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13 奴隷

 
 車のウィンドウ越しに煌びやかなイルミネーションが見えた。赤と緑と金色のオーナメントで、モミの木がゴテゴテと飾り付けられている。そういえば、後一週間でクリスマスだと思い出して、何故だか高揚とは反対に失望が湧き上がってきた。
 
 リアシートに背を深く埋めながら、健一は小さく溜息を付いた。その溜息を聞き取ったのか、運転席から横田が視線をちらりと向けてくる。
 
 
「どうしました?」
 
 
 問われる言葉に、無言のまま首を左右に振る。クリスマスという単語に、奇妙な虚しさを感じていたが、それを上手く説明することはできなかった。
 
 暫く沈黙が流れて、それから横田は前を見詰めたまま小さく頷いた。何も解っていないくせに、何かを肯定するような頷きだと思った。
 
 あれから一週間、吾妻はマンションに帰って来ていない。その代わりのように、健一の生活には横田という存在がさり気なく据え置かれた。
 
 横田は、拒絶し、反抗する健一を、叱りもせず宥めもせず、上手くかわし続けていた。食事だって、あからさまに用意され食べさせられようとすれば、床に叩き落とすなりしてやるものを、横田は、健一に食事をすることすら強要しなかった。無言のままリビングのテーブルに食事を置き、それが冷めれば、黙って新しいものを作り直す。腹を減らした健一が根負けしてリビングに出てくれば、自分はさり気なく席を外した。誰もいなければ、健一が根負けして食事を取ることを知っているかのような動きだった。
 
 また、風呂に入れば、いつの間にか替えの服が置かれ、テレビを見ている間にベッドが整えられている。
 
 横田は、マンションに来た初日のように甲斐甲斐しく働き続けたが、決して健一自身には無理に干渉しようとしなかった。まるで空気に徹するかのような横田の存在は、不快ではなかった。
 
 その横田が、今日の朝になって不意に、一緒に買い物に行きませんか、などと問い掛けてきたから、健一はその突拍子のなさに思わず頷いてしまっていた。
 
 そうして、今ここにいる。この車が何処へ向かっているかなんて知るよしもない。
 
 再び視線を外の景色へと滑らす。平日の昼間だというのに、何故だか制服姿の女子高生達がうようよしていた。サラリーマンが冷風に身を縮めて、コートの前を掻き寄せている。
 
 ガラス一枚挟んだだけの光景なのに、どうしてだかテレビの画面を眺めているような気持ちになった。現実味がない。
 
 赤信号に、車が止まる。車のエンジン音が微かに体内を震わせるのを感じながら、小さく呟く。
 
 
「どこに行くんだ」
 
 
 問い掛けると、横田がきょとんとした眼差しを向けてきた。今更ながらに、そういえば言っていませんでしたね、と間の抜けた台詞を呟く。
 
 
「制服の寸法を合わせに行こうかと」
「制服?」
「はい、中学校の制服です」
 
 
 突然出された中学校という単語に、胡散臭そうに顔が歪む。
 
 
「中学校? 誰の?」
「健一さんのです。来年の四月から通う手はずになっています」
「聞いてない」
「すいません、今言いました」
 
 
 悪びれもなく横田は言う。咽喉元まで込み上げてきた憤怒に眉が薄く痙攣する。それなのに、健一の怒りなど意にも介さないように、横田は長閑に笑った。
 
 
「健一さんが嫌だとおっしゃるなら、行かなくてもいいんです。ただ形だけの入学でも」
「そんなのがまかり通るのかよ」
「こんなことはあまり言いたくはないのですが、金というのは不当を正当へと変える力を持っているようです」
 
 
 横田の悟り切ったような言葉に、健一はぐっと眉を顰めた。
 
 だが、確かにそうだ。力さえあれば、不条理・不公平・不平等さえも正当に変えてしまうという事を健一は知っている。もしこの世の中が真実紛れもなく正当であるのならば、健一は今こんなところにいるわけがない。
唇を不服げにへし曲げたまま、ぐっと押し黙る。
 
 赤信号が青に変わって、車が進み出す。横田はハンドルを握り締めたまま、困ったように微笑んだ。
 
 
「学校に行かれるのは嫌ですか?」
「別に、嫌ってわけじゃない。ただ、どうして、今更学校に行かせるつもりになったのかが疑問なだけだ」
 
 
 小学校には行かせなかったくせに、と小さく吐き捨てる。卒業までの数ヶ月を平気で奪ったくせに、よくもまあ、いけしゃあしゃあと中学校になんて行かせられるものだな。まさか、これが健一に対する罪滅ぼしのつもりなのだとしたら、あまりにも馬鹿げている。
 
