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40 復讐

 
 赤い円卓はくるくると回る。
 
 北京ダック、伊勢海老、燕の巣、エビチリ、色とりどりの料理が湯気を立てながら、僕の腹に納まるのを待っている。
 
 チカリと輝く銀のスプーンでフカヒレスープを掬い上げる。一口含んで、味わうこともなくただ惰性のように呑み込む。舌はまともに味を感知することもなく、食料は胃袋へと流れ落ちる。僕にとって食事は、ただの咽喉の伸縮運動でしかない。
 
 
「召し上がらないんですか?」
 
 
 銀のスプーンの先で、円卓に乗る料理を指し示す。吾妻の向かい側に座る男女は寡黙だ。二人とも強張った顔で、じっと吾妻の動向を見詰めている。友好とは程遠い剣呑な視線に、吾妻はゆっくりと肩を竦めた。
 
 
「美味いのに」
 
 
 残念です。と思ってもいないことを次々と口にする。円卓に乗っていた大皿と手にとって、そのまま小皿に取り分けることもなくスプーンをエビチリの山へと差し込む。
 
 昔なら不作法だと眉を顰められたかもしれない。これだから教養なく育てられた人間はと嘲られたかもしれない。だが、今では吾妻に真正面から物申せる人間などどこにもいなくなってしまった。誰もが吾妻の持つ吾妻組組長という肩書きを恐れている。所詮は誤魔化しと謀略の上に手に入れた砂の城でしかないのというのに。
 
 まぁ、いい。それなら、砂の城が崩れるまでは好きなようにさせてもらうさ。心の中で、野良犬の息子と罵られようが知ったことか。誰も僕自身には興味なんてありゃしないのだから。
 
 山盛りになっていたエビチリがみるみるうちに消えていく。だが、どれだけ食べても腹が満たされることはない。空っぽのまま、ただ飢えていくだけだ。
 
 
「自殺したのか」
 
 
 中年男が強張った声音で呟く。それは吾妻への問い掛けにも、ただの独り言のようにも聞こえた。
 
 
「ええ、そうです」
「絶望して、自殺したのか」
「だから、そうだと言っています。すべて貴方がたのリクエスト通りですよ。彼は、上野涼太を殺した自責の念に耐えきれず頭部を撃って自殺しました」
 
 
 なんなら証拠のビデオでもお付けしましょうか、とスプーンの先を揺らしながら問うと、男は鈍い動作で首を左右に振った。
 
 
「あいつが死んだなら、もういい」
 
 
 それきり黙り込んでしまう。
 
 再び重苦しい沈黙が流れることに吾妻は疲労を覚えてきた。ようやく復讐を遂げたというのに、こいつらは一体何だってお通夜のように打ちひしがれているんだ。パーティーのようにはしゃげとは言わないが、もう少し嬉しそうにしたらどうなんだ。
 
 苛立ちを押し隠して、朗らかな微笑みを男女へと向ける。笑うのは、怒ったり泣いたりするよりもずっと楽だ。本心を隠すのに笑顔ほど都合の良いものはない。
 
 
「警察内では、伊藤と相打ちということで処理をされるようですね。銃の密売人を突き止めた保田刑事が独自に犯人を調査しようとしたが偶然発見した犯人と交戦となり、その結果殉職に至った。あぁ、随分と泣ける英雄談だ」
「彼は英雄ではありません」
 
 
 吾妻の皮肉に、黙り込んでいた女が苦々しい声をあげる。神経質そうな細面に、微かな憤怒が滲み出ている。
 
 隣に座る男が制止するように女の肩を掴む。それでも、女の言葉は止まらなかった。
 
 
「彼は単なる人殺しです。子供を殺した最低のクズです」
「七原、喋るな」
 
 
 男が鈍く声をあげる。七原と呼ばれた女は、下唇をきつく噛み締めて押し黙った。まるで三文芝居のような安っぽい遣り取りに嫌気がさしてくる。
 
 吾妻は肩を竦めて、緩く息をついた。
 
 
「ご満足ではないんですか?」
「あ?」
 
 
 吾妻の唐突な問い掛けに、男が訝しげに表情を顰める。濁った男の眼球を冷たく見据えながら、吾妻は言葉を続けた。
 
 
「子供を殺した最低のクズにようやく復讐を果たしたというのに、貴方がたはちっとも嬉しそうじゃない。この結果に何か不服でもあるんですか?」
「…不服なんざないさ」
「なら、もう少し楽しそうな顔をして下さいよ。ねぇ、沼野さん、一人息子の仇をうてて嬉しいでしょう?」
 
