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参観日(2)

 
 勿論、そんな願いは届くはずもない。背後の空気が潰れそうなほど重い。そして、重度の火傷を負いそうなほど熱い。
 
 教室の後ろで、ニコニコと嬉しげに笑みを浮かべて父が立っている。そうして、父の周りには、まるで誘蛾灯に誘われた蛾のように母親達が群がっていた。厚化粧な頬に掌を当てて、ほうと溜息を吐く姿が容易に想像出来る。そして、新任の国語教師までもが父に意識が奪われて、授業を進めることをサッパリ忘れていた。クラスの女子も同じく。というか黒板見ろよ御前ら。授業参観に来てんだろうが。父参観じゃねえだろうが。頭の中が暴言が飛び交う。
 
 肩をガックリと落として、おざなりに教科書を捲る。前の席の立花が肩越しに振り返って、窺うような視線で話しかけてきた。
 
 
「なぁ、あれって御前のとーちゃん?」
「何でだよ」
「だって、さっき廊下からトヨタって呼んでたじゃん」
 
 
 思わず舌打ちが零れそうになる。廊下側の窓から、ぶんぶんと手を振っていた父の姿を思い出す。高校生にもなって「トヨタ、ガンバって!」はないだろう。小学生じゃあるまいし。
 
 立花は、多くの視線に混じって父をじろじろと眺めると、感嘆したように呟いた。
 
 
「すげー金髪じゃん。御前って、もしかしてハーフ?」
「さぁ、どうだろ」
「義理の親子ってやつ?」
「知らないよ。父さん曰く、血の繋がった実の親子らしいけど」
 
 
 ずかずかと問い掛けられる質問に、眉根が寄る。立花は明るくて率直な奴だが、それは無神経さと紙一重にも思える。父と僕の顔を交互に眺めて、九十度の角度で首を傾げるところなんて失礼さの極致だ。
 
 
「でも、顔のランク違いすぎね?」
「ランク最下級の顔に言われたくないよ」
 
 
 少し言い過ぎたなと思った。だけど、反省するよりも早く立花が「ひっでぇー」と笑い事にしてしまったので、僕は謝る機会を失った。バツの悪さに俯いて、シャーペンの芯を無駄に多く出す。カチカチと響く音を聞きながら、一刻も早くこの時間が終ることを祈る。父が衆人環視の的になっているというのは、僕にとって多大なストレスだ。嫌なことばかり考えてしまう。僕らしくない、冷静さの欠片もない感情的なことをだ。それが、僕は一番嫌なのだ。
 
 
「なぁ、あれ見ろよ」
 
 
 懲りずに立花が話し掛けてくる。顎をしゃくるようにして示されたのは、窓際に立つ太った中年女性だ。少し異様なぐらい真っ赤な口紅を付けている。父を気にするあまり髪の毛を弄りすぎたのか、初めは整っていた髪がくしゃくしゃに乱れている。
 
 
「あれ、うちのババァ」
「ババァって程でもないじゃん」
 
 
 少しお世辞だった。立花は、嫌がるように鼻梁に皺を寄せて、吐き捨てた。
 
 
「ババァだよ。年甲斐もなく、御前のとーちゃんに見蕩れて気色悪いよ」
「気色悪いとか言ってやるなよ」
「言いたくもなるっつーの。なんつーか、雌本能丸出しって感じで最悪じゃん。母親も所詮は女なんだなって思うと、何かガッカリするよな」
 
 
 重苦しく溜息を吐いて、立花は自分の母親から目を逸らした。その呆れや嫌悪がないまぜになった台詞を聞いて、ふと心臓が跳ねた。シャーペンのヘッドに添えていた親指が急に動かなくなる。
 
 肩越しにそっと振り返ると、バッチリ父と視線が交わった。きっと父は僕しか見ていなかったんだろう。だから、視線だってすぐに合う。愛おしげに細められたスカイブルーの瞳から溢れているのは、僕に対する純然たる愛情だ。僕は、不意に狼狽した。
 
 一週間前、ベッドの中でその瞳に見下ろされたのを思い出したのだ。僕と父は、親子にも関わらず身体の関係を持っている。中学二年生のとき、恋人にして欲しいと父に懇願されてからの関係だ。親子であり恋人でもあるという関係性を、僕は未だに実感することが出来ない。
 
