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16 区分け

 
 目が覚める。薄く目蓋を開くと、窓から朝陽が射し込んでいるのが見えた。
 
 ベッドに手を付いて起きあがろうとするが、身体がガタガタが軋んで倒れそうになる。数度ぼんやりと瞬いた後、雄一郎は昨夜のことを思い出した。だが、体内からじわじわと湧き出てくるような鈍痛以外は、そういった痕跡は表面上は残っていなかった。
 
 痛覚を押し殺して、立ち上がる。ベッドのサイドテーブルに首尾よく置かれていた服に腕を通す。昨日と同じ白い服だ。
 
 寝癖の付いた短い髪を雑に掻き上げつつ、テーブルに置かれていた煙草を手に取る。こちらの世界に持ってきた一箱だけの煙草だ。フィルターに火を付けようとして、ふと思った。
 
 
「この世界に煙草はあるのか?」
 
 
 独り言を漏らす。だが、雄一郎が幾ら考えたところで判るわけがない。結局考えるのが馬鹿馬鹿しくなって、煙草に火を付けた。吸い込むと、肺に苦い空気が溜まる。
 
 紫煙を吐き出して、また思った。赤ん坊ができたら、煙草も止めなくては。だが、その想像はどこか絵空事じみていた。自分がいつか子供を孕むなどと、そんなのは妄想じみている。だが、この世界にいる限り、それは単なる妄想ではなく紛れもない現実になるはずだ。
 
 想像ばかりが先走りするのを振り払うように、首を左右に揺らす。まだ半分も吸っていない煙草を携帯灰皿へと放り込み、雄一郎は部屋から出た。
 
 城の広い廊下を進んでいく。雄一郎の姿を見た使用人らしき者たちは、皆一様に驚いた顔をして硬直していた。一人の若い男を呼び止めて訊ねる。
 
 
「悪いが、テメレアのところまで案内してくれないか」
 
 
 なるべく威圧的にならないように声を掛けたというのに、男は固まったまま動かない。雄一郎が首を傾げると、ぽかんと開かれたままだった男の口から空気が抜けるような声が漏れ出た。
 
 
「あなたは女神様ですか?」
 
 
 男の問い掛けに、雄一郎は曖昧に唇がねじれるのを感じた。昨日、王が女神を迎えに行ったのは周知の事実だったのだろうか。その直後に、突然自分たちとは異なる髪色肌色をした人間が現れたのだから女神と考えるのも当然なのかもしれない。
 
 男が女神だなんて信じられない、だとでも言われるのだろう。雄一郎が苦虫を噛み潰したような表情で押し黙っていると、突然男は目の前に跪いた。
 
 
「女神様…! まさか、お会いできるとは…! 光栄です、とても信じられないくらい光栄です…!」
 
 
 感極まった男の言葉に、雄一郎は思わずその場から後ずさった。両手を組み合わせて俯く男の姿は、まるで神にでも祈るかの如きだ。
 
 
「おい、顔を上げてくれ」
「いいえ、いいえ…! 私ごときが女神様のご尊顔を見るだなんて身の程知らずなことはできません…! 我が国の救世主、国母様なのですから…!」
 
 
 盲信的な言葉の数々に、ぞわぞわと奇妙な悪寒が這い上ってくる。
 
 
「俺は」
 
 
 そんなものじゃない、と口に出そうとした時、背後から腕を掴まれた。
 
 
「こちらへ来て下さい」
 
 
 テメレアが立っていた。その顔はあからさまに不機嫌そうに歪んでいる。テメレアは床に跪く男を一瞥すると、短く言い放った。
 
 
「仕事に戻りなさい」
 
 
 口調は丁寧だが、声音は冷え冷えとしていた。そして二度と男を見ることなく、雄一郎の腕を引いて歩き出した。
 
 
「一人で歩き回らないで下さい」
「起きたら、誰もいなかったんだから仕方がないだろう」
「少しは待つことを覚えて頂きたい」
「待つのは嫌いなんだ」
 
 
 テメレアの慇懃無礼な台詞に、ぽつりと呟き返す。来るか来ないか判らないものを、ずっと待ち続けるのは苦手だった。大抵、待ち人は来ない。
 
 歩きながら、肩越しに背後を見遣る。男は未だ床に膝を付いたまま、雄一郎の姿をじっと見つめていた。その眼差しには憧憬以上の淡い何かが浮かんでいるように思えた。
 
 
「何なんだ、あれは」
「白の者は、黒に焦がれる。そう言ったはずです」
「具体的にはどういう意味だ」
「人によっては、貴方に恋慕、もしくは情欲を抱くという意味です」
 
 
 あんぐりと口が開く。言葉を失った雄一郎をちらりと流し見て、テメレアが続ける。
 
 
「あくまで、人によっては、です。たとえばゴートは貴方に惹かれてはいません。普通の者と同じように接しています。ですが、先ほどの者のように貴方を見て、敬慕の念を抱かずにはいられない者もいます」
「その区分けは何だ」
「解りません。惹かれるものと惹かれないものの間にどういった違いがあるのか、はっきりとした区別はないのです。初代の女神様の時もそうでした」
 
 
 初代の女神というのは、雄一郎と同じ黒髪を持った者ということか。
 
 
「女神様というだけで、民からは無条件で愛されるものです。ですが、その中でも黒の女神様というのは私たち白の者にとって、あらがいがたい魅力を持っています。だからこそ、気を付けて頂きたいのです」
「気を付ける?」
 
 
 訝しげに呟くと、テメレアは不意に足を止めた。雄一郎を見つめて、重い口調で言う。
 
 
「歴代の女神様の中には、王ではない男の子供を身篭らせられた方がいらっしゃいます。一方的な恋慕を募らせた男にレイプされたのです。子供は産まれる前に処理されました」
 
 
 どこか不安げなテメレアの声音に、雄一郎はパチパチと数度大きく瞬いた。それから、テメレアの顔を無表情に覗き込んだ。
 
 
「俺が無理矢理レイプされるとでも?」
「私は、ただ……そういった危険があることを知って頂きたいのです」
 
 
 生真面目な言葉に、思わず笑いが零れる。ふ、ふ、と息を吐くような笑い声を漏らして、雄一郎は掴まれていたテメレアの腕をゆっくりとほどいた。
 
 
「テメレア」
「はい」
「俺を女扱いするな」
「…はい」
「女のように抱かれても、いつか子を孕んだとしても、俺は女ではない」
「…はい、解っております」
 
 
 言葉に詰まりながらも、テメレアは首肯を返した。俯くテメレアの横をすり抜けて、勝手に歩き出す。
 
 
「軍営へ案内しろ」
 
 
 振り返りもせず、短く命じる。テメレアが付き従う足音が背後から聞こえた。
 
 

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Published in 37歳のオッサンが戦場で女神と呼ばれる世界

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