪を感じているようですらある。
 
 不意に、腕を掴まれた。ノアが微かに震えながら、雄一郎の腕を掴んでいる。
 
 
「イズラエルを放せ」
「なぜだ? お前だって王になりたくねぇんだろうが」
「王様にはなりたくない。なりたくないけど…」
「なら、どうして止める。こいつを助けるって事は、手前が王様になることを受け入れて、その上、俺との間にガキを作るって事だぞ。そんなことお前にできるのか」
 
 
 挑発するようにノアの顔を覗き込む。途端、ノアは唇をぎこちなく戦慄かせた。躊躇と狼狽が滲む顔。その顔を見据えたまま、雄一郎は笑い声混じりに吐き捨てた。
 
 
「できねぇなら、黙ってこいつが縊り殺されるのを見てろ」
 
 
 そう言い放った瞬間、ノアが叫んだ。
 
 
「イズは、僕の友達だ!」
 
 
 叫ぶと同時に、ノアは大きく口を開いて雄一郎の腕に勢いよく噛み付いた。布越しに歯が肉に食い込む痛みに、咄嗟にイズラエルを掴んだ手から力が抜ける。イズラエルがぼとりと床に落ちても、ノアは雄一郎の腕に噛み付いたままだ。
 
 
「離せ」
 
 
 噛み付かれた部分の皮膚が破けて、じわりと布に血が滲み出す。白い布に赤い血が広がる様を冷めた目で眺めながら、雄一郎は繰り返した。
 
 
「離せ」
 
 
 二度繰り返すと、ようやく目が覚めたようにノアの唇から力が抜けた。軽く腕を振ると、ノアが床に尻餅を付く。その口元は雄一郎の血で微かに濡れていた。
 
 ゴートがヒュゥと小さく口笛を鳴らす。
 
 
「初対面で宝珠を殺そうとする女神様なんて初めてっすよ」
 
 
 王様に噛みつかれる女神様もたぶん初、とゴートが笑いながら続ける。その重々しさを感じさせない笑い声に、妙に脱力する。
 
 袖をまくってノアに噛み付かれた部分を確認する。血の量に比べて、傷口は深くはない。刻まれた小さな歯型を眺めていると、テメレアがそっと白い布を傷口へとあてがってきた。
 
 
「後で治療します」
「別にいい」
「いいえ、させて下さい」
 
 
 拒否を許さない頑固な言葉に、雄一郎は小さくため息を漏らした。
 
 意識を戻したイズラエルが床でげふげふと咳込んでいる。
 
 
「おぉお…吃驚した。女神に首を絞められるなんて初体験や」
 
 
 ゴートと同じことを言う。イズラエルは先ほどまで殺されかけた事など忘れたように雄一郎を見つめると、その目を柔らかく細めた。
 
 
「七人目の女神は、中々おてんばやな」
「おてんば…」
 
 
 先ほどの行為が『おてんば』で済むのか。雄一郎が肩を落とすと、イズラエルは後ろ足だけで立ち上がった。まるで足の短いダックスフンドが二足歩行しているような姿だ。
 
 
「ユーイチロ、僕を殺したいなら殺してもええ。でも、僕を殺したら、元の世界には一生戻れんで」
 
 
 それは脅しというよりも淡々と事実を告げている声音だった。雄一郎は、まっすぐイズラエルを見つめて唇を開いた。
 
 
「戻る方法はあるのか」
「きみが女神の役割を果たした後に、それでも戻りたいと望むのならな」
 
 
 吐き気がする。女神の役割というのは、先ほど告げられた『勝利』と『受胎』という事なのだろう。あまりにも気色が悪すぎて、眩暈すら覚える。嫌な唾を飲み込みながら、雄一郎は唸るように呟いた。
 
 
「…浦島太郎になるんじゃねぇだろうな」
「ウラシマタロー?」
「この世界に何十年も居て、その後に元の世界に戻ったところで俺の居場所はねぇって意味だ」
 
 
 飛び越えた時の状況を考えて、おそらく戦地にて行方不明。戦死扱いになっている事は間違いないだろう。だが、イズラエルはぴるぴるとその短い腕を左右に振った。
 
 
「それはないで。この世界ときみの世界では時間軸が違うんや。この世界での十年は、あっちの世界では一年にもならん。きみが望むんやったら、新しい肩書を用意してもええ」
「肩書?」
「ユーイチロの世界では、コセキ言うんやっけか?」
 
 
 イズラエルがくりんと首を傾ける。戸籍を用意するなんて、随分とこちらのニーズを把握している。むしろ把握し過ぎているくらいだ。
 
 
「お前は、俺の世界のことをよく知っているのか」
「ようは知らん。けど、時々神様が教えてくれるんや」
 
 
 神様、という言葉に片眉が跳ね上がる。女神といい、宝珠といい、神様もいるなんてこの世界の宗教観はどうなっているんだ。
 
 
「この世界には神様がいるのか」
「おるで。僕の役割は、神様の言葉を伝えることなんや。ユーイチロを女神に選んだのも神様やで」
 
 
 目の前に神様がいたら、全力でぶん殴ってやりたい。だが、もう悪態を付くのも、いい加減に疲れてきた。目の前の現状を打破できないのであれば、逃げるか受け入れるかどちらしかない。そして、逃走路はすでに塞がれている。
 
 
「お前らの望みどおり女神様をやったところで、俺にメリットがない」
「めりっと?」
「元の世界に戻れたところで一文無しになってるんじゃ、つまらんと言ってるんだ」
 
 
 言いながら、ゴートの首に掛かっていた首飾りを指先で引っ張った。うわ、とゴートが驚きの声を上げる。その声に重なるように、カランと石同士が擦れる音が小さく響いた。
 
 
「俺は傭兵だ。戦わせるのなら報酬を払え」
 
 
 この石でいい、と指先で首飾りの先端についていた石を撫ぜる。イズラエルが心底不可思議そうに雄一郎を見つめていた。
 
 
「そんなんでええの? ただの石やで」
「俺の世界では価値がある。戦いに勝つ度にこいつを支払ってくれればいい」
「ほっ、報酬のために女神をやるっていうのか…!」
 
 
 憤ったようにノアが叫ぶ。その怒りに満ちた顔を見ながら、雄一郎は冷たく呟いた。
 
 
「王様やりたくねぇって逃げ回ってるガキよりかは、よっぽどマシだろ」
 
 
 寒々とした雄一郎の言葉に、ノアが口ごもる。泣き出しそうなノアの面を睥睨してから、左右を見渡す。
 
 
「どうする?」
 
 
 テメレアは小さく頷き、ゴートは相変わらず笑いを堪えているようだった。規格外れな女神に笑い転げたいのを必死に堪えているのだろう。イズラエルは、ふぅと息を漏らすと、うっとりとした声で呟いた。
 
 
「きみって、めっちゃ最悪で格好ええなぁ」
 
 
 それは合意の意味なのだろうか。イズラエルは先ほど首を絞められたのも忘れたように雄一郎の足下へと近付くと、そのふくらはぎへと柔らかく絡み付いてきた。その感触が奇妙な運命に絡め取られていくかのように思えて、予期せず皮膚が震える。
 
 
「最高の女神や」
 
 
 恍惚としたイズラエルの声に、思わず雄一郎は笑っていた。もう笑う以外に、自分がどんな表情をすればいいのか解らなかった。
 
 

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Published in 37歳のオッサンが戦場で女神と呼ばれる世界

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