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11 狩り

 
「…何かいる」
 
 
 草の隙間まで見通すように視線を固定したまま、カヤが小声で囁く。視線を前方へと向けたまま、カヤは片手だけをユーティへ伸ばしてきた。
 
 
「弓と矢を」
 
 
 求める声に、ユーティは即座に応じた。担いでいた弓と矢筒をそっと下ろして、カヤの手へと渡す。カヤは担いだ矢筒から一本の矢を引き抜くと、ゆっくりと弓矢を構えた。
 
 
「…俺が合図をしたら、アベルを走らせてくれ」
 
 
 その言葉に、小さく頷きを返す。手綱をキツく握り直した瞬間、カヤの両肩にぐっと力が篭もるのが伝わってきた。
 
 次の瞬間、カヤが短く叫んだ。
 
 
「走れ!」
 
 
 合図に合わせて、手綱を一気に引く。馬が土煙を上げて駆け出すのと同時に、草むらの中から二匹の兎が飛び出した。それぞれ白と黒の兎だ。即座にカヤが叫ぶ。
 
 
「白を追え!」
 
 
 促されるままに、走る速度をぐんぐん上げていく。
 
 カヤは前のめりになって白兎を睨み据えている。そうして、不意に矢をつがえた弦をキツく引くと、矢を一気に放った。矢は真っ直ぐに空気を切り裂き、白兎の身体へと突き刺さった。
 
 だが、カヤの視線はすでに白兎から離れている。まるで自分の矢が辿り着く先を既に知っていたかのように。
 
 カヤが短く叫ぶ。
 
 
「二時の方向へ!」
 
 
 馬の鼻先を二時の方向へと向けて駆け続ける。カヤが素早く矢筒から次の矢を引き抜き、落馬しそうなほど上半身を真横に傾ける。
 
 その不安定な体勢のまま、別方向へと逃げていた黒兎へと目掛けて一気に矢を放った。矢が黒兎へと命中しても、カヤの筋肉は固く強張ったままだ。
 
 
「カヤ、凄いな…!」
 
 
 馬の足を止めて賞賛の声を向けても、カヤは唇を開かなかった。目線を先ほどの草むらへと固定したまま、首を小さく左右に揺らす。
 
 
「違う、まだ何か…」
 
 
 カヤが呟いた瞬間、深い草むらの中から突然巨大な角が突き出されてきた。咄嗟に手綱を引いて、馬を後退させる。それは巨大なアカシカだった。ユーティが今まで見た中でも一番大きい。アカシカの突進に、ヒュッと咽喉が鳴った。
 
 アカシカは威嚇するように数メートル突進した後、猛烈な勢いで逃げ始めた。乾いた空気に、砂埃が舞い上がる。
 
 
「追うんだ!」
 
 
 焦れるようにカヤが鋭く叫ぶ。その声音に、再び全速力で馬を駆けさせた。
 
 カヤが矢をつがえて、前方のアカシカへと狙いを定める。だが、アカシカは想像以上の俊敏さで左右にジグザグに動き回っていた。アカシカが方向を変える度に、カヤの身体が合わせるように左右に揺れる。
 
 
「狙いが定まらな…っ!」
 
 
 吐き捨てるのと同時に、カヤの身体がぐらりと傾いた。落ちる、と思った瞬間、ユーティは手綱を離して、片腕でカヤの腰を抱えていた。女のような柔らかさのない、引き締まった男の腰だ。
 
 落馬しかけていた身体を無理矢理引き上げた瞬間、カヤが手に持っていた弓をユーティへと向かって投げた。
 
 
「ユーティ、打てッ!」
 
 
 後方へと向かって投げられた弓を反射的にキャッチする。殆ど考える暇もなく、アベルの首にしがみつくカヤの背の矢筒から矢を引き抜き、弓を構えた。猛烈な勢いで逃げるアカシカへと狙いを定める。息を大きく吸い、そうして一気に矢を放った。
 
 矢は鋭く空を切り、アカシカの首裏へと深々と突き刺さった。アカシカの身体が強張って、数メートル進んだところで轟音を立てて地面へと倒れ込む。
 
 その光景を見つめたまま、ユーティは硬直した。弓を放った形のまま指先が小刻みに震えている。
 
 言葉にしようがない高揚が体内を渦巻いて、血流が無意識に速くなっていた。心臓がドクッドクッと音を立てているのがコメカミの辺りで聞こえる。
 
 ふと気が付いた。カヤの右掌がユーティの左胸へと押し当てられている。まるでその鼓動を確かめるように。
 
 
「平気か」
「…あぁ、平気だ。こんな大きな獲物を仕留めたのは初めてで…少し驚いている」
 
 
 今まで何度も狩りに出たことはある。矢や刃で獣を殺したことも初めてではない。だが、今回の狩りは今までの狩りとは全く異なっているように感じた。
 
 馬と一体になったかのように駆け、弓矢が自分の腕と同化したような感覚すら沸き上がった。まるで自分が一頭の獣になったかのようだった。もしかしたら、今矢が突き刺さって絶命しているのは自分の方だったかもしれない、と想像してしまうほどに。それほどにカヤとの狩りは濃密で、生々しかった。
 
