Skip to content →

13 さみしい人

 
「別世界へと飛び越えてきた女神様たちは、その殆ど精神が不安定になります。泣いたり喚いたり、時には自分自身を傷つけたりと。その精神を安定させるために“何でもする”のが仕え捧げる者の役割です」
「何でも、だと」
「はい。今までの女神様の中には仕え捧げる者をサンドバッグとして扱ったり、性処理道具のように使った例もあります。両手両足を切ってベッドに繋ぎ、ただの『屹立した棒』として扱ったようです。その仕え捧げる者は最期は性行為中に首を絞めて殺されたようですが。他には犬のように首輪を付けて散歩させたり、小便も屋外で――」
「おい、それ以上は言うな。これ以上聞いてたら、俺もお前を殴り飛ばしそうだ」
 
 
 ムカムカと気持ち悪い感情が胸の奥底から反吐のようにわき上がってくる。奥歯を噛んだまま唸るように言うと、テメレアは唇を開き掛けたまま止まった。だが、その唇から空気のような声が続けて零れる。
 
 
「貴方なら、殴ってもいいんですよ」
 
 
 咄嗟に弾けそうになった。怒りが脳天まで駆け上って、腕を勝手に動かす。右手を勢いよく振り上げる。その拳をテメレアの頬へと向かって振り下ろすつもりだった。
 
 だが、腕は空中に振りかぶられたまま固まった。テメレアは、じっと雄一郎を見つめている。まるで神様か母親か、何か絶対的なものを見るような眼差しで。その幼子のような瞳に、拳が振り下ろせなくなる。
 
 
「お前は、俺が『女神』だから殴られることをよしとするのか」
「そうかもしれませんし…そうでないかもしれません」
 
 
 曖昧な返答に苛立ちが募る。振りかぶった腕が怒りのあまり小刻みに震えた。
 
 
「巫山戯るな」
「すいません、本当に解らないのです。私は、貴方に会う前は嫌だったんです。女神も、自分の役割も、吐き気がするほど憎くて堪らなかった。仕え捧げる者に選ばれた瞬間、目の前が真っ暗になりました。今まで必死に生きてきた人生や、抱いてきた夢や希望が、全部無駄になったと思いました。今から自分は誰かの『壊せる玩具』になるのだと思うと、死んだ方がマシだと。たとえこの国のためだとしても、女神なんて者はこの世界に来ることなく、どこかで死んでくれとすら祈りました。それなのに…」
 
 
 語尾が掠れて途切れる。テメレアが俯く。その肩は、まるで嗚咽を堪えるように小さく震えていた。
 
 テメレアの震えを見下ろしていると、不意に腕が掴まれた。テメレアが雄一郎の腕を鷲掴んでいる。テメレアが雄一郎を見上げる。その目は隠しきれない熱を孕んでいた。
 
 
「貴方をみた瞬間、すべてが裏返った。自分の心が勝手に変わっていくのが解るんです。貴方のためなら何でもしたい。命すらも捧げたい。貴方が、狂おしいほどに愛しいと――」
「触るな」
 
 
 腕にテメレアの指が食い込んでいる。
 
 
「これは何ですか。自分の心が変わりすぎて気味が悪い。そう、貴方の言うとおり気持ちが悪いんです。自分でも自分の心が解らなくて、気持ちが悪くて吐き気がする。それなのに、止められない。呪いみたいに」
 
 
 皮膚の奥底から怖気が這い上ってくる。こんな感覚は久々だ。戦闘でも経験したことのない、まるでドブ川で幽霊に腕を掴まれて引きずり込まれるような異質な恐怖だった。
 
 
「テメレア」
 
 
 落ち着きを取り戻させようと静かに名前を呼ぶ。だが、次の瞬間、唇に噛み付かれた。目の前にテメレアの顔がある。
 
 まるっきり獣のような口付けだった。半開きだった唇にすぐさま舌が潜り込んでくる。柔らかく、まるで蛇のようにぬめっている。舌が強引に絡め取られて、ぬるぬると擦れ合う。唾液が吸われて、代わりのように咥内へと注ぎ込まれる。他人の唾液の味に、皮膚の下が隠微にざわめくのを感じた。
 
 テメレアの蒼い瞳が雄一郎を見つめている。細められた目から覗くのは紛れもない情欲だ。男が女へ向けるような、獰猛で粘着いた、おぞましい――
 
 それを感じた瞬間、勝手に右手が動いていた。右拳がテメレアの頬へとぶち当たって、テメレアの身体が派手に床に転がる。置いていたバックパックが床に落ちて、中身が床にまき散らされた。
 
 
「お、まえは、俺を女扱いするつもりか」
 
 
 下顎を伝う唾液を雑に手の甲で拭いながら、雄一郎は掠れた声で吐き捨てた。テメレアは緩く上半身を起こすと、未だ熱をくすぶらせた眼差しで雄一郎を見つめた。
 
 
「貴方は、女神です」
「だから、女のように振る舞えと? 男に迫られて、女のように受け入れて喘げとでも?」
「貴方は、いつか王の子を孕まなくてはならないんです」
 
 
 テメレアの淡泊な言葉に、血が脳天まで上るのを感じた。椅子を蹴って、テメレアの上に馬乗りになる。胸倉を掴んで、至近距離でテメレアを睨み付ける。テメレアの頬は赤い。雄一郎に殴られたせい、そして性的な高揚から。そのことに、皮膚がぞっと粟立った。
 
