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10 美しいところ

 
 リビング中央に置かれた円卓を囲むようにして、四人の子供達は座っていた。健一と悟の間にパクヒョルが立ち、慣れた手付きでトランプのカードをくっている。パクヒョルの白く細い指がまるで生き物のようにカードを滑らかに操るのを、健一はじっと見上げていた。
 
 吾妻も最初はテーブルの傍に立っていたが、携帯に着信があった後、傍らから離れて行ってしまった。今はリビングのソファーに座って、ノートパソコンの画面を眺めている。時々、キーボードを叩く軽快な音が背後から聞こえてきた。
 
 カードが目の前のテーブルへと均等に配られる。最後の一枚まで配り終わると、パクヒョルはそれぞれのカードを手に取るように、健一達へとゆるりと掌で示した。
 
 
「これから『Old Maid』します」
 
 
 突然パクヒョルの唇から流暢な英語が零れたことに、健一はパチパチと両目を瞬かせた。
 
 
「オールド、メイド?」
「ババ抜きのことだ」
 
 
 首を捻る健一に、悟が嫌味ったらしい声音で横槍を入れてくる。しれっとした様子でカードを手に取る悟を横目で睨みながら、健一は小さく呟いた。
 
 
「何でババ抜きをするのさ?」
 
 
 つい先ほどまではBJをすると言っていたのに、ババ抜きなんて小学生がやるようなゲームに変わっているのが酷く不思議だった。訊ねる健一を見下ろして、パクヒョルが緩やかな口調で喋り出す。
 
 
「私、考えました。貴方、もっと嘘吐きになるべき」
「嘘吐き?」
「そう。博打に大事なの『ウソつくこと』と『ウソ見抜くこと』。貴方、両方ともヘタクソ。貴方、馬鹿正直」
 
 
 遠慮のないパクヒョルの物言いに、健一はムッと鼻梁を寄せた。威嚇する犬のような表情の健一を見て、隣に座る実がケラケラと高らかな笑い声をあげた。
 
 
「健一、バカショージキだってっ! バッカ!」
「五月蠅い。もう一回顔面張り飛ばされてぇのか」
 
 
 甲高い笑い声が気に障って、実へと見せつけるように右手を軽く掲げる。途端、実はピタリと笑い声を止めて、背筋をしゃんと伸ばした。そうして、慌てた様子でトランプを両手に持ち始める。先生に叱られた幼稚園児のようなミノルの反応が少しだけ可笑しかった。
 
 健一と実との遣り取りを気にとめることもなく、悟とゆり子は自身に配られたトランプからペア札を次々と抜いていっている。我関せずな二人の様子に溜息を付きそうになりながら、健一は自身のカードへと手を伸ばした。健一の手札にババは入っていない。ペア札を雑に抜きながら、健一はパクヒョルへと更に訊ねた。
 
 
「それで、嘘吐きになる事とババ抜きにどういう関連性があるのさ」
「関連、ある。健一さん、今ババ持ってる人、だれかわかるか?」
 
 
 パクヒョルの掌がゆり子と悟とミノルを指し示す。ゆり子と悟が同時に顔をあげて、健一をじっと無表情に見つめてくる。少し遅れて、ミノルが何処かきょとんとした眼差しで健一を眺めた。こちらを凝視してくる六つの目玉に怯みそうになりながら、健一は口角を僅かに引き攣らせた。
 
 
「誰かって、そんなん分かるわけないじゃん。誰が持ってるか判んないからゲームなんでしょ」
「これ、ゲームじゃない。勉強」
「俺はこんな勉強したいなんて言ってな…」
「ぐずぐず言わずに、さっさと当てろ、です」
 
 
 言い掛けた反抗の言葉を、パクヒョルは容赦なく叩き落とした。有無を言わせないパクヒョルの声音に、健一はしぶしぶ視線を三人へと移した。健一と目が合うと、ゆり子はにっこりと微笑み、悟は無愛想に視線を逸らした。ミノルだけは、まだ現状が把握出来ていないような、ぼんやりとした表情を浮かべている。
 
 
「ババなら私が持ってるわよ」
 
 
 おさげを指先で弄りながら、ゆり子がそう宣言する。だが、その顔には得体の知れない笑みが浮かんでいた。そんな胡散臭い言葉は、到底鵜呑みに出来るわけがない。微笑むゆり子を横目でねめつけながら、健一は悟へと視線を向けた。
 
