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13 激昂

 
 その晩、カヤと共に父の部屋に呼び出された。ユーティと並んで座らされて、カヤは酷く居心地が悪そうに肩を窄めていた。
 
 父は目を通していた書物をパタンと閉じると、ゆっくりと唇を開いた。
 
 
「呼ばれた理由は、もう解っているな」
「嫌だ」
 
 
 父の言葉に被さるように、ユーティは吐き捨てた。らしくもないユーティの拒絶の言葉に、父が僅かに眉根を寄せる。
 
 
「見ていたんだろう、父さん。父さんが言いたい事も解ってる。だけど、俺は絶対に嫌だ」
 噛み付くように言い放つと、父がグッと目を細めた。
「お前は…カヤを愛しているのか」
「心から」
「カヤは男だ」
「それでも、俺が貰った。俺がカヤを娶ることを、父さんが許した。父さんはあの時の言葉を反故にするつもりなのか?」
 
 
 お前に任せる、と確かに父は言った。それなのに今更自分からカヤを奪うつもりなのか。そう考えるだけで、憤怒が脳内を占めていく。
 
 怒りに顔を歪めるユーティを見て、父が緩く溜息を吐いた。
 
 
「…お前も解っていたとは思うが…騒ぎが収まった後で、お前には側室をとらせるつもりだった」
「そんなものは必要ない」
「カヤでは子を成す事ができない」
「子など要らない。俺はカヤさえいればいい」
 
 
 跳ね付けるような口調で言う。今までは自分の意見もなく、流されるままに生きてきた。だが、今だけは死んでも流されたくない。自分の想いを曲げたくはない。
 
 頑ななユーティの返答に、父が額を手で押さえるのが見えた。そうして、父は溜息混じりにこう呟いた。
 
 
「…ユーティ、お前のために言っているんだ」
 
 
 その言葉に、不意に弾けた。息子を思い遣って言っただろう父の言葉に、目蓋の裏が真っ赤に染まる。怒りに噛み締めた奥歯がガギッと鈍い音を立てるのが聞こえた。
 
 今までずっと隠し続けていた言葉が腹の底から溢れ出してくる。
 
 
「血も繋がっていないくせに、何がお前のため――」
 
 
 言い終わる前に、右頬に衝撃が走った。パンッと鋭い音が響いて、右頬から痺れるような痛みが沸き上がってくる。カヤに頬を張られたのだと気付いたのは数秒後だった。
 
 カヤは頬を張った形のまま手を止めて、ユーティをキツく睨み付けている。
 
 
「父親に対してその言い草は何だ。ユーティ、冷静になれ。一時の気の迷いで取り返しの付かないことを言うんじゃない」
「気の迷い…?」
「あぁ、気の迷いだ。男が男を愛しているだなんて、そんなのは馬鹿げた感情だ」
 
 
 切り捨てるようなカヤの言葉に、唇が凍り付く。呆然と押し黙ったユーティから視線を逸らして、カヤが父を見つめる。カヤは両手を床に付くと、深々と頭を下げた。
 
 
「大事な息子さんを迷わせてしまって申し訳ないです。心からお詫び申し上げます」
「…貴方が悪いとは思っていない」
「いいえ、悪いのは俺です。ユーティは優しい奴だから、俺のような人間を放っておけなくて…それで勘違いしてしまったんだと思います。全部全部、悪いのは俺なんです」
 
 
 カヤは首を左右に緩く振ると、苦しそうな声で続けた。
 
 
「それで…図々しいお願いなのですが、この村の外れにでも住まわせて頂いて良いでしょうか…? ユーティの夫人が嫁ぎ次第、俺はこの家を出て行きたいと思います」
 
 
 カヤの口調には、迷いの欠片も見えない。出て行く、という言葉に、息が止まりそうになる。
 
 父はカヤを見つめた後、囁くような声で漏らした。
 
 
「貴方には、申し訳ない事をする」
「いいえ、とんでもないです。勝手に嫁いで来た俺に、貴方がたは本当に親切にして下さった。荒野に放り出されても、嬲り殺されても文句は言えないのに、俺に寝床と食事を与えて、家族の一員として受け入れてくれた…。この御恩を決して忘れません」
 
