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15 ゲーム

 
「君にとって『いいもの』が入ってるよ」
 
 
 差し出した両拳を上下に軽く揺らして、青柳が言う。デジャブが起こる。この言葉は、つい先ほども聞いたばかりだ。
 
 
「チョコレートがいいものか?」
 
 
 嫌味っぽく呟くと、青柳は緩く首を傾げた。形の良い唇から、ふふ、と短く笑い声を零れる。
 
 
「今度は違う。君に『必要なもの』だよ」
「必要なもの?」
「当てればわかる」
 
 
 奇妙な厭世感と、稚気じみた愛嬌が青柳の中で混在していた。何処か吾妻と彷彿させると思う。不安定で複雑な心に、仮面を被せているような嘘臭さと、悲哀と紙一重の滑稽さ。
 
 だけど、それを上手く口にすることは出来ず、健一はただ黙って青柳を見詰めた。青柳が焦れたように肩を揺する。
 
 
「ほら、早く」
 
 
 まるで赤子に強請られているような錯覚を起こす。それぐらい青柳の笑顔は、無邪気だった。ぞっとするぐらい整った顔立ちが甘く綻んでいる。本性さえ知らなければ、女だろうが男だろうが一目で魅了する微笑だった。
 
 咄嗟に、健一は視線を逸らした。青柳の顔を見ていられなかった。その笑み自体は、天使のようなのに、まるで悪魔に唆されているような感覚があった。手招きして、健一を地獄へと誘っている。
 
 
「右」
 
 
 そう答えてしまったのは、皮膚が緊張に耐え切れなくなったからだ。青柳が目をぎゅっと細めて、軽やかな笑い声を上げる。
 
 
「はずれぇー。正解は左でした」
 
 
 そう言って、左拳が開かれる。一瞬、何かの『違和感』を感じた。だが、その違和感が何かが解らず、健一は曖昧に顔を歪めた。
 
 青柳の左掌に乗っていたのは、小指の先ぐらいの大きさをした鈍色の金属だ。健一はまじまじとそれを眺めて、それからその正体に気付いて眉間に皺を寄せた。驚愕よりも、ずっと不快感の方が強かった。
 
 カツンと音を立てて、青柳の掌からテーブルへと金属が落ちる。すぐ前まで転がってきたそれを見下ろして、健一は唇を歪めた。
 
 
「銃弾じゃん」
 
 
 吐き捨てると、青柳は、テーブルの上を転がるそれを親指と人差し指で摘みあげて、目の高さに掲げた。
 
 
「そう、銃弾」
「俺に『必要なもの』が銃弾?」
「健一君は、銃が欲しいとは思わない?」
 
 
 唐突な問い掛けに、健一は目を白黒させた。それから、興奮にも似た驚愕に全身を強張らせる。唇を二三度震わせて、それから咽喉をゆっくりと上下させる。
 
 
「欲しい」
 
 
 その言葉に、現実味はなかった。夢うつつのまま唇だけが勝手に動いているような、希薄さがあった。
 
 
「それじゃあ、もう一度。今度正解したら銃への手がかりをあげる」
 
 
 そこで青柳は唇を閉じた。再び両拳を差し出して、健一に委ねるように小さく首を傾げる。
 
 
「さぁ、当てて?」
 
 
 青柳は丸っきりゲーム感覚のようだった。しかし、健一にとっては切実だった。
 
 何処か、馬鹿げてる、という気持ちがあった。こんな男の言う言葉に真剣になってどうする。こんな酷薄で、愉快犯のように他人を蔑む男を信用できるわけがない。だが一方で、僅かでも吾妻を殺せる可能性があるなら、何だって信じてやる、という捨て鉢にも似た衝動が体内を占めていた。そんな自分がとてつもない阿呆だという自覚はあったが、どうしようもなかった。
 
 三回目にして初めて、差し出される両拳をまじまじと見詰める。どちらに正解なのかを真剣に考えたが、どちらも同じ拳にしか思えなかった。
 
 拳が大きく見える方が正解だろうか。だが、青柳の性格を考えれば、わざと不正解な方を大きく見せることぐらいするだろうし、その逆だって考えられた。
 
 脳味噌が高速で回転する。
 
 そもそも、今日だけでも、このゲームは三回目だ。一回目は、左が正解だった。二回目も、左が正解だった。どちらも健一は、右を選んで不正解だった。確率的には、どうだろうか。二回も左が来たから、その次は右だろうか。それとも、裏をかいて左が三回連続で続くだろうか。
 
 算数は苦手だった。今だって苦手だ。テストで赤点を取って、居残り勉強させられた事もある。割り算が苦手で、何故数字を割る必要があるのかという根本的な疑問で癇癪を起こしたことさえある自分が今更確率なんてもの計算できるはずがなかった。
 
 思考が頭蓋骨の内側で滅茶苦茶に飛び回る。青柳は黙り込んだまま、その唇を緩やかに湾曲させている。健一の苦悩を愉しんでいるかのような表情だ。
 
 右か左なら、普通に考えれば確率的には五十パーセントだ。一回目も二回目も左。なら、そろそろ右が来るはずだ。確率的には、右がきっと高いはずなんだ。確率、確率、と頭の中で、すでに意味が解らなくなった単語がぐるぐると回る。
 
 思考停止のまま、右、と答えそうになった瞬間、眼球の奥で何かのイメージが浮かんだ。掌の影が目蓋の裏にちらりと映って、ひらりと蝶のように飛び去っていく。健一は、その影を掴もうとした。何か、答えを掴みかけた気がした。
 
