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24 白黒

 
 ゲームが再開してからも、健一が斉藤に勝つことはなかった。良いように負け、カモにされ続けた。
 
 だが、時岡と会話したおかげだろうか、先ほどよりかは気持ちが落ち着いていた。負けに一喜一憂して、指先を無様に震わすことはなくなった。そうして、どこか白けた眼差しでゲームを俯瞰することが出来た。
 
 少しだけこのゲームを掴みかけていた。勝つためには勝利へと食らいつく熱が必要だ。だが、その熱を表に出せばいとも簡単に負ける。勝利に拘泥する姿を見せれば見せるほどドツボにハマっていく。だからこそ、いかに腹の底の熱を隠して、カードを繰ることが出来るかがゲームの勝敗を分けるのだ。子供ながらの柔軟性によって、健一はポーカーというゲームの本質を次第に理解し始めていた。
 
 
「コール」
 
 
 手元のカードは、セブンのワンペアだ。勝負するに値しないカードだったが、周りの動向を見るためにあえて損を覚悟でコールした。
 
 
「そんなぽいぽいコールして大丈夫なん、ボクぅー?」
 
 
 あいも変わらず斉藤が嫌味ったらしい声を掛けて来る。もうちょっと代わり映えのある言葉が吐けねぇのかと思いつつも、健一はへらへらと気の抜けた笑みを返した。金を湯水のごとく使う、阿呆な子供のように振る舞う。
 
 
「どうかな。また負けちゃうかな」
「あんまええ手札やないん?」
「そんなの言えないよ」
 
 
 手札の善し悪しまで尋ねてくる斉藤の不躾さに、健一は思わず苦笑いを返した。どこまで人を舐めれば気が済むのか。
 
 その勝負は、時岡が勝った。スペードとエイトのツーペア。
 
 
「君、セブンのワンペアでようも勝負に出たもんやねぇ」
 
 
 健一の手札を見て、呆れたように斉藤が呟く。健一は、照れくさそうな笑みを浮かべた。斉藤が呆れ返るのも解る。健一は、先ほどからあえて悪い手札でも勝負を仕掛けていた。一番酷い時はツーのワンペアでもコールした。
 
 
「ゲーム、続けますか?」
 
 
 パクヒョルが窺うように声をあげる。健一はその声に頷きを返した。
 
 
「続けるよ」
「貴方、なにか飲みますか?」
「飲む?」
「ドリンク」
「それってお酒?」
「お酒ないの、あります」
「じゃあ、飲む。俺のは氷多めで。叔父さんにはお酒あげて」
 
 
 背後で未だ女に纏わり付かれている保田を軽く顎で示す。保田は何とか女を引き剥がそうと奮闘しているようだったが、女の強固な反抗にまったく歯が立っていないようだった。「は、離れてください」「やだー」という何とも間の抜けたやり取りが時折聞こえて来る。
 
 
「けっ、健一くん、僕はお酒は…」
「いいから、俺を気にせず飲みなよ。折角遊びに来てるんだから、叔父さんももっとリラックスしたらどう?」
 
 
 そう言って、健一は保田に無邪気に笑い掛けた。
 
 本当はもうちょっと『らしく』しろと怒鳴り付けてやりたかった。保田が金持ちの叔父さんらしく振る舞ってくれなくては、健一の虚勢が斉藤にバレてしまう。健一の金が残り僅かだと気付かれた瞬間、このゲームは幕切れになってしまうのだから。
 
 
「叔父さんには強めのお酒で」
 
 
 嫌がらせのようにそう付け加える。パクヒョルは軽く頷くと、近くを歩いていたビキニ姿の女へと注文を告げた。一分も経たずに目の前に氷が大量に入ったオレンジジュースが置かれ、保田には端から見てもかなり濃い目のウイスキーが届けられた。それを見て、保田が泣き出しそうに顔を歪める。
 
 オレンジジュースは、きちんとした生搾りのものだったのか酸味がキツかった。咥内に広がる果汁の酸っぱさに目が冴える。短く礼を言うと、パクヒョルは微かに目を細めて頭を下げた。
 
 片手でオレンジジュースを口に含みながら、手元のカードを確かめる。完全なるブタだ。五枚すべてを入れ替えようとパクヒョルへと差し出す。その間、視線は微かに伏せながらも周囲へと向けていた。正確には、斉藤の視線を追っていた。
 
 数度目の観察で、ようやく確信を持つ。斉藤は、健一の顔を見ていない。入れ替わりに五枚のカードが返される。そのカードへと健一が目線を落としても、斉藤は健一へと視線を向けようとはしない。それは明らかに奇妙な行動だった。
 
