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23 砲撃 *流血描写有

 
「どちらにするかは本人次第だな」
 
 
 雄一郎はきっぱりと言い放つと、ウェルダム卿がいる隣室へと向かった。ウェルダム卿は未だに椅子に縛られたまま、ぐったりと気を失っている。
 
 椅子へと近付くと、極自然にテメレアがサイドテーブルに置かれていた花瓶を雄一郎へと差し出した。受け取った花瓶をウェルダム卿の頭の上で逆さまにする。途端、中に入っていた花と水が勢いよくウェルダム卿の頭部へと降り注いだ。
 
 カッと目を見開いたウェルダム卿がくぐもった悲鳴をあげながら、水から逃れようと身体を前後に揺さぶる。ガタガタと揺れる椅子の背をイヴリースが背後から掴んで、同時にウェルダム卿の首筋へと細身の刃物を押し当てた。ウェルダム卿が息を飲んで、全身を硬直させる。
 
 雄一郎は空っぽになった花瓶をベッドの上へと放り投げてから、ウェルダム卿の前に立ちはだかった。フードの下からその顔を見据えて、殊更ゆっくりと唇を開く。
 
 
「動くな。抵抗をすれば殺す。今からこの口に突っ込んでるもんを取るが、大声をあげても殺す。俺の質問に答えなくても殺す。よろしいか?」
 
 
 紛れもない脅迫の台詞を一方的に浴びせかける。ウェルダム卿は全身を硬直させたまま、まるで化け物でも見るような目で雄一郎を見上げていた。水のせいで、後ろに撫でつけていた髪の毛がワカメのように額に貼り付いている様子が何とも滑稽だった。
 
 ウェルダム卿が目線だけで頷くのを見てから、雄一郎は口の端から出ていた布を引き抜いた。唾液を垂らす布を床へと落とす。
 
 
「……だ、誰なんだ。金がほしいなら、すっ、好きなだけ持って行ってかまわないから……」
 
 
 ウェルダム卿の引き攣った声に、雄一郎は殊更ゆっくりと首を左右に振った。テメレアへと視線を向ける。テメレアは、ウェルダム卿へと見せつけるように、腕に持っていた書類を開いた。
 
 
「随分な反逆行為をして下さっていたようで」
 
 
 ウェルダム卿はテメレアの手にある書類をみた瞬間、さぁっと顔色を変えた。書類とテメレアを交互に眺めて、喘ぐように声をあげる。
 
 
「テ、テメレア……きみは、私を騙していたのか…?」
「騙す?」
「きみは、女神に暴力を奮われて……匿ってほしいと…」
 
 
 耐え切れず、雄一郎は小さく吹き出した。
 
 
「嘘はついてねぇよな。暴力は奮われてんだから」
「はい。貴方が容赦なく殴るものですから、口の中からまだ血の味がします」
 
 
 雄一郎とテメレアのやり取りに、ウェルダム卿が目を白黒させる。ウェルダム卿は、フードの影に隠れた雄一郎の顔を凝視した後、不意にハッとしたように唇を戦慄かせた。
 
 
「めっ、女神っ?」
 
 
 上擦った声をあげるウェルダム卿へと顔を近付けて、雄一郎は『静かに』と言うように自身の唇に人差し指を当てた。
 
 
「ウェルダム卿、折角なのできちんと挨拶をしたいが、我々にはそれほど時間がない。だから、単刀直入に聞かせて頂く。今この場で咽喉をかっ捌かれて殺されるか、すべての情報を吐き今後は心を入れ替えて祖国のために尽くすか、どちらかを選べ。後者を選ぶのなら、お前の罪は不問にしてやる」
 
 
 雄一郎の最後の一言を聞いた瞬間、イヴリースが唇を引き結んだ。だが、それは嘘だった。罪を不問にするわけがない。目の前の男には、死ぬか、一生を牢獄で過ごすか、二つに一つの選択しかない。ウェルダム卿を安心させるために、わざと甘い言葉を混ぜてやっただけだ。
 