 
 再びカヤが額が床に触れそうなほど頭を下げる。
 
 そうして、顔を上げると、カヤはユーティを見つめてこう言ったのだ。
 
 
「…ユーティ、今度は良い嫁を貰ってくれ…」
 
 
 まるで痛いものを呑み込むかのような、強張ったカヤの微笑み。その笑みを見た瞬間、不意に心を踏み躙られたような気がした。大事に温めていた卵がグシャリと音を立てて踏み潰されたような惨い感覚。目の前が真っ暗になって、何も考えられなくなる。
 
 気が付いたら、カヤの左手首を掴んで強引に引っ張っていた。
 
 
「ユーティ!」
 
 
 カヤの焦りに満ちた声音。父が呼び止める声も聞こえたけれども、ユーティは足を止めなかった。
 
 大股で歩いて、家から出て行く。暗闇の中を、行く先も考えずに突き進んだ。
 
「…離してくれ…足が、痛い…」
 
 
 ユーティの強引な歩みに着いていけず、カヤは左足をずるずると引き摺っている。殆どつんのめるような歩き方だ。
 
 カヤの懇願の声に、ユーティは返事を返さなかった。頭蓋骨の内側で熱が暴れ狂っている。自分がこんなに身勝手な人間だとは今まで想像もしていなかった。感情が、衝動が、身体を勝手に突き動かす。
 
 いつの間にか灯り一つ見えない村の外れにまで辿り着いていた。
 
 背の低い草原の真ん中で立ち止まって、頭上を見上げる。空には欠けた月と幾万もの星が光輝いていた。壮大で美しい光景なのに、心は氷のように冷え切っている。
 
 肩越しに振り返ると、怯えたように視線を伏せるカヤの姿が見えた。
 
 
「カヤ」
 
 
 呼び掛けると、カヤの肩が小さく跳ねる。全身が萎縮し切っていた。
 
 
「カヤ、顔を上げて」
 
 
 そう囁き掛けても、カヤは顔を上げようとはしない。また目の奥がじわりと熱を帯びるのを感じた。怒りが噴き出しそうだ。
 
 
「――顔を、上げろ」
 
 
 低く唸るような声で命じると、カヤの皮膚が大きく震えた。カヤの視線が恐る恐るユーティへと向けられる。
 
 
「カヤ、俺が嫌いか」
 
 
 端的に問い掛ける。カヤが目を見開いて、唇を微かに戦慄かせた。だが、その唇から言葉は漏れてこない。
 
 
「嫌いだから、俺を見捨てるのか。浅はかで身勝手で、弓の下手な男に嫁いだ事を後悔しているのか。それとも本当は…お前を無理矢理妻に娶った俺のことを憎んでいるのか」
「…憎んで、なんか…」
 
 
 歯切れの悪い口調で、カヤが囁く。
 
 
「それなら、なぜ良い嫁を貰えなんて言う。俺は君を愛していると言ったはずだ。君が妻になってくれて嬉しいとも。それなのに、どうしてそんな事が言える」
 
 
 責め立てるようなユーティの言葉に、カヤは再び視線を伏せた。じっと俯いたまま、唇を小さく動かす。
 
 
「…お前に、俺は相応しくない、から…」
 
 
 まるで叱られた子供のように自身の服の裾をぎゅっと掴んで、カヤは途切れ途切れに言葉を続けた。
 
 
「俺では、子が産むことができない。親族に紹介しても、白い目で見られる。蛮族の男を無理矢理花嫁に押しつけられたと、一生哀れまれることになる。俺は、お前が哀れみの目で見られるなんて、絶対に嫌だ…」
 