 
 中年男こと沼野が軽く息を呑むのが伝わってくる。その狼狽を皮膚に感じながら、吾妻は緩やかに口角を吊り上げた。
 
 警視庁第四課課長、沼野信夫。そのだらけた肥満体とやる気のなさそうな表情からは窺い知れないほど、蛇のように吾妻組に張り付き、幾度となく取引の邪魔をしてきた叩き上げのマルボウだ。
 
 疎まれ者の息子ということで吾妻とは殆ど親交はなかったが、兄である将真や真樹夫に付きまとっている姿は何度か見たことがある。暴力団にねちねちと因縁をつけて、悪党共をコケにすることを生き甲斐としているような男だ。
 
 その男が今吾妻の目の前で、まるで老人のように肩をガックリと落としているのが何とも可笑しかった。子供を失った親というのは、こんなにも脆く簡単に崩れるものなのか。
 
 気付いたら、山盛りになっていたエビチリがすべて消えていた。円卓から伊勢海老の蒸し焼きが乗った大皿を手に取る。殻がついたままの丸ごとの伊勢海老を、素手で遠慮なく真っ二つに折る。殻が割れるバキンという音が盛大に響いた。
 
 
「離婚された元奥様とは随分息子さんの親権で争っていたようでしたからね。突然息子さんが変質者に殺されて、酷くショックだったでしょう? その上犯人が警察官になって、しかも自分の部下になるなんて数奇なものです。でも、殺せてよかったですねぇ。これで息子さんも天国で浮かばれるってものです」
 
 
 吾妻の長々とした独り言に、沼野がきつく奥歯を噛み締める。だが、視線は吾妻へは向けられない。沼野は、自身の膝頭を睨み付けたまま微かに指先を震わせた。
 
 
「勿論、七原さんも嬉しいですよね? 沼野さんの元奥様とは、幼稚園の頃からの大親友でしたっけ? あぁ、元奥様も気の毒ですよね。大事な大事な一人息子が殺されたショックで神経衰弱になられて、今は精神病院でしたっけ? 何度も自殺未遂をされているようですが、息子さんを殺した犯人が死んだことを聞けば、きっとお元気になられるんじゃないですか?」
「理恵子は死にました」
 
 
 意気揚々とした吾妻の声を押しとどめるように、七原の硬質な声が響く。七原は眼鏡の奥の瞳を潤ませながらも、吾妻を鋭く睨み付けている。
 
 
「一ヶ月前に病室で首を吊って死にました」
 
 
 まるで吾妻にその原因があるとでも言いたげな恨みの篭もった声だった。吾妻は軽く肩を竦めた。
 
 
「あぁ、それはお気の毒様です」
 
 
 勿論、気の毒だなんて思っちゃいない。沼野の元妻が自殺した事は、その日の内に部下から報告を受けている。『涼太が寂しがっているといけないので、先にあの子のところにいきます』と書かれた遺書の中身だって知っている。
 
 ただ、それを口にすることで沼野や七原がどんな反応をするか見たかっただけだ。だが、二人とも沈痛な面持ちで押し黙るばかりでちっとも面白くない。せめて泣き喚くなり怒鳴り散らすなりしてくれりゃ少しは暇潰しにでもなるのに。
 
 涙に濡れ始めた七原の瞳をつまらなく眺めながら、吾妻は剥き出しになった伊勢海老の肉へとかぶり付いた。口の中に、伊勢海老の肉汁が溢れる。だが、当然味はない。ゴムを噛んでいるような歯応えにいっそ吐き気すら感じる。だが、食い続ける。満たされない飢えを満たすために。
 
 
「でも、良かったじゃないですか。犯人である保田さんが死んで、沼野さんは息子の仇を、七原さんは親友の仇をこれで打てたわけです。最高のハッピーエンドです」
「何がハッピーエンドですか。こんなのは違う。絶対に、違います」
 
