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28 通夜

 
 通夜に参列するのは二度目だった。
 
 一度目は七年前、健一が幼稚園児だった頃の同級生が事故で死んだ時だ。然程仲が良いわけではなかったが、同じ町内に住んでいたという事で、葬式だけでなく通夜にまで行く羽目になった。
 
 その時は、大人達の啜り泣きの中で、酷く居心地の悪い思いを味わった。膝を崩したくても崩せない緊張感と、眠たくても欠伸一つできない圧迫感に辟易し、苛立ったのを覚えている。
 
 空気の間を蔓延する悲哀や絶望に、皮膚をちくちくと刺されながら、息苦しさに涙が滲んだ。それを悲しんでいると勘違いした大人に、慰めのようにキャラメルを貰った。甘ったるい味をしゃぶって、健一はひたすら押し黙っていた。
 
 子供の亡骸に縋り付いて、泣き喚く両親の姿。大事な人間の死を心の底から嘆き悲しんでいた。
 
 それなのに、人が変われば、こうも通夜の雰囲気は変わるものなのだろうか。まだ棺桶はなく、真之介の遺体は隣の部屋に安置されている。死の仄暗い影が漂ってくる隣室を襖越しに見遣りながら、健一は溜息を付いた。
 
 通夜に似つかわしくない朗らかな笑い声、緊張の緩み切った微笑みを浮かべているのは恰幅の良い男達だ。その男達全員が明らかに一般人ではない空気を放っている。一般人と違う空気、偏見で言ってしまえば傲慢さだ。他人を虐げ、陥れる者の臭いがする。
 
 男達は焼香することもなく、畳に座り込んだまま、周囲の人間と女子高生のようにぺちゃくちゃとお喋りをしている。その嬉しさを隠し切れていない弾んだ声が、何とも通夜に相応しくない。
 
 その男達の間を渡り歩き、談笑に身を投じているのが吾妻だ。父親が死んだとは思えないほど和やかな微笑みを浮かべて、男達と言葉を交わしている。
 
 健一は、微笑みを浮かべる吾妻を横目で睨み付けた。朝っぱらから喪服を着せられて、通夜に連れて来られただけでも憂鬱なのに、健一のことを放置するだなんて巫山戯ている。蔑ろ、にされていると思う。
 
 膝頭に固く握り締めた拳を押し当てて、下腹に力を込める。こんな風に放っておくんだったら、初めから連れて来なけりゃいいじゃないか。俺だってこんなところ来たくもなかった。零れ出そうになる感情を必死で押し殺して、健一は奥歯を噛み締めた。
 
 そもそも、自分の家族の葬式にすら出られなかったのに、どうして家族を死に至らしめた男の父親の通夜に出なくちゃいけないのか。そんな不条理な疑問を脳裏に過ぎらせる。しかし、その疑問と一緒に、ふっと湧き上がってきた記憶があった。昨日の真夜の言葉、そうして弥生の恐慌だ。
 
 真夜の言った通り、本当に誰かが死んだ。その事実に、健一は微かな不安を抱いている。
 
 
『この家で誰か死んだら手前の責任だ。手前が殺したんだ!』
 
 
 という真夜の甲高い叫び声が蘇る。胸元を抑えて、『まさかな』と口内で呟く。
 
 真之介とは一度会っただけで、それから何週間も顔も合わせてなければ声すら聞いていない。そんな状態でどうして健一が真之介を殺せるのか。あんなのは真夜の戯言だ。狂言だ。単なる嫌がらせだ。と繰り返しても、胸のうちに巣食う不安はなかなかその陰を消さない。じっとりと粘ついた感触を持って、心臓や血管、脳味噌の皺の間に纏わり付いている。
 
 同様に真之介を指差しながら、『あれは何ですか』と問い掛けてきた弥生の姿を思い出す。怯えた様子、震える指先、追い縋るような瞳、あの醜悪な姿。もしかしたら、あのとき既に真之介は死んでいたのだろうか。布団に横たわった老人の姿を思い出そうとして、記憶を追い払うように頭を左右に振った。死体の記憶なんて思い出したくもない。一体、弥生は何をあんなに怯えていたのだろう。そうして、あんなにも許しを乞い続けた理由は――
 
 
「健一」
 
 
 思考が中断される。声の方向へと視線を向ければ、吾妻が柔い笑みを浮かべながら、健一を手招いていた。その馴れ馴れしい仕草に反発は感じたものの、健一は大人しく手招きされるままに近付いて行った。反抗して、こんな大勢の前で殴られたくはなかった。
吾妻の腕が肩に回って、軽く身体を引き寄せられる。
 