 ポーカーというのは、相手の表情を読むゲームだ。だからこそ、カードを見た瞬間の相手の表情を見るという事は非常に重要なことである。それなのに、見ていない。斉藤の視線は、健一の背後へとチラチラと向けられていた。
 
 そこに居る人物を脳裏に思い描きながら、健一はそのゲームも当然のように負けた。積まれたチップをかき集める斉藤を眺めながら、健一はのんびりと欠伸を零した。
 
 
「随分余裕なんだな」
 
 
 すかさず時岡が茶々を入れてくる。その眼差しには、独特の親しみが込められていた。どこか共犯めいた視線だ。この男は、他人との距離を測るのが上手いとつくづく思う。だからこそ、この男を心の底から信頼することは絶対したくはなかった。
 
 
「うん。何かつまんなくなってきちゃった」
 
 
 もう一度大袈裟に欠伸を漏らしながら、わざとぞんざいに手札をテーブルへと投げた。捨てカードの山にぶつかって手札が雑にばらける。
 
 
「つまらない?」
「そう。最初はそれなりにドキドキしてたけどさ、何か段々退屈になってきた。だって、そうでしょ? 十万とか百万とか、取ろうが取られまいが大した違いはないよ。こんなちまちました勝負、楽しくも何ともない」
 
 
 健一の言葉に、視界の端で斉藤が身じろぐのを感じた。その口元が微かに緩んでいるのが見える。当たり前だ。いつか斉藤が切り出したであろう言葉を、わざわざ健一が代弁してやったのだから。
 
 
「俺はさ、もっと大勝負がしたいんだよ」
 
 
 そう投げ遣りに言い放って、健一は席を立った。トイレに行ってくると言い、一瞬だけ保田を見据える。保田はぱちぱちと不思議そうに瞬いた後、「ぼ、僕も一緒に行くよ」と慌てたように言った。
 
 
「えー、じゃあ、ちおりも一緒にいくぅー」
 
 
 身体を蛇のようにくねらせながら馬鹿女が言う。健一は、鼻で笑った。
 
 
「男子トイレに?」
「いいじゃん、サービスしちゃうよー。おしっこした後のおちんちん吸ってあげようか?」
「いらないよ」
 
 
 明確な侮蔑を持って健一は吐き捨てた。本当は淫売だとか尻軽女と罵ってやりたかったが流石に我慢した。馬鹿女が「ぷぅー」と頬を膨らませる。自分で「ぷぅー」とか言ってんじゃねぇよ馬鹿。
 
 
「叔父さんと一緒に逃げ出すつもりじゃないやろうねぇ?」
 
 
 斉藤の邪推に、健一は馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに肩を竦めた。
 
 
「何で逃げ出す必要があんの? 不安なら監視カメラで見張ってれば?」
 
 
 不審げな斉藤の眼差しを無視して、健一はトイレへと向かって足を進めた。背後から保田が追いかけて来る。
 
 トイレは、床や壁だけでなく便器までも大理石で出来ていた。白く光沢のある便器を見ていると、その滑稽さに微かに笑いが零れた。ションベンを垂れ流す場所をこんなに飾って、一体誰のご機嫌を取っているのやら。
 
 トイレの中には、健一と保田以外には誰もいなかった。健一は戸惑う保田の腕を引いて、個室の一つへと入った。個室も畳三畳分はありそうなほど広い。
 
 
「なぁ、あんたにくっついてた馬鹿女だけど、俺がカード引いた時に何か合図送ったり、変な動きしたりしなかった?」
 
 
 回りくどく喋るのはやめた。聞きたい事を単刀直入に訊ねる。
 
 斉藤の視線は、健一の背後へと向けられていた。健一の背後であれば、健一が持つ手札を見ることが出来る。つまりは、そこにいる誰かが健一の手札を斉藤へ教えているということだ。
 
 それは保田では、絶対にない。保田は、健一をこんな事では裏切らない。ならば、もう後は一人しかいなかった。あの馬鹿女、畜生、舐めやがって。
 
 イカサマとも呼べない単純な手口だ。だが、単純だからこそ悪質で、最悪に不愉快だった。
 
 こんな馬鹿げたイカサマ、賭博に慣れた人間ならきっと一瞬で気付く。きっと斉藤も、相手が熟練の賭博師ならばこんなイカサマは使わなかっただろう。健一だから、こんな下らない手を使ったのだ。健一だからバレないと思ったのだ。子供だから! 賭博も知らない馬鹿なガキだから!
 
