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41 同級生

 
「何が救いようがないんだ?」
 
 
 ふと入口の方から聞き覚えのある声がした。
 
 入口から現れた真っ白なコートを羽織った男が向かい側の席へとどっかりと腰を下ろす。その昔と変わらぬ遠慮のなさに、吾妻は思わず口元を綻ばせた。
 
 
「やぁ、王」
 
 
 吾妻の親しみの篭もった声音に、男は呆れたように首を左右に振った。
 
 
「王って呼ぶなよ。今は青柳だ」
 
 
 青柳が円卓の上の皿を覗き込む。その眉間にぐっと皺が寄った。
 
 
「あぁ、エビチリぐらい残しとけよ。俺の大好物なのに。お前の無駄な大食いは相変わらず健在だな」
「それを言うなら王だって、相変わらず名前を呼ばれるのが嫌いなの?」
「当たり前だろうが。歴史的名打者と同じ名前をもって生まれた野球少年がどれだけ思春期に傷付くと思ってるんだ。俺がガキの頃に、何回名前負けの王って言われたと思う」
「王は、いいキャッチャーだったよ」
「打撃の冴えないキャッチャーな。何だよ、相方に褒めてもらったって嬉しくないぞ」
 
 
 そう言いながらも、青柳の顔はにたにたと緩んでいる。砕けた口調やその俗物的な笑みが品の良さそうな顔立ちにまったく似合っていない。
 
 
「懐かしいな。王とバッテリーを組んでたのはもう十年以上前か」
「十年の歳月を経て、キャッチャーは警察官に。ピッチャーはヤクザの親分に」
 
 
 まるで歌でも歌うかのようにリズムをつけて青柳が呟く。何とも暢気な青柳の様子に、吾妻は肩を揺らして笑った。
 
 
「青柳警視総監の娘と結婚したのは一年前だっけ?」
「ああ。出来の良い婿養子として可愛がって貰ってるさ。信じられるか? 俺が今は自分のことを『僕』って言うんだ。その方が義父サマからのウケがいいからな」
「王は昔から要領が良かったからね。先生からも信頼されてたし、部員達からは先輩後輩関係なく好かれてた。王のそういうところ、すごく羨ましかったよ」
「お前は絵に描いたような苛められっ子だったからな」
 
 
 王の笑みが深まる。酷くサディスティックな笑みだ。その笑みを見返しながら、吾妻は口角を薄く吊り上げた。
 
 
「僕を殴られてるのを王は黙って見てた」
「とばっちりを食うのは御免だからな」
「王が一言やめろと言えば、リンチは止まってたはずだ」
「今更恨み言でも言うつもりかよ」
 
 
 面倒くさそうに青柳が溜息をつく。吾妻はゆっくりと首を左右に振った。
 
 
「いいや、僕は感謝してるんだ。王は、一度も僕をピッチャーから外そうとはしなかった。ヤクザの息子だとか、贔屓だとか一言も言わなかった。甲子園でみんなが僕をレギュラーから外そうとするのを君だけは承知しなかった」
「当たり前だろ。お前ぐらい正確なピッチングをする奴が他にはいなかったからな。わざわざ下手くそな奴を使って負けるだなんて冗談じゃない。俺は負けるのが一番嫌いなんだ」
「王のそういうところが好きだよ」
 
 
 さらりと漏らされた一言に、青柳がパチパチと数度目を瞬かせる。吾妻は両手を組んで、和やかな視線を青柳へと向けた。
 
 
「だから、健一を苛めたのも許してあげるよ」
「苛めた? 俺が?」
「解ってるだろう? あんまり健一を苛めると、僕も君が友達だっていうことを忘れそうになる」
「なぁ、あんまり脅すなよ」
「脅す? 友達を脅したりしないよ」
 
 
 化かし合いのようなやり取りを繰り返す。顔を見合わせて、お互いに微笑む。
 
 真逆の道を歩きながらも、結局吾妻と青柳は似た者同士なのかもしれない。どちらも結局本心を見せようとはしないのだから。
 
 牽制のような数秒の沈黙の後、青柳が椅子へと凭れ掛かってのんびりと息を吐き出した。
 
 
「そういえば、ぬまっちとななちゃんは?」
「帰ったよ。本願を果たして、二人とも抜け殻同然だけど」
「抜けてようが入ってようが、最後まできちんと働いてもらわないとな。今回の件で二つも死体が出た。その上、伊藤のバカのせいでホームレスの死体も大量だ。上と下を言いくるめて処理するのも一苦労だ」
「それが王の仕事だ」
「裸の王様、の仕事だ」
 