 
「お前は?」
「さぁね」
 
 
 投げ遣りな悟の返答に、健一は露骨に眉根を寄せた。
 
 
「さぁね、って何だよ」
「どうでもいいって意味だ。僕が持ってると答えようが、持ってないと答えようが、君はどうせ信じないだろう。だから、答えたところで意味がない」
 
 
 素っ気なく言い放って、悟は健一を静かに見据えた。その眼差しを見返して、健一は嘲るように小さく鼻を鳴らした。
 
 
「当たり前だ。ストーカー野郎を信じられるわけないだろうが」
 
 
 健一を監視するために付けられた見張り役。健一を地獄に縛り付ける鎖の一つ。そんな人間をどうやって信じろと言うのか。どうせ今健一の周りにいる人間は、全員吾妻側の人間でしかないのに。
 
 健一の侮蔑の言葉に、悟が微か不愉快そうに唇を歪める。二人の間に険悪な空気が漂い始めたのを感じて、パクヒョルが遮るように声をあげた。
 
 
「貴方達、喧嘩しない。いまは勉強の時間。健一さん、ババもってる人、あてなさい」
 
 
 促す声に、健一は鈍く唸り声を漏らしながら、悟から視線を逸らした。悟はまだ健一を睨み付けたままだ。思っていたよりも、悟は負けず嫌いな人間なのかもしれない。
 
 健一は、再び周りの人間の顔を見渡した。にこにこと微笑むゆり子、無機質ながら怒りのオーラを漂わせた悟、物を知らないようなミノルの顔。
 
 
「ババ持ってんのは、ゆり子」
 
 
 半ば居直ったような声で、健一はそう言った。途端、畳み掛けるようにパクヒョルが声をあげる。
 
 
「なぜ、そう思った?」
「理由なんてないよ。勘だよ勘」
 
 
 そう投げ遣りに答えた途端、パクヒョルの顔が目に見えて曇った。何処か呆れたような眼差しで健一を見下ろしている。
 
 
「貴方、ちょっと馬鹿」
「は?」
「貴方、博打勘違いしてる。博打には、確かに勘ダイジ。だけど、九割勝つためには、『勘』を理論で埋めていく作業がヒツヨウ。貴方、理論なく、感情だけで行動決める。それ、犬でもできる。貴方、犬か?」
 
 
 冷たく問われた言葉に、健一は一瞬言葉を失った。パクヒョルの寒々とした瞳には、紛れもない失望が浮かんでいる。それを見た瞬間、皮膚の下で血液が凍り付くような感覚に襲われた。どうしてだか、パクヒョルに呆れられるのは嫌だった。
 
 唇を瞬息震わせて、健一は掠れた声で答えた。
 
 
「俺は、犬じゃない」
「宜しい。一分、差し上げます。脳味噌使って、考えなさい」
 
 
 口早に言い放って、パクヒョルが左手の腕時計へと視線を落とす。その動作を見るやいなや、健一は視線を三人の子供たちへと移した。
 
 頬杖をついて微笑みを浮かべるゆり子、興味なさそうに窓の外へと視線を向ける悟る、健一を見上げるミノルの顔をそれぞれ見つめる。だが、幾ら顔を眺めたところで嘘吐きが誰なのかなど判るわけがなかった。
 
 
「だから、私がババを持ってるって言ってるじゃない」
「五月蠅ぇな、黙ってろよ」
「親切で言ってるのに」
 
 
 白々しく言いながら、ゆり子が指先でおさげの毛先を軽く弄くる。そのわざとらしい仕草に苛立ちが募る。爪を噛みたくなる衝動を堪えながら、健一は必死で脳味噌を動かした。
 
 どうすれば、たった一分で嘘吐きを見付けだす事が出来るのか。会話から見破ろうにも、一分では得られる情報が少なすぎる。仕草から嘘を見抜けるほど、健一は目の前の兄姉のことを知ってはいない。
 
 にっちもさっちもいかない現状に視線を伏せた時、片手に開いていた自身の手札が見えた。そのカードの束を見た瞬間に、ある考えが不意に閃いた。健一は自身の手札を凝視して、ハッと目を見開き、驚きに満ちた声をあげた。
 
 
「…あっ、ババ、俺が持ってんじゃん!」
 
 
 そう言った次の瞬間、耳に全感覚を集中させた。そうして、確かに聞こえた。カードと指先が擦れる、微かな音が。指紋の凹凸が紙のカードの上を滑る乾いた音を。
 
 鳥の呼吸ほどの小さなその音を聞いて、健一はカードへと落としていた視線を、ゆっくりと持ち上げた。唇を薄く開き、短く息を吸い込んで吐き出す。
 
 
「ババを持ってるのは、ミノルだろ」
 
 
 向けた視線の先で、少しバツが悪そうな表情をしたミノルが肩を竦めていた。ミノルが唇を尖らせて、手札を机の上へと広げる。その中には、確かにババのカードが混ざっていた。
 