 
「皆さん、健一です」
 
 
 その言葉を発端に、男達の目が明らかな好奇を持って、健一を見つめてくる。露骨に、隣の者と目配せをしたり、嘲笑と紙一重の薄ら笑いを口元に浮かべている男すらいる。下から上へと舐めるように見られ、そうして視線は皆決まって健一の首元でピタリと止まる。真っ赤な首輪、吾妻のペットの証を見られている。嘲られている。見世物になっている。そう思った瞬間、堪え切れようのない憤怒と羞恥が駆け上ってきて、健一は顔面をカッと火照らせた。
 
 
「その子が真澄君の『可愛い子』かい?」
 
 
 男の一人が芋虫のような指で健一を指した。肥えに肥えた豚のような体型で、腹が今にも破裂しそうなほど膨らんでいた。肉のせいでパンパンに張った顔は見るに耐えない程だ。その勘繰るような下卑た口調に、鳥肌が立つ。
 
 吾妻が小さく肩を揺らして、苦笑いを零した。
 
 
「えぇ、お恥かしながら、そうです。今後皆さんに御世話になると思いますので、僕共々宜しくお願いします」
 
 
 また自分の知らない所で勝手に話が進んでいると思う。此方の意思と関係なく決められていく事柄に、微かな吐き気すら覚える。
 
 それにしても、張り付いたような吾妻の笑顔が気持ち悪くて仕方ない。仮面でも被っているような上っ面だけの笑顔だ。
 
 
「なぁ、真澄君、もしかしてその子に君の跡を継がせるつもりなのかな?」
「えぇ、そろそろうちの籍に入れようと思っています」
 
 
 不意に零された会話に、健一は不穏な空気を感じ取った。理解不能な言葉の数々に、皮膚が小さく震えて危険信号を訴える。肋骨の内側で、心臓が激しく鼓動を打ち始めるのを感じた。『アト』って何だ。『セキ』って何だ。
 
 
「セキ、って、何のこと?」
 
 
 途切れ途切れに問い掛ける。吾妻が健一を見下ろして、唇の端を歪めた。健一の無知さを小馬鹿し、そうして愛おしむような笑みだった。吾妻の掌が思わせぶりに肩の丸みを撫ぜて、ゆっくりと離れる。
 
 
「いつか解るよ」
「いつかって、いつ」
「もうすぐだよ」
「そういう曖昧な言葉で誤魔化されるのは、いい加減飽き飽きだ。そうやってあんたにはぐらかされて、良い事になるとはオレには絶対に思えない」
 
 
 噛み付くように言葉を吐き捨てれば、途端囃し立てるような笑い声が周囲から響いた。男達が下卑た笑いを零しながら、両手を叩いている。
 
 
「随分と気が強い子じゃないか。こりゃあ将来が楽しみじゃのう。今から賄賂でも送っておいた方がいいのかもしれん。ほぅら、坊やキャラメルは好きかな?」
 
 
 下顎に白髪混じりの髭を生やした初老の男が指先大のソレを差し出してくる。オブラートに覆われたソレは、キャラメルのあの温かみのある色はしていない。うす濁った白色の塊がオブラート越しに透けて見えた。健一が躊躇っている間にも、ソレは健一の唇へと寄せられていく。
 
 それが唇に押し付けられようとした瞬間、吾妻の掌が固く健一の唇を塞いだ。
 
 
「ぐ、ぅ」
 
 
 非難を込めて見上げれば、笑顔を微かに強張らせた吾妻の表情が見えた。唇は笑っているが、目は笑っていない。僅かに険のある眼差しで初老の男を見据えている。
 
 
「大沢さん、冗談が過ぎます。それのどこがキャラメルですか」
 
 
 その吾妻の言葉から、今食べさせられようとした物が『危険なもの』であっただろうことに健一は気付き、恐怖に身体を強張らせた。
 
 引き攣った吾妻の声音に、初老の男が勝ち誇ったような表情で肩を竦めている。
 
 
「わしにとってはキャラメルと同じじゃ。わしを笑顔にしてくれる甘くて美味しいお菓子、じゃろう? それを真澄君の可愛い子に分けてやろうと思うのは、純然たる好意故じゃよ」
「美味し過ぎて、天国にも逝けるお菓子ですね。その量なら、特に。好意だけ有難く受け取っておきます」
「真澄君の気に障ったのなら、申し訳ないことをした。わしにも、その子と同じくらいの孫がおってなぁ、可愛くって〝つい〝のぉ」
 
