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16 家族…?

 
 向かった先は、初めて将真や真樹夫に会った部屋だった。白い大理石のテーブルの上には、スコーンだけでなくクッキーやマシュマロ等の御菓子が色とりどりに置かれている。
 
 真樹夫と真昼が向かい合うようにソファに座ると同時に、以前見た小山というエプロン青年が茶や紅茶を持ってきた。真樹夫には緑茶、真昼にはアイスティー、健一にはミルクだった。
 
 
「お稚児ちゃん、此処来ぃや」
 
 
 立ち尽くしたまま菓子類を眺めていた健一を、真樹夫が呼ぶ。真樹夫へと視線を遣れば、真樹夫が人差し指で自分の太腿の間を指していた。そこに座れということか。咄嗟に眉を顰めて嫌悪の表情を向けていれば、不意に手首を引っ張られた。
 
 
「わんこはこっち」
 
 
 引っ張られるままに、真昼の横に腰を落ち着ける。足を組んでいるせいで、ミニスカートの裾から真昼の太腿が大きく覗けている。健一は慌てて視線を逸らした。真正面へと目を向ければ、拗ねたように唇を真一文字に引き結んでいる真樹夫の姿が見えた。
 
 
「何で邪魔すんねん。俺は純粋にお稚児ちゃんとスキンシップがしたいだけやで?」
「真樹兄にとって、何処までがスキンシップなわけ?」
 
 
 問い掛けられた言葉に、真樹夫が悩むように宙を見詰める。それから、はにかむような笑みを浮かべた。
 
 
「スキンシップやないこと探す方が難しいわなぁ」
「純粋さの欠片もねぇ」
 
 
 戯れるように会話して、真樹夫と真昼は顔を見合わせて笑った。計画していた会話が成立したような図りきった笑顔だった。まるで悪戯に成功した悪餓鬼共のようだ。
 
 健一はおしぼりで丁寧に手を拭きながら、二人を交互に見遣った。真昼はパンプキンスコーンを鷲掴んで、粗雑な仕草で噛み砕き始めた。スコーンが景気良く噛み潰される音が、真昼の奥歯辺りから聞こえる。真樹夫は緑茶を飲みながら、真昼の太腿へと視線を滑らせる。
 
 
「真昼ぅ、お前スカート履いとる時は足組むなや。セクシー過ぎやっちゅうねん。どんだけ男悩殺するつもりなんや」
「この世の男全員よ」
「阿呆か」
 
 
 スコーンの欠片を唇の端につけたまま、真昼はニヤリと笑みを浮かべた。親指でスコーンの欠片を拭いながら、『飽きた』と呟いて、食べかけのスコーンを流れ作業のように健一へと渡す。
 
 半分程齧られたスコーンを手に、健一は唖然とした。スコーンと真昼を交互に眺めた後、僅かな羞恥を感じながらスコーンを齧る。カボチャの淡い甘味が感じられた。
 
 
「俺はなァ、可愛い妹が舐めるような目付きで男に見られるのが堪らんのんや。どっかの阿呆に襲われたらどうすんや」
 
 
 諌めるように言う真樹夫を見詰めながら、真昼は嘲るように鼻を鳴らした。
 
 
「右ストレートの良い練習台になるわ」
「お前なぁ」
 
 
 握り締めた拳を真正面に突き出す真昼を眺めて、呆れたように真樹夫が首を左右に振る。真昼は真樹夫の反応を眺めて、にやにやと笑っていたが、暫くすると不愉快そうに眉根を顰めた。何かを思い出したように、真昼の視線が鋭くなって、形の良い唇から舌打ちが零れる。
 
 
「何や、えろう怖い顔してから」
 
 
 吾妻の問いかけに、真昼の口から「あのジジィ…」と呪詛じみた声が零れる。
 
 
「あのジジィ、この前あたしの太腿に触りやがったんだよ」
「ジジイって、親父んことか?」
「そうよ。あのクソジジィ、自分の娘をソープ嬢扱いしやがって、マジ信じらんねぇ」
 
 
 真昼が忌々しさを込めて吐き捨てる。真昼の憤怒が空気を伝って、部屋に充満して行く。微かな居心地の悪さを感じて、健一はスコーンを咽喉に詰まらせそうになった。スコーンを口に含んだまま、真昼の怒りから目を逸らすように俯く。
 