 正直に言うと、抵抗はまだある。父親に突っ込まれて、えへへと暢気に笑える息子なんて何処にいる。男同士という時点で世間では既にアブノーマルなのに、更に近親相姦、ついでに言えばその時の僕は十四歳だったから法的にも犯罪だ。見事なまでのスリーアウト。父はいつ犯罪者として逮捕されても可笑しくない。それを受け容れている僕だって当然有罪だ。
 
 ベッドに押し倒される度に、股間を弄くり回される度に、もう止めよう!と叫ぼうと思うのに、叫べない。単なる親子に戻れたらと思う時もあるけど、僕は父の目の中にある雄の気配に気付く度に身体が竦んで動けなくなる。父は、普段は父親の顔をしている。それなのに、時々僕を男の顔で見る。欲情を孕んだ肉食獣のような顔だ。父が父ではなく、男と感じることに僕は説明出来ない恐怖を覚える。
 
 いや、違う。僕が本当に怖がっているのは父にではない、僕自身だ。僕は立花の台詞を聞いた時、ベッドに組み敷かれた自分を想像した。僕は父にとっては息子だけれども、まるで女のように父を見ているのではないかと思ってしまったのだ。物欲しそうな、甘ったれるみたいな媚びた眼差し。そんな僕を、父はどう思っているのだろう。立花がさっき母親に感じたような、嫌悪や呆れがごちゃまぜになったような感情を感じたりはしていないんだろうか。そんな事を想像すると、胃の辺りがぢくぢくと痛み始めるのを感じた。
 
 前のめりになって、胃の辺りを掌で強く押さえる。奥歯をそっと噛み締めて、女以上に女々しい自分にほとほとうんざりする。溜息を吐き出しそうになった時、不意に教室の空気が揺れた。ざわつきが耳に付いたと思った瞬間、強い力で肩を掴まれていた。咄嗟に顔を上げると、父が微かに焦りを滲ませた表情で僕を覗き込んでいた。
 
 
「トヨタ、ドコカ、痛い? クルシイ?」
 
 
 余裕のない父の様子に、返事をする事も忘れてまじまじと父の顔を見つめる。反応がない事に焦れたのか、父が緩く肩を揺さぶってくる。そうして、次の瞬間、不意に身体から重力が消えた。気付けば、身体がふわりと二本の強靭な腕に持ち上げられていた。父が僕をお姫様抱っこしている。そう気付いた瞬間、狼狽と羞恥がないまぜになって脳味噌に一気に血が上るのを感じた。
 
 
「ちょ、父さん!」
「センセイ、ゴメンナサイ。息子ガ、カラダ、悪いミタイ。家、帰りマス」
 
 
 そう拙く言った途端、クラス中が落胆に包まれるのが解った。一分一秒でも父を見ていたい女達が露骨に溜息を吐いている。先生も同じく、困惑したように顔を歪めている。
 
 
「あの、お父さん。帰らなくても、体調が悪いなら保健室に行ったらどうでしょう」
「ホケン、シュツ?」
「はい、あの、ええと、学校のホスピタルです」
「ドコデスか?」
 
 
 とりあえずは授業後の父との面談が取り止めにならなかった事に安堵したのか、先生は明るい口調で保健室の場所を示した。その間も、僕は顔を赤く火照らせていた。高校生の男が父親にお姫様抱っこだなんて、信じられない。これは夢か悪夢か悪夢か。勿論悪夢だ。
 
 保健室の場所を聞くと、父は慌てたような足取りで教室から出た。突き刺さる視線が痛くて、僕は両腕で顔を覆ったまま身動き一つ取れなかった。明日から学校行けないじゃん。
 
 それでも、神様がほんの少しの哀れみを下さったのか、保健室は無人だった。保健室の先生も、どうやら早引きをしてしまったらしい。普段なら、何たるいい加減なと呆れるところだけれども、今日ばかりは諸手をあげてこの幸運に感謝したい。
 
