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22 賭博

 
 奇妙な光景だと思った。
 
 開けたワンフロアに、百人近くの人間がひしめき合っていた。フロアには、扇形や丸型のテーブルがあり、その上にはトランプやルーレットや色とりどりのコインが置かれている。それらの机を囲むように人が立っている。男も女も上等な服を身につけているくせに、大抵が腹が突き出たデブなのが何とも奇妙だった。まるで質の良い養豚場だ。
 
 その豚の間を、殆ど半裸に近い女達が歩き回っている。白いバニーガール、漫画でしか見たことのないような貝殻の水着、フラダンスを踊るような格好など、姿は様々だが、共通しているのは皆一様に肌の露出が激しいことだ。その手には、シャンパンやつまみらしきクラッカーを乗せたトレイが持たれている。給仕のようなものかとも思ったが、女達の中にはそういったトレイを持たず、男達にしな垂れかかって胸を揉ませているだけの女もいる。赤を帯びた照明が女達の皮膚を朱色に染めて、どこか下劣で堕落した雰囲気を醸し出していた。
 
 抑えたBGMの中で、ルーレットが回る音がカラカラと響いている。そうして、ルーレットが止まった瞬間、周りに立っている人間達がわぁっと声をあげるのが聞こえた。中には、泣き声じみた悲鳴まで聞こえる。
 
 だが、百人近い人間がいるにも関わらず、それほど雑然とした印象は受けなかった。どこか決められたことを行って、決められた声をあげているだけのような、芝居じみた印象すら受ける。
 
 所在なく入口に立ち尽くす保田の後ろから、フロアを見渡す。フロアの一番奥、美しい細工が施された扉の前に真昼が立っていた。両手を背中に回して、どこか挑戦的な眼差しで真っ直ぐ健一を見詰めている。
 
 赤い照明の下で、真昼が笑う。唇を左右に引き裂くような、ねっとりとした笑みだった。顔は真昼なのに、その微笑みは真昼のものではない。まるで真昼に悪魔が取り付いたかのようだった。その異質さに、健一は背筋を粟立たせた。
 
 真昼は、咽喉を二三度震わせた後、くるりと背後の扉へと姿を消した。そのわざとらしい誘導に、やっぱり自分を地獄に連れて行こうとしているのでは、と健一は怯えた。真昼を殺してしまったことを裁かれようとしているんじゃないだろうか。
 
 それを思うと、指先からすっと体温が抜けていった。恐怖に身体が強張る。だが、ぎくしゃくとした動きながら足は勝手に動いていた。
 
 フロアを横切るようにして、真昼が消えていった扉へと向かう。背後から保田が慌てて追い掛けて来るのが判る。
 
 誰もが健一を見た瞬間、ぎょっと目を見開く。猫耳をつけてにゃんにゃん言っていた女も、トランプに齧り付いて頭を抱えていた男も、賭博場に似つかわしくない子供の出現に驚き、口を半開きにしたまま唖然と健一を見送った。
 
 だが、そんな中、一人の女が健一の進行方向に立ちはだかった。キツイ眦をした美しい女だった。真紅のラインを引いた目尻がツンと吊り上がっていて、気の強い花魁を思わせる。
 
 女は、光沢のあるターコイズブルーのスーツを着ていた。太腿にピッチリと貼り付いたスカートは、下着が見えそうなぐらい短い。
 
 
「あんた、どこに行くつもりだい?」
 
 
 愛想のない硬質な声音だった。女が高圧的な眼差しで、健一を見下ろしている。
 
 健一は、一度立ち止まりかけて、それから説明するのも面倒になって女の横を無言で通り過ぎようとした。だが、通り過ぎる前に女の手が健一の肩を掴んだ。容赦のない、まるで肩関節を握り潰そうとするかのような掴み方だった。
 