 
 皮肉げに青柳が笑う。
 
 青柳は昔からこういう所がある。誰からも羨まれる立場や地位を手に入れているくせに、自分の持っているすべてを時折鼻で嗤う。何もかもを放り出すような言い方をする。
 
 
「まぁ、中間管理職らしく後始末に追われてくるさ」
 
 
 青柳が立ち上がる。だが、ふと思い出したように、唇に人差し指を押し当ててにたりと笑った。悪巧みを思いついたような愉悦をはらんだ表情だ。
 
 
「帰る前に、一つ仮説を話してもいいか?」
「ああ、構わないよ」
「例えば、だ。もし、六年前子供を殺したのが保田くんではなかったとしたら?」
 
 
 青柳の突拍子もない仮説に、吾妻は眉根一つ動かさなかった。動揺したところで青柳を無駄に喜ばすだけだ。
 
 昔から青柳という男は、他人を驚かせたり傷付けたりして愉しむ癖があった。それは今でも変わっていないらしい。
 
 無表情のまま、促すように掌を軽く動かす。
 
 
「どうして、そう思うんだい?」
「刑事の勘かな」
「この世で最も信用できないものの一つだ」
「まぁ、そう言うなよ。俺にはどうしてもあの馬鹿真面目な男が子供を殺したとは思えないんだ」
 
 
 それには吾妻も同感だった。
 
 保田には、子供を殺せるような図太さはない。あの気弱な男では、子供の断末魔の表情を見つめながら首を絞め続ける行為に耐えられないだろう。
 
 青柳が親指を立てて、自身の喉元を緩く示す。
 
 
「腐敗した上野涼太の咽喉は潰れていて、首の軟骨も外れていた。相当な力で絞められた証拠だ。保田くんの細腕ではかなりの重労働だ」
「つまり?」
「殺したのは伊藤だ」
 
 
 朗々と青柳は言い放った。
 
 確かに子供の首といえども、人間の首を絞めて折るというのはかなりの力を必要とする。伊藤の太い腕なら、それだけの力もありそうだ。
 
 
「殺害された当日、保田くんが深夜コンビニにケーキを買いに来ている姿が防犯カメラに映っていた。その時、まだ子供が生きていたとしたら? 独りぼっちの子供は保田くんの帰りを待っていた。その部屋の隣には、伊藤がいる。伊藤は保田くんの部屋に子供がいるのを知って、彼が外出した隙に窓を伝って部屋へと忍び込んだ。そこで子供を見つけた。その時、伊藤が起こす行動は?」
「さぁ、僕には皆目検討がつかないね」
 
 
 わざとらしく肩を竦める。気のない吾妻の返答を気にする様子もなく、青柳は意気揚々と話を続けた。
 
 
「伊藤には小児性愛者の気質があった。勿論保田くんのような真性ではなく仮性、というよりも単なるアニメの見すぎの二次元的な妄想だろうけどね。まぁ、思い込みにしても、無防備な子供を目の前にしてきっと興奮した事だろうと思うよ。伊藤は子供を襲おうとした。もしくは攫おうとした。勿論子供は抵抗する。大声をあげて大好きな先生に必死で助けを求めようとする。そうして、子供を黙らせようとした伊藤は?」
「子供の首を絞めた」
「その通り」
 
 
 青柳が演技がかった仕草でパチンと指を鳴らす。その仕草を眺めながら、吾妻は気怠げに口を開いた。
 
 
「王らしくない空想だね」
「だから、仮説だと言っただろ?」
「仮説の続きは?」
「コンビニから帰宅した保田くんは子供の死体を発見して泣き叫び、茫然自失状態になる。そこに何食わぬ顔で伊藤が訪れて言う。貴方、子供を殺したんですか?」
「それで?」
「それだけだ」
「つまり、保田さんは無実だったかもしれないと?」
「いいや、無実じゃない。保田くんは上野涼太を誘拐した。その行動によって、結果的に子供は死ぬことになった。それだけでも十分罪はある」
「ただ、子供を直接手にかけたのではなかったのかもしれない」
「そう」
「何が言いたいのさ」
「別に何も」
 
 
 そう言ったくせに、王は何かを期待するように微笑んでいる。
 
 保田が無実だったという空想を吾妻に植え付けて、吾妻が狼狽する姿でも見ようとしているのか。馬鹿馬鹿しい。吾妻はふっと鼻で笑った。
 
 
「保田さんが子供を殺してようが殺してまいが、そんな事はどうでもいいよ」
「どうでもいい?」
「保田さんも伊藤も死んだんだ。本当の事を知ってる人間はもう誰もいない。それなら、今更考えても仕方ないじゃないか。死人は喋らない」
 
