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14 利用

 
 繁華街の真ん中を、人ごみを押し退けるようにして走る。先ほどまで視線の先にあった少女の姿を必死で追い求める。人ごみに呑み込まれた金色と赤を見つけ出そうと、無我夢中で走り続けた。
 
 
「真昼!」
 
 
 まるで母親を探す迷子のように叫ぶ。すれ違う人間が訝しげな眼差しで、健一へとちらりと視線を向ける。だが、結局は何も見なかったかのように視線を逸らしたり、隣の人とのおしゃべりに戻ってしまう。
 
 
「まひる!」
 
 
 もう一度叫ぶ。殆ど涙声だった。今度は誰も反応しない。叫び声は喧騒の中に呑まれて、くだらなく地面に落ち、何百もの靴に踏み躙られる。
 
 炎でも飲み込んだかのように、咽喉が熱かった。呼吸をしているはずなのに息が苦しい。叫びたいのに、唇が動かなくなる。それと同時に、足も動かなくなった。
 
 人ごみの中に埋もれるようにして健一は立ち尽くした。周囲には、幾多もの高層ビルが立ち並び、健一をじっと見下ろしている。
道なら幾らでもあるのに、何処にも行けなかった。数え切れないほどの人がいるのに、誰にも話し掛けられなかった。無関心の渦に呑み込まれて、今にも消えてしまいそうになる。
 
 真昼に会いたかった。顔が見たい。声が聞きたい。二度と会えるわけないのに、幻覚が出てくるなんて酷い。あまりにも残酷すぎる。
 
 絶望感に押し潰されそうになった時、不意に背後から肩を叩かれた。振り返ると、まったく待ち望んでいなかった顔が見えた。
 
 
「やぁやぁ、健一君」
 
 
 わざとらしいぐらいニコニコと微笑む青柳が立っていた。健一の肩を数度意味もなくトントンと叩いてから、まるで物珍しいものに触るかのように人差し指で頬を突付いて来る。
 
 
「迷子? それとも家出?」
 
 
 まるで晩御飯のメニューでも聞いているかのように、口調は陽気だ。頬を突付く青柳の指を払おうとしたが、健一の行動を読んだかのように直前で手が退けられた。妙に要領の良い男だ。
 
 
「まさか、尻尾を巻いて逃げ出した?」
 
 
 カッと血がのぼる。奥歯を噛み締めて睨み付けると、青柳はにたにたと小馬鹿にするような笑みを浮かべた。卑しい人間の笑い方だ。
 
 
「逃げるわけねぇだろうが」
「何で君は逃げないのかな?」
「あんたには関係ない」
 
 
 噛み付くように吐き捨てる。青柳は軽く肩を竦めてから、ふと気付いたように通り沿いのカフェへと視線を滑らせた。そうして、唐突に健一の腕を掴むと、有無を言わせぬ強引さで歩き出した。
 
 
「そういえば、あの店のパフェが美味しいって、婦警たちがよく噂してるんだ」
「離せよ!」
「まあまあ、良いじゃないか。三時のおやつは気持ちを静める効果があるんだよ」
 
 
 いい加減なことを言いながら、バタバタと暴れる健一を店内へと押し込んでいく。椅子へと押し付けられるようにして座らされて、非難の声をあげる前に「季節の彩りフルーツパフェ二つ」と注文をされた。
 
 
「健一君は、甘いものは好きかい?」
 
 
 青柳は、わざと健一の神経を逆撫でするように、気取った声で喋っているように聞こえた。顎を掌で支えながら、青柳は甘ったるい顔立ちを更にとろけさせる。ミニスカートの店員が青柳の顔を盗み見て、薄っすらと頬をピンク色に染めていた。それを見て、健一の心は急激に醒めていった。
 
 
「何であんたにそんなこと教えなきゃいけないんだ」
「別にいいじゃないか、減るわけでもないのに。何でもかんでも関係ない、教えないって、君は一体何処の国のスパイなんだか」
 
 
 青柳は、アメリカ人並みのオーバーリアクションで両手をひらひらと動かした。
 
 健一は、青柳から視線を逸らして、ガラス越しに人ごみを眺めた。無意識に、もう一度彼女の幻覚が見えることを期待している自分がいた。所詮幻覚でしかないとしても、こんな男と喋っているよりかはずっと心が安らぐ。
 
 その時、突然ぐいと顎を引かれた。青柳が健一の顎を指先で摘んで、まるで媚びるような目付きで眺めてくる。
 
 
「ねぇ、ゲームをしようか」
「は、ぁ?」
 
 
 青柳の口角がねっとりと吊り上げられる。細められた瞳の隙間から、悪意と好奇心がないまぜになっているのが覗き見えた。
 
 握り締めた拳を二つ差し出して、青柳はゆっくりと首を傾げる。
 
 
「どちらかに『いいもの』が入っているから、当ててごらん?」
「何で、そんなことしなくちゃなんない」
「当てる自信がないのかい?」
 
 
 挑発するような青柳の台詞を、健一は鼻先で哂い飛ばした。
 
 
「自信とかそういう問題じゃねぇだろうが。当てたところでどうなるっつう話なんだよ」
「君にとって『いいもの』が手に入るだけさ。ねぇ、ゲームぐらいで駄々捏ねないで、さっさと当ててくれない?」
 