 俯いて、目蓋を固く閉じる。
 
 考えろ。確か二回目のゲームの時、健一は青柳の行動に何か『違和感』を感じた。それは一体何だったのか。
 
 
「何を考えてるの?」
 
 
 焦れたように青柳が問い掛けてくる。健一は目を閉じたまま、指先から逃げようとする記憶を必死で追い掛けた。
 
 
「考えてるんじゃない。思い出してる」
 
 
 それっきり青柳も健一も黙り込んだ。健一は、記憶の底から何かを引き摺り出そうとしていた。
 思い出せ、
 思い出せ、
 右と左、
 右と左、
 飽くなきまでに言葉を繰り返して、瞬間、何かの映像が鮮明に浮かびあがった。
 
 
『――そういえば、どうして二回目の時、青柳は『右手を開かなかった』んだろうか』
 
 
 一回目の時、右を選んだ健一の前で、青柳は空の右手を見せてから、正解の左手を開いた。だが、二回目は、右を選んだ健一に対して、青柳は左手だけしか開かなかった。右手の中身は、決して健一には見せなかった。それは何故なのか、何故――
 
 そうして、『その考え』が思い浮かんだ瞬間、鳥肌が立った。指先がぶるりと震えて、咄嗟に健一は机の下に手を隠した。
 
 
『――両手に銃弾を持っていた』
 
 
 その答えが脳味噌に纏わり付いて、離れなくなる。それなら青柳が右手を開かなかった理由にも合点がいく。左手だけを開けば、あたかも健一がはずれたかのように見せつけられる。
 
 そうして、もし健一の考えが正しいのであれば、どちらかの手を指して、そちらを確実に開くように促せば、健一の勝ちは確実だ。――どちらにも正解を持っているのであれば。
 
 そう先走りそうになった時、不意に疑いがもたげた。
 
 だけど、青柳の考えは、本当はどうなのか。俺に本当に銃を与えるつもりがあるのか。いや、いやそんなわけがない。こいつは俺を馬鹿にして、弄んで楽しんでるだけだ。本当に拳銃の手がかりを教えるつもりなんかサラサラないに決まってる。それなら――
 
 
「右が正解だ」
 
 
 はっきりと告げた瞬間、青柳の口許が一瞬嘲笑を滲ませるのを健一は確かに見た。青柳の右手が開かれようとするのを、健一はそっと掌で押し止めた。青柳が訝しげに眉を顰める。
 
 
「左手を先に空けろ」
 
 
 青柳の目に、今まで見えなかった狼狽が走った。唇の端が神経質に引き攣っている。その醜悪な痙攣を視界の端で眺めながら、健一はもう一度繰り返した。
 
 
「右より先に、左を見せるんだ」
 
 
 青柳が一瞬物言いたげに唇を動かして、それから諦めたように小さく肩を竦める。そうして、ゆっくりと左手が開かれた。開かれた左手の中は、空っぽだった。
 
 
『――やっぱり両方とも空っぽだったか』
 
 
 思わず歓笑が零れそうになる。健一は唇に笑みを浮かべて、高らかにこう言った。
 
 
「左が空なら、正解は右だろ?」
 
 
 その言葉に、青柳が苦笑いのようなものを滲ませる。
 
 
「驚いたな、君は思っていた以上に『論理的』だ」
「そんなことどうだっていいんだ。さっさと『賞品』寄越せよ」
 
 
 わざと横柄な口調で言いのける。青柳の笑みに微かな引き攣りが走って、その後、青柳は一度大きく溜息を吐いた。そうして、スーツの胸ポケットから四つに折り畳まれた紙片を取り出すと、健一へと差し出した。
 
 紙片を開くと、そこには健一も知っている駅の名前が書かれていた。
 
 
【神田川駅 男子トイレ】
 
 
 意味不明な単語に顔を歪めると、青柳が指先でとんとんと紙片を叩きながら言った。
 
 
「一番奥の個室に牛ガエルがいるから、後はそいつに聞いたらいいよ」
「牛ガエル?」
「そう、でかいのがね」
「それって人間ってこと?」
「カエルよりも、人間の方がよっぽどカエルらしい」
 
 
 支離滅裂な台詞を吐いて、青柳はじっとガラス越しに通りの人ごみへと視線を向けた。健一へと視線を向けぬまま、上の空な口調で呟く。
 
 
「そろそろ『保護者』が来るよ。行く場所があるなら早めに行った方がいいと思うけどな」
 
 
 親切心のようで、何処か健一の行動を誘導するような台詞に、不快感が込み上げてくる。矢張りこんな男は信用できない。拳銃への手がかりだなんて餌を使って、健一で遊んでいるようにしか思えない。
 
 だが、気付けば健一は、その場から立ち上がっていた。今は嘘でもいいから、『目的』が欲しかった。ただ無為に時間を過ごすよりも、動いている方がずっとマシだ。
 
 青柳が目を細めて、健一を見遣る。
 
 
「そういえば、横田君は元気かい?」
「あの人のこと、知ってんのか」
「あぁ、もちろん。彼の子供は、君と同じぐらいの歳だったんだよ」
 
 
 横田に子供がいるのは初耳だった。言葉自体は世間話の一環のようにも聞こえたが、それにしては青柳の声は粘着いていた。声の底から、色濃い悪意が透けている。
 
 
「それが、何だって言うんだ」
 
 
 微か怒りを滲ませて問い掛けても、青柳は意味深に微笑むだけで、もう何も言おうとはしなかった。
 
 健一は、もう完全に溶けてしまったパフェへと視線を落とした。アイスと生クリームがぐちゃぐちゃに混ざり合ったパフェは、初めの完成された造形など欠片も感じられないほど、泥水のように薄汚かった。
 
 

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