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07 跡取り

 
「父のために用意されていた椅子を、貴方の男が横から奪い取った」
 
 
 後部座席に腰掛けるなり、ゆり子はそう口火を切った。何処か小気味よさすら感じさせる、歯切れのいい口調だった。それがあまりにも朗らかな声音だったから、健一は一瞬言葉の意味を把握することが出来なかった。だが、ゆり子の意志を理解した瞬間に、顔が嫌悪に歪んだ。
 
 ゆり子の父親とは、つまりは吾妻将真のことだ。将真が座るはずだった次期吾妻組組長の座を、画策によって吾妻真澄がかっ攫った。ゆり子は、そう言いたいのだろう。
 
 
「貴方の男だとか、気色悪いこと言ってんじゃねぇよ」
「そうかしら? でも、周りから見たら、真澄さんは健一くんの男なのよ?」
「お前、喧嘩売ってんの?」
「お前じゃなくて、ゆっこ」
 
 
 噛み付くような健一の言葉に、ゆり子はにっこりと微笑んで呼び方を訂正してくる。その嫌味ったらしさが鼻に付いて、健一は不快感も露わにゆり子を睨み付けた。だが、ゆり子は健一の怒りなど意に介することもなく、おさげの先端を指先で弄くり出した。その仕草だけが、大人びた表情や言葉遣いにそぐわず、何処か幼女じみて見える。
 
 
「ゆり子って呼ばれるの嫌いなんです」
 
 
 呟かれた言葉に、健一は訝しげに目元を歪めた。その露骨な表情に、ゆり子が少しだけ笑い声を漏らす。何となく小鳥のような笑い声だなと思った。
 
 
「何で、自分の名前で呼ばれるのが嫌なんだ」
 
 
 笑われたことにムッとしつつも、率直に訊ねる。すると、ゆり子は少しだけ沈黙した後、吐き捨てるような声でこう言った。
 
 
「他人が付けた名前ですから」
「他人?」
 
 
 ゆり子の言っている意味が理解出来ず鸚鵡返しに呟くと、ゆり子は驚いたように瞬いた。
 
 
「あら、悟から聞いてないですか?」
「はぁ、何がだよ?」
「私、下の弟二人と父親が違うんです。私だけ母の連れ子なんです」
 
 
 呆気ない物言いで深刻な事実が明かされる。ゆり子があまりにも平然とした声音で言うものだから、健一の方がよっぽど動揺した。一瞬視線を揺らして、困ったような表情でゆり子を見返すと、ゆり子が小さく肩を竦めるのが見えた。
 
 
「母の椿には会ったことがありますよね。母は昔カタギの男性と交際していて私を身篭もりました。ですが、私が産まれた直後に、実父は母と私を捨てたんです」
「捨てたって何で?」
 
 
 無遠慮に問い掛ける健一の顔を、ゆり子が無表情に見返す。
 
 
「母は元々関西系の博徒の一人娘です。母の実家は関東広域を支配する吾妻組と手を結びたがっていましたし、吾妻組も関西へと進出する機会を伺っていたようです。ですから、吾妻の息子と母との婚姻は言うなれば関西と関東が手を結んだという他の組への威光や威嚇になります」
「それって政略結婚ってやつ?」
「そういうことです」
「ふぅん、鬱陶しいな」
「鬱陶しいですか?」
 
 
 健一の独りごちるような声音に、ゆり子が不思議そうに首を傾げる。健一は億劫そうに頷いた。
 
 
「人の人生にいちいち干渉してくる奴はウザったい」
 
 
 正直な健一の感想に、ふとゆり子が口元に淡く笑みを滲ませる。何処か気弱さを感じさせる泣き笑いの表情だった。ゆり子は一度溜息を漏らしてから、話を続けた。
 
 
「ですから、組同士を結ぶ為に何としてでも二人を結婚させたかった母の実家が、実父に金を渡して消えるように命じたんです。私が産まれた日、私の名前をつけた直後に父は消えました。書き置きには『もう君たちとは他人になる』と書いてあったようです」
 
 
 だから、他人がつけた名前なんて嫌いです。と、ゆり子は呟いた。淡々としたゆり子の口調に悲愴感はない。百年以上も前の歴史について語るような、他人事のような空気すら感じられる。ゆり子はおさげを弄りながら、ゆっくりと視線を上げた。
 
 
「母は赤ん坊の私を抱いたまま、半ば拉致されるようにして今の父、吾妻将真の元に嫁ぎました。最初は無体な真似をされるんじゃないかと母は危うんでいたようですが、父は母や私にとても良くしてくれました。それこそ実の娘のように接してくれています。ですから、私は父に心から感謝しているんです」
 
 
 口調がですます系なせいか、ゆり子の言葉は決められた台本を読んでいるようにも聞こえた。もしくはあらすじをつらつらと並べただけの小学生の読書感想文か。その中で『心から感謝』という感情的な台詞だけが何処か浮いて聞こえた。
 
 
「だから?」
 
 
 わざと冷たく促すと、ゆり子はそっと小首を傾げるようにして微笑んだ。柔らかくて、そのくせ温度の感じられない爬虫類のような笑顔だ。その笑みに、健一は微かに皮膚が粟立つのを感じた。
 
