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真昼の想い

 
 ロープを握り締める指が震えているのを見たとき、私は、全てを許してしまおうと思った。
 
 
 真昼の想い
 
 
 眼球の奥で光が点滅する。息が苦しくて、咽喉が酸素を取り入れようと反り返る。ロープが肉に食い込んで痛くて堪らない。その強さから、明確な殺意を感じ取って、余りの恐ろしさに内臓が戦慄く。
 
 
――嫌よ、嫌あ、何でよ、何であたしが死ぬの、殺されなくちゃいけないの――
 
 
 絶望が全身を埋め尽くしていく。背後に密着した身体から、激しい鼓動が伝わって来る。私と同じリズムを刻んでいる心臓。私と同じ色をした血。私と同じ目や鼻や口、同じ顔。私の双子の妹、真夜が私を殺そうとしている。
 
 
――なんで、何でなのよ真夜、なんであたしを殺すの、あんたとあたしは仲が悪かったけど、だからって殺すことないじゃない、殺すほど憎み合ってなんかなかったじゃない、それなのにどうして――
 
 
 埒の明かない思考が流れていく。一際強くなった力に、咽喉がグッと鳴る。身体が生きようと必死で足掻く。ばたつく足が部屋中のものを蹴り飛ばして、音を立てる。
 
 
――嗚呼、誰か気付いて、お願いよ、お願い、あたしを助けて、このままじゃあたし死んじゃう、まだ死にたくない、まだやりたいことがたくさんある、まだ死にたくないの、死にたくない、お願い、お願いだから――
 
 
 もう目は見えなかった。酸欠な脳味噌が五感を片っ端から切り落としていく。じわじわと死へと近付いて行く感覚に悪寒が走る。叫びたいのに、悲鳴を上げて逃げ出したいのに、声が出ない。怖い。怖くて堪らない。今まで怖いものなんて殆どなかったのに、死がこんなにも恐ろしいものだなんて知らなかったのに、今は自分を取り巻く全てが怖い。
 
 
――真夜、お願いよ助けて、何でもするわ、気に食わないことをしたなら謝るわ、もうやめて、あたし、あたしまだ死にたくない、美味しいものだって食べたいし、楽しいことだってもっといっぱいしたい、恋だってキスだってセックスだって飽きるぐらいしたい、まだ遣り残したことがたくさんある、家族のことだって、まだ何も解決してない、まだ何も始まってない、そうよ、あたしが死んだらあのわんこはどうなるの、あのわんこをだれが救ってやるの、いっしょに逃げるって言ったのよ、あの子、あの子、ひとりぼっちになっちゃう――
 
 
 垂れ下がりかけていた指先に力が篭る。ロープを握り締める手を引っ掻いてやろうと指を伸ばした時、不意に気付いた。
 
 小刻みに震えている。真夜の手が震えている。気付いた瞬間、頭をガツンと殴られたような衝撃が走って、私の心は打ち震えた。そうして、泣き出したい気持ちが込み上げて、私の咽喉を嗚咽に震わせた。咽喉に残っていた息が、唇からか細く零れ落ちる。
 
 
――なんで、震えてんのよ、なんで、あんたが怯えてるのよ――
 
 
 どうしてだろう、震える指先を見た瞬間、私は悲しくて堪らなくなったのだ。悲しみが全身を埋め尽くして、不意に、私は真夜を許そうと思った。仕方ないから許してあげようなんて。今までの真夜を、私を殺す真夜を、これからの真夜を、許してしまおうと思った。そうして、私を取り巻く家族を、将真兄を、真樹兄を、真澄兄を、父を母を、全てを許そうと思った。
 
 どうしてそう思ったのか、上手く説明出来ない。だけど、真夜が私を殺すことに怯えて震えている事実が、私には酷く切なく思えた。悲しみもあった。それと同じぐらいの愛しさもあった。私は、私を殺す真夜が可哀想で堪らなかった。
 
 力が入り過ぎて強張った指先を、そっと下ろす。そのまま、真夜のスカートをギュッと鷲掴んだ。真夜の太股がビクリと戦慄いたのが伝わって来る。それに胸が潰れそうな程の哀れみを感じた。
 
 
――怯えなくたって大丈夫よ、もういいの、死にたくないけど、もういいの、あたし、あんたを恨んだりしない、誰も恨んだりしない、やりたいこともたくさんあったけど、全部あんたに譲ってあげるから、あんたにあげるから、だから、あんたはもう怖がらなくていい――
 
 
 嗚呼、苦しい苦しい苦しい。苦痛に比例するように、指先に力が篭っていく。真夜の太股に、指が喰い込む。真夜も、きっと痛みを感じてる。
 
 
――真夜、真夜、可哀想な妹、何であたし達こんなことになっちゃったんだろう、一緒に産まれたのに、一緒に育ってきたのに、家族なのに、姉妹なのに、二人で一つだったのに、真夜――
 
 
 頭の中を記憶に似たもやもやとした映像が過ぎっていく。これが走馬灯っていうものなのかしら。
 私の後ろを着いて歩く真夜
 私とは正反対に泣き虫だった真夜
 真澄兄のことを愛してるって夢見がちな目で言う真夜
「兄弟を好きになるなんて不毛よ」と指摘したら怒り狂った真夜
 
 初めての彼氏を連れて来た日、ヤケ酒をした将真兄
 将真兄のヤケ酒に付き合いながら、私に「おめでとさん」なんて言ってくれた真樹兄
 いつだって泣き出しそうな顔で私を見る真澄兄
 私を「優しい」って言ってくれたわんこ
 
 私が置いていく家族達、皆が可哀想で仕方ない。
 
 走馬灯が色を失くして、パチンと弾けるように消えていく。全てが消える頃には、私は死んでるんだろう。苦しみはもう無かった。何も感じない。五感が全て消え去って、闇が広がっていく。死ぬって暗いのね。暗いのは怖いわ。怖い怖いわ、怖い、死ぬのは怖い。膨れ上がっていく恐怖を必死で堪える。大丈夫よ、私はいつだって何だって蹴散らしてきたじゃない。死ぬ恐怖だって蹴散らせる。大丈夫、大丈夫、怖い、大丈夫、こわ、い、大、丈夫…
 
 少しずつ意識が端からもぎ取られて行く。身体が軽くなって、浮かび上がっていくみたいだった。苦痛も恐怖も、悲しみも愛しさも、何もかもが消えていく。私はきっと何もない場所に行く。私は許して終れるけど、でも、私の家族はどうなるんだろう。ねぇ、私がいなくても大丈夫? ちゃんと仲直りできる? 最期まで、母親みたいなことを思っている自分が何だか可笑しかった。
 
 そうして、残っていた意識さえ闇に浚われていく。
 
 
 ねぇ、でも、あたし知ってるのよ。
 みんな、あたしのこと結構好きだったでしょ?
 あたしも、みんなのこと結構すきだったのよ。
 それだけ、わかってね。
 
 

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