 
 吾妻の皮肉に、七原が呻くように呟く。力なく丸められた細い背を沼野の掌がゆっくりと撫でる。
 
 その被害者ぶった仕草に酷く苛立った。こいつらは何を巫山戯たことをしてやがる。加害者同士が傷を舐め合いやがって、阿呆か。
 
 
「これが貴方がたが望んだハッピーエンドですよ。貴方がたが保田さんを、自分達の部下を殺すことを選んだんです。それも一息に殺すのではなく、生き地獄を味合わせた後に自ら死を選ばせる。生きている事を後悔させるほど苦しめて苦しめて、苦しめ抜いて殺す。このシナリオを僕に依頼したのは貴方たちです」
「解ってる」
「いいや、解ってない。あんたらは何も解ってねぇよ。だから、そんな面してられんだよ。巫山戯んな糞共が。手前らも人殺しの畜生のくせに、何一丁前に被害者面してやがんだ」
 
 
 無意識に悪態が口から溢れ出した。顔は柔らかな笑顔のまま、聞くに耐えない罵言が唇から漏れる。
 
 一瞬で、沼野と七原の身体が硬直するのが見えた。驚愕に見開かれた眼球を見つめながら、吾妻は朗らかに微笑んだ。
 
 
「保田さんは健一を助けようとしていました」
「…それは、あいつが子供好きの変態だからだ…」
「いいえ、彼は本心から健一を救おうとしていたんです。健一の境遇を哀れみ、真っ当な生活へと戻そうとしていた」
 
 
 そう、知っていた。気付いていた。邪な気持ちではなく、保田が彼に残された善意から健一を助けようとしていることに。
 
 それでも、殺した。保田を追いつめて、自らを悪人だと思い込ませて死を選ばせた。
 
 そこに吾妻は罪悪感を抱くことはなかった。後悔もない。勿論、許しを請うつもりも毛頭ない。後悔したり、罪悪感を抱いたり、謝罪するぐらいなら初めから何もしなけりゃいい。考えて考えて考え抜いたあげくに決めた行動に、後から言い訳をするのは馬鹿がすることだ。悪党なら悪党らしく最初から最後まで嗤い続けてればいい。
 
 血の気を失くしていく沼野と七原の顔を見つめながら、吾妻はゆっくりと首を傾げて訊ねた。
 
 
「それに比べて、貴方がたは健一を餌にしようとしましたね?」
 
 
 息を呑む音が聞こえてくる。
 
 見開かれた眼球を真っ直ぐ見据えながら、こんなにも人の目というのは薄汚いものだっただろうかと吾妻は少しだけ考えた。それとも自分の目が濁ってるから、こんなにも他人が、世界が汚く見えるのか。僕の世界で綺麗なのは健一だけだ。
 
 
「伊藤に、吾妻組の手先として銃の密売人を捕まえようとしている子供がいると嘘の情報を流したのは貴方がたですよね」
 
 
 あのデマの情報がなければ、健一はきっと拳銃を手にしていた。そうして、その拳銃を片手に吾妻を殺しにきていただろう。
 
 それを思うと、何とも腹立たしい未練が湧き上がってくるのを感じた。健一の大チャンスを、この馬鹿共は自分たちの復讐のために踏み躙りやがったのだ。
 
 
「伊藤は、秘密の情報屋を抱えていると言っていました。それは保田さんの事だけだと思っていたのですが、本当は違ったんですよね? だって、保田さんなら健一を危険に晒すような情報は絶対に流さない。それなら、伊藤にはまた別に情報屋がいたということになります。それが貴方がただ」
 
 
 違いますか?と首を傾げながら問い掛ける。罪悪感に歪んでいく二つの顔が吾妻の言葉を肯定しているも同然だった。
 
 伊勢海老を奥歯で噛み締めながら、もごもごと言葉を続ける。
 
 
「何故、貴方がたが上野涼太を殺したのが保田さんだと知ったのか不思議だったんです。だけど、それが伊藤からの情報だったのなら納得がいく。伊藤は犯人の情報を提供した代わりに、貴方がたからも警察の情報を引き出していた。そうなれば殆ど警察公認の商売みたいなもんですよ。好きなように銃を撃って、ホームレス相手に試し撃ちをしても貴方がたに揉み消して貰えるんですから」
 