 
 呆れたように笑う青柳の表情に、臓腑が怒りに煮え滾る。鼻梁に皺を寄せて、健一は投げ遣りな動作で青柳の右拳を指差した。
 
 
「右?」
「どっちだっていい」
 
 
 いい加減だなぁ、と青柳は言い、右拳をそっと開いた。そこには何もなかった。続けて左手を開くと、透明なフィルムに包まれたチョコレートが乗っていた。チョコレートをテーブルの上に落として、青柳はにっこりと頬を緩ませた。
 
 
「はずれ。でも、『いいもの』でしょう?」
 
 
 一瞬、目蓋の裏が真っ赤に染まった。強烈な暴力衝動が湧き上がってきて、咄嗟に健一は青柳の胸倉を掴みそうになった。
 
 しかし、腕を伸ばす直前に、テーブルへとパフェが運ばれてきた。ウェイトレスが熱に浮かされたような眼差しで青柳を見詰めて、「季節の彩りフルーツパフェです」と告げる。蜜を塗られてキラキラと光るフルーツを眺めて、青柳は「美味しそうだ」とウェイトレスへと微笑み返した。
 
 そうして、青柳はスプーンを手に取って、促すように軽く顎をしゃくった。
 
 
「さぁ、食べよう」
「あんたは俺のことを馬鹿にしてるんだろう」
「あぁ、勿論」
 
 
 事もなげに吐き出された肯定の言葉に、健一はその場で喚き散らしそうになった。下唇を血が滲みそうなほど噛み締めて、青柳を睨み据える。そんな健一の視線をものともせず、青柳は真っ赤な苺を頬張ってから、緩くスプーンの先端を上下させた。
 
 
「だって、君は実際馬鹿じゃないか。何故、自分が他人から馬鹿にされるのかも解っていないところが一番最悪だ」
「俺がヤクザの、…愛人だからだろうが」
 
 
 苦虫を噛んだような声で言うと、一際高い笑い声があがった。青柳が健一を見詰めたまま、跳ねるように笑う。
 
 
「うん、まぁ、そうだね。それも要因の一つではあるかな。だけど、一番の理由は、君が我武者羅に独りで戦おうとしているってとこだよ」
「それの、何が悪い。惨めに誰かに助けを求めりゃいいって言うのか!」
 
 
 声を抑えられなかった。怒声を上げると、途端周囲のテーブルに座っていた人間の眼差しが突き刺さった。驚きと不快感に満ちた眼差しを、健一は睥睨し返した。
 
 
――俺を見るな、どうせ目を逸らすくせに、俺を見るんじゃない!
 
 
 頭の中でガンガンと罵声が響き渡る。憎悪が胸の内をどす黒く染めていく。自分という存在が邪気の塊へと変わっていく感覚に、健一は恐れ戦きながらも高揚した。これが呪うっていう事なのか。どいつもこいつも憎くて堪らないという事か。
 
 もう一度喚きあげようと口を開いた瞬間、不意に口の中へと何かを詰め込まれた。咥内に甘酸っぱい桃の味が広がる。健一の唇からスプーンを引き抜きながら、青柳が呆れたように肩を竦める。
 
 
「十二歳のガキってのは、こんなに頭が悪いものなのか? いい加減学習しなよ。君は弱いんだ。とてつもなく弱っちい。それに対して、吾妻真澄は強いよ。現実面では誰よりも強い。おそらく警察よりもね。吾妻が一言かけるだけで何人もの人間が平伏し、時には命を奪われる。君が命がけで対抗しようとしても、あいつの小指の爪一つ折ることは出来ない。もういい加減、それを自覚するべきだ」
 
 
 青柳の言葉は、健一の心臓を的確に抉った。奥歯で桃の欠片を噛み締めたまま、健一は咽喉の奥から嫌な唾液が滲み出てくるのを感じた。甘いのに苦い。
 
 青柳の言う事ぐらい解ってる。結局健一には、吾妻に勝ち得るだけの力がない事も。だからといって吾妻を殺す事を諦めるなんて出来なかった。あんなにも憎らしい男を、許すことなんかできない。
 