 思わず、痛みに顔をしかめる。下唇を噛み締めて、健一は女を睨み付けた。
 
 
「痛い。離せ」
「可愛くないガキだね。どこ行くかって聞いてんだよ」
「友達を探してるだけだ」
「ここは保育園じゃないんだよ」
「うるせぇな、ほっとけよオバサン」
 
 
 オバサンと口に出した瞬間、女の形の良い唇が歪んだ。真っ赤なルージュがぐにゃりと歪むのを眺めて、健一はまずいと思った。馬鹿をやった。
 
 肩をぐいと押されたと思った瞬間、背中をテーブルの端へと叩きつけられていた。テーブルの上に置かれていたチップが衝撃に揺れて、カチャンと震えた音をあげる。
 
 背骨が軋む感覚に、ぐと息が詰まった。
 
 
「何をするんですか!」
 
 
 非難の声をあげる保田を気にも止めず、女は長い人差し指を健一の胸へと突き付けた。その爪にも鮮やかな青色のマニキュアが塗られている。
 
 
「言葉に気を付けな坊や。一丁前な男の真似をするなら、それ相応のモンを持ってから口を利きな」
「相応のモン?」
「コイツのことだよ」
 
 
 女の膝頭が健一の股間へと押し当てられる。小さな陰嚢を持ち上げられる感触にカァッと頬が熱くなった。同時に憤怒も込み上げてくる。
 
 女の身体を押し退けようと手を伸ばす。だが、その両手は女の細い手に絡め取られた。まるで恋人同士のように指を絡めて、女が健一を覗き込む。大きな瞳の奥に、頬を歪めた自分の顔が映っていた。
 
 
「それから金」
「金?」
「あの扉の奥はVIPルームなわけ。お布施を施して下さったお客様だけが入れる特別な部屋に、坊やみたいなガキんちょを入れるわけにはいかないんだよ」
 
 
 要は金を払わねぇ奴は入れねぇんだよ、と一言で言えばいいだろうが。回りくどい言い方しやがって、うざってぇな。
 
 頭の中でそう吐き捨てながら、健一は下唇を噛んで女を睨み付けた。
 
 
「幾ら」
「あぁ?」
「お布施は幾らかって聞いてんだよ」
 
 
 殆ど噛み付くような勢いで問いかけた。女は一度面白がるように唇の端を歪めてから、素っ気なく言い放った。
 
 
「五千万」
 
 
 五千万という響きに、健一は腹の奥がぞわりと戦慄くのを感じた。また皮膚から現実味が薄れていく。五千万にどれぐらいの価値があるのかが計算出来ずに、健一は眉を寄せた。勿論手持ちの二百万では足りないことぐらいは解る。
 
 
「それ払えば、あの中入れるわけ?」
「勿論。どうぞご所望のお友達探しも好きにやっちゃって下さいな、坊っちゃん」
 
 
 おどけたように女が答える。それに対して煮え滾るような怒りを感じながらも、健一は口答えしなかった。こんなところで喚き散らすことが正解だとは思えない。それなら、ここのルールに乗っ取ってやって行く方がまだマシだと判断したのだ。
 
 押し黙った健一を見て、女がにやっと不気味な笑みを浮かべる。そうして、くるりと健一の身体を反転させると、まるで当たり前のようにテーブルの前の椅子へと座らせた。
 
 
「パクヒョル、お客様一名」
 
 
 テーブルの前には、黒のチョッキを着けた男が一人立っていた。小柄で細身な体躯をしており、髪の毛を後ろに撫で付けている。何処か能面じみた無表情をしていた。
 
 
「なに、する?」
 
 
 ぎこちない口調だった。日本語に不慣れなのが如実に伝わってくる片言だ。見た目からして、中国人か韓国人か、アジア圏内の人種なのは間違いないだろう。
 
 パクヒョルと呼ばれた男の唇は殆ど動いていない。確かに喋っているはずなのに、まるで腹話術でも見ているかのような感覚に陥る。
 
 女がぐいと健一の肩を掴んで問いかける。
 
 
「坊や、何ならできる?」
「何、が?」
「どうせ五千万なんて持ってないんだろう? だから、ココで稼がせてあげるって言ってんのさ」
「ちょ、っと、あなた、急に何言ってるんですか」
 
 
 狼狽した保田が口を挟んでくるのを、女は見事に無視した。
 
 
「BJやオイチョカブはどう? チンチロリンに花札、ポーカー、何でもござれ。さぁ、どれ?」
 
 
 つらつらと並べ立てられる言葉の数々に着いていけず、健一は目を白黒させた。
 
 
「ポーカー?」
 
 
 思わず、そう口に出してしまったのは、唯一健一が知っている単語だったからだ。雨が降った日の昼休憩などに、よく友人達と教室でポーカーゲームをした。勿論金など賭けない。負けたらデコピン一発という他愛のない範疇での遊びだ。
 
 だが、女は耳ざとく健一の呟きを拾った。
 
 
「ポーカーよ。準備して。私はメンバーを拾ってくる」
 
 
 女が身を翻して、フロアへと早足で向かう。残ったのは呆然とする健一と保田、それから相変わらず無表情のパクヒョルだけだ。理解出来ない内に勝手に物事が始まっている事に、健一は唖然とした。
 