 
 大沢と呼ばれた男の眼差しが健一へと伸びる。三日月型に彎曲した瞳から感じられるのは澱んだ悪意だ。歪んだ粘着質な悪意。それは元を辿れば、健一ではなく吾妻に対する悪意なのかもしれない。
 
 上辺では吾妻を尊重するような素振りを見せながら、大沢は吾妻を蔑んでいる。大沢だけではない。おそらく此処にいる男達全員が、吾妻を自分より下等な存在だと嘲っているのだと、健一はそのときようやく気付いた。気付いて、唇から無意識に言葉が零れた。
 
 
「くだらねぇ奴ら」
 
 
 吾妻の掌に覆われたままだったためか、それは殆ど小動物の唸り声のようだった。しかし、掌越しに健一の唇の動きを感じ取った吾妻には何を言ったのかが解ったのか、その瞳が一瞬真ん丸に見開かれる。
 
 そうして、次の瞬間、吾妻が破顔した。面白くて堪らないとでも言いたげな笑顔を滲ませて、込み上げて来る笑いに肩を震わせていた。それは紛れもない吾妻の無邪気なまでの活きた表情だった。先ほどまでの嘘に接着剤をつけて貼り付けたような仮面じみた表情とは違う。感情の伴った表情だった。
 
 その一瞬の笑顔に、健一は体内で不整脈が起きたのを感じた。血管の血液が戸惑うように揺れて、流れるべきか留まるべきか逡巡して滅茶苦茶な動きをし始める。
 
 乱された、と思った。吾妻に乱された自分を健一は強く意識し、そうして憎悪を感じた。しかし、憎悪と一緒に心臓を突き破る勢いで込み上げて来た感情もあった。だが、その感情を何と言葉にすればいいのか健一には判らず、戸惑っている内に憎悪は惨めに萎み、結局不貞腐れた表情で吾妻を見上げる程度にとどまった。
 
 抑えきれない微笑を浮かべて、吾妻が健一の耳元に唇を寄せる。
 
 
「それはこの人達の前で言ったら駄目だよ?」
「あんたのことも含めて言ってるとは思わないわけ?」
 
 
 意地悪い気持ちを込めて言い返してやると、途端吾妻の瞳に狼狽が過ぎった。そうして、瞳の奥に透けて見えたのは悲しみだ。健一からの拒絶に、心底ショックを受けている眼差し。
 
 健一は改めて、吾妻が自分を好いていることを実感し、苦々しい気持ちになった。
 
 皮膚の穴という穴から嫌悪が噴き出してくる。だが、この嫌悪に纏わり付くチクチクと心臓を甚振る隠微な感情は何なのだろうか。捨て猫に哀れみを感じながらも、その場に置いていくほかないときのような切なさにも似た感情は。
 
 その感情に自分は翻弄され続けている。
 
 
「嘘だよ嘘。『今のには』あんたは含めてない」
 
 
 やけくそのように健一が吐き捨てた瞬間、吾妻の唇からほぅと安堵の溜息が零れた。耳朶を擽るその柔らかな吐息がどうしようもないくらい哀れだ。
 
『今のには』含めていないという言葉は、他の時には健一は吾妻のことを下らないと思っているということだ。吾妻だって解っているだろうに。それでも、一瞬だけでも、欠片でもいいからと健一の好意を掻き集めようとしている。なんて無意味な行為だ。砂漠に這い蹲って、大量の砂の中から一粒のダイアモンドを探すような無益で惨めな行為。この男はあんまりにも愚かだ。
 
 
「何の話だい?」
 
 
 痺れを切らしたように大沢が言葉を発する。はぐらかすように吾妻は軽く首を傾いだ。
 
 
「何でもありませんよ。健一がお菓子を食べたくなったようで――ほら、客間にお饅頭があるから行っておいで」
 
 
 誰が菓子を食べたいなどと言ったと、健一は吾妻を睨み付けた。しかし、とんと背を押されれば嫌でも動かなくてはいけない気がする。それに、この場所に留まり続ける理由も健一には思いつかなかった。通夜とは思えない空気に、下種な男達、その中にさながら見世物のように居続けることは健一には耐えられない。
 
 一瞬だけ吾妻を見遣って、そのまま粗雑な足取りで部屋から出て行く。背後から、再び騒々しい笑い声が響き始めたが、その笑い声の理由を考えるのも嫌だった。
 
 

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