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08 ユビ *切断描写有

 
 ゲッともギャッとも聞こえる濁音の悲鳴を上げながら、反復運動のように二人の男達の額は、壁へとガツガツと音を立てながら叩き付けられ続けている。手加減のない動きだった。男達の額から真っ赤な血が染み出て壁のタイルに赤い色を残しても、額の肉が殺げて壁へと組織がこびり付き始めても、田丸は力を抜こうとはしなかった。それは酷く事務的な、機械が決められた動きをしているかのようだった。
 
 もう既に男達の膝からは力が抜けている。その弛緩した身体を直立させているのは、男達の後頭部を掴む田丸の細い腕だ。
 
 もう壁からは衝撃音は聞こえない。べちゃっ、べちゃっ、と潰れた肉と肉とがぶつかり合うような気味の悪い音が聞こえてくる。壁から引き剥がされた男達は、完全に白目を剥いていた。その額は真っ赤に染まり、その赤の中から鮮やかな白色が覗いていた。額から完全に肉が剥離して、頭蓋骨の一部が覗いているのだと気付いた瞬間、ヒナコの皮膚は一気に粟立った。唇からヒッと短い悲鳴が溢れる。
 
 床に転がる長髪の男がぶるぶると全身を震わせて、田丸を指差す。長髪の男の顔は、頬から顎に掛けて、見るも無残に腫れ上がっていた。
 
 
「あ゛、あぁが、ばぁ、ぢでう゛…」
 
 
 顎が外れているのか、その言葉を解読することは出来なかった。田丸が思い出したように長髪の男へと視線を向ける。まるで足元の虫でも見るかのような、冷めた眼差しだった。
 
 
「御前、自分が今日死ぬかもしれないって考えたことはあるか?」
 
 
 気絶した男達を、紙屑のように床へと放り投げながら、田丸が問い掛ける。床に尻餅をついたままな長髪の男と、視線を合わせるようにしゃがみ込む。長髪の男が恐怖に目を見開き、訳もわからないように首を左右に打ち振る。
 
 すると、田丸は不意に微笑んだ。頭の悪い子供を嗜めるような、慈愛すら感じさせる微笑だった。
 
 
「なら考えろ。今直ぐにだ」
 
 
 言っておきながら、田丸は肩を竦めて「間に合わないかもしれないな」と付け加えた。そうして、次の瞬間には、田丸は、ぽかんと開かれた長髪の男の口へと、男自身の右手を突っ込んだ。
 
 
「俺の女に触った手は、こっち?」
 
 
 問い掛けるが、長髪の男は目を白黒させるだけで答えられないようだった。ただ、指を銜えたまま、あがあがと言葉にならない声を鈍くあげている。田丸は、男の頭を一度ゆっくりと撫でてから言った。
 
 
「口から手ぇ抜いたら殺す」
 
 
 優しげに残虐な言葉を漏らす。長髪の男の咽喉がひくりと弱々しく震える。その震えに構う様子もなく、田丸は立ち上がり、そうして次の瞬間、男の顎へと向かって革靴の先端を一気に振り上げた。
 
 骨が割れるような音と一緒に、ぐちゅんと果実が潰れるような気味の悪い音が響いた。ぱたぱたっと噴き出した血がトイレの床の上に飛び散る。一瞬、ヒナコには何が起ったのか解らなかった。田丸が爪先を退くと、薄っすらと開かれた男の唇の端から、ぽろぽろと小さな塊が転げ落ちる。
 
 指だ。長髪の男は、自分自身の指を、歯で噛み切った事に気付いていないのか、呆然とした表情のまま床の上を転がる指を眺めている。しかし、口から引き抜かれた右手に親指しか残っていないのを見ると、途端顔色をなくして床の上を転がり回った。先ほど顎を蹴られた際に、完全に顎骨が砕けたのか悲鳴は出てこなかった。ただ死に掛けた獣が藻掻き苦しむような、惨い呻き声がトイレに満ちる。
 