 そう解った瞬間、健一は肩の産毛がぞわりと逆立つのを感じた。焦りでも恐怖でもなく、それは猛烈な憎悪からだ。怒りという言葉では既に片付けられない。これは完璧な憎しみだ。殺意へと変わりつつある憎悪だ。
 
 
――俺はコケにされている。
 
 
 時岡の言った意味が正しく理解できた。皮膚から体温がすぅっと抜けて、反比例するように内臓が憎悪で煮えくり返った。表皮と体内との温度の差異に、寒くもないのに皮膚にぷつぷつと鳥肌が浮かび上がる。
 
 
――潰してやる。
 
 
 そう決めた。何が何でも、どんな手を使ってでも、あの男を潰す。地面を這う蟻のように靴裏で踏みにじって、あのにやけた面も、不細工に膨れた腹も、ぐちゃぐちゃに踏み潰してやる。床に額を擦り付けて謝ろうが許さない。泣き喚こうが知ったこっちゃない。俺をコケにした代償を必ず払わせる。必ずだ。
 
 目の前では、健一の唐突な問いかけに保田が狼狽していた。わたわたと両手を無意味に動かしながら、頭に盛大にはてなマークを浮かべている。
 
 
「えっ、ばかおんな?」
「あんたにくねくね纏わり付いてた牛チチ女」
 
 
 下品な健一の言葉に、保田が顔を顰める。説教でも垂れ始めそうな雰囲気だ。だが、今そんな説教を聞く暇はない。
 
 健一は保田との間合いを詰めると、殆ど真下から保田の顔を覗き込んだ。殆ど密着に近い体勢に、保田が四肢を強張らせる。
 
 
「ねぇ、どうなの? なんか合図してた?」
「合図って…それってイカサマしてるってこと…?」
「たぶんあの女が斉藤と組んで、俺の手札を教えてる。だから、変な動きがなかったか教えて」
「あ…え…ちょっと待って…思い出すから…」
「うん。でも、待ってる時間はあんまりないから早くね」
 
 
 健一は素直に頷いた。本当は今すぐ思い出せと掴み掛かってやりたかった。だが、突然こんな問い掛けをされたら誰だって戸惑うという事実も理解していた。下手に急かすよりも、素直に時間をやった方が時間短縮に繋がる。
 
 保田が俯いたまま口元に手をやって、ぶつぶつと何かを呟いている。そうして、ふと顔を上げた。
 
 
「僕の身体によく触ってた、かな?」
「はぁ?」
 
 
 瞬間的にブチ切れそうになった。あの馬鹿女が保田にべたべたと触っていた事ぐらい健一だって知ってる。何を解り切った事をと苦々しく顔を歪めた健一を見て、保田が慌てたように付け加える。
 
 
「あのっ…だから、ずっとべたべた触ってきてたから別に変なことじゃないって周りは思うかもしれないけど、自然だからこそ不自然ってこともあるんじゃないのかな?」
「自然だからこそ、不自然?」
「例えば、あの女の人は、僕の、こっ、…股間とか、胸とか顔とか腕とかよく触ってきたんだけど…それが合図って考えられないかな?」
 
 
 健一はぱちぱちと瞬いて、それから至極ゆっくりと唇を開いた。
 
 
「つまり、こういう事? 股間触ったらワンペアとか。顔を触ったらツーペアとか」
「そういう事、…じゃないかな?」
 
 
 どうかな、と言わんばかりに保田がかくりと小首を傾げる。その瞬間、健一の脳裏を仄暗い考えがよぎった。
 
 
「ど、どうしよう。もう触らせないように気を付けた方がいいよね。それともあの人を近づけない方が…」
 
 
 保田が舌をもつれさせながら言った言葉に、健一は緩く首を左右に振った。
 
 
「そのままでいい。好きなだけべたべた触らせてあげなよ」
「でも、それじゃずっと健一君のカードが筒抜けになっちゃうじゃないか」
「いいんだよ」
 
 
 長閑な声で、健一は答えた。保田が不可解そうに健一を見詰めている。その眼差しを見返しながら、健一はにっこりと微笑んだ。
むしろ教えてもらった方が好都合だとは言ってやらなかった。保田が怯んだように肩を二三度震わせて、それから泣き出しそうな声を上げる。
 
 
「健一くん…もうやめよう…」
「やめる?」
「賭博なんて、馬鹿なことはやめて、帰ろう…」
 
 
 思わず咽喉の奥から失笑が溢れた。何を検討違いなことを言っているんだこいつは。
 
 
「帰る? 何処に? あいつの家? それとも焼け焦げた家?」
 
 
 含み笑いで意地悪く訊ねる。保田が一瞬不思議そうに瞬く。それから、痛ましそうにぎゅっと目を細めた。健一の大嫌いな、同情の眼差し。
 
 
「もう、本当のことを言って欲しいんだ」
「本当のことって何? 俺に何を言って欲しいのさ。ねぇ、教えてよ」
 
 
 執拗に問い詰める度に、健一は保田との距離を詰めていった。もう既に下半身はピッタリと密着している。保田の体温は高く、微かに汗と整髪料の臭いがした。保田の顔が困惑に歪んでいる。
 