 ウェルダム卿がぱくぱくと酸欠の金魚のように唇を上下させる。その目を見据えて、雄一郎は柔く首を傾けた。
 
 
「お前は、どちらがお望みだ」
「なんでも…なんでも話そう…」
「よろしい」
 
 
 頷くと、雄一郎は言葉を続けた。
 
 
「いつから、ゴルダールと第一皇子たちに武器を流していた」
「…さ、最近だ。三月ほど前から…」
 
 
 テメレアが書類をめくる音が聞こえた。
 
 
「嘘ですね。帳簿では、ゴルダールへの銃器の融通は、七月ほど前からになっています。……前王の体調が優れなくなってきた頃からですね」
 
 
 つまり前王の統治が崩れ始めた頃から、敵国へとせっせと賄賂を流していたということか。これはまた、なかなかの反逆者じゃないか。
 
 雄一郎は苦笑いを浮かべて、床に落としていた布の切れ端を拾い上げた。
 
 
「嘘は嫌いだな」
 
 
 雄一郎がぽつりと呟くと、ウェルダム卿は言い訳するように唇を開いた。だが、その唇が言葉を発する前に、布切れを口へとねじ込んだ。
 
 イヴリースへと手を差し出すと、無言のまま細身のナイフが掌の上へと乗せられる。そのナイフを躊躇いもなく、ウェルダム卿の右肩へと突き刺した。ぐにゃりとした肉の感触がグリップごしに伝わってくる。
 
 押し殺したウェルダム卿の悲鳴。布に吸い込まれて聞こえない悲鳴が空気をびりびりと震わせる。ウェルダム卿の上着が真紅に染まっていくのを眺めながら、雄一郎は長閑な声で囁いた。
 
 
「嘘は、駄目だ。こういう時に、嘘は一番いけない。自分の寿命を縮めるだけだ」
 
 
 子供に言い聞かせるように呟いてから、ウェルダム卿の口から布を抜き取る。途端、ウェルダム卿の歯の音が聞こえた。カチカチと震えて跳ねる音。
 
 
「今度嘘をついたら、鼻を削ぎ落とす。鼻の次は耳、その後は目玉だ」
 
 
 そう優しく囁くと、ウェルダム卿は脂汗を滲ませながらこくこくと頷いた。
 
 
「どういう方法で物資をゴルダールや第一皇子たち渡していた」
「…つっ、月に一度、ガーデルマン中将のぶ、部下たちが武器を受け取りに……そ、それをゴルダールやエドアルド様へ届けていると……」
 
 
 イヴリースがハッとしたように顔を強ばらせた。ガーデルマンという名前には覚えがある。つい先日、雄一郎に偽物女神とつっかかってきたデブハゲ爺だ。エドアルドは、確か第一皇子の名前だったか。
 
 
「あいつも裏切り者か」
 
 
 思わず溜息が漏れそうになった。裏切り者が軍部の中枢でのさばっているだなんて悪夢でしかない。頭痛がしそうな頭を緩く左右に振って、雄一郎は言葉を続けた。
 
 
「第一皇子たちの居場所は。今はどの領地にいる」
「一月前は、けっ、ケインズの領地にいると聞いていたが……いまは、解らない…」
「本当か?」
 
 
 顔を覗き込むようにして訊ねると、ウェルダム卿は露骨に怯えた表情を浮かべた。
 
 
「ほっ、本当だっ。え、エドアルド様たちは、自分たちに味方する貴族の領地を不規則に移動していて、い、いまは何処にいるのか……把握しているのはニコライ=フォルグ・ゴートぐらいだ」
 
 
 フォルグ・ゴートという言葉に、雄一郎はテメレアへと肩越しに視線を向けた。テメレアが呆れたように額を押さえたまま答える。
 
 
「ニコライは、ゴートの兄です」
 
 
 では、王都襲撃の際に生き残ったというゴートの兄か。
 
 
「ニ、ニコライは、王都にいる者とエドアルド様との仲介役で、王都の情報を、流しているんだ」
 
 
 だから自分なんかよりもよっぽど悪い奴だ。と言わんばかりにウェルダム卿はまくし立てた。
 
 正規軍の本拠地だというのに、裏切り者の巣窟なことに頭を抱えたくなる。では、こちらの情報は今まで敵側に筒抜けだったということだ。女神が現れた地下洞窟が速攻で攻撃されたのも納得がいく。
 
