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24 呪い

 
 ジゼル別宅の一室に通されるなり、雄一郎はブーツも脱がずに柔らかなベッドに突っ伏した。興奮状態だった精神の強張りがゆっくりとベッドに吸い込まれていくような感覚があった。両目を閉じたまま和らぎに溶け込むように深呼吸を繰り返していると、そっと足に触れる掌を感じた。
 
 
「靴ぐらい脱いで下さい」
 
 
 まるで小姑のように呟きながら、テメレアが雄一郎のブーツを脱がせていく。しゅるしゅるとシューホールと靴紐が擦れる音が聞こえて、それが妙にくすぐったかった。
 
 両足から靴が脱がされると、肩を掴まれて身体を仰向けにひっくり返された。上着のボタンが外される感覚に、目を瞑ったまま呟く。
 
 
「ヤるのか?」
 
 
 率直な雄一郎の問い掛けに、テメレアは一瞬黙った後、露骨に溜息を漏らした。
 
 
「私だって、時と場所くらいは弁えます。身体が汗と土埃まみれだから拭うだけです」
 
 
 まるで小さな子を窘めるような口調に、小さく笑いが零れた。雄一郎がくすくすと密やかな笑い声を漏らしている間も、テメレアは甲斐甲斐しい手付きで雄一郎の服を脱がしていく。
 
 肌着だけになると、濡れたタオルで丁寧に肌を拭われた。顔から肩へ、脇腹から足の裏まで、辿るように。すぅっと肌が冷たくなる感覚が心地良い。
 
 はぁ、と短く吐息を漏らすと、耳裏から頭部へと、短い髪の毛に差し込むように指先が滑らされた。薄く目を開くと、ベッドに腰掛けてこちらを見つめているテメレアの姿が見えた。微かにその目が燻るように熱を孕んでいるのを見て、雄一郎は微笑んだ。
 
 
「俺とヤりてぇんだろう」
 
 
 挑発するように、俗物的な質問を再び投げ掛ける。テメレアは一瞬だけ不愉快そうに目を細めた後、至極当然のように答えた。
 
 
「したいですよ。いつだって、私は貴方の身体に渇えているのですから」
「可哀想に」
 
 
 間髪入れずに漏らされた雄一郎の憐れみの言葉に、テメレアは口を噤んだ。雄一郎はテメレアを見上げたまま囁いた。
 
 
「俺みたいな人殺しに欲情するなんて可哀想だ」
 
 
 以前、目の前の男が言っていたとおりだ。テメレアのような美しい男が自分のような男を美しいと思い、その身体を求めるだなんて呪いでしかない。
 
 頬を歪めて笑う。雄一郎にも今の感情は、上手く説明できなかった。目の前の男を嘲りながら、憐れみながら、愛おしんでいるような複雑な感情だった。
 
 テメレアは、一瞬酷く傷付いた表情を浮かべた。痛みに耐えるように息を詰めた後、脱力したように雄一郎の胸元に額を押し付ける。
 
 
「……私を憐れんで下さるのなら、貴方を下さい。ほんの一欠片でもいいから、貴方の心を…」
 
 
 心なんて、と失笑しそうになった。目に見えない、自分でももうあるか解らないものを、どうして他人にくれてやる事ができるのだ。そう罵ってやりたかった。だが、雄一郎の胸元にしがみついている男があまりにも哀れで、罵る気持ちが萎えた。
 
 小さく溜息を漏らして、テメレアの髪の毛へと気まぐれに手を伸ばす。ゆっくりと指先を滑らすと、艶やかな絹のような感触がした。真名の髪の毛も同じだった。触ると柔らかくて、艶々していて、いつまでも触れていたくなる。
 
 そんな事を考えていると、ふとテメレアが顔を上げた。
 
 
「子を産んだら、貴方は元の世界に帰るのですか」
 
 
 少し潤んだような、そのくせ奥底は乾いているようにも見えるテメレアの瞳を眺める。
 
 元の世界と聞いても、それは雄一郎にはどこか知らない世界のように感じた。つい数日前まで確かにそこで暮らして、生きていたはずなのに、それは遠い世界の出来事のように感じた。
 
 妻と娘がいた。だが失った。戦場で何人もの人間を殺した。撃ち殺し、刺し殺し、拷問することもあった。だが、薄い膜を張ったかのように、ぼやけた光景しか思い出せない。
 
 それでも、雄一郎はこう答えた。
 
 
「あぁ、帰る」
 
 
 郷愁の念はない。帰ったところで居場所もない。やることは、この世界でも元の世界でも同じだ。また戦場に身を置き、死ぬまで戦うだけ。
 
 それでも、帰りたいと望む理由があった。
 
 
「…そんなに、元の世界に待たせている誰かが大事なのですか…」
 
 
 テメレアが微かに震える声で問いかけてくる。縋るような視線を見ていたくなくて、雄一郎はそっと目蓋を閉じて答えた。
 
 
「あぁ、大事だ」
「…それは誰なんですか」
「妻と娘だ」
 
 
 本当は待っていない。妻と娘は死んで灰になっている。ただ、雄一郎が妻と娘の思い出を捨て切れていないだけだ。
 
 短い沈黙の後、テメレアが静かに呟いた。
 
 
「貴方の奥さんと娘さんは、生きてはいないのですね」
「どうして、そう思う」
「貴方の戦い方は、端から見ても無謀で無鉄砲です。自分の命をわざとドブに捨てるようなやり方だ。もし本当に誰かの元に帰りたいと望むのなら、もう少し自分を大切にするはずです」
 