 
 試し撃ちの一言に、沼野と七原がハッと顔をあげる。その愕然とした表情を見返しながら、吾妻は悠然と微笑んだ。
 
 
「ここ数年ホームレスが撃ち殺されている事件が多発していましたよね。貴方がたは最初から犯人を知っていたんじゃありませんか?」
 
 
 沼野と七原は答えない。そうなると、まるでマネキン相手に話をしているような気分になってくる。
 
 馬鹿げた一人芝居だ。吾妻は肩を竦めて、言葉を続けた。
 
 
「伊藤の犯罪を見て見ぬフリをして、密売に荷担し続けるのは警察官であるお二人にとってさぞかし辛いことだったでしょう。だから、貴方がたは保田さんと伊藤を相打ちにする計画を立てた。邪魔者二人を一気に消すために、健一を囮にしたんですよね? 健一が伊藤に殺されかければ、きっと健一を助けるために保田さんが伊藤を手にかけると思ったから」
 
 
 ふふっと短く笑い声を零す。何も可笑しくはなかったが笑いが自然と漏れた。
 
 
「そのおかげで健一は伊藤に殺されかけましたよ。可哀想に首を絞められて、指の骨まで折って。嗚呼、とっても痛かっただろうなぁ」
 
 
 その折れた指を容赦なく捻じ曲げたのは記憶に新しい。身を捩って激痛に悲鳴をあげる健一はとても可哀想で可愛かった。あの時の光景を思い出すだけで、首筋が興奮にぞくぞくと粟立つのを感じる。
 
 気付けば、七原の細い身体がカタカタと小刻みに震えていた。沼野は虚ろな眼差しを赤い円卓へと落としたまま唇を半開きにしている。自身の罪を突きつけられて、半ば茫然自失状態なのだろうか。
 
 そんな二人を見据えたまま、吾妻は殊更華やかに微笑んだ。
 
 
「僕は健一を殴ります。蹴ります。骨を折ります。これからも犯して犯して犯し尽くします。十二歳の子供の心が壊れようが周りを傷付ける人間になろうが知ったこっちゃない。これが貴方がたの選んだことの代償です。子供を助けることよりも、自分たちの復讐を優先させた。欲望のために一人の子供を生き地獄に叩き落とした。それをちゃんと自覚して下さい」
 
 
 自覚のない悪党共へとその罪悪を突き付ける。だが、その滑稽さに唇が自嘲の笑みに歪んだ。その子供を生き地獄へ突き落とす張本人が何を言ってやがる。健一を傷付けるのは紛れもなく吾妻自身なのだ。
 
 沼野が半開きの唇を戦慄かせて、ぽつりと呟く。
 
 
「…許せなかったんだ」
「ええ、解りますよ」
「愛していたんだ、息子を。俺の人生で、唯一の宝物だった。涼太が成長して、大学を卒業して結婚して幸せに生きていく姿をずっと見ていたかった。それなのに、どうして、あんな変態の身勝手な欲望で奪われなきゃならなかったんだ。どうして、涼太はたった五歳で死ななくちゃいけなかった。あんな冷たい土の下で、ボロボロに腐っていかなくちゃならなかった」
 
 
 それはもう吾妻に対する釈明というよりも、何か絶対的なものに対する懺悔のように聞こえた。沼野はじっとテーブルを凝視したまま、唇を隠微に動かし続ける。
 
 
「どうしても、殺した奴を許せなかった。ただ、殺すだけじゃなく、涼太が味わった以上の地獄を味合わせて殺してやりたかった。そのために、手段を選んでる暇なんかありゃしなかったんだ…」
 