 
「きっと怖いからですよ」
「怖い? 何がだ」
 
 
 横田の横顔に、微かな狼狽が滲んだ。言いよどむように唇をもごつかせてから、横田は囁くように言った。
 
 
「健一さんは、真澄さんの一番怖いものが何なのか考えたことはありますか?」
 
 
 唐突な問い掛けに、健一は目を白黒させた。吾妻の名前に皮膚がざわめくのを感じながら、脳味噌は氷のように冷えて行く。
 
 
「そんなの、知るかよ」
「それなら、知った方がいい。ねぇ、健一さん。真澄さんは、ハジキもドスもちっとも怖がらないんです。カチコミの時だって、真澄さんはドス片手に一番先頭を走って行くんです。手足を撃たれようが、背を斬り付けられようが、自分が死ぬことすらあの人は恐れない。それなのに――」
 
 
 横田の頬に、誇らしさとも寂しさともつかない笑みが浮かぶ。だが、その笑みもすぐに消えた。そうして、一言こう呟いた。
 
 
「真澄さんは、健一さんが怖いんです」
 
 
 馬鹿げた言葉だった。咄嗟に、噴き出しそうになる。唇を歪めて、阿呆らしい、と吐き捨てようとしたが、横田の顔は凍り付いたかのように真顔だった。眉間に皺を寄せて、唇を引き攣らせる。
 
 
「くっだんねぇ冗談」
「冗談だと思いますか?」
「俺がバァとでも脅かせば、あいつは布団に包まってガタガタ震えたりすんのか? ミイラ男の格好でもして脅かしてやりゃ、キャー、ママーなんて叫んでくれんのかね?」
 
 
 鼻先でせせら笑う。唇から、すらすらと嫌味ったらしい台詞が溢れ出してくる。
 
 一年前までは、こんな風に自分が他人を貶めたりするなんて思ってもいなかったが、今にしてみるとこれが自分の本性のようにも思えた。性根から腐り切ってる。
 
 横田がゆるゆると首を左右に振る。
 
 
「真澄さんが恐れているのは、貴方の死です」
 
 
 その一言に、血が凍り付く。困惑と狼狽に、唇が嗤いの形のまま引き攣って、それから乾いた笑いが零れた。
 
 
「俺のことを何回も殺そうとしたくせに?」
「でも、殺してない。数日前も、熱を出して寝込んだ貴方を熱心に看病したのは真澄さん自身です」
「あの時だって、あいつのせいで俺は死にかけたんじゃねぇか。それを看病したからって何だよ。全部あいつの責任で、あいつの勝手じゃねぇか!」
 
 
 脳味噌の内側で、唐突にメーターが振り切れた。感情のままに、がなり立てる。殺すよりもよっぽど酷い目に合わせておきながら、今更健一の死が怖いだなんて巫山戯てやがる。
 
 込み上げて来た怒りに、助手席の背を蹴り飛ばす。椅子の接合部がガチンと鈍い音を立てる。歯を食いしばったまま、フー、フー、と獣のように息を零す。こめかみの血管が激しく脈打っていた。
 
 横田は曖昧に眉を歪めてから、平坦な声で呟いた。
 
 
「真澄さんは矛盾の塊なんです。健一さんを大事にしたいのに、その方法が解らないんですよ。貴方との距離を縮めようとして、まったく正反対の行動を取ってしまう。貴方が自分の腹を殴っているときも、真澄さんはどうしたらいいか解らないようでした」
 
 
 その言葉に、下腹が鈍く疼いた。洗面所で腹を殴っているところを、横田だけでなく吾妻も見ていたのか。あんな惨めで情けない健一の姿を。
 
 
「扉の隙間から貴方を見て、真澄さんは震えていました」
 
 
 そうして、横田を呼び寄せると、吾妻は掠れた声で『お願いだから、健一を守って』と囁いたというのだ。横田の上着の裾を掴んで、まるで母親に縋り付く子供のように弱々しい様子で。吾妻は部下である横田に、そう哀願した。
 
 
「真澄さんは、貴方を殺すことを恐れています。それと同じように、貴方が自分で自分を殺してしまうことも怖いんです。健一さんを傍に置いておきたいけど、自分の傍にいたら健一さんが自殺してしまうかもしれないと思っているんでしょう。だから、貴方を学校へ入れて、距離を置こうとしているんです」
「勝手なこと、言いやがって…」
 
 
 咽喉の奥から、苦々しい感情が込み上げてくる。そんな事を聞いたところで、結局は馬鹿馬鹿しいという気持ちしか湧き上がって来なかった。
 
 
「そうですね、勝手です。ですが、真澄さんにとって健一さんは本当に特別な人です」
 
 
 特別、という単語を咽喉の奥で噛み締める。
 
 要らない、そんな特別欲しくない。あんな苦痛を押し付けられるぐらいだったら、俺は一生凡庸でつまらない人生を送っていたかった。
 
 そんな言葉を押し込めながら、健一は下唇を噛んだ。
 
 
「ねぇ健一さん、貴方はもっと自分の価値に気がつくべきだ」
「価値?」
「貴方は、自分の首には奴隷の首輪が嵌められていると考えているかもしれません。ですが、それは王の冠かもしれない」
「何言ってんだ」
「それを首輪にするのも冠にするのも、健一さん次第ということです」
 