 五分も経たずに、二人の男を引き連れて女は戻ってきた。その男達を見た瞬間、健一は反射的に顔をしかめていた。二人の男のうち一人がにたにたとほくそ笑むような表情を浮かべて、健一を眺めていたからだ。
 
 その男達の一人、出っ歯の男がこれ見よがしなねっとりとした声をあげる。男の前歯の一本は、金色に輝いていた。丸っきり一世代前の成金のような容貌だ。
 
 もう一人の男は、健一には興味を払うこともなく、のんびりとした表情で煙草を吸っている。
 
 
「あっれぇー、椿ちゃんええのん? こんな小さい子と勝負しちゃっても?」
「子供だろうが大人だろうが、お客様は平等ですよ」
「泣かせちゃってもええのん?」
 
 
 女は椿と言うようだった。椿は苦笑いを滲ませて、どうとでもと言わんばかりに肩を竦めた。
 
 男達が席につく。隣に座った出っ歯の男から全身から噎せ返るような酒と煙草の臭いが漂ってきて、健一は鼻先を掌で押さえた。出っ歯の男が健一を覗き込む。
 
 
「君ぃ、お金持ってるん?」
「お金?」
「お金よお金。円よ。ドルよ。ユーロよぉ。そないなこともわからんのん? 君、いくつぅ?」
 
 
 出っ歯の男がこれみよがしな笑い声をあげる。笑い者にされているのが解る。だからこそ、余計に腹立たしかった。
 
 ポケットに突っ込んでいたビニール袋を取り出す。それから、健一はわざとらしく背後の保田を振り返った。保田は現状を把握し切れていないのか、ぼんやりと突っ立ったままだ。
 
 
「ジュン叔父さん」
「…」
「叔父さん!」
 
 
 語気を強める。ようやく自分が呼ばれている事に気づいたのか、保田が「えっ?」と声をあげる。
 
 
「叔父さんから貰ったお小遣い使ってもいい?」
「え、あ?」
 
 
 保田の返事を待たずに、健一はビニール袋から百万の束を取り出した。それを無造作にテーブルの上に置く。瞬間、出っ歯の男の目付きが変わるのが解った。
 
 
「これで、遊んでくれる?」
 
 
 健一は殊更無邪気に笑った。世間知らずでちょっと頭の抜けた坊ちゃんを装う。
 
 成り行きで賭博をやる羽目にはなったが、健一は今の現状を好都合だと考えることにした。真昼を追うのにも、拳銃を手に入れるのにも、どちらにしても金が必要だった。そうして、健一には正規で大金を稼ぐ方法などない。それならば、こうやって非合法の場で戦うしか道はなかった。
 
 出っ歯の男の目が舐めるように健一を見つめている。だが、その目は、百万ごとき端金ではなく、健一の背後にある莫大な金を想像しているのだろう。つまりは少年の叔父の金だ。小遣いで百万円をやるのであれば、その資産はどのくらいのものか。どこまで毟り取ることが出来るのかを、頭の中で試算しているのだろう。
 
 
「ほんまにええのん?」
 
 
 出っ歯の男が最終確認を取るように椿へと視線を遣る。先ほどの悪ふざけじみた表情はなく、完全に獲物を前にした捕食者の面構えだ。椿は鷹揚に頷いた。
 
 
「どうぞ?」
 
 
 含み笑いが混ざった声だった。椿はこの状況を楽しんでいる。それが酷く不愉快だった。それに、健一を賭博に参加させようとする、この女の意図が掴めないのが一番不気味だ。いったい何が目的なのか。
 
 
「いや、ちょっと待って下さい! この子はまだ子供です!」
 
 
 ようやく現実に戻ってきたのか、保田が声を張り上げる。それを健一は鼻白む思いで聞いた。だが、幼い子供を装ってきょとんと不思議そうな表情を向ける。
 
 
「何で? 別にいいじゃん叔父さん。もしかしたら、百万より増えるかもしれないしさぁ」
 
 
 健一の能天気な発言に、出っ歯の男が失笑するのが解る。だけど、今はあえて笑わせるのが得策だった。もっと油断すればいい。
 
 むしろ、問題は保田だ。ここでギャアギャア騒がれて、整えられた舞台がオジャンになっては元も子もない。
 
 
「でもっ…」
 
 
 それでも、食い下がろうとする保田に苛立つ。男達から死角になるテーブルの影で、健一は思いっきり保田の脛を蹴り飛ばした。保田が目を見開いてしゃがみ込もうとするのを、その腕を掴んで押し留める。
 