 雄一郎が押し黙っていると、ウェルダム卿は咽喉を詰まらせながら、途切れ途切れに言葉を続けた。
 
 
「……ご、ゴルダールやエドアルド様に武器を渡さなくては、こっ、この街が潰されてしまう…。私は、脅されて仕方なく……」
 
 
 言い訳なのか命乞いなのか。情けなく漏らされる言葉を聞きながら、雄一郎は静かに訊ねた。
 
 
「なら、脅された段階で、なぜ王へと助けを求めなかった」
「王なんて……名ばかりの、ただの子供じゃないか」
 
 
 痛みのせいで、すでに言葉を飾ることも出来ないのか。ウェルダム卿の歯に絹着せぬ言葉に、雄一郎は笑みを深めた。現段階で、貴族たちからノアに対する信頼はゼロに等しいらしい。王とは名ばかりのただの子供、この点に関してウェルダム卿の言葉はまったく間違っていない。
 
 
「お前の言い分は解らなくもない。だが、それが反逆行為の釈明になると? 敵と戦いもせず、へりくだり、自らの私腹を肥やした裏切り者が許されるとでも?」
 
 
 部屋の中を軽く見渡す。それだけで豪奢な調度品がいくらでも目に入った。隣国ゴルダールやエドアルド達に武器を流すことによって、ウェルダム卿が相応の対価を受け取っていたことは明らかだ。
 
 ウェルダム卿が目を見開いて、咽喉を上下させる。その眼光がゆっくりと血走っていくのが見えた。
 
 
「……な、なぜ……お前などに責められなくてはならない……」
「何?」
「この国にいきなり現れた“偽物女神”なんかに……私の行いを責める権利はないっ」
 
 
 また、偽物女神か。ガーデルマン中将の時と同じ台詞だ。
 
 逆切れじみたウェルダム卿の台詞に、雄一郎はあからさまに失笑した。雄一郎の口元に浮かんだ笑みを見て、ウェルダム卿の顔が更に赤黒く染まる。いきり立ったウェルダム卿が身体を前後に揺らす。
 
 ガタガタと暴れる椅子を押さえようとイヴリースが手を伸ばした瞬間、椅子が盛大な音を立てて倒れた。その衝撃で、縛られていたウェルダム卿の腕がするりと抜ける。途端、脱兎のごとくウェルダム卿は走り出した。
 
 
「衛兵ッ! 衛兵ぃッ!!」
 
 
 絶叫じみたウェルダム卿の声が廊下に響いた。それに続いて、階下から慌てたように近付いてくる複数の足音も聞こえた。
 
 
「最悪だ」
「最悪ですね」
「……申し訳ございません」
 
 
 雄一郎に続いてテメレア、最後にイヴリースが慚愧に耐えない声音で謝罪を呟く。だが、イヴリースを責める気はなかった。構わんとばかりに軽く手を左右に振ってから、言い放つ。
 
 
「証拠も情報も取れた。撤退するぞ」
 
 
 言葉が終わると同時に駆け出す。廊下に出たところで衛兵二人とかち合ったが、腕に抱えていたAK47の銃底で側頭部を殴って気絶させた。もう一人はイヴリースが鳩尾から延髄を銃底で殴り付けて、床に倒していた。
 
 殆ど特攻するような勢いで駆け抜ける。その後も対峙した衛兵を何人も叩き伏せながら、階段を下っていった。
 
 
「侵入者だ!」
「追えッ! 逃がすな!」
 
 
 侵入者の情報が回り始めたのか、先ほどまで静けさに包まれていた城内が一気にざわついていく。
 
 城門を抜けて街へと走り出す頃には、数え切れないほどの足音が背後から追いかけてきているのが判った。曲がりくねった道を走り続けながら、視線を後方へと向ける。追いかけてくる何十もの影が見えた。
 
 
「追いつかれるのも時間の問題だな」
 
 
 まるで他人事のように呟く雄一郎を、テメレアが横目で睨み付けてくる。
 
 
「貴方は、そうやって…!」
 
 
 息を切らせながらも、怒気を滲ませた声で叫んでくる。まるでゲームか何かのように自分や他人の命を無造作に扱う雄一郎を、心の底から憎んでいるような眼差しだった。
 
 
「この世界は、貴方の夢ではないんですよ…!」
 
 
 テメレアの言葉は、雄一郎には酷く空虚に届いた。夢じゃないから何だというんだろう。ただ死ぬだけじゃないか。そんな馬鹿げた思考が巡る。
 
 街の中に架けられた橋を渡っている時、ふと橋の先に人影が見えた。敵だろうかと思って銃を構えたが、雄一郎が引き金を引く前に人影が声をあげた。
 
 
「早く渡って下さい!」
 
 
 ベルズの声だった。ベルズの傍らに立っていたヤマが雄一郎の方へと向かって走ってくる。その手には、照明弾用の銃が握られていた。
 
 雄一郎たちが橋を渡り切ると同時に、橋の中程に立ったヤマが天へと向かって照明弾を放った。赤い光が空を煌々と照らす。照明弾の銃を放り捨てて、ヤマが即座に川へと飛び込む。
 
