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19 愚直

 
 城門へと向かって廊下を足早に進む。城門まで後少しのところで、不意に植え込みの間から小さな手が出てきた。その手に上着の裾を掴まれる。視線を落とすと、植え込みの影に座り込んでいるノアと視線が合った。
 
 
「こんなところで何をしてるんだ」
 
 
 咄嗟に呆れた声が零れた。名ばかりとは言え、王様がこんなところに隠れるようにいるとは。王様どころか、まるで居場所をなくした孤児のようだ。
 
 
「あんたこそ、どこに行くんだよ」
 
 
 拗ねた口調で訊ねられる。相変わらずの反抗期の子供のような態度に嘆息しつつも、雄一郎は言葉を偽らずに答えた。
 
 
「アム・アビィだ」
「僕も行く」
「はぁ?」
「僕も一緒に行く」
 
 
 テメレアといい、目の前の子供といい、ピクニックに行くとでも思っているのか。当たり前のように、ほいほい付いてこようとする迂闊さと図々しさに嫌気がさしてくる。
 
 
「遊びに行くんじゃねぇんだ。連れて行くわけねぇだろ」
「テメレアも行くんだろ。なら、僕だってその権利がある」
 
 
 今度は権利だとか言い出しやがった。その小賢しさに苛立ちが募る。雄一郎が押し黙っていると、ノアは不意にくにゃりと眉尻を下げた。酷く心配げな、不安げな眼差しで雄一郎を見上げてくる。
 
 
「あの…昨日のは、大丈夫なのか…?」
「あ゛ぁ?」
「…よ、夜の…」
「あぁ、俺の上で散々腰振りまくってくれたことを言ってんのか。その事なら、ちっとも大丈夫じゃねぇよ。尻は痛ぇし、腰は重いし、はっきり言って気分も最悪だ」
 
 
 つっけんどんな雄一郎の返答に、ノアはあからさまに狼狽した。雄一郎の上着の裾を掴む指先が微かに震えている。
 
 
「お、怒ってるのか…?」
 
 
 的外れな問い掛けに、唇が半開きになった。
 
 
「…僕のこと、きらいになった…?」
 
 
 また、これも的外れだ。嫌いになった、とかではない。我が儘放題で短気で臆病な子供など、最初から好いていない。胡乱げな眼差しでノアを見下ろしていると、ノアはそれを雄一郎の拒絶と受け取ったのか、悲しげに目を潤ませた。
 
 
「…あんたがいやだったのなら、もう二度としない…」
「いや、してもらわないと困るんだが」
 
 
 目の前の子供に孕ませて貰わなくては元の世界に帰れないのだから。思いがけない困惑に、雄一郎は言葉を詰まらせた。無意識に手を伸ばして、しゃがみ込むノアの頭へと触れる。ノアの身体がびくんと大きく跳ねたが、逃げる意志は見えない。そのまま柔らかな髪の毛をくしゃりと撫でると、ノアはまたぽろりと涙を零した。
 
 
「お前は、すぐに泣くな」
 
 
 独り言のように漏らすと、ノアは慌てた様子で目元を拭った。時折覗く健気さに、微かに胸の奥からふわりとくすぐったい感情が込みあげてくるのを感じる。それは愛だとか恋では勿論ないが、父性や母性に似ていた。
 
 
「悪かったよ、俺が言い過ぎた」
 
 
 人に謝るのは久しぶりな気がした。涙に濡れた目でノアが雄一郎を見つめる。
 
 その視線に、ふと思い出が脳裏を過ぎった。娘が生きていた頃は、雄一郎は他愛もないことでよく謝っていた。何で一緒にお風呂に入ってくれないのと泣く娘に、ごめんごめんと平謝りした事を思い出す。妻はカラカラと笑い声をあげながら、お父さんはマーちゃんと一緒に入るのが恥ずかしいのよ、と娘に言い聞かせていた。雄一郎はその言葉に、顔を真っ赤にさせた。そんな優しい思い出だ。
 
 
「お前は、真名に似てる」
 
 
 自分でも知らない内に声が零れていた。はっとした時には遅く、ノアの不思議そうな視線が向けられていた。
 
 
「マナ?」
 
 
 続く言葉を待つように、ノアが首を傾げている。その無言の眼差しに負けて、雄一郎は口を開いた。
 
 
「娘だ」
「娘…!? あんた子供がいるの…!?」
「正確には“いた”だ。もういない」
「いない、って?」
「死んだ。妻も娘も」
 
 
 言葉にすると呆気ない。きっと現実だって呆気ないはずだ。そう雄一郎は信じている。
 
 ノアは唇を淡く開いたまま、何か言葉を探している様子だった。だが、その口から言葉は出てこない。もしかしたら、雄一郎が思うよりもずっと優しい子供なのかもしれない。
 
 ノアの頭から掌を離す。
 
 
「今の話は忘れろ。もうずっと昔のことだ。大したことじゃない」
「…そんなこと言うなよ…」
 
 
 当事者でもないのに、ノアの方が悲しげな表情をしているのが意味不明だ。雄一郎が怪訝そうに眺めると、ノアは両手で捧げ持つように雄一郎の掌を掴んだ。
 
 
「あんたのこと、あんまり困らせないようにする…」
「そりゃ有り難い」
「でも、僕はあんたの子供じゃないから」
 
 
 ギクリと身体が強張るのを感じた。不意に、核心を突かれた気がした。ノアは真っ直ぐ雄一郎を見つめている。その眼差しは、今までの臆病さなど欠片も覗いていない。
 
 
「戻ってきたら、あんたと話をしたい。色々、何でもいいから。だから、無事に戻ってきて欲しい」
 
 
 愚直な言葉に、指先が戦慄きそうになった。誤魔化すようにノアの掌から手を遠ざける。意味もなくAK47の肩紐をなぞりながら、雄一郎は大股で歩き出した。
 
 その背に、ノアの視線が向けられているのが解る。解ってしまう。その事実に、どうしてだか酷く頬が熱くなるのを感じた。
 
 

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Published in 37歳のオッサンが戦場で女神と呼ばれる世界

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