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15 決意

 
 蛍光灯の光が眩しくて、青白く見える。薬品の臭いが微かに漂うシーツに鼻を深く埋めながら、私はぢくぢくと痛むこめかみをそっと掌で押さえた。そこは小さなたんこぶになっていて、触れると頭痛じみた疼痛を引き起こす。甘ったれるように咽喉の奥で「いたぁい」と呟くと、ベッドの横から呆れたような溜息が返ってきた。
 
 
「触るなってお医者さんに言われたのに、あんた馬鹿じゃないの?」
「…馬鹿って言わないでくださいよ」
 
 
 倉田編集長が頬に掌を当てて、扱いに困ったような眼差しで私を見下ろしている。
 
 あれから直ぐ、岬先生は倉田編集長を電話で呼び出した。車をかっ飛ばしてやってきた倉田編集長は、こめかみを押さえる私を見て、一瞬泣き出しそうな怒り出しそうな何とも言えない表情を浮かべた。そうして、押し殺した声で「馬鹿野郎」と吐き出したのだ。私は、倉田編集長のオカマらしかぬ言葉遣いに、謝ることすら忘れて唖然とした。それから、殆ど引き摺られるように倉田編集長の車で病院まで連れてこられて、現在一日の検査入院が決定したところだ。
 
 雄太君を攫い出せなかった悔しさに、私はベッドの中で一人悶えていた。倉田編集長は、ろくに返事も返さない私についたまま帰ろうとはしない。毛布の隙間から視線を向けると、倉田編集長はまた何とも言えない悲しげな眼差しで私を見返した。
 
 
「あんた、雄太君を逃がそうとしたんでしょう」
「はい、それは悪いことですか?」
 
 
 私はもう完全に居直っていた。クビにされようが、会社が倒産しようが関係ない。先生の小説が二度と読めなくなったって構わない。自己保身に走って、雄太君を見捨てるぐらいなら死んだ方がマシだ。腹を括ってしまえば怖いものなんか何もなかった。倉田編集長を見据えたまま、奥歯を噛み締める。倉田編集長が呟く。
 
 
「あんたは間違ってる」
「間違ってるのは、編集長の方です。子供が殴られているのを見逃して、恥ずかしくないんですか?」
「そうじゃない。あんたは勘違いをしているの」
「何を言っているんですか。わけのわからないことを言って、惑わそうとしないで下さい。岬先生は人殺しです。あの人が広本さんを殺したって、私知ってるんですよ」
 
 
 はっと倉田編集長が息を呑んだ。その姿を冷たく見据えたまま、私は掌に握り締めたナースボタンを見せ付けた。
 
 
「私に危害を加えようとしたら、すぐにコレを押して警察を呼んでもらいます」
「あんた…」
「編集長も、広本さんの殺害に関わっているんですよね。そうじゃないと、広本さんが失踪ではなく、辞職をしたなんて事にはならないはずです。それに、広本さんの赤ちゃんだって…。貴方は、殺人の片棒を担いだんです。岬先生が警察に捕まらないように」
「あたしは悪魔先生を庇ったりしてないわ…」
 
 
 惨めったらしい言い訳の言葉に、怒りが込み上げて来る。
 
 
「嘘を付かないで下さい! 私、全部全部聞きました! 雄太君を解放して下さい! 今すぐ、今すぐにです! そうしないと、貴方と岬先生の犯罪を警察に言います! 私は会社が潰れようが、貴方たちが警察に捕まろうが構わないんですよ!」
 
 
 いきり立った私の叫び声に、倉田編集長の髭面がくしゃりと歪む。その目には焦燥でも憎悪でもなく、ただただ悲哀だけが浮かんでいた。岬先生と同じ目の色をしていると思った。
 
 
「あんた、雄太君がそんなに大事なの?」
「はい、大事です。私、あの子が好きなんです。馬鹿だと思われるかもしれないですけど、本気です」
「あの子、まだ子供よ」
「知ってます。私、雄太君が大きくなるまで待ちます」
「大人になったあの子があんたを選ぶとは限らない」
「それでもいいんです。私、雄太君と恋人同士になりたいわけじゃないんです。ただ、待っていたいんです」
 
 
 本気だった。嘘なんて一つもなく、真っ正面からの想いだった。
 
 倉田編集長の顔が苦虫でも噛み潰したかのように歪む。
 
 
「馬鹿よ、ほんと馬鹿」
 
 
 嘆くような声音には、微かな哀れみも混じっていた。倉田編集長が掌で額を押さえて、がっくりと肩を落とす。そうして、暫くの沈黙の後、掠れた声で続けた。
 
 
「あたしがあんたを悪魔先生の担当にしたのは、あんたに編集者としての感性を強めて欲しかったからよ。でも、こんな深みまで来るとは思ってなかった。来て欲しくなんかなかった」
「何を、おっしゃってるんですか」
「明日、雄太君に会いに行きなさい。いい? あの子を裏切っちゃダメよ」
 
 
 奇妙な言葉を漏らして、倉田編集長はぐったりとした様子で病室から出て行った。病院ベッドに身体を埋めて、私は倉田編集長の言葉を頭の中で反芻した。意味不明だし支離滅裂すぎる。私が雄太君を裏切るはずがない。私は、雄太君を守り抜く自信がある。
 
 明日のことを考える。雄太君と圭太君――広本さんのあかちゃんを連れて帰るんだ。私が育ててみせるんだ。暫く実家に帰って、新しい就職先を探そう。稼ぎがそこそこあれば、何だっていい。母親には迷惑を掛けるかもしれないけど、事情を説明すればきっと解ってくれる。それよりも、先生が邪魔をしてきた時のほうが問題だ。念のために手紙を書いて、母親に送っておこう。先生が襲いかかってきたら、それを脅しに使えばいいんだ。
 
 何度も明日のイメージトレーニングを繰り返している内に、私は眠りに落ちた。雄太君、雄太君、取り付かれたみたいに彼のことが夢の中にまで潜り込んでくる。どうして、こんなにも彼のことばかり考えているのだろう。きっと、あのはにかむような笑顔が悪いんだ。あの笑顔は麻薬のようだと、夢うつつに思った。
 
 

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Published in 箱庭の少年

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