 
「健一くん、…僕は君を助けたいだけで…」
 
 
 瞬間、発火した。脳味噌の血管が千切れるかと思うような憤怒が腹の底から猛然と噴き出して、身体が反射的に動いた。胸倉を掴み、自分よりも一回り大きな身体を個室の壁に思いっきり叩き付ける。
 
 鈍い轟音が響いて、保田が痛みに呻くのが聞こえた。その顔を至近距離で覗き込んで、健一は淡々と吐き捨てた。
 
 
「なぁ、あんたは俺を負けさせたいの?」
「違う、負けさせたいなんて…」
「言ってんじゃん。止めよう、帰ろう、逃げ出そうと必死になってる。あんたは、俺を助けたいって言いながら、俺を負け犬にしようとしてんだ」
「健一君…」
 
 
 切なげな保田の声に、目瞼の裏が真紅に染まった。危険信号の、血の、そして殺意の色だ。憎悪が全身を浸食して、皮膚を喰い破ろうとしている。
 
 健一は、保田の胸倉をキツク鷲掴んだまま、噛み殺すような眼差しで保田を睨み付けた。そうして、内臓を引き絞るような声で叫んだ。
 
 
「勝つッ! 死んでも勝つッ! 勝たなきゃ意味がないッ! 負けるぐらいなら死んだ方がいいッ!」
 
 
 そう叫んだ瞬間、不意に視界から色彩が消えた。まるで波でも引いて行くかのように、サラサラと乾いた音を立てて一秒前まで在ったはずの色が右から左へと流れ落ちていく。目の前の光景から彩りが完全に失せたことに、健一は驚愕し息を呑んだ。何だこれは。この世界は――
 
 数回瞬きをすれば直ぐに色彩は戻った。だが、健一は確かに見た。白と黒しかない世界を。灰色はない。勝者と敗者しかこの世界には存在していなかった。
 
 
「絶対に、俺は今ここで勝たなきゃなんないんだよ…!」
 
 
 白と黒の世界で生き残るためには勝つしか道はなかった。それがたった一つの真理だった。
 
 馬鹿の一つ覚えのように何度も勝つと繰り返す。自分でも陳腐な言葉だとは思ったが、本心だった。
 
 今ここで負けるぐらいなら死んだ方がマシだ。あんなクズ共にコケにされ、吾妻に飼われ、屈辱を受け続ける人生ならそんなもの自分から捨ててやる。負ける人生は要らない。負ける自分は要らない。そんな自分はいっそ潔く殺してやる。
 
 保田が呆気に取られたように健一を眺めている。その表情を見て、不意に心臓が軋むように痛んだ。
 
 保田は、健一のことを心配している。今この場所で、おそらく唯一この男だけが、健一を心底思い遣っているのだ。その否定の言葉も健一のためを思うからこそ言った言葉だと、本当は健一だって解っている。解っているからこそ、余計に悲しかった。
 
 
「何で…あんたが解ってくんないんだよ…」
 
 
 奥歯を砕きそうなほどキツク噛み締めながら、健一は殆ど泣き声に近い声を漏らした。健一のことを思うなら、止めないで欲しかった。この気持ちを理解して欲しかった。
 
 
「俺のこと…もっと、わかってよ…」
 
 
 子供の駄々のような台詞だ。だが、切実だった。悔しくて、悲しくて、健一は保田の胸を拳で何度も弱々しく叩いた。叩く度に、自分がどんどん小さく縮まっていくような感覚に襲われて、息が苦しくなった。
 
 胸元を叩く健一の手を、そっと体温が包む。保田が両手で健一の手を掴んでいた。
 
 
「…僕は…何をしたらいい? 何をしたら、君のためになる…?」
 
 
 保田の声は微かに震えている。それは保田が大人としての倫理を捨てた証拠だ。刑事としての義務を放棄したことを示している。
 
 その事実に満足するよりも、深い罪悪感を覚えた。そんな自分の甘さを健一は苦々しく思った。誰よりも非道な人間になりたいのに、どうしてこんなに悲しくなるのだろうか。
 
 健一は下唇を噛み締め、背伸びをして保田の耳元へと唇を寄せた。
 
 

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