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23 焼肉

 
 真昼の胃袋はブラックホールだ。次々と真昼の口に運ばれていく肉を眺めて、健一は口をぽかんと開いたまま固まった。
 
 薄暗い焼肉屋の奥のボックス席に通されて、明らかに二人前ではないだろう山盛りの肉を『一体こんなの誰が食べるんだ』と呆れた思いで眺めていたのは十分前。
 
 
「タン塩二人前持ってきて」
 
 
 と、追加注文をする真昼の声を聞きながら、健一は呆然とした心地に陥った。山盛りの肉の大半が真昼の胃袋の中に収められている。反対に健一の皿に乗っているのは、野菜と茸類ばかり。焼けた片っ端から、真昼が野菜や茸類を健一の皿に放り込んでくるのだ。健一にとっては、堪ったものではない。
 
 
「俺も肉食いたいんだけど」
「あたしのタン塩食ったら、ぶっ殺す」
 
 
 タレの池となった皿に顔を埋めたまま、真昼が言う。健一は思わず眉間に皺を寄せた。
 
 
「俺の皿、野菜ばっかじゃないか」
「子供は野菜を食べなきゃ成長しないからよ」
「真昼だって子供だ。まだ高校生じゃないか」
「あたしは肉食獣だから肉が主食なの。ライオンが草食べてたら変でしょ?」
 
 
 真昼の荒唐無稽な屁理屈に、健一は唇をへし曲げて、真昼をねめつけた。肉をがっついていた真昼は、皿から僅かに顔を上げて、にやりと唇の端を歪ませた。その口角には微かに焼肉のタレがこびり付いている。舌先でそれをなめずる姿は、さながら肉食獣だ。
 
 
「ずるい…」
 
 
 ぽつりと呟いて、健一は皿に置かれたキャベツを一口齧った。キャベツがパリッと音を立てるのが何だか虚しい。健一の切ない姿を見て、真昼はヒッヒッと気味の悪い笑い声を上げた。真昼の箸には、肉汁滴るカルビが摘まれている。真昼は「もー、仕方ないなー」と宥めるような一言を漏らして、そのカルビを健一の皿へと置いた。
 
 
「野菜を食べる良い子には、お肉も食べさせてあげよう」
 
 
 得意げな真昼の口調に、健一はムッと唇を尖らせた。真昼のその言い方では、まるで自分が施しを受けているようではないか。反抗的に言い返す。
 
 
「真昼は野菜が食べれない悪い子じゃないか」
 
 
『悪い子』という言葉に過剰なほど反応して、真昼の眦が一気に吊り上った。真昼は片頬を引き攣らせて、これみよがしに「ははん」と声を出して嗤ってみせる。
 
 
「野菜を食べれないんじゃなくて、食べないの」
「どっちだって一緒だ。『食べれない』でも『食べない』でも、真昼は悪い子だ」
「悪い子じゃないもん…」
  
 真昼が肩をしょげらせて、ぽつんと呟く。酷く子供っぽい口調だった。その口調からさえ、真昼の甘ったれた我侭娘な気質が滲み出ているように感じた。
 
「なら、食べろよ」と言って健一が差し出した皿を、真昼は心底嫌そうな表情で見詰めた。そうして、暫しの沈黙の後、諦めたように受け取った。そのまま、真昼は死人のような表情で野菜を食べる。本当に野菜が好きではないのだろう。
 
 健一は満足感をもって、その光景を眺めた。普段、健一を振り回している真昼が素直に言うことを聞く姿というのは、中々悪くない。さて、とばかりにカルビに箸を伸ばそうとした瞬間、素早く健一の皿に『何か』が放り込まれた。視線を緩く落として『何か』を確認し、それから真昼を睨み付ける。真昼は、拗ねたように唇を尖らせて、
 
 
「しいたけ嫌いなんだもん」
 
 
 と、また子供のような口調で言った。箸先で椎茸を摘んで、健一は椎茸を見せ付けるように左右にぶらぶらと揺らした。真昼は「うえぇ」と気味の悪い声をあげた。
 
 
「だって、嫌いなもんは嫌いなんだもん!」
 
 
 癇癪を起したように叫んで、真昼は頑是のいかない子供のように頭を左右に振った。
 
 
「そんなに嫌いなの?」
「ダイッキライ! 笠の裏のビラビラがダイッキライ! 何あれ、気持ち悪くて仕方ないじゃない!」
 
 
 テーブルの下でガンガンと踵を鳴らして、真昼は喚いた。ボックス席といえども、他の客の迷惑にならないかと健一はひやひやした。
 
 喚く真昼から視線を背けて、露骨に溜息を付く。すると、再び真昼はしょげた顔をして肩を落とした。尖らせた唇から、もう一度「嫌いなんだもん…」という声が聞こえる。
 
 
「じゃあ、食べたげるよ。オレ、しいたけ嫌いじゃないし」
 
 
 諦めたように健一が言った途端、真昼の顔が輝いた。吊り目気味の瞳を糸のように細めて、はしたないぐらい大きく唇を左右に裂いてみせる。
 
 
「だから、わんこって好きよぉ」
 
 
 調子の良いことを言っていると思う。それなのに、自分の意思のあずかり知らぬところで、健一の心臓は跳ね上がった。
 
 ドクリ、と音を立てて戦慄く。身体が芯から熱くなってくる感覚がして、指先の感覚が一瞬なくなった。そうして、「好き」の一言が頭の中でぐるぐると回転する。
 
 好き、好きってどういう意味だろう。真昼はオレのことを好き。それはどういう好きなのか。馬鹿みたいな疑問が何度も反芻される。
 
 押し付けた野菜そっちのけで、真昼は再びよく焼けたタン塩を頬張っている。
 
 真昼は我侭だし、乱暴者だ。唐突にヒステリーを起して喚いたりもする。だけど、ふとした瞬間に儚く翳りを帯びる。硬く棘々した皮膚の下から、柔らかく崩れ落ちそうな心が浮き彫りになる時がある。
 
 その真昼の両極端な面に、健一は翻弄される。心が揺らされて、真昼のことで頭がいっぱいになる。
 
 まだ会って一ヶ月も経っていない。それなのに、家族と同じぐらい健一の心を占め、攫って行ってしまう。この気持ちを何と言うのだろうか。心臓を上から緩く押さえて、健一は淡く呼吸を零した。この気持ちを何て言ったらいいのか――
 
 
「ねぇ」
 
 
 気付いたら、真昼の顔が至近距離に迫っていた。テーブル越しに真昼が身を乗り出して、健一の瞳を覗き込んでいる。驚いて仰け反った健一に気を止めるわけでもなく、真昼は僅かに目を細めた。先ほどの笑顔とは正反対な真剣な眼差しだ。そうして、声を潜めて一声、こう言った。
 
 
「わんこ、逃げたい?」
 
 

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