 
「ボケとんやけぇ、しゃあないわ」
「娘とソープ嬢の違いも判んなくなるぐらいなら潔く死んじまえ」
「どうせ後三ヶ月もすりゃあ死ぬわ」
 
 
 〝死んじまえ〟〝死ぬわ〟軽々しく父親の死を口にする、二人の姿に健一の背筋は小さく震えた。真樹夫と真昼と吾妻、全員が自分の父親の死を願っている。
 
 
「臨終ん時まで迷惑かけるジジイだよ。何でこんな辛気臭ぇ家にいなくちゃなんないんだか」
 
 
 鼻から荒く息を零しながら、真昼が噛み締めるように呟く。その言葉に違和感を感じて、健一は真昼を見上げた。
 
 
「ここが家じゃないの?」
 
 
 問い掛ければ、ぐいと真昼の顔が至近距離まで寄せられた。胸元が大きく開いた服を着ているせいか、胸の谷間が視界に飛び込んできて、健一は思わず唇を引き攣らせた。
 
 
「あたしはね、ちゃーんと一人暮らししてんの。しかも、この家の金だって一銭も貰ってない。帰らなくていいなら、こんな家、帰りたくなんかなかったわよ」
「じゃあ、何で居るんだ?」
 
 
 首を傾げれば、「そりゃな」と真樹夫が口を挟んで来た。クッキーを咀嚼しながら、片手で顎を支えている。何処か面倒臭そうな表情をしながら喋る。
 
 
「そりゃ親父の遺言状が家族全員揃っとらんと見られんようになっとるけぇや。そういう風に弁護士に伝えられてんの。だから、俺らは親父が死ぬまで此処で缶詰。もう今月で三ヶ月目かぁ。あのジジイもよう持つわ」
「あたし友達と旅行の約束してんのよ。あのジジイが早く死んでくれないと、何処にも行けやしない」
「だから言うて、家を留守にしとくわけにもいかん。誰かが遺言状変えるとも限らんしなぁ。気ィ抜いとられんわ」
 
 
 真樹夫と真昼が愚痴じみた言葉を喋るのを聞きながら、健一は首を傾げた。
 
 
「遺言状を、変える?」
 
 
 ぽつりと反芻するように呟く。クッキーを奥歯でガリガリと噛み砕きながら、真樹夫が目を細めて笑みを滲ませた。『知らなくていいよ』とでも言いたげな柔和な眼差しだが、奥底では『これ以上聞くな』と凄むような笑顔にも見えた。健一は口を噤んで、押し黙った。
 
 
「あー、ほんともうあのジジィのためとか下らない! 青い海、白い雲、オアフ島!」
 
 
 意味不明な叫びを漏らして、真昼が背中をぼすっとソファに沈めた。そのまま駄々を捏ねる子供のように、両脚をバタバタと上下に揺らす。その唇から「早く死ーねっ。死ーねっ死ーねっ死ーねっ死ーねっ」と声援が繰り返される。死ーねっ死ーねっ死ーねっ。無邪気な声が自分の父親の死を後押しするのは、邪気がない分だけおぞましい。
 
 思わず健一は、まじまじと真昼を見詰めた。健一と目が合えば、父親への罵り等忘れたかのように真昼は笑顔を浮かべる。その笑顔にぞっとした。
 
 
「父親が死ぬの、悲しくないの?」
 
 
 引き攣った声で途切れ途切れに問う。真昼と真樹夫が顔を見合わせて不思議そうに瞬く。それから二人揃って「ぜぇんぜぇん」と言うのが聞こえた。どうして悲しむ必要があるのか、さっぱり理解出来ないと言いたげな表情だった。
 
