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真樹夫の記憶 ※残酷描写有

 
 どう育ったら、あんなに残虐になれるのだろうか。例えば、父親に殴られて、母親に捨てられて、兄弟から無視され、舎弟共からせせら笑われる人生を送っていたら、あんなにも人間に対して冷酷になれるのだろうか。庭の真ん中で行われる拷問ショーを見詰めて、真樹夫は口元を手で覆った。口を塞がなくては、吐瀉物か悲鳴のどちらかが、もしくはどちらともが溢れてしまいそうだった。
 
 
「ごろじでぇっ!! ごぼしでぇぇ゛ええ゛ぇぇ!!」
 
 
 半狂乱になった猿が喚いているような、濁音混じりの懇願の絶叫が真冬の空に響き渡る。後ろ手を縛られ、砂利の上を仰向けに転がされた男が血反吐を吐きながら、自分の死を乞うている。暴行を長時間加えられたため、男の顔や身体は腫れ上がり肥大している。鼻と耳は既にそぎ落とされ、目は抉り出され、ぽっかりとした黒い穴が腫れ上がった肉の間から見えた。今は、拳大の穴が開けられた腹から腸が引き摺り出されている。黄土色をした腸からもわもわと白い湯気が立っているのが見える。
 
 引き摺り出された男の腸の先は、真樹夫の弟の掌に握り締められている。男の股間を片足で踏み付けて、片手に腸を握り締めている姿は、余りにも凄惨だった。真澄は、男を試すような表情をしている。
 
 
「組の情報売っておいて、簡単に死ねるとでも思ってたのか?」
 
 
 咽喉の奥で密やかな笑い声を上げる。真澄は男の腸を地面に落として、靴裏で踏み躙った。男がヒギィィと啼いて、身体を地面の上でのた打ち回らせる。真樹夫が立つ縁側まで、糞尿が混じった内臓の饐えた臭いが漂って来て、思わず眉を顰めた。
 
 真澄の顔は真っ白に染まっている。その白さに、真樹夫の背筋は純然たる恐怖に震えた。恐怖、そうだ、俺は目の前の弟を今怖れている。真澄が管理している組の情報を漏洩させた男を処分するという話を聞いて、嫌われ者の弟がどんな風に人を殺すのか、面白半分に見学を申し出た事を今更ながらに後悔する。真澄は狂ってる。正気な人間は、こんな残虐な事は出来やしない。
 
 成り行きを見守る組員達ですら、顔面を蒼褪めさせて、身体をぶるぶると震わせている。そりゃそうだ。こんなに酷い拷問は観たことが無い。自分だって人を殺したことがない訳ではない。リンチを行った事もある。だが、相手に「助けて」ではなく「殺して」と懇願されるような拷問を行った事はない。殴り蹴り、爪を剥ぎ、鼻と耳を削ぎ、目玉を抉り出し、腹に穴を空け、内臓を引き摺り出す。それら全てを真澄は殆ど一人で行ったのだ。男を死なせないように、精密に慎重に、人間というモノを丁寧に壊して行った。始終笑顔を崩さぬままに、時々笑い声さえ零して。
 
 
「しっ、死にました…!」
 
 
 耐え切れなくなった組員の一人が裏返った声で言った。内臓を踏み躙られた男の口の端に血泡を浮かんで、小さく痙攣しているのが見える。それを見て、真樹夫は安堵した。男が死によって解放された事にではなく、この余りにも凄惨な拷問ショーが終った事に。
 
 
「死んだなら、帰るわ」
 
 
 安堵に溜息混じりの声を零せば、真澄の視線が肩越しに向けられた。その唇が三日月型に婉曲する。
 
 
「まだ、死んでいません」
 
 
 そう言うと、真澄は腸液に濡れた手を、痙攣する男の腹の中に一気に突き入れた。ぐちゃん、と気味の悪い水っぽい音が響き渡る。次にブチッという鈍い音が聞こえて、男の腹からずるずると残りの腸が引き摺り出された。呆然としている内に、男の内臓が真澄の手によって引き千切られ、抉り取られ、地面へとぞんざりに放り投げられていく。神経や筋肉が無理矢理寸断される音が冷気の中、いやに生々しく聞こえる。地面にバウンドして落ちた男の心臓が戦慄くように震えて、止まった。男の痙攣も止んで、静寂と冷気が置いてきぼりを食らったように残る。男は破壊され尽くされた。
 
 真澄は男の腹から、ずるりと腕を抜き出して、呆気なく言った。
 
 
「これで、死にました」
 
 
 満ち足りた声音に、思わず真樹夫は後ずさった。ぐらり、と眩暈が起こる。
 
 数秒経って、組員達が堰を切ったように嘔吐し始めた。グボォともゲボォとも付かない音と共に、地面に吐瀉物が撒き散かされる。背中を丸めて、時には地面に膝を付いて、組員達は許容量を超えた残虐性に嘔吐し続けた。
 
