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03 広間にて

 
 広間らしきところに案内されて、ソファに座らされる。床には深紅の絨毯が敷き詰められており、左側の壁には額に入った写真らしきものが無数に貼り付けられている。遠目では、何の写真か判別することはできない。
 
 
 少年はふらりと消えたかと思うと、奥から紅茶のティーパックを入れたカップを運んできた。鼻の周りにこびり付いていた血が綺麗に洗い流されている。少年は対面側のソファに座り込むと、自分用らしいマグカップにいれた麦茶を啜って、一息吐き出した。
 
 
「イタガキさん?」
 
 
 不意に声を掛けられて、身体が強張る。首を傾げると、少年が訝し気な眼差しで私を見詰めてきた。
 
 
「飲まないの?」
「ううん、飲むわ」
 
 
 慌てて手元に置かれた紅茶を手に取った。ティーカップの縁に口をつけたまま、ちらりと少年へと視線を送ると、少年はすでに私から視線を逸らしていた。大きな窓へと視線を向けたまま、心此処にあらずといった風采だ。
 
 見れば見るほど、異様な子供だと思った。全身に無数の痣を作っておきながら、一切それらを気にかけている様子がない。痛いと泣きわめくこともなければ、悪餓鬼のように怪我を誇る様子もない。潰れた左瞼の隙間から、どろりと濁った眼球が薄らと見える。その眼球からは、子供らしさというものが削ぎ落とされていた。粘ついたその闇色は、まるで底なし沼のようだ。
 
 既に岬先生に会えるという歓喜も恐怖も、私の中から消えていた。私は、ただ目の前の異様な少年に心奪われていた。心奪われたというのは、勿論一目惚れなんかの意味じゃない。私は、少年に怯えていた。何かされたというわけではなく、その存在自体が歪で化け物のように感じられた。紅茶をごくりと喉の奥へと流し込みながら、恐る恐る唇を開く。
 
 
「…ねぇ、怪我どうしたの?」
「階段から落ちた」
 
 
 機械的に答えられた台詞には、作り物めいたぎこちなさがあった。
 
 
「私、手当てしようか?」
「いい。ヒロフミがするから」
「岬先生が?」
「そう。あいつそれぐらいしか能がないから」
 
 
 口角を歪めた少年は、嘲るようにそう言った。自分より年上の大人を、小馬鹿にするような笑みだった。その言いざまに苛立ちが込み上げてくる。あんな素晴らしい先生に、何てことを言うんだこのガキは。
 
 
「能がないって…岬先生は、ベストセラー作家なのよ」
「そんなの、俺には関係ない」
「あのね、君がどれほどの人間か知らないけど、大人に対して、その言い方はないと思うよ」
「大人だって子供だって、馬鹿は馬鹿だし、能無しは能無しだ。大事なのは、生きてきた年月よりも頭の中身じゃねぇ?」
「岬先生に、頭の中身がないって言うの!?」
 
 
 全くもって大人らしくない金切り声でそう叫ぶ。途端、少年がきょとんとした眼差しで私を見詰めてきた。そうして、不愉快そうに顔を歪めた。
 
 
「ねぇ、何でそんなにあいつの肩もつわけ?」
「私は岬先生の大ファンなの! 尊敬してるの!」
「それは、嬉しいな」
 
 
 素っ頓狂な声でそう宣言した瞬間、背後から穏やかな声が聞こえてきた。振り返った時、叫び声を上げなかった自分をいっそ褒めたいぐらい。
 
 

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Published in 箱庭の少年

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