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16 写真

 
 昨日木にぶつけたはずの車は、今日には影も形もなくなっていた。目を凝らすと、地面が抉れたようなブレーキ痕だけが薄っすらと見える。一体車を何処にやったのだろうと思うと、私は微かな不気味さを感じずにはいられなかった。
 
 私のこめかみに出来た小さなたんこぶは、朝になって固いしこりのようになっていた。膨らんだ皮膚の下に、果実の種が入っているようで妙に落ち着かない。痛いのが解っているのに、無性に気になって指先で弄繰り回してしまう。
 
 むずがゆい痛みを頭蓋骨に感じながら、屋敷の扉を叩く。初めは遠慮がちに、返事がないのが解ると思いっきり叩いた。それでも返事は返ってこない。最終的に、返事がないのは勝手に入って来いという意味よね、と勝手に解釈をして、無用心に鍵の掛けられていない屋敷の内部へと足を進める。
 
 窓のない薄暗い廊下を、ゆっくりと歩く。恐る恐る、一歩一歩確かめるように。先生が暗闇から襲ってくるかもしれないと用心して、手は常にカバンの中の防犯スプレーを握り締めていた。カバンの中には、他にスタンガンと一応防犯ブザーも入れていた。
 
 そうして、居間に入った瞬間、私は足が硬直するのを感じた。居間の壁に掛けられていた写真が全て額ごと剥ぎ取られて、床に叩き付けられている。赤い絨毯の上に散らばっているガラスの破片と、滅茶苦茶に切り刻まれた写真の残骸に、私は思わず周囲を見渡した。先生が怒り狂っているんだと思った。私が雄太君を連れて行こうとしているから、先生は憎悪のあまりこんな事をしたんだ。雄太君の顔ごと切り刻まれた写真を見て、私は最悪な想像をする。
 
 
――まさか、先生は雄太君を殺してしまったんじゃないだろうか。
 
 
 予感が頭をよぎった瞬間、皮膚がぞわりと粟立った。
 
 
「雄太君!」
 
 
 恐怖のあまり、咽喉が勝手に叫び声をあげる。ガラスを踏まないように気をつけながら居間を横切って、手探りするように「雄太君、雄太君」と繰り返す。すると、何とも気の抜けた表情を浮かべて、雄太君がキッチンからひょっこりと顔を覗かせた。
 
 
「板垣さん、どうしたの?」
「雄太君、無事!?」
 
 
 ぶかぶかなエプロンをつけた雄太君の身体を、軽く撫でさすって無事を確かめる。雄太君は、そんな私の様子を見て、不思議そうに首を傾げて笑った。昨日の出来事なんてさっぱり忘れてしまったかのような、何とも和やかな笑顔だった。
 
 
「何言ってんの、板垣さん。俺、何ともないよ」
「だ、だって、居間の写真が全部…全部あんなことになってたから、心配で…」
「居間の写真がどうかした?」
「あ、あの、切られて…」
「うん、今から新しい写真に入れ替えるところなんだ。暇だったら、板垣さんも写真選んでよ。そこの机に置いてあるからさ」
 
 
 雄太君がのんびりとした手付きで、居間の机を指差す。そこには、写真が数山ほど積み上げられていた。私は殆ど思考停止のまま、机の上に置かれている写真へと視線を落として、そうして戦慄した。
 
 
 そこに写っていたのは、顔をぐちゃぐちゃに腫れ上がらせた子供の顔だ。顔の原型がなくなる程までに、ぐちゃぐちゃにされている。顔のパーツが潰れていて、何処が目なのか鼻なのかも定かじゃない。それなのに、その子供の唇は笑みに歪んでいた。奇妙な方向に折れ曲がった手は、ピースまでしている。その子供の隣には、父親と母親らしき男女が赤ん坊を抱えて幸せそうに立っている。子供の異様な姿を除けば、明るい家族写真に見える。父親は、岬先生に似ていた。
 
 他の写真も似たようなものだ。小さな子供だけ、いつも何処かに傷を負っている。時には父親が子供を殴る瞬間を撮ったらしき写真もあった。振り上げられた拳の下で、子供が怯えとも追従ともつかない引き攣った笑みを浮かべている。母親が写真を撮っているのか、父親だけがカメラ目線に陽気な笑みを浮かべていた。全裸で縛られて、風呂場のタイルで転がされている写真もあった。犬のように床に落ちた残飯を食わされている写真もあった。両手両足が奇妙な方向に折れ曲がっている写真もあった。それでも、写真に映っている子供は、常に笑みを浮かべているのだ。あの、はにかむような――
 
 咽喉から胃液が込み上げて来る。口を押さえていないと、もどしてしまいそうだった。
 
 
 写真の子供は、雄太君だ。
 
 
 どういう事なのか、上手く理解出来ない。雄太君は、先生に虐待されているはずよ。それなら、この写真は何? この写真に映ってる男女は誰? 赤ん坊は?
 
 

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Published in 箱庭の少年

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