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16 頑固者

 
「なぁ、ユーティ、本気かよ」
 
 
 弓を片手に草原へと視線を巡らしていると、ふと背後からそんな声が聞こえてきた。双眸を瞬かせてから振り返ると、何とも情けない表情をしたボラドの顔が見えた。
 
 
「今朝の話、お前本気で言ったのか?」
 
 
 ボラドが同じ言葉を繰り返す。その声音は『本気なわけがない』とユーティに答えてくれと懇願しているようにも聞こえた。ボラドの横では、イギーが仁王立ちをしてユーティを見据えている。
 
 今朝の話、という単語に、僅か溜息を漏らしそうになった。その話を口に出した時の家族の驚愕に満ちた表情が目蓋の裏に蘇る。久しぶりに兄弟三人で狩りに出たというのに、まだ朝の話を持ち出すのだろうか。
 
 
「言っただろう。俺は本気だ」
「本気なら、どうかしてる」
 
 
 イギーが吐き捨てるように呟く。嫌悪を滲ませた声音に、心臓が僅かに痛んだ。詰まりそうになる咽喉を動かして、ユーティはゆっくりと言葉を口に出した。
 
 
「俺はどうもしてないよ。本気でカヤと添い遂げるつもりだ」
 
 
 そう返した瞬間、ボラドとイギーが示し合わせたように俯いて大きく首を左右に振るのが見えた。
 
 その仕草で、久々に二人がユーティを狩りに誘った理由がよく解った。兄二人は弟の暴挙を諭そうとしているのだ。男と添い遂げるなどという馬鹿な選択を正そうと。
 
 兄二人の哀れむような眼差しから目を逸らして、ユーティは自身の左手首へと視線を落とした。そこには細い金の鎖で作られた腕輪がはめられている。カヤの右手首にも、ユーティと同じ腕輪が巻かれているはずだ。
 
 
「ユーティ、お前は本当に解ってるのか? 腕輪なんざ付けてたら、もう側室なんて娶れねぇし、どの女からも相手にされねぇんだぞ」
 
 
 腕輪を見つめるユーティの視線に気付いたのか、まるで頭の悪い生徒に教えるようにイギーが言い放つ。
 
 イェフィム族の婚姻の証として、金の腕輪を送る、という風習がある。金の腕輪を送るということは『永遠の愛を誓う』という意味であり、それを付けていることによって周囲に『自分には心に決めた伴侶がいる』という事実を示すことにもなる。
 
 カヤと結ばれた晩から一月後の今日、ユーティは家族全員の前で、カヤに金の腕輪を送った。それを見た家族の反応は、ただただ驚きに満ちていた。カヤとユーティが形ばかりの夫婦だと思っていた兄弟達は、まさかユーティが本気でカヤを愛しているなどとは想像もしていなかったのだろう。誰もが唖然とした表情で、ユーティを見つめていた。
 
 その奇妙な沈黙を破ったのは、カヤの呻くような声だった。カヤはその場で額を床へと擦り付けるようにして平伏すと、申し訳ございません、と家族全員に謝罪し始めたのだ。
 
 
『申し訳ございません、愛してしまいました』
 
 
 謝りながら愛を告げるカヤの姿に、兄弟達は皆顔を見合わせて口を噤んだ。今の気持ちをどう言葉にすれば良いのか解らなかったのだろう。
 
 結局その直後にカヤから引き剥がされるようにして、ユーティはボラドとイギーに狩りへと連れ出された。数時間は黙々と狩りをしていたが、兎を数羽仕留めたところで、とうとう辛抱できなくなったのか現在の詰問に至ったという訳である。
 