 
 素っ気ない吾妻の物言いに青柳が大きく溜息を吐く。その露骨につまらなさそうな反応に、吾妻は思わず笑いを零した。
 
 
「それに、子供を殺したかどうかなんて関係なく、僕はいつか保田さんを殺してた」
「何故?」
「だって、健一があの人を好きになりかけてたから」
 
 
 さも当然のように答える。
 
 青柳が意味を把握しかねたように数秒目を大きく開いて、それからカラカラと軽やかな笑い声を零した。
 
 
「嫉妬で殺したのか?」
「そうだよ」
「お前は、あの子が好きになった相手を全員殺していくのか?」
「そう、殺すよ。健一を誰にも渡したくないからね」
 
 
 物騒な事を平然と漏らす吾妻に、青柳が笑いながらも呆れたように首を左右に振る。
 
 
「べた惚れだな」
「そう。夢中なんだ」
 
 
 夢見る乙女のような台詞に、自分自身笑えた。青柳がとうとう腹を抱えて笑いだす。
 
 
「なぁ、なら何でそんな大事な子供をわざと危険な目に合わせたんだ? 囮にしたり、ギャンブルさせたり。あの子が大切ならショーケースにでも大事に飾っておきゃいいものを」
 
 
 至極まともな青柳の疑問に、吾妻は小さく肩を竦めた。
 
 
「健一は置物じゃないからね」
「なら、ダッチワイフか?」
 
 
 遠慮がないを通り越して無神経な青柳の台詞に、吾妻はぐっと眉を顰めた。
 
 
「酷いこと言うね」
「お前がしてることに比べたら優しい方だろ」
「まあね。だけど、健一はダッチワイフじゃない。あの子は僕の大事な跡取りだ」
「跡取り?」
「僕が持っているものは、将来すべて健一のものになる」
「つまり、吾妻組の組長の座もか?」
 
 
 青柳が驚いたように目を見開く。吾妻は悠然と指を組んで、肯定するように口角を吊り上げた。
 
 
「そう。だから、健一には悪党になって貰わないと困る。暴力や死を躊躇わない人間に」
「だから、わざと危険な目に合わせる?」
「そう」
「だが、きっと、あの子は組長の座なんて望んでないぞ」
 
 
 青柳らしくない真っ当な指摘をされたことに苦笑いが零れる。
 
 確かに、健一はきっと吾妻が持つものなんて何一つ欲しがらないだろう。それを渡そうとするのは、所詮吾妻の自己満足でしかない。吾妻は、ただ健一に自分と同じところまで堕ちてきて欲しいだけなのだ。自分と同じ畜生になって、この腐敗した心を欠片でも理解して欲しいだけで。
 
 困ったように微笑む吾妻を見詰めて、青柳が遣る瀬無さそうに呟く。
 
 
「お前はちょっと異常だ」
 
 
 君だって、という悪態は結局口に出さなかった。目の前の傲慢な王様は、きっとそんな事は百も承知だ。だが、自覚しながらも口先だけで否定するのは目に見えている。自分の頭がおかしいのだと認める人間がどこにいる。
 
 青柳が腕時計へと視線を走らせて、口早に言う。
 
 
「それじゃあ、お前のお姫様によろしく。なかなか面白かったと伝えてくれ」
「そうやって他人の不幸を面白がる癖どうにかしなよ」
 
 
 呆れたような吾妻の一言に反省する様子もなく、青柳は軽やかな笑い声を返した。
 
 だが、ふと笑い声を止めると、両面テープで貼り付けたような嘘臭く華やかな笑顔を浮かべた。その顔は吾妻が知る同級生のものではなかった。そこに居るのは、将来何万人もの警察官の上に立つ男だ。
 
 
「それでは、また。吾妻組長」
「さようなら、青柳警視」
 
 
 偽りの世界へと身を投じて、王様のフリをし続ける男を見送る。それはきっと吾妻も同じだ。
 
 あの男と一緒にマウンドの上に立っていた頃が酷く懐かしく思えた。あの頃はただボールを握っているだけで無闇に楽しかった。今、ボールを握っていた拳の中には、大量の泥が詰め込まれている。掌から溢れ続ける泥は、いつか全身を浸して吾妻を溺死させることだろう。それでも、もう元には戻れないのだ。
 
 青柳も吾妻も、随分遠いところへ来てしまった。これから進むべき道も、戻る道も見えなかった。
 
 

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