 
 もうそれは呆けた爺の繰り言のように聞こえた。
 
 ぶつぶつと念仏を繰り返す沼野から視線を逸らして、吾妻は伊勢海老を最後のひとかけらまで貪り尽くした。汚れた指先を意地汚く嘗めて、肩を揺らして嗤う。
 
 
「同情しますよ、心から」
 
 
 その言葉の空々しさに笑いが止まらなくなった。咽喉を震わせて笑い声を零し続ける。この部屋で笑っているのは吾妻だけだ。寒々しい笑い声がやけに大きく聞こえた。
 
 気付けば、啜り泣きの声が聞こえた。七原が俯いたまま、ぼろぼろと涙を零している。それを眺めて、吾妻は優しく囁き掛けた。
 
 
「泣く権利があるとでも思ってるんですか?」
 
 
 加害者に泣く権利なんざあるはずがない。畜生は泣かない。それこそが畜生である罰なのだから。
 
 それでも七原の涙は止まらない。女の啜り泣きが鬱陶しくて、臓腑が煮えくり返るほど腹立たしくて、不意に眼球の奥が赤黒く染まった。脳神経が怒りで激しくスパークする。
 
 突然、硝子が砕け散る音が聞こえた。鼓膜の奥でキーンと耳鳴りが響く。
 
 気付いたら、先ほどまで手元にあったはずのグラスがなくなっていた。グラスは七原の背後の壁に叩き付けられて粉々になっている。
 
 
「それ以上泣いたら、目玉を抉りますよ」
 
 
 涙に濡れた七原の眼球が恐怖で見開かれている。その黒々とした眼球を見つめて、吾妻はそっと微笑んだ。
 
 
「お二人ともお疲れでしょう。本日はどうぞお帰り下さい」
 
 
 柔らかな物腰でそう促すと、沼野はよろめきながら立ち上がった。隣で硬直する七原の腕を掴んで、無理矢理椅子から引っ張り上げる。
 
 去っていこうとする背に、吾妻は溌剌とした声をあげた。
 
 
「これからも宜しくお願いしますね。どうぞ『仲良く』してやって下さい」
 
 
 沼野がよろよろと振り返る。その唇の端には自嘲ともつかない冷笑が滲んでいた。
 
 
「『仲良く』な…」
「ええ、何せいろいろと『悩みの種』は尽きませんので、何かあった際は是非『助言』や『お力添え』を頂ければ助かります」
 
 
 言外に意味を含ませた吾妻の言葉に、沼野はもう皮肉を返す気力もないようだった。二三度曖昧に頷いたかと思うと、呻くように呟く。
 
 
「もう、四課はあんたら吾妻組に手出しはしないさ。それが望みだろう? 解ってる、解ってるさ。だから、もう何も言わないでくれ」
 
 
 張りを失った声は死者の声のようにも聞こえた。
 
 復讐を果たしたというのに彼らの心が生き返ることはない。脅される相手が変わった程度の違いでしかない。このまま、罪の連鎖に呑み込まれて干からびていくだけだ。
 
 だが、それすらも自業自得でしかなかった。この結果を選択したのはお前らだ。
 
 沼野と七原の姿が消える。赤い円卓の前に座ったまま、吾妻は次の大皿へと手を伸ばした。だし汁がたっぷり入った上海蟹の小籠包を頬張りながら、ふと考える。
 
 例えば、上野涼太と同じように健一が突然誰かに殺されたとしたら。吾妻は健一の仇を取ろうとするだろうか。
 
 取り留めのない思考が脳髄をゆるゆると這い回る。
 
 結局出た答えは『否』だ。おそらく吾妻は、健一のために復讐をしようとは思わないだろう。健一が死んだ時点で、吾妻も自らの命を絶つだろうから。
 
 その死を耳にした瞬間に、何がなんでも死のうとする自分の姿が簡単に想像できるようだった。胸ポケットにさしたボールペンで頸動脈を突き刺してもいい。机の角に頭をぶつけて死んでもいい。ビルから飛び降りてもいい。
 
 健一がいない世界に一秒足りとも生きていたくはない。健一のいない世界なんて糞だ。屑だ。地獄以下だ。吾妻にとって、世界のすべてはただ一つ、健一だった。
 
 だが、その一方で健一なんて死ねばいいと思う気持ちもあった。永遠に手に入らないものを見続けるのは辛い。愛してくれない相手を愛し続けるのは地獄の苦しみだ。愛と憎悪が絡み合って、吾妻の心を掻き乱す。
 
 離したくない。傍にいてほしい。その指先に触れたい。どうか、一度でいいから好きだと言って欲しい。嘘でもいいから…
 
 本当は、たったそれだけだ。それだけなのに、どろどろに粘着いた執着心が暴力へと変わる。あの子を追い詰めて、心を粉々に砕いていく。愛されないのなら憎まれる方がマシだとばかりに。
 
 
「救いようがない」
 
 
 無意識に呟いていた。独り言を漏らす滑稽さに嗤いが込み上げた。
 
 

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