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12 奴隷

 
 夜は暗い。それは、この世界でも同じらしい。ただ異なるのは、藍色の空に七色の銀河が棚引いているところだ。
 
 窓際に腰掛けたまま、小さな宝石をばら撒いたような空を見上げる。雄一郎の傍らには、分厚い本が一冊置かれていた。無意識に表紙を指先でなぞる。古びた表紙には、見覚えのある言語でタイトルが書かれていた。
 
 
『OUR DIARY』
 
 
 “私たちの日記”と名付けられた本は、先ほどテメレアから渡された物だ。歴代の女神たちが次世代の女神のために書き残した本らしい。ぱらぱらと数ページめくってみたが、その時の女神によって、書かれている言語は異なっていた。基本は英語のようだが、ロシア語やイタリア語も見て取れる。読めない言語も存在していた。読める部分だけを抜粋して、ぱらぱらとページをめくっていく。
 
 最初の数十ページはこの世界の基礎知識や元の世界との差異が書かれていた。国の名前はジュエルド。元々は五つの部族が力を合わせて作られた連合国だったらしい。その中でもっとも力を持っていた白の部族が今の王族となったらしい。その他、大体の人口や隣国の名前、貨幣単価等が書き連ねられている。だが、いつの時代の記録か解らないから記憶の端に留めておく程度に止めておく。
 
 途中で書く女神が変わったのか内容が日々の記録になったりもしていた。そこには、何故自分がこんなところにいるのか、何故知らない男の子供を身ごもらなければならないのか、元の世界に帰りたい、という泣き言が書かれていた。その日記は、まるで幼児が書き殴ったかのような雑然とした文字を最後に途切れていた。
 
 
『sacrifice』
 
 
 サクリファイス、生け贄という言葉。それは女神自身が残した言葉なのか。それとも、女神によってこの世界に産み落とされ、そして置いていかれた子供の言葉なのか判別はつかない。
 
 だが、その言葉を見た瞬間、言いようのない胸糞悪さが込みあげてくるのを感じた。そのまま読み続ける気にもならず、雄一郎は本を閉じた。
 
 指先を本の表紙から離して、窓枠にはめられた鉄格子を意味もなく撫でる。女神様の寝室ですと案内された部屋は、綺麗な監獄のようだった。ベッドは豪奢な天蓋が設けられているし、部屋に置かれた調度品も高価なものだと一目で解る出来映えだ。ただ、この窓が全体のイメージを一気に仄暗くさせている。窓に十字に幾つもはめられた太い鉄格子は、中にいるものを決して逃がさないと言わんばかりの重圧を放っている。
 
 短く息を吐いて、鉄格子から指先を離す。直後に、部屋の扉が叩かれる音が聞こえた。控えめなノックの後、扉が開かれる。
 
 顔を覗かせたのはテメレアだった。
 
 
「ご報告を」
 
 
 雄一郎が小さく首肯を返すと、テメレアは仄暗い室内へと入ってきた。
 
 
「ご指示通り、斥候を出しました。短距離と長距離でそれぞれ7名単位で各5部隊、別々の方角へ、異なる道筋で。人選はゴートが選んだので間違いないかと。短距離の斥候部隊は、明け方には城の陣営に戻って参ります」
「宜しい。迅速に敵陣営の位置を掴むように尽力してくれ」
 
 
 視線を向けぬまま、そう短く返す。だが、会話が終わっても、テメレアが部屋を出て行く気配はない。視線を向けると、テメレアは何とも言えない表情で雄一郎を見ていた。
 
 
「眠らないのですか」
「寝る気分じゃない」
「夜食でも持って参りましょうか」
「腹が減って寝れないわけじゃない」
 
 
 まるで子供を宥めるようなテメレアの言葉に、小さく笑いが滲んだ。つい数時間前に大量の飯を食わされたばかりだというのに、どれだけ腹ぺこだと思っているんだ。その料理の食材も見たことのない食材が多かったが、食べるのには問題ない味のものばかりだった。
 
 
「では、これを」
 
 
 テメレアが寝台のサイドテーブルに置かれていた瓶を手に取る。瓶の中で、半透明な桃色の液体が揺れているのが見えた。
 
 
「それは?」
「シャグリラという果実から作られた飲み物です」
 
 
 言いながら、テメレアがグラスへと液体を注いでいく。差し出されたグラスを受け取って一口含むと、途端ねっとりと甘い味が舌の上に広がった。味は桃に近いが、微か日本酒のような清涼感もある。胃へと落ちると、ふわりと身体が奥底から温まるのを感じた。
 
 
「酒か」
「サケ?」
 
 
 首を傾げるテメレアを見て、雄一郎は“違和感”と小さく呟いた。どうやら『酒』という単語はチューニングが合わされていないらしい。もしくは酒という概念がこの世界にないのか。
 