 
「ふ、ギュ、ゥウ゛ぎギュ…!」
 
 
 長髪の男の右手断面から、ばしゃばしゃと血が流れ出ている。まるで、指先が水道の蛇口にでもなったかのようだ。ヒナコは悲鳴を上げそうになる唇を、両手で必死に押さえた。
 
 そんなヒナコに対して、田丸はマイペースな様子で、床に散らばった四本の指を爪先で一箇所に集めている。そうして、四本の指を拾い上げると、そのまま洋式便所の水の中へといい加減に放り込んだ。ぽちゃんと間の抜けた音が響く。そうして、躊躇う様子もなく、田丸は男の指を水とともに流した。一際大きな水流の音が響く。
 
 長髪の男がひぎゅう゛ぅと奇妙な叫び声をあげながら便座へと取り縋る。そうして、水とともに流れ去った自分自身の指を追い求めるように左手を便水の中へと突っ込んだ。びちゃびちゃと水を漁るような音が響く。それは浅ましい姿だった。だが、それと同時に、酷く物悲しい光景だった。
 
 背後からその様子を眺めながら、田丸は眠たげに瞬きをした。そうして、長閑な欠伸を零したのだ。他人の指を噛み千切らせておきながら、一切の邪気を感じさせない田丸の姿に、ヒナコは戦慄いた。
 
 田丸の暴力は、殴打という単語だけでは足りなかった。粉砕だ。炸裂し、人間を粉々に破壊する。ヒナコは、田丸に対して紛れもない恐怖を感じていた。先ほどまで、確かに目の前の男に欲情していたはずなのに。
 
 
「親指が残ってりゃ、ライターぐらいは擦れるだろう」
 
 
 投げ遣りに独りごちて、田丸は肩の凝りをほぐすように首をぐるりと回した。ぽきぽきと頚骨が軽い音を立てるのが聞こえる。そうして、首を回すついでのように、田丸はヒナコへと視線を向けた。青褪めたまま小刻みに震えるヒナコを眺めて、田丸は緩く首を傾げた。
 
 
「俺のこと嫌いになった?」
 
 
 首筋をナイフの刃先で撫でられたような感覚に陥った。声はひやりと冷えていた。ヒナコは、田丸の顔を見ることが出来なかった。俯いたまま、タイルを這って流れてくる赤い液体を一心に見詰める。そうして、ふと掠れた声が聞こえた。
 
 
「あんたのこと好きになりかけてたのにな」
 
 
 溜息混じりの深い断念の言葉だった。まるで迷子になった子供のような心細そうな声音に、不意に胸を衝かれた。咄嗟に手を伸ばす。気付けば、田丸の右肘を掴んでいた。田丸の眉尻は、柳のようにくんにゃりと下がっている。
 
 
「俺の女、って本当ですか?」
 
 
 唇が勝手に問い掛けていた。田丸が一度瞬いて、それからこくりと拙く頷く。
 
 
「嘘じゃない」
 
 
 その言葉一つで、胸が満ち足りる。安い女だ。違う、安い人間だ。常日頃DVを受けている女が男のたった一言の謝罪で許してしまう気持ちが解る。つれない男が不意に吐く甘い言葉は、まるで毒だ。可愛くて、心から愛しくて、中毒になったように離れられなくなってしまう。
 
 足元に広がる血の色を視界に収めながら、ヒナコは薄っすらと涙ぐんだ。この人を手放せない。とてつもなく残虐で恐ろしい人なのに、時折見せる幼さに心を奪われる。心は既に囚われていた。
 
 
「それなら、ワタシを貴方の女にして下さい」
「でも、俺を抱きたいんだろ?」
「はい、抱きたいです。でも、貴方のものになりたい。それと同じぐらい、貴方をワタシのものにしたい。ワタシだけのものにしたい」
 
 
 切願だった。田丸の薄い胸へと額を押し付けると、小さな鼓動が伝わってくる。田丸が短く息を吐いて、それからヒナコの手を掴んで大股で歩き出す。
 
 床を転がる男二人にも便水の中を漁る男にも、目をくれることなく田丸はヒナコと連れ立ってトイレから出た。ぱちゃぱちゃと小さな水音が背後から空しく響いて、直ぐに聞こえなくなった。
 
 

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Published in 朱色のワタシ

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