 
 たどたどしいカヤの言葉を、ユーティは黙って聞いた。掴んだ手首越しにカヤの震えが伝わってくる。どうしてだか、その震えが他人事のようにしか感じられなかった。
 
 
「それで?」
 
 
 素っ気なく漏らした言葉に、カヤが小さく息を呑む。
 
 
「それで、君の気持ちは?」
「気持ち…?」
「君は、俺をどう思っている」
 
 
 そう問うと、カヤが逃れようと、掴まれた手首にぐっと力を入れるのを感じた。逃がさないように、握り締める掌に力を込める。指先が手首に淡く食い込むのを感じた。
 
 
「ユーティ…痛い…」
「俺から逃げたいなら、俺の目を見て『嫌い』だとはっきり言え。お前なんか嫌いだと、欠片も愛していないと」
 
 
 強要するように吐き捨てる。途端、掴んだカヤの手首から見る見る内に体温が抜けていくのが判った。視線を地面へと落としたまま、カヤが唇を微かに動かす。
 
 
「…きらい、だ…」
 
 
 それは言い訳する子供ような口調だった。もう片方の手でカヤの肩を掴んで、小さく揺さぶる。
 
 
「ちゃんと、俺の目を見て言え」
 
 
 伏せられたカヤの睫毛が戦慄く。酷く緩慢な動作で、カヤの視線が上げられた。戸惑うような瞳がユーティをじっと見つめる。
 
 
「…おまえ、なんか…きら…」
 
 
 声が震えて、途切れる。次の瞬間、カヤの瞳が潤んでいくのが見えた。水の膜を張った瞳がゆらゆらと揺れる。カヤの咽喉が上下に動いて、ヒッと掠れた音を立てた。
 
 次の瞬間、カヤの膝が崩れた。手首を掴まれたまま、カヤは地面に膝を着いて項垂れている。
 
 
「もう…やめてくれ…」
「カヤ、言うんだ」
「…おれが…おれが全部悪かったから…」
「カヤ」
 
 
 執拗に繰り返すと、限界を超えたようにカヤが勢いよく顔を上げた。両目からはぼろぼろと涙が溢れ出しているのに、その目尻はキツく尖っている。
 
 
「俺じゃ駄目なんだ! どれだけお前を想っても、願っても、女になれない! 子供も作れない! お前をいつか孤独にさせる! だからッ…だから…!」
 
 
 再びカヤはがっくりと頭を垂れた。空気が張り詰めたような沈黙の後、小さくしゃくり上げる声が聞こえた。カヤの両肩が小刻みに震えている。
 
 
「…すこし前までは、自分が男であることを誇っていたのに…。自分がアジムを率いる族長になることを疑いもしていなかった…。それなのに、今は自分が女でないのが悔しい…。どうして、自分は男に生まれてきたんだろうと……こんな、こんな惨めな…情けない…」
 
 
 ぽつぽつと草葉に滴り落ちる水滴の音が聞こえた。カヤの悔恨が皮膚に伝わってくる。
 
 静かにその場にしゃがみ込む。俯いたカヤの顔、その濡れた頬へと掌を滑らして、ゆっくりと声を漏らす。
 
 
「…君も、俺を想ってくれてるのか?」
 
 
 ユーティの問い掛けに、カヤのしゃくり上げる声が大きくなる。促すように頬を指先で撫でながら、繰り返す。
 
 
「俺と同じ気持ちだと思ってもいいのか…?」
 
 
 啜り泣くばかりで、カヤは答えない。緩く肩を揺すって、問い続ける。
 
 
「頼む、答えてくれ。君の気持ちを知りたいんだ」
 
 
 懇願するように言うと、カヤの頭が微かに動いた。涙で濡れた瞳がユーティを見つめている。
 
 
「…ユーティ、ゆるしてくれ…」
 
 
 カヤの声は掠れて、その顔はくしゃくしゃに歪んでいた。悲哀に満ちた表情のまま、カヤは酷く小さな声で囁いた。
 
 
「…お前を愛している…」
 
 
 愛の言葉は、まるで懺悔のように聞こえた。哀れな子供のような声を聞いた瞬間、不意に熱情が込み上げた。凍り付いていた心臓が溶けて、身体の奥深くから言葉に出来ない感情が沸き上がってくる。
 
 気が付いたら、目の前の身体を草原に押し倒して、その唇に噛み付いていた。涙の味がする唇を割り開いて、咥内へと舌を捻り込む。柔らかくぬめる舌を強引に絡め取った。
 
 
「…ッ、ん…!」
 
 
 カヤが咽喉の奥からか細い声を漏らす。その声にすら熱が込み上げた。ざらつく舌の表面を擦り合わせながら、上着の裾から片手を潜り込ませる。途端、カヤはユーティの腕を掴んだ。その瞳に滲んでいるのは、微かな怯えだ。唇を離すと、カヤが掠れた声を漏らす。
 
 
「ゆ、ユーティ…」
「カヤ、触れたい」
 
 
 理性のない衝動だけのユーティの声に、カヤは咽喉を上下にひくりと震わせた。だが、結局ユーティの腕を掴んでいた手から力を抜いた。ぱたりと草むらの上に手を落として、小さく声を漏らす。
 
 
「お前に、触れてほしい…」
 
 

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Published in 花嫁のカヤ

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