 
「ユーティ、短刀は持っているか」
 
 
 動揺するユーティに反して、カヤは冷静だった。腰帯に挟んでいた短刀を差し出すと、カヤは短刀を握り締めて、ひらりと馬から飛び降りた。左足を引き摺りながらも、倒れたアカシカの元へと走っていく。馬から降り、ユーティもその背を追いかけた。
 
 絶命直前のアカシカの元へと駆け寄ったカヤは、その傍らへと膝を着いた。そうして、短い言葉をアカシカへと囁き掛けた。言葉が終わると同時に、アカシカの咽喉を短刀で切り裂く。赤い血飛沫が散って、アカシカの身体から急速に生命が消えていくのがユーティにも伝わってきた。
 
 カヤはアカシカの身体に寄り添ったまま、その血潮が乾いた地面へと流れていくのを見つめている。まるで全てを受け入れて呑み込むような、柔らかな眼差しだ。
 
 
「今、何て言ったんだ?」
 
 
 問い掛けると、カヤは視線を遠くへと向けたまま小さく呟いた。
 
 
「感謝する、と。君を食らう俺も、いつか同じ場所に還る、と」
 
 
 それは感謝の言葉だろうか。それとも懺悔の言葉だろうか。それら全てをひっくるめた祈りの言葉だろうか。ユーティには解らなかった。
 
 カヤがくるりと振り向いた。地面に膝を着いたまま、じっとユーティを見上げて来る。
 
 
「もし俺が死んだら、獣に食わせるか土に埋めてくれ」
 
 
 唐突な言葉に、呼吸が途切れた。息を止めたまま、カヤを見下ろす。
 
 
「いきなり、何を言い出すんだ」
「約束してくれ。燃やされたり、石や瓶の中に閉じ込められるのは嫌だ」
 
 
 口調は穏やかなのに、その言葉には切迫した願いが込められているように感じた。その切実さが不意に苦しくて堪らなくなった。
 
 その場にしゃがみ込んで、片腕で頭を抱える。
 
 
「…そんなこと、言うなよ…。君が死ぬのなんて、考えたくもない…」
 
 
 拗ねた子供のような口調で呟く。
 
 想像するだけで心臓が張り裂けそうになる。カヤが死んで、その死体を土に埋めたり、野晒しにして獣に食われていく様を眺めるなんて、そんなことは耐えられない。たとえそれがカヤ自身が望んだことでも。
 
 頭に掌が触れるのを感じた。顔を上げると、カヤが困ったような眼差しでユーティを眺めているのが見えた。その眼差しを見つめ返していると、カヤがふっと笑みを浮かべた。微か苦笑が滲んだ、優しい笑い方だ。
 
 
「…お前は、不思議な奴だな」
 
 
 目の奥で、光が弾けたような気がした。カヤの微笑みを見た瞬間、体内に光が満ちた。薄皮一枚隔てたような無感動な世界に、確かな温度と彩りが広がっていく。
 
 気が付いたら、カヤの身体をキツく抱き締めていた。女のような柔らかさもない、子供のようなか弱さもない、硬い男の身体をまるで守るかのように両腕の中に閉じ込める。
 
 
「君を幸せにしたい」
 
 
 呻くような声で呟く。それは嘘偽りのないユーティの本心だった。
 
 
「君に幸せだと、笑って欲しい」
 
 
 それは願望というよりも祈りの言葉のように思えた。
 
 カヤを幸せにしたい。カヤに笑っていて欲しい。ただそれだけ叶うのなら、他には何も要らない。そう思える程に、腕の中にいる男が愛しくて堪らなくて、涙が出そうだった。
 
 カヤの肩口に顔を埋めたままでいると、ふと背中に触れる手を感じた。ぽんぽんとまるで子供をあやすようにユーティの背を叩きながら、カヤがそっと囁く。
 
 
「――ありがとう、ユーティ……ありがとう…」
 
 
 たどたどしい声音に、目尻にじわりと涙が滲んだ。
 
 
 
 
 
 
 結局、家に帰ったのは日も暮れかけた時刻だった。
 
 カヤは、絶命した兎二羽にも祈りの言葉を捧げた。アカシカはそのまま持ってかえる事ができず、その場でカヤが捌いた。食べられる部分と食べられない部分を手早く選別して、木の枝とロープで作った簡易な橇に乗せて馬に引かせる。
 兎二羽とアカシカ一頭を連れ帰ったユーティとカヤの姿に、家族は全員目を丸くして驚いた。
 