 
「いいでしょ、叔父さん?」
 
 
 保田の顔を下から覗き込んで、殊更ゆっくりと問い掛ける。自分自身で、まるで脅しのようだと思って笑えた。保田の顔色が真っ青になっている。それが余計に可笑しかった。
 
 それでも、足掻くように口を開こうとする保田を、甲高い声が遮った。
 
 
「やーん、かっわいー!」
 
 
 光沢のあるピンク色のドレスを着た女がどこからかやって来る。女は物珍しそうに健一をじろじろと眺めて、何が面白いのか両手を大袈裟に叩いて笑い声をあげた。
 
 
「あはっ、ちっちゃーい!」
 
 
 それの何処に笑えるところがあったのか教えて欲しい。女は一頻り笑った後、保田へとにっこりと笑みを向けた。おそらく場の雰囲気から、保田が上客である事を感じ取ったのだろう。保田の腕へと両腕を自然に絡めて、そのまま豊満な胸を保田へとピッタリと押し当てる。ドレスの上からでも、女がノーブラなのが判った。
 
 
「おにーさんカッコいいから、ちおりサービスしちゃおっかなぁー」
 
 
 安っぽい台詞に、保田は露骨に狼狽した。顔を真っ赤に染めて、え、あ、と言葉にならないうめき声を漏らしている。
 
 保田の気が逸れている間に、目の前では健一が出した百万がチップに換金されていた。パクヒョルが封を切られていない真新しい箱からトランプの束を取り出す。パクヒョルがトランプをこちらへと示しながら呟く。
 
 
「Bee」
「ビー?」
「蜜蜂印」
 
 
 言葉の意味が解らず、健一は首を傾げた。言葉足らずを補うように出っ歯が投げやりに言い放つ。
 
 
「トランプの種類が蜜蜂だって言いたいんよ。蜜蜂のトランプはイカサマしにくいって有名だかんね」
 
 
 確かにトランプの裏側は、目が痛くなるような真っ赤な菱形で覆われていた。蜜蜂の巣を思わせる柄だ。確かにこのトランプに何か目印をつけても、この柄に紛れて容易に印を見つけ出すことは出来ないだろうと思った。
 
 パクヒョルは、カードの山からジョーカーを二枚取り出すと、それを真っ二つに破り捨てた。
 
 
「ワイルドカード、なし」
「ジョーカーのことねん。ジョーカーいれてやるポーカーをワイルドポーカー言うんけどな、今回はスタンダードなクローズド・ポーカーみたいやんな」
 
 
 ちょこちょこと出っ歯が素人説明を入れてくる。初心者である健一への気遣いかもしれないが、その言葉の端々から小馬鹿にするような声音が覗けて不愉快になる。それに、注釈を述べる度に出っ歯の顔が近付くのも嫌だった。出っ歯の咥内から、煙草のヤニと生ゴミが発酵したような口臭が漂ってきて気分が悪くなる。
 
 顔を背けようとした時、出っ歯と健一の間に椿が割り込んできた。椿は出っ歯へとにっこりと微笑み掛けると、有無をいわさぬ口調でこう言い切った。
 
 
「坊やの先生は私がやりますんで、斎藤さんの手を煩わせなくても結構ですよ」
 
 
 出っ歯は斎藤という名前のようだ。
 
 
「えぇっ、椿ちゃんが先生とか酷うない?」
「私が教えるのはルールだけで、坊やの手札に対しての助言は一切しませんので」
「ほんまかいなぁ」
 
 
 斎藤が疑心暗鬼の眼差しで椿をねめつける。だが、椿はその視線を意にも介さず健一へと向き直った。健一は訝しげに椿を見遣った。
 
 
「あんた、何のつもり?」
 
 
 何の目的で、健一を賭博へと引きずり込み、尚且つこうやって教授しようとするのか。問い掛けると、椿は「ははん」と鼻で小さく笑った。
 
 
「基本ぐらいは教えてやるから、後は自分で何とかしな坊や」
 
 
 何の答えにもなっていなかった。口を開きかけた時、パクヒョルがトランプを投げた。斎藤と二人の男、健一へとトランプを素早く配る。
 
 
「そういえば、君名前なんて言うのん?」
 
 
 今更ながらに斎藤が問い掛けてくる。健一は一瞬思惑して、それから極自然に答えた。
 
 
「健一」
 
 

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