 その直後だった。ひゅるる、と何かが空気を切り裂く音が聞こえてくる。空を振り仰ぐと、微かに明るくなった空から砲弾が降ってくるのが見えた。
 
 
「伏せてッ!」
 
 
 ベルズの声を聞いて、一斉に地面に伏せる。同時に、激しい轟音が響いた。地面を揺らし、空気をビリビリと震わせる。爆風で吹き飛んできた石の欠片がバチバチと音を立てて、身体にぶつかった。激しい土埃のなか顔を上げると、橋が真っ二つに寸断されているのが視界に映った。
 
 
「クラウスの砲撃です」
 
 
 重たい思いをして小型砲台を運んできた甲斐があった。とベルズが苦笑い混じりに呟く。確かに何名かの荷物が異様に大きかったが、小型砲台を分解して持ってきていたのか。そして、照明弾をあげた場所を狙ってクラウスが砲弾を放ったということか。
 
 
「用意周到だな」
 
 
 口の中に入った土を吐き出しながら呟くと、ベルズは当たり前のように答えた。
 
 
「ゴート副官の指示です」
 
 
 その返答に、口元がにやりと歪む。水を滴らせながら、川からヤマが這い上がってくる。まるで犬のように身体をぶるぶると震わせて、ヤマが流れてくる水滴に目を眇ながら言う。
 
 
「何を悠長に話しているんだ。早く逃げなくては」
 
 
 土埃の向こうから、橋が寸断されて右往左往している衛兵たちの影が見えた。だが、土埃が止んだ瞬間、銃で狙い打ちされるのは明白だ。
 
 まだ地面に突っ伏したままだったテメレアとイヴリースを引きずり起こす。走り出そうとした瞬間、進行方向から聞こえてくる蹄の音に足が止まった。騎乗した大勢の兵士たちがこちらへと向かってきていた。
 
 
「最悪だ」
 
 
 一度に二回も同じ言葉を呟くなんて。だが、首を左右に振る雄一郎に対して、テメレアは落ち着いた様子でこう答えた。
 
 
「最悪というほどではないかもしれません」
 
 
 テメレアがこちらへと向かってくる兵士たちの一人を指さす。短い白髪を七三に分けた、真面目そうな顔立ちをした中肉中背の男だった。その顔や身体には、所狭しにガーゼが貼られ、包帯が痛々しく巻かれている。
 
 
「マルコス小隊長です」
 
 
 テメレアが呟く。マルコスは傍らまで来ると、まだ身体が痛んでいるであろう鈍い動作で馬から降りた。そのまま、地面へと片膝をついて跪く。
 
 
「女神様、ご無事でしたか。来るのが遅れてしまい、申し訳ございません」
 
 
 堅苦しい挨拶を述べるマルコスの後ろから、ひょっこりとゴートとリュカが顔を覗かせる。ゴートはにやにやと顔を緩めたまま、雄一郎へと軽く手を振ってきた。
 
 
「オガミ隊長、なかなか派手なことになってますねえ」
 
 
 白々しく呟くゴートを、雄一郎は呆れた眼差しで眺めた。
 
 
「お前が橋を吹っ飛ばす準備をしてきたんだろうが」
「そりゃ女神様は無茶をされるから、どんなフォローでも出来るようにしておかないと」
 
 
 肩を竦めるゴートの仕草に、雄一郎は微かに笑みを浮かべた。優秀だが、食えない副官だと思う。
 
 
「大きな怪我をしている者はいませんね」
 
 
 小隊長たちを見渡しながら、リュカが確認するように呟いていた。
 
 マルコスに続いて馬上から降りてきた男へと視線を移す。僅かに波打つ白髪を肩ほどまで伸ばした美しい男だった。目が大きく、縁取る睫毛は駱駝のように長い。テメレアの静謐な美しさとは異なる、どこか妖艶さを滲ませた顔立ちだ。
 