 その光景を眺めて、真澄は苦笑いを浮かべている。「仕方ないなぁ」とでも言いたげな表情だ。
 
 
「ここまで、するんか」
 
 
 夢現に真樹夫は呟いた。自分の声が、受話器越しに聞いているかのように遠く、現実味がない。目の前の拷問ですら、夢か何かのように感じられた。
 
 
「見せしめですから」
 
 
 肘まで真っ赤に染め上げた吾妻は、のんびりとした仕草で肩を竦めた。
 
 
「こんなん、やりすぎや…」
 
 
 やりすぎや、ともう一度繰り返して、真樹夫は口内から滲み出してきた嫌な唾液を、咽喉を震わせて嚥下した。震えてしまいそうな身体を必死で抑える。純粋な恐怖が身体の内側を支配していた。しかし、それを表に出すのは絶対に許せない。こんな野良犬の息子を怖れているなどとは、自分で自分が許せなくなる。こんな嫌われ者、疎まれ者、所詮自分とは同列ではない名ばかりの弟を怖れるだなんて巫山戯ている。
 
 
「こんなん自分でもやりすぎや解るやろうが。こいつら見てみぃ。可哀想な馬鹿共が吐き散かしとるやないか。御前を尊敬するんやなくてビビッとる。見せしめも度が過ぎりゃあ、恐怖に変わるぐらいわからんのか」
「解ってます。此処に居る奴らは、もう二度と僕の顔を直視出来ないでしょうね」
「なら、何でここまでした」
 
 
 真澄は小首を傾げて「願望の現れ、のようなものです」と呟いた。
 
 
「御前はこういう風に殺されたいんか? こんな惨たらしい死に方がえぇんか?」
「どうでしょう。しかし、少なくともこれだけ丁重に殺されれば、満足して死ねるとは思いませんか?」
「満足?」
「一生懸命殺されたいんです」
 
 
 巫山戯た台詞を言って、真澄は肩を揺らして笑った。しかし、その笑みは何処か弱々しい。
 
 
「出来ることなら、僕を本気で殺したいと思ってる人に殺されたいです。それが駄目なら、弾丸一発で殺されてしまうよりかは、長くじわじわと殺して欲しいです」
「何やそれ」
「僕なりの死に方をしたいんです。他の人と同じではなく、僕だけの死に方を」
 
 
 アイデンティティの問題ですよ、と真澄は再び肩を竦めた。意味が解らず、真樹夫は苛立ちに舌打ちを漏らした。
 
 
「御前は可笑しい。まともやない」
「何がまともですか。どういう人間がまともなんですか。真樹夫兄さんだって、人を殺した事がないわけではないでしょう?」
「少なくとも、俺はこんな殺し方はせん」
「殺し方なんて」
 
 
 真澄は鼻先で小さく嗤った。それから、その嘲笑を申し訳なく思うように、微かに眉尻を下げて、真樹夫から視線を逸らした。眉間には薄く皺が寄っている。躊躇うように唇を二三度開閉した後、小さな声で訥々と喋り出した。
 
 
「真樹夫兄さん、人は、それを自分の事だと思わなければ、何処までも残酷になれるんですよ」
「自分の事やと思わなければ?」
「こいつらが今吐いてるのは、この男を自分に投影したからです。自分が目を抉られたらどうだろう。自分が内臓抉り出されたらどうだろう。そんな風に考えたから、耐え切れなくなって吐いているんです。自分に投影すると、人は他人に対して残酷になりきれません。ですが、僕にとって他人は何処までも他人であって、僕ではありません」
 
 
 そこまで一息に言って、真澄はふっと眼差しを泥沼のように濁らせて、真樹夫を見詰めた。唇の端には自嘲的な笑みが滲んでいる。
 
 
「僕は他人を自分に投影出来ません。自分の事すら出来ないのですから、当り前です」
 
 
 と、再び真樹夫には理解出来ない奇妙な言葉を零して、真澄は踵を返して去った。
 
 その背を眺めていると、『一体誰が残酷なのか』という問い掛けが不意に真樹夫の脳裏を過ぎった。自分の事すら他人事のように言う真澄、そういう風に真澄を歪めたのは誰なのか。その答えが出る前に、真樹夫は意識的に思考回路を寸断した。誰が悪いのか、誰が残酷なのか、それが判ったところでどうなる。現実や事実は変えられない。目の前にある死体はもう生き返らない。さながら子供にバラバラにされた人形のような死体を一瞥して、真樹夫は小さく鼻を鳴らした。そうして、内臓と吐瀉物の臭いに背を向けて、二度と見なかった。
 
 

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