 
「な、何で? だって、父親だろう? お父さん、だろう?」
 
 
 しどろもどろに言葉を零す健一を眺めて、真昼と真樹夫はこれまた二人揃って首を傾げた。
 
 
「だってぇ」
「だってなぁ」
「父親らしいことされてないしぃ」
「よしんば父親やとしても、最低最悪な部類の父親やしなぁ」
 
 
 予め打ち合わせでもしていたように、真昼と真樹夫の言葉は調和していた。混乱する健一を余所に、御互いに顔を見合わせて「なぁ」と同意を示している。
 
 
「将兄や真澄に至っては、ひでぇもんや」
 
 
 そう言った真樹夫の声に苦渋が滲む。真樹夫の眦が、不快感に歪んでいるのが見えた。思い出した記憶に、唾を吐き掛けるような表情だった。
 
 
「ひでぇって、何が」
 
 
 思わず聞き返せば、真樹夫が小さく鼻で嗤った。
 
 
「大阪のおばちゃんみたいに聞いてくるんやなぁ」
 
 
 馬鹿にするような一言に、ムッと顔が歪む。眉間に皺を刻み込んで、真樹夫を睨み付ける。
 
 
「うっせぇ。何にもわかんないんだから、聞くしかないだろうが」
「好奇心は身を滅ぼすで?」
「これ以上滅ぶことなんかあるもんか」
「人生はお稚児ちゃんが思ってるよりもっと深いんで。これ以上は堕ちんと思っとっても、意外と人間何処までも堕ちていける」
「知らないまま墜ちるよりかはマシだ」
「知らん方が幸せってこともある」
 
 
 押し問答を繰り返す。そのまま真樹夫と対峙していれば、マシュマロを頬にぷっくりと含んだ真昼が二人の遣り取りに飽きたように「あのさぁ」と口を挟んだ。
 
 
「いいから、全部話しちゃえばいいじゃん。どうせ誰にも言ったりしないよ。だって、犬はわんわんとしか言えないもん」
 
 
 馬鹿にするような言葉に、咄嗟に真昼を睨み付けた。真昼は健一の睨みなど意に介さないような風采のまま、マシュマロを食んでいる。
 
 投げ遣りな真昼の一言に、力が抜けたように真樹夫は溜息を付いていた。首を左右に振って、『ええ加減やなぁ』とでも言いたげだ。
 
 
「まぁ、別にええか。つまり簡単に言えばやな、虐待っつう奴や」
「ギャクタイ?」
「お稚児ちゃん、虐待が何なんかわからんとか言わへんやろうな。俺ぁ、そこまで教える気ィないで」
 
 
 出鼻を挫かれて、真樹夫の身体からへなへなと力が抜けていく。健一の横で、真昼が小さく身体を震わせてヒッヒッと笑い声を零している。健一は暫く思案した後、『ギャクタイ=虐待』という漢字が思い浮かんで、「あぁ」と小さく呟いた。
 
 
「ギャクタイって虐待?」
「おぉ、解ったかぁ。ならええわ」
「何で虐待?」
「まぁ、聞きいや。うちの親父はな、ほんまに厳しい奴やったんや。―――厳しい?」
 
 
 語彙が合っているか確かめるように、真樹夫が真昼を見遣る。真昼は横柄な口調で「傍若無人」と四字熟語を口に出した。口調にはありありと父親に対する嫌悪感が篭っていた。
 
 
「傍若無人もお稚児ちゃんには解らんやろう。まぁ、ええわ。うちの親父は厳しい奴でな、特に将兄と真澄に厳しかった。将兄は長男で跡取りやけぇやろうけど、ありゃもう躾っちゅう名の折檻やったな。何処の父親が、食事中に味噌汁零したぐらいで子供の鼻叩き折るっちゅうねん。お稚児ちゃん気付いたか? 将兄の鼻って、十歳ん時殴られたせいで少し陥没しとるんやで」
 
 
 健一は緩く首を左右に振った。その動きに合わせて、身体からじわじわと力が抜けていくようだった。瞬きも出来ず、呆然とした眼差しで真樹夫を凝視する。その話が事実とは中々思えなかった。父親が子供を殴り、鼻を叩き折ったという話が実際にあった過去の事とは。
 
「そんで、真澄に至っては完全なる虐待。真澄はな、俺らの母親が一年間逃げ出しとった時にできた子供なんや」
「…逃げ出した?」
「親父も今は呆けとるから可愛いもんやけど、昔はこの世の糞という糞を凝縮したような最低男でなぁ。自分のバシタ、ああ、女房のことやけど、そのバシタを殴るわ蹴るわ、ドスで切りつけるわ、子供流産させるわ、そりゃもう最低なもんやったんや。俺らの母親は三人目の子供を流産させられたところで逃げ出した。そんで一年後に帰ってきた。赤ん坊抱いてな。それが真澄や」
 
