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10 ピース

 
 老人は一度まじまじと田丸を見て、それからゆっくりと頷いた。
 
 
「御前が決めたんなら、もうどうにもならんな。御前が融通利かん奴なのは、身に沁みてわかっとる」
「馬鹿な奴で、すいません」
「本当に馬鹿なら幹部にまでするか馬鹿」
 
 
 田丸と老人の顔に、酷似した笑みが浮かび上がる。瞬間的に、ヒナコは矢張りこの二人は実の親子なのではないのかと思った。だが、問い掛ける前に、老人が慇懃なまでの礼をヒナコへと向けた。
 
 
「ヒナコさん、こいつは一旦言い出したら、もう変えられんのです。そういう奴です。すいませんが、この馬鹿をよろしくお願いします」
 
 
 実直な台詞だった。胸に沁み渡るその言葉に、ヒナコはたどたどしくも確かに頷いた。掌を握り締める田丸の指先を、緩く握り返す。
 
 
「式はどうする?」
「親父が認めてくれるなら、それで十分です」
「そうか」
 
 
 簡素な遣り取りの後、老人はちらりと田丸の服の袖へと視線を落とした。
 
 
「また誰か殴ってきたんか?」
 
 
 その問い掛けに、田丸は緩慢な動作で袖口を見下ろした。そこには、真っ赤な血がこびり付いていた。映画館で叩きのめした男達の血だろう。田丸は、袖口の血を指先で数回擦って、それから落ちないのを見ると諦めたように、だらりと腕から力を抜いた。
 
 
「本気で所帯持つ気なら、いつまでも下っ端のするようなことをやるな。もっと、安心させてやれ」
 
 
 子供を嗜めるような老人の言葉に、田丸は曖昧に首を動かした。頷いたとも傾いだとも取れる動きだった。老人は一度物言いたげに口を開いたが、結局言いたいことはすべて呑み込んだようだった。浮いた喉仏が上下して、それから酷く穏やかな声で言う。
 
 
「今度、ヒナコさんを連れてうちに帰って来い。母さんが会いたがってる」
 
 
 確信に変わった。実際、老人と田丸は親子なのだ。しかし、その二人の顔を見比べても、目も鼻も口も似通っている部分は見受けられない。田丸が一度複雑そうに頬を歪めて、それから「はい」と淡白な声で返した。老人はひとまず納得したように頷いて、それから何も言わずにウィンドウを閉めた。
 
 上がっていくウィンドウの奥から、憎悪の眼差しが覗き見えた。朝子は、ヒナコを凝視している。その顔からは色が失せていた。頬のチークが浮いて見えるほど、顔面が真っ白になっている。その白さに、ぞっと悪寒が走る。
 
 車が去ってからも、その白が目から離れなかった。朝子は、田丸を愛している。ヒナコは、そうハッキリと知った。田丸の父親である男の愛人でありながら、朝子は狂おしいほどに田丸に恋い焦がれているのだ。それを横から突然現れたヒナコにかっ攫われたのだ。朝子の嫉妬と憎悪を思うだけで、皮膚が総毛立つような怖気を感じた。
 
 
「朝子さんは…」
 
 
 短く呟くと、田丸が双眸を瞬かせた。それから、酷く平坦な声で言う。
 
 
「あんたは、もう朝子さんの店に行くなよ」
「どうしてです?」
「あの人は《オンナ》だから、怖い」
 
 
 奇妙な言葉を漏らして、それから田丸はぐぐっと背伸びをした。その袖口には、鮮やかな赤がこびり付いている。ヒナコは田丸の腕を取って、その袖口をそっと折った。袖を内側に折り込めば、田丸の暴力の証は見えなくなる。気休めでしかないとしても、ないよりかはマシだった。田丸が何処かきょとんとした眼差しで、ヒナコを眺めている。
 
 その眼差しに笑みを零しながら、ヒナコは呟いた。
 
 
「お父さん、だったんですね」
「オトオサン?」
 
 
 発音が滅茶苦茶だった。まるで初めて聞いた言葉のように、抑揚もイントネーションもずれていた。何処か調律の狂ったピアノのような不気味さを感じる。田丸が怪訝そうに眉根を寄せるのを見て、ヒナコは慌てて続けた。
 
 
「さっきの親父さん、ヤクザの組長さんだから親父って呼んでるかと思ってたんですけど、実際に田丸さんのお父さんだったんですよね?」
 
 
 あぁ、と田丸が合点がいったように咽喉を薄く鳴らす。そうして、不意にその頬に自嘲げな笑みが浮かんだ。
 
 
「血は繋がってない」
「え?」
「俺はただの貰われっ子。あの人の本当の子供は、七歳のときに殺されちゃった」
 
 
 感情の削げた声で、田丸はそう言った。
 
 
「子供が目の前で殺されて、義母は気が狂ってな、子供も産めなくなっちまった。だから、今度は跡取り用の、だけど死んでもいい子供を用意したんだ」
 
 
 それが俺、と素っ気ない口調で、田丸は呟く。そこには、欠片の悲しみも含まれていなかった。ただ、ありのままの現実を語るような酷薄さがあった。そうして、田丸は酷く不思議そうに、こう続けたのだ。
 
 
「俺はヤクザになる事しか求められなかったはずなのに、何で今更ヤクザぶるのが駄目なんだろうな」
 
 
 内側へと折られた袖口を掌で撫でながら、田丸はゆっくりと首を傾げた。その瞬間、ヒナコは田丸の孤独を思い知った気がした。この人は、求められるがままに暴力だけを覚えていった人なのだと思う。だから、真っ直ぐで、真っ直ぐ過ぎるからこそ恐ろしいのだ。
 
 自分が何者か解らないのは、ヒナコだけじゃない。田丸も同じだ。この人は、真っ直ぐ進みすぎた故に自己を見出せなかったのだ。紆余曲折して自己を見失ったヒナコとは対極的だが、同じ類いだった。同じ人間だった。だからこそ、こんなにも惹かれるのか。こんなにも欲しがってしまうのか。欠けたピースを求めるように。
 
 言葉を失ったヒナコを覗き込んで、田丸は不意に稚拙な笑みを浮かべた。ふわっと空気に溶け入るような淡い微笑みだった。切ないぐらい、愛しさが込み上げた。
 
 
「ワタシは、貴方が死んでいいなんて思わない」
 
 
 涙声で、拙く語り掛ける。
 
 
「死んじゃったら、泣いちゃいます」
「泣いたら、困るな」
 
 
 幼稚園児みたいなヒナコの言葉に、田丸は肩を竦めて笑った。そうして、ヒナコの頭をよしよしと数回撫でると、独りごちるように小さく囁いた。
 
 
「あんたが笑ってる顔見たいな。そうしたら、すごく幸せな気持ちになれる気がするよ」
 
 

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Published in 朱色のワタシ

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