 
 テメレアの率直な言葉に、雄一郎はもう答えなかった。唇を淡く開いたまま、呼吸だけを繰り返す。
 
 ふと、首筋に触れる掌を感じた。目を開くと、テメレアが雄一郎の首に両手の指を絡めている姿が映った。だが、いつまで待っても、指先に力が込められることはない。
 
 
「絞めないのか?」
 
 
 投げやりに訊ねると、テメレアは唇に泣き出しそうな笑みを浮かべた。
 
 
「他の人を想う貴方を殺してやりたい」
 
 
 執着に満ちたテメレアの言葉に、なぜだか笑いが零れた。小さく咽喉を震わせて笑う雄一郎を、テメレアはじっと見下ろしている。
 
 
「殺したいなら、そうすりゃいい」
 
 
 柔らかな声音でそう囁くと、テメレアは僅かに目を眇めた。
 
 
「貴方は……死ぬのが怖くないのですか」
「死ぬのは怖いさ」
 
 
 本音だった。何人何十人と殺しても、次が自分の番かと思うだけで歯の根が合わなくなる。
 
 
「それなら、どうしてそんな風に自分の命を投げ出してしまうんですか」
「生きるのも怖い」
 
 
 自分でも思いがけない言葉が唇から勝手に零れていた。その言葉の情けなさに嗤いたくなる。だが、嗤えなかった。一瞬咽喉が引き攣るように上下に動いた。
 
 喉仏にテメレアの親指が当たる。指の腹で数度喉仏を撫でた後、テメレアは悲しげな声で囁いた。
 
 
「……殺せば、貴方は奥さんと娘さんを想ったまま死ぬのでしょう。そんなのは、あまりにも悔しいじゃないですか…」
 
 
 悔恨に満ちた声を漏らしながら、テメレアの指先が首筋から離れていく。ガックリとうなだれた男の姿に失笑が滲んだが、目の前の男が酷く可愛いという奇妙な感情も込み上げた。
 
 掌を伸ばして、戯れにテメレアの頬を撫でる。柔らかく、肌理の整った白い肌だ。美しく、哀れな男。
 
 
「俺が元の世界に戻ったら、お前の呪いもとけるのか」
 
 
 もしくは死んだら、とは口に出さなかった。口に出せば、テメレアは烈火の如く怒り出すだろうと思ったからだ。
 
 雄一郎が元の世界に戻れば、テメレアは目出度く『仕え捧げる者』の任から解かれ、雄一郎に焦がれる呪いも消えるのだろうか。そんな思いを抱きながらテメレアを見上げる。テメレアは痛みに耐えるような表情を滲ませて漏らした。
 
 
「……それは、分かりません」
 
 
 まるで呪いが解けるのが嫌だと言わんばかりの苦渋に満ちた声音だった。その声音を滑稽とも愛おしくとも思った。
 
 もう片方の手も伸ばして、テメレアの首裏へと両腕を絡める。ぐっと引き寄せると、テメレアが驚いたように僅かに目を丸くした。
 
 
「呪いをといてやろうか」
 
 
 囁くように漏らした後、目の前の唇へと唇を重ねた。柔らかいが、女のような沈み込むような柔順さはない、男のものだと分かる唇だ。一瞬不快感がざわりと体内を舐めたが、それでもテメレアの顔を見ると僅かに緩和された。
 
 テメレアは唐突な雄一郎の口付けに戸惑ったように身体を硬直させたが、すぐさま雄一郎の咥内へと舌を潜り込ませてきた。滑らかな舌が歯の隙間から入ってきて、粘膜をねっとりと舐め上げる。舌同士が絡まる感触に、咽喉が小さく上下に震えた。
 
 テメレアの口付けは、静かだが執拗だった。咥内すべてに舌を這わせて、雄一郎の唾液を絡め取っていく。代わりのように自分の唾液を注ぎ込んできた。自分のものとは違う唾液の味だ。それでも、以前のような嫌悪感は沸かなくなっていた。テメレアの唾液を咽喉を鳴らして呑み込む。
 
 そっと唇が離れていく。離れていく舌同士が銀糸で繋がっているのが見えた。
 
 
「……どうして」
 
 
 テメレアがぽつりと呟く。なぜ雄一郎から口付けたのか、とその目が訊ねていた。
 
 
「キスで呪いが解けるんだ」
「何ですかそれは……」
「元の世界のおとぎ話に出てくる魔法だよ」
 
 
 何とも幼く馬鹿げた事を自分が言っている自覚はあった。にやりと笑みを浮かべると、テメレアは唖然としたように雄一郎を見つめた。
 
 
「呪いは解けたか?」
「……もっと酷くなったような気がします」
 
 
 脱力したように呟くテメレアの姿に、小さく笑いが零れる。悪戯にテメレアの髪の毛先を指先で弄くりながら、雄一郎は呟いた。
 
 
「キスは冗談だが、いつかお前の呪いを解いてやる」
 
 
 雄一郎の死か別れによって、テメレアを解放する。そう考えると、奇妙に心が安らいだ。久々に感じた安堵だった。テメレアは、首を縦とも横ともつかない曖昧さで動かしたが、結局何も言わずに雄一郎の胸元へと頬を押し当てた。
 
 目を閉じて、そっと呟く。
 
 
「眠る。昼前に起こせ」
 
 
 数秒の沈黙の後、はい、と答えるテメレアの小さな声が聞こえた。
 
 

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Published in 37歳のオッサンが戦場で女神と呼ばれる世界

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