 
「カヤが仕留めたんだ」
 
 
 そう自慢げに言い放つと、途端ギョッとしたようにカヤが目を剥いた。
 
 
「ちっ、違う。アカシカを仕留めたのはユーティだ」
「矢を打ったのが俺だっただけで、カヤがいなかったらそもそも追い詰めること自体できなかった。だから、全部カヤのおかげだよ」
「そ、そんなことはない。お前のアベルの手綱捌きが上手かったおかげで獲物を追えたんだ」
 
 
 お互いに譲り合うような遣り取りを繰り返していると、イギーが呆れたように声を上げた。
 
 
「なぁ…お前らもしかしてイチャついてんのか?」
 
 
 その揶揄じみた言葉に、カヤの顔が見る見る内に赤く染まっていく。顔を真っ赤にして、何処か泣き出しそうな表情を浮かべたカヤを見て、ボラドとイギーが面食らったように顔を見合わせる。カヤが家族の前でこんなにも感情を露わにしたのは、この家に来てはじめてかもしれない。
 
 目を丸くするボラドとイギーを眺めて、ユーティはにっこりと笑みを浮かべた。
 
 
「本当に、良い嫁をもらいました」
「ユーティ!」
 
 
 ユーティの一言に、カヤが声を張り上げる。もう耳まで赤くなっていた。
 
 
「ほらほら、みんなしてカヤさんをイジめないの」
 
 
 母が場を取りなすように、パンパンッと両手を二度叩く。そうして、兎と橇に乗せられたアカシカを見下ろすと、困ったように頬に手を当てた。
 
 
「困ったわねぇ。これだけお肉がたくさんあったら、うちだけじゃ食べきれないわ」
 
 
 困ったというくせに、相変わらずその暢気な声音では困っているように聞こえない。エマが硬直しているカヤの腕を掴んで声を上げる。
 
 
「ね、カヤさん、私にも捌き方教えて」
「え、ぁ、はい」
「捌き終わったら、一緒に近所の家に配りに行こ? うちのお嫁さんからのお裾分けですって。最近みんな新鮮なお肉食べてないから、きっと喜ぶよ」
 
 
 エマの無邪気な言葉に、カヤの指先がピクリと跳ねる。紅潮していたカヤの頬が僅かに白くなっていく。
 
 
「いや、俺は……俺が行ったら、きっと…」
「俺も一緒に行くよ」
 
 
 カヤの言葉を制するように、ユーティは声を上げた。カヤがハッとしたようにユーティを見つめる。
 
 
「大丈夫、俺が一緒にいる」
 
 
 そう言い聞かせるように囁くと、カヤの目が僅かな安堵に緩んだ。カヤの背に担がれていた弓をじっと眺めながら、父が声を上げた。
 
 
「この弓は弦が短くされているな。あんたがやったのか?」
 
 
 父の問い掛けに、一瞬カヤが肩を強張らせる。だが、カヤは首肯して「はい」と短く答えた。
 
 
「弦の張りが甘かったので、弦を短く結びました。その方が飛距離も伸びます」
「そうか…他に何か思うことはあるか」
「今後長距離での射撃をしようと思うなら、弓の材質を変えた方がいいです。もっとしなやかで反りに強い木材が良い。全長も今よりも二十センチは長くした方がいいと思います」
 
 
 迷いなく答えるカヤの顔を、父が窺うように見つめる。そうして、考え込むような沈黙の後、父は深く頷いた。
 
 
「息子達にも作り方を教えてやって欲しい。村の弓をすべて作り替える」
 
 
 唐突な父の宣言に、ボラドがギョッと身を仰け反らせる。
 
 
「おっ、おい、父さん、本気かよ。村の弓を全部って」
「ボラド、お前だって解っているだろう。我々も、村の者達も、狩りが上手くはない。行商人や遊牧の民から買うのにも限界がある。腐りかけた肉を売りつけられても文句の一つも言えない。だからこそ、我々は自分達で狩猟ができるようにならなくてはいけない」
 
 
 そのためには有効な道具が必要だ。と父は続けた。再びカヤへと視線を向けて、ゆっくりと声を上げる。
 
 
「イェフィムのために力を貸してくれるか?」
 
 
 父の問い掛けに、カヤがぐっと息を詰まらせるのを感じた。
 
 
「俺で、良ければ…」
 
 
 その掠れた声音で、カヤが微かに泣き出しそうなのが解った。手を伸ばして、ゆっくりとその掌を握り締める。カヤの潤んだ瞳がユーティを見つめた。
 
 
「大丈夫、きっと上手くいく」
 
 
 この言葉を言うのは二回目だ。楽観的なユーティの台詞に、カヤの唇が微かに笑みを浮かべる。心が震えるような、柔らかな泣き笑いだ。その瞬間、不意に胸の奥がざわつくような甘い感情が込み上げてきた。
 
 ゆらゆらと揺らめく琥珀色の光彩から、目を逸らせなくなる。家族の前なのも忘れて、目の前の男をキツく抱き締めたいと心から願った。
 
 

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Published in 花嫁のカヤ

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