 
「私は奪われた父の椅子を取り返したい。そのためには真澄さんに今いる場から退いてもらわなくてはいけません」
「それがなんで俺と殺し合うって発想になるわけ? あいつが憎いなら、直接あいつをどうにかすればいいだけの話だろうが」
 
 
 憎々しさを篭めて、健一は鈍く吐き捨てた。だが、ゆり子はゆっくりと首を左右に振った。
 
 
「真澄さんがただ組長の座からおりただけでは駄目なんです」
「だから、何で」
「貴方、本当に何も知らないんですね」
 
 
 問い続ける健一に対して、ゆり子が口元に紛れもない嘲笑を滲ませる。その笑みにカッと眼球の奥が熱くなるのを感じた。奥歯の辺りでガギッと歯が軋む音が響く。それでも、ゆり子は余裕綽々に微笑んだまま、穏やかな声でこう続けた。
 
 
「吾妻組は世襲制です」
「は?」
「貴方は、真澄さんと養子縁組みをしました。つまり、実際は愛人だろうが、法律上では真澄さんの息子なんです」
 
 
 そこまで言われて、ようやく健一はゆり子の言いたい事を汲み取った。見開いた目でゆり子を凝視する。驚愕を滲ませる健一を見返して、ゆり子が何とも気の毒そうな表情を浮かべる。だが、その表情も何処か嘘臭かった。
 
 
「真澄さんが死んだら、貴方が吾妻組の跡取りです」
 
 
 咄嗟に、顔が歪むのを堪え切れなかった。片頬を醜く引き攣らせて、健一はゆり子を睨み付けた。
 
 
「俺は、あんな家の跡なんか継ぐつもりはない」
「貴方がそう言っても、周りの人間がそれを許しません」
「俺は、あの家とは関係ない他人だぞ。そんな奴に継がせたがる人間なんかいるもんか」
「貴方、ポーカーで五千万勝ったんですよね」
 
 
 突然ゆり子の口から出てきた言葉に、健一はピタリと動きを止めた。確かに健一は去年の冬に裏賭博で五千万近く稼いだが、何故ゆり子がそれを知っているのか。
 
 
「貴方が内臓を担保にして五千万勝ったことは、組内では随分と有名な話になっていますよ。十二歳の少年が博打で大人を負かして、更に敗者の内臓を売らせたなんて快進撃は未だかつて聞いた事がありませんから」
「…それがどうしたって言うんだ」
 
 
 苦虫を噛み潰したような健一の台詞に、ゆり子が微笑みを深める。健一の心の暗部を、すべて見透かしているような仄暗い笑みだ。
 
 
「博打で強い人間は組内では畏敬の対象です。つまりは、直感力と才気に溢れていることの証明ですからね。貴方は、良くも悪くも博徒達から一目置かれ始めた。若い組員達の中には、もう貴方に心酔している者もいるようですよ。彼らにとっては吾妻の血筋などよりも、上に立つ者の素質が重要ですから。貴方の跡継ぎとしての素質は、私や弟達よりもずっと認められている」
 
 
 次々とゆり子の口から語られる言葉は、何処か夢物語のようにも聞こえた。勿論、その夢は悪夢でしかないが。微か痛み始めたこめかみを掌で押さえて、健一は不快感も露に鼻梁に皺を寄せた。そんな健一の顔を覗き込んで、ゆり子が甘く囁く。
 
 
「いい加減気付いたらどうですか? 貴方が望むにしろ望まないにしろ、事実、貴方は王座の後ろに立っているんです」
 
 
 そんなものは一度も望んだことはない。欲しいとも思わない。それが事実なら、後ろから椅子を蹴り倒してやりたいくらいだ。どうして、どいつもこいつも人を蔑んだり、一方的に崇めたりするんだ。大事なものを奪い取って、無理矢理要らないものを押しつけてくる。健一は、もう何も欲しくないのに。
 
 押し黙る健一を見据えてから、ゆり子は背中を後部座席にぼふっと埋めた。健一が口を開かないのを見て、何処か重苦しい表情で呟く。
 
 
「私は、父を組長にしたい気持ちも勿論あります。でも、それ以上に弟たちの居場所を守りたいんです。貴方が居るだけで、私の弟たちは組員達から舐められる。血を引いた子供よりも愛人の方がよっぽど才気があると馬鹿にされる。実子でない私ならまだしも、父の、吾妻将真の血をひく弟達が『出来損ない』と嘲られるのは死んでも我慢ならない」
 
 
 初めてゆり子の口から慇懃さが消えた。だからこそ、健一にはそれがゆり子の本心なのだと悟った。もしかしたら、ゆり子は自分が平凡な男の子供である自覚故に、将真の実子である弟たちを王座に付かせることが使命だと思い込んでるのかもしれない。
 
 ゆり子は一度ゆっくりと瞬いた後、困ったような表情で健一を見つめた。
 
 
「だから、私たち、どんな手を使ってでも貴方に勝たないといけないんです。無能な子供だと思われないためには、そうするしかないんです」
 
 
 健一へと戦いを挑みながらも、ゆり子の声は既に戦うことに疲れ果てているようにも聞こえた。何となく、目の前の少女は自分自身に戦うことを強いているように思える。平凡な少女が無理をして強がっているような、そんな痛ましさを感じて、健一はそっと溜息を呑み込んだ。
 
 

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