 
 赤ん坊の吾妻というのが想像出来なかった。夫に殴られ蹴られ、逃げ出した妻が抱いて帰ってきた子供、吾妻の二十七年前の姿。上手く思い浮かばない。
 
 緑茶を啜りながら、真樹夫は視線を宙に浮かべるようにして喋り続ける。
 
 
「母親は親父の子だって言い張っとったけど、子供はまだ生後一ヶ月も経たんぐらいやった。つまり、計算があわん。父親もだーれも組長の息子だなんて認めんかったけど、母親はそれでも言い続けた。親父の子だ、あたしが腹を痛めて産んだんだ、組長と正妻の息子だ、って。やから、真澄は戸籍上はうちの息子っつうことになっとる。けど、今だに誰も真澄をうちの息子だなんて思っとらん。だから、『野良犬の息子』。親父がずっと言ってたんや。こいつは野良犬の息子だ、って」
 
 
 『野良犬の息子』、そう叫んでいた将真の声を思い出す。それは、吾妻の父親の言葉でもあったのか。それから、不意に『名前、呼んで』と切実に訴えかけてきた吾妻の顔を思い出した。ただ名前を呼ばれただけだというのに、嬉しくて堪らないとばかりに綻ぶような笑顔を浮かべた吾妻の顔も。
 
 もしかしたら、と思う。もしかしたら、吾妻は父親に名前を呼ばれたことがないのではと思った。同情するわけではないが、今だに誰かに名前を呼ばれたがっている吾妻の切実さが居た堪れなかった。
 
 
「親父は真澄を虐待した。将兄も俺も、数え切れんぐらい真澄の悲鳴聞いた」
 
 
 そこで、一度真樹夫の言葉が止まる。一瞬真樹夫の目が鋭く細められて、頬が薄笑いに歪んだ。
 
 
「なぁ、知っとるか? 水で濡らしたベルトで殴るとな、革が重みを増して肉に食い込むんや。食い込んで、肉が柘榴みたいに裂ける。皮膚が千切れて、肉が真っ赤に腫れ上がる。その上を何度も何度も打ち据える。腫れた肉を叩かれると、体内が破裂したみたいに感じるんやって。そうして、いつまでも痕が残るんや。肉を切り刻まれたみたいな赤い蚯蚓腫れ。真澄の背中にはまだ残っとるんかなぁ…あの痕」
 
 
 頭の天辺から足先まで、滝水のように血の気が落ちた。口の中がカラカラに乾いて、咽喉からひゅうっと掠れた呼吸音が漏れていた。
 
 痛みを、想像する。肉が弾ける感覚。吾妻に奮われた暴力を思い返し、その痛みは吾妻がベルトで打ち据えられた痛みと同等なのかと考える。耳の直ぐ傍で、ヒュンッとベルトが空気を切り裂く音が聞こえた気がして、臓腑が震えた。
 
『冗談だろ?』と問い掛けるように驚愕の眼差しで真樹夫を見詰める。真樹夫は狡猾な狸の面で嗤い返してきた。咽喉の奥を震わせて嗤っているのが解る。空気が隠微に震える。
 
 
「あのクソジジィ…反吐が出る」
 
 
 テーブルの縁を足裏で蹴り飛ばして、真昼が吐き棄てる。テーブルの上に乗った菓子や茶が緩く跳ねて、ガチャンと硝子の音を立てた。その音に、健一の身体はビクリと跳ねた。
 
 そうして、吾妻を思い浮かべる。『ばかもんがばかもんが』と繰り返されながら、父親にぽかぽかと殴られていた吾妻の姿。その泣き笑うような表情。
 
 思い出した瞬間、心臓が引き攣れるように痛んだ。思わず、右手が胸倉を掴んで、ギュッと握り締める。そうして、無意識の内に『何てことを言ってしまったんだろう』という言葉が頭を過ぎった。父親に殴られている吾妻を見て、健一は『俺が殺すんだから』と叫んだ。間違ってない。決して間違っていない。吾妻は憎らしくて殺してやりたい奴だ。健一の家族を殺して、人生を滅茶苦茶にした鬼畜だ。だから、間違ってはいない。だけど――嗚呼、酷いことを言ってしまった。
 