 ベッドの縁に腰掛けるように下ろされる。父が不安そうに僕を見下ろす。鮮やかな蒼い瞳は、まるで深い海のようだ。
 
 
「トヨタ、ダイジョブ? クスリ、飲ム?」
 
 
 覚束ない手付きで棚を漁ろうとする父を、慌てて制止する。父は暫く心細そうに左右を見渡していたけれども、結局僕の隣に座り込んで、あやすように僕の背中を撫で始めた。
 
 
「心配、スゴク、心配」
 
 
 まるで言葉の解らない子供のような稚拙な台詞だった。父は不安を示す言葉を、それだけしか知らないのだ。だけど、その言葉は、言葉の意味以上に重たい。だから、僕は父の稚拙さが時々酷く愛しくなる。それは気恥ずかしさと混ざり合って、僕の耳を熱くする。
 
 
「…重くなかった?」
「ナニガ?」
「僕、体重結構あるんだよ」
 
 
 言った途端、また羞恥が込み上げてきた。体重を気にするなんて、僕は女子高生か何かか。
 
 
「軽く、ナイケド、重イ思ッタコト、ナイヨ」
「嘘だ」
「ウソジャナイよ、ボク、トヨタにウソツカナイ。トヨタ、アイシテル、から、ホントしか言ワナイ」
 
 
 咽喉の奥から、足掻くように「嘘だ」という言葉がもう一度零れ出す。一体何に対して嘘だと言ったかも定かじゃない。紅潮した頬を隠すように、両手を顔に押し付ける。何故だか込み上げてきたのは、酷い物悲しさだ。僕は、父の言葉を疑う自分自身の卑小さを呪った。父が寂しげに顔を歪める。
 
 
「トヨタ、ぱぱのコト、信ジナイ?」
「簡単に愛してるとか言わないでよ。そんなの信じられるわけないじゃん」
 
 
 気持ちと裏腹な言葉が出て来る。僕は、そのあまりの惨めさに泣きたくなった。嘘だ。本当は、誰よりも信じてるし、誰よりも信じたい。信じられないのは、自分自身だ。美しい父にそぐわない自分自身が嫌で堪らなくて、込み上げて来る自己嫌悪を父にぶつけているだけだ。
 
 
「カンタン、ジャナイよ。トヨタ、だけ、アイシテル」
 
 
 まるで心に語りかけてくるような父の言葉は、酷く穏やかで優しい。
 
 
「愛してるのは、僕が息子だから? それとも恋人だから? 親子で恋人なんか、やっぱり変だよ。おかしいよ」
「ヘン?」
「そうだよ。父親と息子がセックスしてるなんて、気味が悪い」
 
 
 切なそうに父の眉根がぐっと寄る。その顔を見て、いかに自分が最低なことを言ったのかを自覚する。それなのに、震える唇は止まらないのだ。
 
 
「僕は女じゃない」
 
 
 あの女達のように父に見蕩れる事も出来ない。あの女達のように父にしなだれ掛かることも出来ない。僕は、一生父にそぐわない自分を感じながら、後ろめたい気持ちを抱えて生きていくのだ。
 
 
「――トヨタ、ぱぱと恋人、イヤ?」
「……」
「トヨタ、いや言ウナラ、せっくすも、キスも、シナイ」
 
 
 指先がぶるりと震える。咽喉から惨めったらしい嗚咽が溢れ出そうになる。両手で覆い隠した顔がくしゃくしゃに歪んで、視界が涙でぼやけるのを感じた。
 
 
「トヨタのヤなコト、シナイ。パパは、トヨタ傷付けない」
「何で、そんなこと言えんのさ」
 
 
 なじるような声が零れる。顔から両手を外すと、父は少しだけ寂しげに肩を揺らしてから、僕の目を覗き込んだ。
 
 
「死ンダッテ、言えル。世界デ一番、ナンバーワン、オンリーワン、トヨタだけ、スキ。信ジテくれナクテモ、イイよ。ぱぱがスキなダケ。アイシテルだけ。死んじゃうグライ」
「父さん、死んじゃうの?」
「トヨタいなくなったら、死ヌ」
「それ、前も聞いたことあるよ」
 
