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小山の告白

 
 鼻水がずるずると垂れてきて止まらない。障子越しに聞こえてくるあられもない嬌声に、真樹夫さんと弥生さんがセックスしてる姿をいやでも想像させられて、塩辛い涙が溢れてくる。どうして自分は泣いてるのか、自分でもよくわからない。真樹夫さんが誰かとセックスするのは初めての事じゃない。その後始末をさせられるために、部屋の外で待つのも、もう両手両足の指の数じゃ足りないくらいで、慣れた事の筈なのに。それなのに、どうしてだか今最低に悲しい。
 
 
「痛いっす…」
 
 
 ぼそっと呟いたら、ぶわっと余計に涙が出てきた。漫画みたいに大粒の涙がぼたぼたと床に落ちる。へたり込んで、エプロンの裾で涙の痕を拭いていたら、唐突に心臓が引き攣るように痛んだ。咽喉からヒッという声が零れる。
 
 
「心筋梗塞っすか…」
 
 
 言いながら、心筋梗塞ってどんな病気だったかを考える。心臓の筋肉が引き攣るんだったか、固まるんだったか、それとも心臓が破裂するのか。今自分の心臓は、悲しくて破裂しそうだ。心臓が破裂したら死ぬ。死んでしまう。捨て犬同然だった自分を拾ってくれた真樹夫さんに恩返しする事もなく死んでしまうなんて、そんなのはいやだ。
 
『拾ってやろうか?』と掛けられた言葉、きっと真樹夫さんにとっては面白半分でしかなかったんだって解ってる。真樹夫さんの遣る事で面白半分でない事の方が珍しい。だから、きっとゴミ捨て場に打ち捨てられたヤンキーなんて暇潰しのオモチャとしか考えてなかっただろう。今だってそうだ。自分はきっと真樹夫さんのオモチャで、でも、それでも構わないと思ってる。だって、真樹夫さんが拾ってくれなかったら、きっと自分はまだあのゴミ捨て場で拾ってくれる人を待ってる。真樹夫さんがいなかったら、独りぼっちだったから、真樹夫さんの言う事を聞くのは当り前で、役に立たなくちゃいけない。役に立ちたい。それなのに、今悲しくて、わけがわからないけど心筋梗塞で死にそうになってる。
 
 
「…死にたくねぇっすよぉ…」
「小山、死ぬん?」
 
 
 頭の上から、いきなり真樹夫さんの声が降ってきた。目の前に真樹夫さんが立って、自分を見下ろしている。顔をぐちゃぐちゃにした自分を見て、真樹夫さんは少し唖然とした顔をした。
 
 
「何で、泣いとんや」
 
 
 呆れが混じった口調に、また心臓がずきりと痛んだ。真樹夫さんの髪の毛は少し乱れてて、セックスの色を濃く残している。それを見て、頭の中が、何かもやもやしたものでぐちゃぐちゃになった。そうして、気付いたら、嫉妬に焼かれた女みたいな事を聞いていた。
 
 
「弥生さんとセックスしたんっすか?」
「したけど、何?」
 
 
 あっけらかんとした真樹夫さんの言い方に、途端頭が真っ白になって、ワッと涙が出てきた。エプロンの裾を顔に押し付けて赤子みたいに泣きじゃくる。美人な子がやればそれなりに様になるけど、自分みたいな不細工な奴がやるなんて鬱陶しいだけでしかない。
 
 
「小山、弥生のことが好きやったんか?」
「わかんないっす。わかんないっすけど、たぶんちがうっす」
「なら、何や」
「すんません、わかんないっす。なんか、真樹夫さんと弥生さんがセックスしてるって考えたら、すげぇ心臓痛くなってきて…おれ、心筋梗塞で死ぬかもしれないっす」
 
 
 しどろもどりに説明したら、真樹夫さんは「はぁ」って拍子抜けした声を出した。上手く説明できないのが歯痒くて仕方ない。どうして、自分は馬鹿なんだろうと今更ながらに低脳さを呪って、馬鹿のまま死ぬのは嫌だなんて未練がましく思った。
 
 
「すんません、オレ、真樹夫さんに恩返しもできてないのに、すんません、何にもできないままに死んですんません。せめて、真樹夫さんの盾かなんかになって死ねたらよかったんっすけど、それもできなくて、すんませ――」
「小山は、俺のことが好きなん?」
 
 
 唐突な真樹夫さんの言葉に、たぶん自分は目を白黒させた。涙でぼやけた視界で、真樹夫さんを見上げたら、真樹夫さんがにんまりと笑顔を浮かべてるのが見えた。あぁ、うれしいなぁ、死ぬ前に真樹夫さんの笑ってる顔見れて、なんて考えてたら、真樹夫さんの唇が当たった。真樹夫さんの顔が至近距離にあって、それから唇に柔らかい感触が重なって息が止まった。だけど、唇はすぐに離れた。真樹夫さんが眉を顰めてる。
 