 テメレアの指先がそっと伸ばされる。細い指先が雄一郎の下唇を淡く撫でる。その感触に、みっともなく唇が震えた。
 
 
「貴方が他の男のものになるのが苦しい。たとえ、それがノア様だとしても」
 
 
 情欲と悲観に満ちた男の声音に、吐き出すはずの罵言が咽喉の奥で固まる。嫌悪から怖気が立つという感覚は、生まれて初めてだった。
 
 
「お前、俺とやりてぇのか」
 
 
 気色悪い反吐の味がする言葉を呻くように呟く。嫌悪で歪められた雄一郎の顔を見上げて、テメレアはまるで物知らぬ子供のように数回瞬いた。下唇に添えられていた指先が下顎を滑って、咽喉元から胸元まで下ろされる。左胸へと当てられた掌に、心音が大きく跳ねるのを感じた。
 
 
「私は、貴方に触れたい、と思っています」
「は」
 
 
 思わず鼻で嗤った。だが、嘲りを浮かべる雄一郎をまっすぐ見上げて、テメレアは不意にくしゃりと顔を歪めた。まるで親に縋る子供のような、健気で哀れな顔だ。
 
 
「貴方の心に触れたい」
 
 
 その言葉に、どうしてだか息が止まった。次の瞬間、訳の分からない恐怖が足下からぞぞぞと音を立てて這い上ってくるのを感じた。心臓を裏返されるような、真っ暗な沼を覗き込まれるような言いようのない恐怖だった。
 
 左胸に当てられたテメレアの掌を掴む。その掌をゆっくりと下腹まで下ろした。性器のすぐ上辺りまで。テメレアが目を丸くして、雄一郎を見上げている。
 
 
「身体ならくれてやる。代わりに、俺の言うことに従え」
 
 
 引き攣った笑みを浮かべながら、雄一郎は言った。テメレアが微か悲しげに顔を歪めて、唇を開く。
 
 
「代償がなくとも、私は貴方に従います」
「代償がない関係性を、俺は信用しない。特に愛だとか信頼だとか、そういったものを持ち出す輩は、いつか必ずこちらを裏切ってくる。貴方のためだ、お前のためなんだ、と言いながら、平気で残酷なことをしやがる。自分は正しい、優しい奴なんだという面をしてな」
「それは、貴方の今までの経験則ですか」
「そうだ」
 
 
 短く言い放つと、テメレアは下腹に添えられていた掌をそっと浮かせて、雄一郎の頬を静かに撫でた。
 
 
「貴方は、さみしい人だ」
 
 
 また嗤いが零れた。それなのに、上手くは嗤えなかった。口角が引き攣った形のまま強張る。歪な雄一郎の頬を数度柔らかく撫でて、テメレアは祈るような声で続けた。
 
 
「貴方のことを知りたい」
 
 
 耐え切れなくなりそうだった。自分の肉の襞を、指先で一つ一つ丁寧にめくられているようなおぞましさに臓腑が震える。
 
 頬に当てられたテメレアの掌を払いのけて、雄一郎は自身の上着を雑に脱ぎ捨てた。黄褐色の肌が闇に浮かび上がる。
 
 
「どうせ、いつか男とヤらなきゃなんねぇんだ。お前で練習してやるよ」
 
 
 あくまで奴隷に命じる主人のように傲慢に言い放つ。テメレアは目を奪われたように雄一郎の剥き出しの上半身を見つめたまま、僅かに咽喉を上下させた。
 
 
「そんなに俺とヤりてぇのか、変態野郎」
 
 
 蔑むように言葉を投げつけると、テメレアは憤るどころか微かうっとりと目を潤ませた。
 
 テメレアの手が雄一郎の胸元へと伸ばされる。だが、その指先が皮膚に触れる寸前、ヒステリックな声が部屋に響きわたった。
 
 
「なっ、何してんだよ、お前…ッ!」
 
 
 顔を上げると、肩をわなわなと震わせたノアと目が合った。開かれた扉の前でノアは信じられないものでも見るような眼差しで、雄一郎を凝視している。その面を見返して、雄一郎は笑った。
 
 
「お前も混ぜてやろうか?」
 
 
 戯れ言に、眩暈でも起こしたようにノアの足下がくらりと揺れて、床に尻餅をつくのが見えた。呆然としたノアの表情に、不意に胸の奥から嗜虐的な感情が沸き上がってくるのを感じた。
 
 テメレアの身体を跨いで、まるで獣のように四つん這いでノアへと近付いていく。尻餅を着いたまま動かずにいるノアの顔を覗き込んで、雄一郎は唇を開いた。
 
 
「俺が嫌いなら、さっさと俺を孕ませてくれよ」
 
 
 矛盾した言葉を、誘うように囁く。ノアの顔から静かに血の気が落ちていくのが解る。その白く幼い顔を見つめながら、雄一郎は優しく微笑んだ。
 
 手を伸ばして、ゆっくりとノアの背後の扉を閉めていく。扉が閉まると、再び部屋は薄闇に呑み込まれた。
 
 

backtopnext

Published in 37歳のオッサンが戦場で女神と呼ばれる世界

Top