 
「…けんいち、ウソついたなぁー…」
「嘘に引っかかる方が悪い」
 
 
 そう言い放つと、ミノルは悔しそうに鼻梁に皺を寄せた。
 
 健一が『ババを持ってる』と嘘の主張すれば、ババを持っている人間ならば咄嗟に自分の手札を確認すると思ったのだ。実際ミノルは手札を覗き込むのは堪えたものの、反射的に指先がカードの上を滑ってしまった。その音がババを持っている何よりの証拠だった。
 
 それにしても、ババを持っているのにミノルが何も知らない演技をしていたのが少し意外だった。目の前の子供は、何も考えず傍若無人に振る舞っているだけのように思っていたが、きちんと『博打の勉強』をしてきているのだ。ミノルは、本気で組長になろうとしているのかもしれない。
 
 
「宜しい。健一サン、まず合格です。ミノルサンは、簡単にドウヨウしない。相手のブラフに、惑わされない。ダイジです」
「わかってるよぅ…」
 
 
 パクヒョルの指摘に、ミノルが不貞腐れたように机へと突っ伏す。
 
 
「それから、ユリコサン。貴女、嘘つくとき、髪イジるクセあります。これ致命的、直しなさい。サトルサンは、もう少しヤル気出しなさい。ポーカーフェイスと無関心、意味まったく違う。無関心気取れば、最後に負けるの貴方です」
 
 
 そう言い放ちながら、パクヒョルが緩くゆり子と悟をねめつける。だが、ゆり子も悟も素知らぬ様子で視線を逸らしたままだ。パクヒョルは緩く溜息を漏らしながら健一へと視線を戻すと、静かな口調で続けた。
 
 
「嘘見抜くためには、相手のすべてを観察するヒツヨウあります。癖、仕草、呼吸音、体温、発汗、筋収縮、何一つ見逃さないようにする。解りますか?」
 
 
 問い掛けられた言葉に、健一はこくんと素直に頷いた。すると、パクヒョルが微かに口元を綻ばせた。笑うと、能面のようなパクヒョルの顔に匂い立つような人間味が滲み出る。その表情に、ふと胸が温かくなるのを感じた。
 
 
「パクヒョル、は」
「はい」
「笑うといいね」
 
 
 ふと思った事がそのまま口に出た。その稚拙な台詞に、微かな羞恥すら覚える。パクヒョルは健一の唐突な言葉に、面食らったように目をぱちぱちと瞬かせて、それから緩く首を傾げた。
 
 
「笑うと、イイですか?」
「…うん、優しい感じになって、いいと思う、けど…」
 
 
 問い返されて仕方なくぽつぽつと言葉を返す。健一のたどたどしい言葉に、パクヒョルが緩く目を細める。
 
 
「そんな事、言われたの、初めてです」
「…ふぅん」
 
 
 気恥ずかしさを誤魔化すために、わざと素っ気ない返事を返す。すると、パクヒョルは、ふ、と短く息を吐き出して微笑んだ。
 
 
「私、少しゼンゲン撤回します。貴方のバカ正直なところ、悪いことではない。貴方の、美しいところ」
 
 
 パクヒョルが指先をそっと伸ばして、左人差し指で健一の左胸をトンと叩く。その微かな振動がじわりと心臓に広がる。
 
 
「これ、失ってはいけない」
 
 
 指摘された言葉に、健一は困惑した。馬鹿正直だと卑下された後に、それを美しいと褒められて、一体どういう反応をすればいいのか解らなかった。唇を微かに尖らせて、不貞腐れた声で呟く。
 
 
「でも、馬鹿正直に生きたら損をする」
「そですね」
「…じゃあ、どうしろって言うのさ」
「貴方、正直なウソ吐きになりなさい」
「はぁ?」
「チンケなウソつかず、正しいウソつきなさい」
「パクヒョルの言ってること、よく解んねぇ…」
「百のウソつく人間、ただのクソ野郎。でも、百の中に一つだけウソをつく人間はーー」
 
 
 その言葉を最後まで聞くことは出来なかった。
 
 健一の背後から勢いよく伸びてきた掌が、健一の左胸へと当てられていたパクヒョルの左人差し指を鷲掴む。次の瞬間、パキッという枯れ枝のような音と共に、パクヒョルの人差し指があらぬ方向へと捻じ曲げられるのが見えた。その瞬息後、パクヒョルの顔が鮮烈に歪んだ。
 
 
「誰が、健一に触っていいって言った?」
 
 
 背後から、ねっとりと絡み付くような声が聞こえてきた。
 
 

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