 男は、連れてきた兵士たちへと対岸へと銃口を向けるよう指示を出した。土埃が止み、対岸から銃口を向けられたウェルダム卿の衛兵たちが戸惑ったように声をあげる。
 
 
「ジゼル様…!?」
「なぜ、ジゼル様が…!」
 
 
 驚愕と困惑に満ちた声が聞こえた。ジゼル様と呼ばれた男は、対岸をちらりと眺めた後、雄一郎へと静かに跪いた。
 
 
「お初にお目に掛かります、女神様。私はジゼルと申します」
 
 
 ジゼルとは、確かウェルダム卿の第一夫人だったはずだ。ジゼルは視線を伏せたまま、言葉を続けた。
 
 
「我が夫であるウェルダムの反逆行為、誠に申し訳ございません。敵国に武器を流すなど決して許されることではありません。それを知りながら止められなかった私も同罪です。どうか女神様に裁きを与えて頂きたく、この場へと参りました」
 
 
 粛々としたジゼルの言葉に、雄一郎は視線をマルコスへと投げかけた。視線に促されたように、マルコスが口を開く。
 
 
「ですが、ジゼル様はウェルダム卿の裏切りを止めようと、このように秘密裏に私兵を集めていました。幽閉されていた私を助けて下さったのもジゼル様です」
 
 
 釈明するように言う。雄一郎は緩く肩を竦めて、跪くジゼルを見下ろした。
 
 
「幾つか確認したいことがある」
「はい、女神様。何なりと」
「ウェルダム卿はどうした?」
「女神様を追いかけて城内が手薄になった際に、私兵に捕らえさせました」
 
 
 第一夫人が夫を捕らえるとは、これまた荒んだ世界だ。雄一郎の表情を伺いながら、ジゼルが続ける。
 
 
「身柄をお渡しすることも可能ですし、こちらで“処理”することも可能です。いかがいたしましょうか」
「好きにすればいい」
 
 
 どっちでも大差ないとばかりに雄一郎が答えると、ジゼルは一瞬だけ目を輝かせた。その目を見て、ぼんやりと思う。ウェルダム卿が明日を迎えることはないだろう。
 
 周囲が明るくなってきた。天を仰ぐと、微かに白んだ空が見えた。朝日が登りつつある。疲労でしょぼつく目頭を軽く指先で押さえながら、雄一郎はゆっくりと口を開いた。
 
 
「製鉄に詳しい者を揃えられるか?」
「アム・アビィは製鉄の街です。その道の玄人なら何人でも」
「昼までに選りすぐりを数名集めておいてくれ。詳細は後で話すが、取り敢えず俺は寝る」
 
 
 突然の宣言に、驚いたようにジゼルが目を瞬かせる。すかさずテメレアが近付いてきた。
 
 
「眠るのなら、ベッドがあるところまで我慢して下さい」
 
 
 ジゼルが慌てたように「それなら、私の別宅をお使い下さい」と声を掛けてくる。テメレアに腕を引かれるままに歩く。マルコス小隊長の横を通り過ぎる時、その肩を緩く叩いた。
 
 
「生きていてよかった。皆喜んでいる」
 
 
 ヤマもベルズもイヴリースも、マルコスの姿を見て微かに目を潤ませていた。マルコスは言われて初めて気がついたように周りの小隊長たちを見渡して、それから両目を硬く瞑った。その目尻に、微かに涙が滲んでいるのが見える。
 
 
「それと、礼を言う。部下を助けてくれて有り難う」
 
 
 ジゼルにもそう声を掛ける。途端、ジゼルは意表を突かれたように目を見開いた。再び頭を下げて声をあげる。
 
 
「勿体ないお言葉です…」
 
 
 その声が微かに震えて聞こえる。雄一郎は部下たちへと言い放った。
 
 
「今日中にはこの街を出て、王都へ戻る。準備をしておけ」
 
 
 小隊長たちが声を合わせて、はい、と答える。まるで先生と生徒のようだな、と思って少しだけ笑えた。微かに笑みを滲ませたまま、雄一郎は皆の顔を見渡して言った。
 
 
「皆よくやった。しっかり休め」
 
 
 言い終わると同時に、大きな欠伸が零れた。
 
 

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Published in 37歳のオッサンが戦場で女神と呼ばれる世界

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