 それから、吾妻が母親のことを「いないも同然」と言っていた事を思い出す。
 
 
「あいつ、母親のこと『いないも同然』って言ってた」
 呟けば、真樹夫が緩く双眸を瞬かせた。
「まんまその通りや。俺らの母親は、十年前に親父と離婚して家出て行ったんや」
「離婚なんて、出来るんだな」
「まぁ、そりゃ普通はできんわな。愛人っつうわけでもなく、組長のバシタが離婚だなんて許されるもんやないわ。やけん、親父が言ったんや。離婚したいなら、ケジメとして腕片方切れ、って。――あの女、迷わず切りやがった。壮絶やったな。片腕だけんなって、それでも齧り付くみたいに離縁状書いとる姿。ようショック死せんかったわ」
 
 
 真樹夫が忌々しさを込めて舌打ちを零す。真樹夫の掌が左腕の肘関節を上下にゆっくりと撫ぜている。健一は撫ぜられる真樹夫の肘を凝視して、咽喉を引き攣らせた。顔面蒼白とはこのことだ。きっと今自分の顔は真っ青になっていると思った。掌で頬に触れると、頬肉がガチガチに固まっていて、引き攣った表情を浮かべているのが判った。
 
 
「あいつ、それ見てたのか?」
 
 
 思いがけず、唇から勝手に言葉が零れた。掠れた自分の声は、何だか吾妻の事を心配しているようにも思えて、癇に障る。真樹夫はさして気に留める様子もなく、「まぁなぁ」と曖昧な相槌を返した。
 
 
「見とった。俺も将兄も真澄も、全部見とった。真澄が高校生ん時かなあ。将兄は真っ赤になって怒って、俺は真っ青になって気絶寸前やったけど、あいつの顔、びっくりするぐらい真っ白でなぁ…。何やろ、あの顔色。悲しいとか憎らしいとか殺したいとか、いろいろごちゃ混ぜになって、全部消えてしもうたっつーんかなぁ…無機質で、機械みたいな…」
 
 
 言葉を言いあぐねて、真樹夫は口を噤んだ。逸らされた視線は、過去の記憶に怯えているようにも見える。
 
 アイスティーをずるずると音を立てて啜った後、真昼は眉を顰めて言った。
 
 
「あれから、真澄兄は変わっちゃった。それまでは妹のあたしらにもビクビクへこへこしてるような情けない奴だったのに、次の日から気味が悪いぐらい明るくなってさぁ」
「いきなり、目が覚めたみたいになぁ」
「覚めたんじゃなくて、閉じたのかもよ」
 
 
 漠然と真昼が言う。真樹夫は一度大袈裟に瞬いた後、唇を歪に引き攣らせた。そうして、暫く押し黙った後、咽喉の奥で「目開けとる奴なんかおらん」と小さく呟くのが聞こえた。健一には、よく意味が解らなかった。
 
 
「そんな真澄兄に真夜はべったりになるし」
「真夜もなぁ、彼氏の一人でも出来ればええんやけどなぁ」
「無理よ、あんな根暗女」
 
 
 一言に切り捨てて、真昼は咽喉からハッと馬鹿にするように大きく息を吐き出した。真樹夫が肩を竦める。
 
 
「双子やろうが」
「双子だろうが、嫌いなもんは嫌いなのよ。自分の兄貴を物欲しそうに見やがって」
「当の真澄は、こんな子供を愛人にして、真夜も報われんなぁ」
「今頃部屋で黒魔術でもしてんじゃない? ざまあみろよバーカ」
 
 
 真昼が忍び笑いを漏らして、双子の妹を嘲る。愛らしい顔立ちが醜悪さを滲ませる。健一は眉を顰めた。それから『どうして』と思った。
 
 
「どうして、家族なのに仲良くできないんだ」
 
 
 思ったら、口に出ていた。極自然に溢れた言葉は、まるで水面に投げ込まれた石のように波紋を起こした。
 
 真昼と真樹夫の余裕綽々だった空気が不意に乱れる。二人の顔に戸惑うような曖昧な色が浮かぶのが見えた。真昼も真樹夫も、二人揃って海の底の貝みたく黙りこくる。それから暫くして、小さな声で真昼が呟いた。
 
 
「家族…?」
 
 
 言葉の意味が解らず、問い掛けるような声だった。
 
 

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