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26 残酷な人

 王都に戻れたのは、とうに日も沈みきり、辺りが暗闇に包まれた頃だった。
 
 近付くにつれ、街を囲っている壁の外に何千と灯された松明のあかりが目に入った。武装した何万もの兵士たちが蠢いているのが、かすかに揺らめく松明の光でわかる。
 
 これほどの数を、どうやって斥候隊の目をくぐり抜けて王都まで進軍させたのか。苦虫を噛み潰したような不快感がざわりと込み上げてくる。なぜ見逃したのか。誰も知らぬ道でもあるのか。だが、それを考えるのは、目の前の危機を片付けてからだろう。
 
 投石機を用いたのか、固く閉ざされた巨大な門や街を囲む壁の側面にも、いくつかの穴ぼこが開いているのが見て取れる。だが、まだ王都に攻め入るまでには至ってはいないようだ。
 
 雄一郎は、離れた高台から街を囲む松明を眺めていた。その後ろには、ゴートや息を切らした小隊長たち、そして殆ど真っ白な顔色のテメレアが立っている。増員されたジゼルの私兵たちは雄一郎たちの足についてくることができず、まだ離れた場所を走っている途中だろう。
 
 
「包囲はされているが、まだそれほど被害を受けていないようだな」
 
 
 雄一郎の独り言に、ゴートが暢気な声を返してくる。
 
 
「そりゃ第一王子様たちも、自分たちが王様になったときに王都が瓦礫の山になっていたら嫌でしょうからねえ。できるだけ最小限の被害で城を落とそうと慎重になっているんでしょう」
「その最小限の被害っていうのは、あのガキを殺すことか」
 
 
 ノアさえ殺せば、王位継承権は第一王子へと移るのだろう。民を傷つけることなく、円満に内乱を終わらせることができる。
 
 ゴートが同意を示すように頷く。
 
 
「そうでしょうね。おそらくこの仰々しい包囲網も、ノア様への精神的な圧力をかけるのが最大の目的かと思われます。じわじわと追いつめて、自ら投降してくるよう促しているのかと。と言いつつも、今頃城内にいる裏切り者どもは血眼でノア様を探してるでしょうけどねえ」
「包囲が解かれてないってことは、あのガキはまだ生きてるのか。意外としぶといな」
 
 
 笑い混じりに呟くと、少し離れた位置に立っていたテメレアがかすかに怒りを滲ませた声をあげた。
 
 
「ノア様が亡くなったら、あなたは永遠に元の世界には帰れませんよ。あなた自身も反逆者の烙印を押されて、この国の果てまで追われ続けられます」
 
 
 それでもいいのか、と問い詰めてきそうなテメレアの気迫に、雄一郎はうんざりと顔を顰めた。以前から薄々思っていたが、テメレアのノアに対する過保護さは一体何なのか。従者から王に対するものにしては行き過ぎているように思える。
 
 
「お前はあいつの母親か何かか」
 
 
 ぽつりと零された雄一郎の嫌味に、テメレアは一瞬だけ大きく目を見開き、それから心底不愉快そうに眉根を寄せた。
 
 
「私は母親ではありません」
 
 
 きつく噛みしめられた下唇が見える。だが、テメレアはそれ以上何も言い返さなかった。
 
 
「オガミ隊長、どういたしましょうか」
 
 
 問いかけてくるゴートに、雄一郎は緩く首を左右に振りながら呟いた。
 
 
「お前が呼んだ辺境軍はいつ到着する目測だ」
「おそらく、最短で4エイトはかかるかと」
 
 
 では、あと2時間程度かと頭の中で換算する。来るのを待っていたら間に合わない。
 
 
「日が昇るまでにカタをつける。援軍に伝令を飛ばせ。到着次第、隊を分散させ、人数の倍以上の松明を灯し、王都を取り囲めと」
「承知いたしました」
 
 
 ゴートがチェトを呼び寄せる。数言話した後、チェトが短く指笛を鳴らした。数秒後、黒々とした空から純白の鳥が飛びおりてくる。一瞬、それは真っ白な星が落下してくるように見えた。左腕に降りた鳥へとまっすぐ目を合わせて、チェトが何かを言い聞かせるように喋る。1分も経たずに、再び鳥は空へと舞い上がった。
 