 もう一口、液体を口に含む。甘いが、口に合わないものではない。ちびちびと飲んでいると、テメレアが口を開いた。
 
 
「腕はもう痛みませんか」
「あぁ」
 
 
 ノアに噛まれた方の腕を軽く掲げる。剥き出しの腕には、テメレアの手によって巻かれた包帯が見える。テメレアは真っ白な包帯を見つめた後、静かに頷いた。
 
 
「まだ何かあるか」
「いいえ、ありませんが…」
「そんなとこに突っ立ってないで座ったらどうだ」
 
 
 そう促すと、テメレアは一瞬躊躇うように顔を強張らせた後、大人しく部屋に備え付けられた丸テーブルの椅子へと腰を落とした。雄一郎も窓際からどいて、テメレアの向かいの椅子に腰掛ける。
 
 テーブルの上には、分解されたAK47が置かれている。その細かな部品を眺めて、テメレアが呟く。
 
 
「こんな精巧な銃は初めて見ました」
「そうか。あっちの世界では、この銃は構造がシンプルにできている方だがな」
 
 
 だから、その分頑丈だ。そう呟くと、テメレアは驚いたように目を大きく開いた。
 
 
「雄一郎様の世界は、私たちの世界よりもずっと文明が発達しているのですね」
「武器に関してはそうかもな。だが、やってる事は大してここと変わらん」
「というのは?」
「どちらの世界でも、人は殺し合ってる。それだけだ」
 
 
 素っ気なく呟く。テメレアは今度は表情を変えなかった。ただ、静かな眼差しでこう問い掛けてきた。
 
 
「貴方は人殺しを仕事にしていたのですか」
「そうだ」
「なぜですか?」
「金のためだ」
 
 
 この問答はつい最近もした気がする。奇妙なデジャヴに口角を吊り上げながら、雄一郎は首をぐにゃりと傾げてテメレアを見上げた。
 
 
「金を稼ぎたいから人を殺すというのは邪悪か?」
 
 
 にたにたと嗤いながら問い掛けると、テメレアは僅かムッとしたように鼻梁に皺を寄せた。顰めっ面なのに、テメレアの美しさは欠片も損なわれない。
 
 
「邪悪かどうかは私には判りません。ですが、そうまでして貴方が金銭を得ろうとする理由は知りたいと思います」
「理由なんかないさ」
「そうでしょうか」
 
 
 不意にテメレアがぐっと身を乗り出すようにして、雄一郎の顔を間近に覗き込んできた。至近距離に見えるテメレアの整った顔に、一瞬予期せず目蓋が震える。無理矢理目線を逸らして、雄一郎は独りごちるように呟いた。
 
 
「お前の顔は、少し怖い」
「怖い、ですか」
「あぁ、綺麗すぎて気味が悪い」
 
 
 これは誉め言葉になるのだろうか。それとも逆に貶しているように聞こえるのだろうか。だが、テメレアは無表情のまま、ちらりとも感情を表に浮かべない。
 
 
「気味が悪いと言われるのは遺憾ですが、貴方に綺麗だと思って頂けてるのなら、それは喜ばしい事です」
「ちっとも喜ばしそうには見えないがな」
「ええ、所詮この顔も身体も私自身の物ではありませんから」
 
 
 また意味不明な事を言う。雄一郎が訝しげに瞬いていると、テメレアはそっと雄一郎の手の甲に掌を重ねた。テメレアの手は僅かに熱い。
 
 
「私の顔も身体も命も、すべて雄一郎様、貴方のものです」
 
 
 テメレアの声音は熱狂的なものではなかった。盲目的でも偏執的でもない。ただ、事実だけを告げるような事務的な声音だった。だが、その言葉のおぞましさだけは皮膚を通して、雄一郎の体内までずるりと潜り込んできた。
 
 
「…気持ちが悪いな」
「それは、さっきの気味が悪いよりも傷つきます」
「本当のことだから仕方がない。俺は、手前なんかを貰ったつもりはねぇぞ」
「それでも、私は雄一郎様の物です。私は『仕え捧げる者』なのですから」
「だから、それが何だって言うんだ」
 
 
 手の甲に重なったテメレアの掌を払いのけながら邪険に言い放つ。テメレアは一瞬自身の掌を見つめてから、微か仄暗い眼差しで雄一郎を見つめた。
 
 
「女神様が現れる際、仕え捧げる者が宝珠によって選ばれます。仕え捧げる者は、簡単に言ってしまえば女神様の『奴隷』です」
 
 
 端的なテメレアの言葉に、雄一郎は眉根を寄せた。どれい、と確かめるように雄一郎が口ずさむと、テメレアは微かに笑った。自嘲的な笑いだ。
 
 

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Published in 37歳のオッサンが戦場で女神と呼ばれる世界

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