 
 刺された時にも父は似たようなことを喚いていた。指摘すると、父が懐かしむように頬を緩めた。僕の額にかかった髪を指先で軽く直しながら、ふっと呼吸をするように囁いた。
 
 
「トヨタは、ボクのラヴ」
 
 
 愛がないと死んじゃう。父はそっと呟いて、僕の胸にそっと額を擦り寄せた。まるで幼児のような仕草に、胸が締め付けられる。そうして、父が触れた部分から熱が込み上げて来るのを感じた。ぬくもりが広がって、僕の卑小な心を溶解していく。
 
 僕は、僕は感情論が大嫌いだ。人間は理性的であるべきだし、論理破綻を起こせば、結果がろくでもない事になるなんて解り切っている。だから、こんな危うい関係を続けるべきじゃないって解っている。それなのに、どうしてだろう。僕は父を捨てられない。父を選べば、僕の真っ当で平凡な人生はすべて消えてしまう。彼女も出来ない。結婚も出来ない。子供も出来ない。父の周りには熱狂的な人間が常にうろつき、また刺されるような羽目に陥るかもしれない。そもそも、親子でアナルセックスをするアブノーマルな関係が一生続くわけがない。それなのに、どうしてもどうしても駄目なのだ。僕は、父を受け容れる。平凡な人生を捨てて、父親として不完全としか思えない父を選ぶ。こんな息子を押し倒すような非常識な父親を。この世界で、誰よりも父が僕を愛してくれると知っているから。
 
 
「父さん」
「ナニ?」
「キスしてくれる?」
 
 
 まるで縋り付くような僕の言葉に、父は鷹揚に微笑んだ。下唇を親指の腹でやさしくなぞると、そのまま呼吸を押し当てるみたいな柔らかさで唇をそっと触れ合わせる。その口づけには、僕への愛おしさが込められていた。いつだってそうだった。父はやることなすこと無茶苦茶だし、平凡だった僕の人生を奇想天外なものに変えて行く。だけど、その根底にあるのは僕への愛情なのだ。
 
 離れていった唇を見つめながら、気恥ずかしさを誤摩化すように手の甲を口に押し当てる。
 
 
「…僕は、女々しいかな」
「メメシィ?」
「女みたいだってこと」
「トヨタ、メメシィダッタラ、ボクはオンナにナッチャウ!」
 
 
 僕の不安を笑い飛ばすような、おどけた口調だった。僕はその瞬間、無性に可笑しくてたまらなくなった。胸の底からくすぐるみたいな笑いがこみ上げてくる。胃袋の中で、小人がくすくすと笑い声をあげているようだった。小人は笑い声混じりに、大丈夫大丈夫、と囁いている。
 
 父の肩を両手で掴んで、じゃれるように言う。
 
 
「教室でもキスしてくれる?」
「イイの?」
 
 
 父の目は笑みを含みながらも真剣だった。不意に気付く。父もたぶん嫉妬してた。父は拗ねたように唇を尖らせてぼやいた。
 
 
「ボク、ズーット、くやしぃ。トヨタのソバ、イレナイ、くやしぃ。トヨタのマワリ、オンナのコ、イッパイ。くやしぃ!」
 
 
 まるで幼稚園児の駄々のように父は手足をばたつかせた。それを宥めるように肩を叩きながら、僕は無性に嬉しくなるのを感じた。女々しいだなんてぼやいていた自分が酷くちっぽけに思える。親子で同じこと考えてるじゃないか。
 
 
「冗談だよ。家でいっぱいキスしてよ」
 
 
 そう耳元に囁くと、目を細めて父が笑った。子供っぽい無邪気さを残した笑顔だった。たぶん、この笑顔に誰もがやられてしまう。途方もない美しさとありふれた子供っぽさが均衡を保ちながら父の中で共存していた。
 
 
「キス以外のコトモ?」
「そこは要交渉」
「ヨウコショー?」
「話し合い次第」
「イイネ。ヨウコショー、スキよ」
 
 
 発音のおかしな父の声を聞きながら、僕は胸にあたたかな感情が溢れて来るのを感じた。それは紛れもない愛だったのだと思う。定義付けは解らない。愛は愛だ。こんちくしょう、泣きそうだ。
 
 
 僕は相変わらず参観日は大嫌いなままだ。だけど、教室の後ろから僕を見つめる父の眼差しは嫌いじゃない。そのことに気付けたのは、家に帰ってベッドの上で父に見下ろされている時だったんだけども。
 
 

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Published in アダムとトヨタ

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