 鳥が見えなくなってから、雄一郎は小隊長たちを見渡した。
 
 
「集団を離れた兵士や少数の隊がいたら捕縛して服を奪え。最低でも五着、できる限り多く」
「また、中に潜り込む気ですか」
 
 
 ゴートがにやにやと笑いながら問いかけてくる。その薄ら笑いを冷たく見据えながら、雄一郎は軽く顎をあげて答えた。
 
 
「害虫を駆除しようとするなら巣穴から潰す。それが一番手っ取り早いだろ?」
 
 
 そう言って緩く首を傾げた雄一郎へと、ゴートは降参とでも言いたげに軽く両腕をあげた。そのまま、小隊長たちへと軽く片手を振って、行動を開始するように促していく。
 
 小隊長たちの姿が闇に消えると、テメレアが足早に近付いてきた。
 
 
「私も行きます」
「何度言ったらわかる。人を殺せないやつは足手まといだ」
「あれを見てください」
 
 
 雄一郎の言葉を遮るように、テメレアが敵陣の方向を指さす。
 
 
「あれは第二王子であるロンド様の軍旗です」
 
 
 言われてみれば、敵陣の至るところに赤地に金色で紋様が刺繍された旗が立っていた。
 
 
「私はロンド様の顔を知っています。ロンド様が組まれる軍術や軍営の組み方についてもよく把握していますし、最短距離であなたを本陣まで案内できるかと思います。私を連れて行って損はありません」
 
 
 この短期間で、雄一郎の口説き方をよく把握している物言いだった。苛立たし気にテメレアを見やってから、雄一郎は問い掛けた。
 
 
「なぜお前はそんなことを知っている」
 
 
 ロンドの顔はともかく、軍術や軍営についても知識があるというのは普通ではない。
 
 ふと気づいた。雄一郎はテメレアのことを何も知らない。仕え捧げる者に選ばれる前は、一体何をしていたのか。それまでどのように生きていたのか。
 
 テメレアは雄一郎の問い掛けに、不意を突かれたように目を数度大きく瞬かせた。テメレアが躊躇いがちに唇を開く。
 
 
「私は……私の父は元々この国の書記官でしたので、私も幼い頃から父の仕事に携わっていました。父が亡くなってからは、私が仕事を継ぎました。ですから、この国の事柄なら大体把握しています」
 
 
 テメレアらしくなく、妙に回りくどい言い方をすると思った。私は元々書記官でした、と言えば済むものを。動揺のせいか、歯切れも悪い。
 
 雄一郎は、観察するようにテメレアをじろじろと眺めた。テメレアが戸惑ったように視線を逸らす。
 
 
「お前の父は、なぜ死んだ」
 
 
 200歳近く生きる種族なのであれば、寿命にしては短すぎるように思える。病死か、それとも何らかの事故か。
 
 単刀直入な雄一郎の質問に、テメレアは今度こそ顔を歪めた。顔を背けたまま、何かに耐えるように下唇を噛み締めている。
 
 
「なぜ、そんなことを聞くんですか」
 
 
 なぜ今、こんな時に、こんな場所で、と吐き捨てるような声音だった。テメレアはかすかに怒りを滲ませたような目で、雄一郎を見詰めている。
 
 
「貴方は、私のことなんか興味ないでしょう」
 
 
 まるっきり女の恨み言のような口調だった。鼻で嗤いそうになるのを堪えながら、雄一郎は軽く下顎を引いてテメレアの目を見返した。
 
 
「お前は、俺に興味を持ってほしくないのか」
 
 
 まるで甘い罠に誘い込むように、かすかな猫なで声で囁く。うっそりと微笑む雄一郎を見て、テメレアは明白な憎悪をその瞳に浮かべた。その瞳が心地よかった。恋情を向けられるよりも、憎悪を向けられる方がよっぽど安心する。この場所が自分に相応しいと思える。
 