 
「しょっぱいなぁ。涙と鼻水でビシャビシャやないか」
 
 
 文句を垂れながら、エプロンの裾で顔面を乱暴にゴシゴシと擦られる。布地と皮膚が擦れて、ちょっと痛かった。それから、また真樹夫さんの唇がぶつかった。何度か愛しむみたいに、口や鼻や頬や額に、唇が軽く押し当てられる。その度にビックリするぐらい心臓が音を立てて跳ねた。頭の芯がじんわりと痺れて何も考えられなくなる。心臓がそろそろ破裂しそうになった時、やっと真樹夫さんの顔が離れた。
 
 
「俺が好きなんやろう?」
 
 
 脳味噌がぼんやりしていて、言葉の意味がよくわからない。真樹夫さんは満足そうに頷いてるけど、自分にはその頷きの理由もわからない。とろとろと真樹夫さんを見上げていたら、思ったよりもやんわりとした手つきで顎を掴まれた。そのまま、真樹夫さんの指先が咽喉を擽ってくる。ごろつく猫にするような指先の動きが、くすぐったくて仕方ない。
 
 
「好きって言ってみぃや」
「――すき、です」
 
 
 声が震えた。口に出したら、すとんとその言葉が胸に落ちてきた。外れていたパズルのピースが嵌った感覚で、途端心臓の痛みが和らいだ。真樹夫さんがとろけるような笑顔を浮かべていて、その笑顔にぼぉっとした。
 
 
「弥生に嫉妬したんか。小山はかわえぇなあ」
「かわいい、っすか?」
「御前は阿呆やけぇ、一等かわえぇわ」
 
 
 褒め言葉なのか貶し言葉か分からなかったけど、真樹夫さんが言ってくれる言葉は全部うれしくて堪らない。きっと自分が犬だったら、尻尾が千切れんばかりに振ってると思う。そのぐらいうれしい。
 
 
「マジ、っすか? オレ、すげぇうれしいっす。ドキドキして、ます」
 
 
 思うままに口に出して、その捻りのない言葉にもどかしくなる。もっと格好良い言葉が言えたら良いのに。こんな平凡で当り前の言葉じゃなくて、もっと真樹夫さんの心に届くような言葉が自分の中にあったら。それから、唐突に真樹夫さんが真顔になった。
 
 
「俺とセックスしたいか?」
 
 
 少し、悩む。そもそも自分はセックスというものがよく解っていない。チンコを突っ込み合うだけがセックスなら、別にしなくても良い。だけど、一概に要らないとも言い切れない。そう考えると、何だかセックスは複雑なものだと思う。
 
 
「わかんねぇっす。全然したくないわけじゃねぇっすけど、すげぇしたいってわけでもないっす」
「ほんなら良かったわ。俺、御前とはセックスしたくないんや」
「不細工ですんません。もうちょっとオレが真樹夫さんみたいに格好良いか、弥生さんみたいにキレイだったら良かったんっすけど、こんな顔で、セックスの相手にもなれなくて申し訳ないです」
「そういうことやない」
 
 
 真樹夫さんが耳の後ろを掻きながら、少し黙る。悩むみたいに視線を斜め上に向けて、それから鼻から「うーん」っていう声を零した。
 
 
「御前を性欲処理にしても別にええんやけど、そうはせん」
「どういうことっすか?」
「ペットとセックス出来るとしても、したいと思う奴はおらんやろう」
 
 
 言い方一つで暴言にも罵りにもなりそうなのに、その声には悪意が篭っていなかった。真樹夫さんがオレを見詰める目はペットを眺めているような和やかなものだ。だから、自分はペットなんだって素直に思えた。それを嬉しいとすら思った。
 
 
「ペット、っすか?」
「嫌なんか?」
「いいえ、うれしいっす。けど、オレなんかがペットでいいんっすか? オレ、血統証とかついてないし、芸だってあんまりできねぇし」
「雑種の方が長生きしてええわ」
「オレ、俺、ほんとに何にもできないっすけど、ほんとにいいんすか?」
「御前はほんま阿呆やなぁ」
 
 
 言葉と裏腹に、頭を撫でる真樹夫さんの手は優しかった。その掌を感じたとき、何だかすごく真樹夫さんは疲れてるんじゃないかと思った。真樹夫さんの周りは頭が良い人ばかりで、その人たちと渡り合っていくためにはすごく脳味噌を働かさなくちゃいけないんだと思う。だから、真樹夫さんは疲れるんだ。でも、オレだったら、真樹夫さんは脳味噌使わなくてすむ。だって、オレは阿呆だから。うれしい。阿呆に生まれてよかった。ほんとによかった。
 
 そんな事を思いながら、柔らかな手つきに身を任せて、小さく目を閉じた。誰にもわかってもらえないかもしれないけど、真樹夫さんは本当に優しい。だって、こんな阿呆なオレに存在価値をくれる。だから、いつか真樹夫さんのために死にたいと思う。それが一番自分にとっての幸せで、身にあまる光栄だから。
 
 そう言ったら、真樹夫さんに「阿呆が」って笑われた。言葉とは反対に、その笑顔はちょっとさみしそうにも見えた。―――うぬぼれかもしれないけど。
 
 

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