 
 謎掛けのような言葉を漏らしてから、横田は一度自嘲するように「俺はきっと最低に傲慢なことを言っているんでしょうね」と呟いた。
 
 それっきり横田は黙り込んだ。まるで初めから何も喋っていなかったかのような静寂が流れる。赤信号が青に変わる。車がゆるゆると前に進むのを感じながら、健一はそっと漏らした。
 
 
「…俺は、もう奴隷みたいなもんじゃねぇか」
 
 
 横田は、一度深く頷いてから、それから首を左右に振った。
 
 
「健一さんは、自分を奴隷だと思い込んでいるんです。本当の奴隷は、もっと違うカタチをしている」
「あんたは、本当の奴隷ってもんを知ってるのかよ」
 
 
 嘲るように問い掛けると、横田が口をつぐんだ。それから、横田は視線を健一へと向けぬまま呟いた。
 
 
「健一さんは、自分の置かれているグループというものについて考えたことはありますか?」
「グループ?」
 
 
 唐突な問い掛けに、素っ頓狂な声をあげる。首を傾げると、横田はふっと目を細めて笑った。
 
 
「人は誰しもが何らかのグループに所属しています。例えば、以前の健一さんであれば、泉家というグループや、春日タイタンズのメンバーというグループに属していました。もっと大きく言えば、日本人という枠組みだとかですね」
「それが、奴隷と何の関係があるんだ」
 
 
 不服げに声を尖らせる。理解不能なことを喋り続ける横田を睨み付けて、健一は込み上げてくる不快感に眉根を寄せた。横田は、そんな健一の様子に頓着する様子もなく、淡々と喋り続ける。
 
 
「ですが、稀に何処のグループにも属せない奴がいます。そんな人間がどういう扱いをされるか、健一さんは知っていますか?」
 
 
 問い掛けて、横田は一瞬押し黙った。健一は、無言のまま次の言葉を待った。
 
 
「迫害されるんです」
 
 
 そう一言で言い切って、横田はふっと息を吐き出した。車が交差点の中心で、赤信号に再び停車する。
 
 
「寄るべきグループを持たない人間というのは、もう既に人間ではないものとされます。奴隷以下の扱いを受け、それに抵抗することすら出来ない。健一さん、この世の中には、後ろ盾のない人間を嘲笑い、虐げようとする人間がいくらでもいるんですよ」
 
 
 横田の表情が僅かに歪む。苦々しさに満ちた笑みを口元に滲ませて、一瞬視線を落とす。
 
 
「そうして、迫害に理由や根拠は必要ないんです。ただ、その人間がどのグループにも属せていないという事実させあればいい。遣り口は酷いもんです。容赦もなく、徹底的に、人間としての尊厳をへし折るんです」
 
 
 唾棄するように吐き捨てて、横田は唇をぐっと引き結んだ。そうすると、目元の哀愁が強まった。
 
 
「健一さん、人間はどこまでも他人を貶められるんです。そうして、時には他人だけでなく自分自身ですら自分を貶められる。だから、貴方は自分を貶めてはいけない。貴方は、奴隷じゃない」
 
 
 横田は、それ以上何も言わなかった。まだ車は進まない。健一は唇を引き結んだまま、じっと横田の顔を窺った。横田が一体何を示唆しているのか、健一には理解しがたかった。だが、少なくとも横田自身がその迫害をされていたのだろうということは想像がつく。だが、一体何をされたのか。どうして、横田が何処のグループにも所属できなかったのか、それを知ることは出来ない。
 
 思い耽っていると、不意に視界の端にひらりと金色が踊るのが見えた。視線を向けた瞬間、呼吸が止まった。心臓がどくんと脈打って、そのまま動かなくなる。
 
 ウィンドウの向こう側に、見覚えのある顔があった。だが、見えた瞬間、健一は「うそだ」と小さく呟いていた。うそだ、彼女がいるわけがない。
 
 
 ――まひる、
 
 
 小さく掠れた声は、車のエンジン音に容易く呑みこまれた。金色の髪の毛を肩まで伸ばした少女は、繁華街の通りをひらりひらりと優雅に歩いている。赤いミニスカートから細く伸びた両脚、男を殴り飛ばす両腕、ピンク色の唇に浮かぶ気の強そうな笑み。
 
 それは真昼本人にしか思えなかった。だが、それは幻だ。だって、真昼は死んだんだ。彼女の死を、吊るされた身体を、健一はしっかり覚えている。だから、視線の先で歩く少女は真昼であるはずがない。
 
 それなのに、身体が勝手に動いた。車のロックを外して、扉を押し開く。横田が健一の名前を呼んだが、ちょうど信号が青になったのか背後から鳴り響くクラクションの音にかき消される。それは、健一に対する警報のようにも聞こえた。
 
 

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