 奥歯を噛み締めたまま黙り込んだテメレアへと、雄一郎は続けざまに囁いた。
 
 
「お前は、俺の心に触れたいと言っておきながら、自分の心を隠すのか? 自分は秘密を抱えたまま、他人の心を暴こうとするなんて卑怯者のすることだとは思わないか? なあ、テメレア」
 
 
 静かに手を伸ばして、テメレアの左胸へと押し付ける。瞬間、テメレアの鼓動が手のひらに伝わってきたように感じた。大きく、震えている。
 
 テメレアはぎこちない動きで、胸元に押し付けられた雄一郎の手のひらを見下ろした。テメレアの手がゆっくりと雄一郎の手の甲に重ねられる。テメレアの指先は、ひどく冷たかった。
 
 
「貴方は、残酷な人だ。人を傷付けることを楽しんでいる」
「随分と人聞きが悪いな」
「違うのですか?」
 
 
 重ねられたテメレアの手のひらに、強く力が篭められる。爪先が手の甲に食い込んで、痺れるような痛みが走った。
 
 
「貴方は、さみしい人だ」
「それは前にも聞いた」
「貴方は、誰かを傷付けないと、自分の痛みすら思い出せないのでしょう。誰かを悲しませて、涙を流させて、苦しみに呻かせて、そうやって自分の心と重ねようとしている。本当に、哀れな人だ。私なんかよりも、ずっと貴方の方が可哀想な人だ」
 
 
 淡々と語るテメレアの声に、ざわりと皮膚が粟立つような感覚を覚えた。テメレアの手を振り払おうとする。だが、テメレアは、雄一郎の手をきつく掴んだまま放さない。
 
 
「ですが、他人の痛みは貴方の痛みではない。他人の喪失と貴方の喪失は違う。貴方がどれだけ他人から奪おうと、貴方が失ったものは永遠にかえらない」
 
 
 反射的に、テメレアを殴り飛ばしそうになった。だが、殴ればテメレアの言葉を正しいと認めることになってしまう気がした。だから、雄一郎はただテメレアを睨み付けたまま堪えた。
 
 テメレアは雄一郎を見つめたまま、静かな声で零した。
 
 
「……この戦いに共に行かせて下さるのなら、私も貴方にすべてを話します。何一つ隠すことなく、ありのままを」
 
 
 そう呟いて、テメレアは自身の胸に雄一郎の手のひらをギュッと押し付けた。まるで神託を待つ信者のようにテメレアは目蓋を伏せて、雄一郎の言葉を待っている。雄一郎は数秒テメレアの伏せられた目蓋を見詰めた。薄い皮膚の下に、かすかに細い血管が張っているのが暗闇でも見える。目蓋すら美しい男だと思うと、ひどく腹立たしかった。
 
 掴まれた手を動かすと、今度はテメレアの手は静かに離れていった。手の甲を見ると、テメレアの爪の跡がわずか窪みのように残っていた。
 
 
「死んだら、何も喋れねぇぞ」
 
 
 独り言のように呟いた言葉に、テメレアが目を開いた。縋るような、祈るように雄一郎を見詰めてくるテメレアを一瞥して、雄一郎は背を向けた。
 
 
「勝手にしろ」
 
 
 どいつもこいつも勝手にすればいい。自分には何の関係もない。この世界の誰が生きようが死のうが、雄一郎とは無関係な人間だ。そう苛立ち紛れに思うのに、腹の奥がじくじくと疼くように痛んだ。
 
 

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Published in 37歳のオッサンが戦場で女神と呼ばれる世界

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