 チョコとバニラアイスを絡め取りながら、青柳は淡々とした声音で続ける。
 
 
「それに、君は決定的な勘違いをしてる。助けて〝もらう〟んじゃない。助け〝させる〟んだ」
「は?」
「僕の言った言葉を覚えてるかい?」
 
 
 ふと脳裏を過ぎる言葉があった。確か初めて会った時、青柳は健一へと謎かけのような言葉を発した。
 
 
『『復讐のつぎ』に行かないと、君は変われない』
 
 
 味をなくした桃の欠片を呑み込んで、健一は小さく問い掛けた。
 
 
「復讐のつぎって、何だ」
 
 
 青柳が唇の端を薄っすらと捲りあげる。まるで仕掛けていた罠に獲物が掛かったと言わんばかりの酷薄な笑みだった。
 
 
「『利用』だよ」
 
 
 それは、暗闇から囁きかけているような、仄暗い響きを持った声音だった。ひやりと氷が首筋に触れたような怖気が一瞬走って、健一は小さく戦慄いた。
 
 しかし、次の瞬間には、青柳の周囲を漂っていた薄暗い雰囲気は消えて、再びあの超然した笑みが浮かんでいた。青柳が続ける。
 
 
「我武者羅に復讐を叫んでいても、君に勝機はない。だったら、他人を利用するしかない」
「他人を、利用?」」
「そう、仲間を作るんだ。君が望むように動く仲間をね」
 
 
 それは、仲間とは言わない。人形と言うんだ。そう思いながらも、健一は口には出さなかった。
 
 青柳がスプーンで健一の前に置かれたパフェを指して、食べなよ、と気安い口調で言う。健一は誘い込まれるように、無意識にスプーンを手に取っていた。生クリームへとスプーンの先端を差し込んだところで、ふと正気に返って、青柳を凝視する。青柳は、すでに半分ほどパフェを平らげていた。パフェを頬張りながら、青柳が続ける。
 
 
「君の弱味は子供であることだ。だけど、それは強味でもある。子供であるだけで、絆され、油断する大人は幾らでもいる。そういう大人を利用すればいいのさ」
「つまり、数を増やして対抗しろと?」
「まぁ、数だけで勝てるほど吾妻は甘くないと思うがね」
 
 
 ひょいと青柳が肩を竦める。
 
 
「でも、今言ったのは所詮感情論だよ。人間の感情は、移り変わりやすい。最終的に、人の心を留めるのに大事なのは、気持ちではなく『形のある物』だ」
 
 
 そこまで言って、青柳は試すように健一を見詰めた。まるで健一の答えを待っているような視線だ。健一は、一瞬思考を巡らせた。脳味噌の周りを一周しただけで、答えは直ぐに思い浮かんだ。
 
 
「金か?」
 
 
 青柳の顔面に、弾けるように笑みが広がった。両手を叩いて、健一へと祝福じみた拍手を送ってくる。
 
 
「頭は悪いけど、勘はそこそこ悪くない」
「人のこと馬鹿にしながら話すのやめろよ。いい加減ぶち切れそうだ」
 
 
 威嚇するように、鼻梁に皺を寄せて唸り声を上げる。青柳は、とっくにぶち切れてるだろうが、と言わんばかりに笑った。
 
 
「君はまだ若いから、今のうちに覚えておいた方がいい。金は、力だよ。肉体の力よりも、圧倒的に金の力の方が強いんだ。これは詭弁じゃなくて紛れもない事実だ」
「金で、人の心を買えって?」
「買おうと思えば、何だって買えるよ。だけど、金の稼ぎ方ぐらいは自分で考えなよ。そこまで教えてあげるつもりはないから」
 
 
 素っ気なく言い放って、青柳は何処か気だるそうに頬杖をついた。怪訝そうな健一をじっと眺めて、それから少しだけ皮肉っぽく呟く。
 
 
「何でこんな事を教えるのかって目をしてる」
「俺に助言しても、あんたに得はない」
「単なる暇潰しだよ。警察のエリートってのは、意外と暇なんだ」
「あの二人にキングだとか呼ばれて、偉ぶってたじゃないか」
 
 
 思い浮かんだのは、沼野と呼ばれた中年男と、七原という愛想のない女の姿だ。まるで従者のように二人の部下に傅かれる青柳は、確かにキングと呼ばれるだけに相応しく見えた。
 
 だが、そんな健一の言葉を、青柳は鼻で嗤った。白けきった嗤い声を上げて、それから面倒臭そうに首を左右に振る。
 
 
「はだかの王様を崇める奴が何処にいるんだい?」
「はだかの王様?」
「人の心は、おぞましいってことさ」
 
 
 答えになっていない言葉を吐き出して、青柳は溜息を吐いた。それは酷く怠惰な仕草だったが、その表情は傲慢なものだった。他者への嘲りと、自己嫌悪が混ざり合ったような醜悪な表情だ。
 
 しかし、すぐさま柔らかな笑みを浮かべて、青柳は握り締めた両手を、健一へと再び差し出してきた。
 
 
「さぁ、もう一度ゲームをしようか?」
 
 

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