 
「側室を娶るつもりはない。女に相手にされなくてもいい。俺にはカヤがいればいい。だから、腕輪を送ったんだ」
 
 
 困ったような口調で答える。途端イギーがユーティの肩を掴んできた。
 
 
「お前、まさかあいつに脅されてんじゃねぇだろうな」
「脅されてるわけないだろう。俺は、俺の意志でカヤを選んだんだ」
「正気じゃねぇよ」
 
 
 忌々しそうに吐き捨てられるイギーの声に、ユーティは微笑んだまま緩く首を傾けた。
 
 
「…そう、かもしれない。俺は、たぶん正気じゃないんだろうな」
「ユーティ、今なら撤回出来る」
 
 
 ボラドが宥めるように言う。兄二人は弟の気の狂った行為を正そうと必死になっている。それが二人の思い遣りだと解っているからこそ悲しかった。
 
 ユーティは、小さく首を左右に振った。
 
 
「撤回はしない、絶対に」
「おい、ユーティ…」
「たとえ正気じゃなくても構わないんだ」
 
 
 そう言って微笑んだユーティを、兄二人はまるっきり奇妙なものでも見るような視線で眺めている。弓を地面に突き立てて、ユーティはじっと兄二人を見つめ返した。
 
 
「ボラドもイギーも本当は知ってるんだろう?」
「何をだ」
「俺がミド家の誰とも血が繋がっていないことを」
 
 
 ボラドの身体がぎくりと強張るのが見える。イギーは目を細めて押し黙った後、静かに唇を開いた。
 
 
「…血が繋がってねぇからって、何だって言うんだ」
「叔父さんに聞いたのか?」
「そうだな。バハル叔父は悪い人間じゃねぇが駄目だ。酔っ払うと言って良いことと悪いことの区別も付かなくなる」
 
 
 おまけに言った記憶すら忘れちまう。と苦虫を噛み潰すような声音でイギーが呟く。硬直していたボラドが恐る恐るといった様子で口を開く。
 
 
「…もしかして、お前はずっと俺たちに引け目を感じてたのか?」
「引け目?」
「俺たちを家族だとは思ってなかったのか?」
 
 
 ボラドらしい直球な問い掛けに、ユーティは小さく笑った。
 
 
「家族は家族だよ。ボラドとイギーは良い兄さんだ。だけど、やっぱり二人と血が繋がっていないのはずっと意識してた。忘れようとしても忘れられなかった」
 
 
 ボラドとイギーは黙ったまま、ユーティを見つめている。ユーティは緩く息を吐いて、言葉を続けた。
 
 
「どうやったら自分が『本物の家族』になれるのかを、ずっと考えていた。でも、やっと解ったんだ。『本物の家族』になる必要なんかないって。血が繋がってなくても、俺はみんなが大切で、みんなは俺を大切にしてくれている。それだけで良かったんだって」
 
 
 本当は物凄く簡単なことだった。血だとか絆だとか、そんな定義は最初から必要なかった。ただ、単純な愛おしさだけがあれば良かったのだ。
 
 ユーティが微笑みかけると、ボラドは泣き出しそうにくしゃりと顔を歪めた。
 
 
「それに気付かせてくれたのはカヤなんだ」
「…だから、お前はあいつを選んだのか?」
 
 
 微か呻くような声音でイギーが問い掛けてくる。
 
 
「そうだね。それもきっと理由の一つだ。カヤが男でも、無理矢理連れて来られた花嫁でも、そんなことはどうでもいい。ただ、カヤと一緒にいたいんだ」
 
 
 ユーティの台詞に、イギーが大きく溜息を吐き出す。あからさまな諦めの溜息に苦笑いを返しながら、ユーティは続けた。
 
 
「二人は、カヤが嫌いか?」
「…嫌いだなんて、今はもうそんなこと思っちゃいない。あいつは真面目だし、よく働いてくれてる。弓だって…悔しいがあいつが言ったとおりに作り直したら、狩りの成功率もぐっと上がった。悪い奴じゃないのは解ってる。解ってるが…」
 
 
 ボラドが口ごもる。その視線が揺れて、ユーティから逸らされた。苦渋に満ちたボラドの顔を見つめて、ユーティは小さく囁いた。
 
 
「ありがとう」
 
 
 突然の言葉に、ボラドが驚いたように目を見開く。
 
 
「どうして、ありがとうなんて言う」
「二人が反対しているのが、きっと俺の事を心配しているからだって思うから。カヤと添い遂げても、何も産まれない。周りからも認められず、最期には独りぼっちで死ぬ羽目になる。そう思ってるんだろう?」
 
 
 イギーが苦しげに下唇を噛み締めるのが見えた。その顔へと暢気に笑いかける。
 
 
「でも、大丈夫だ」
「…大丈夫なわけないだろうが」
「大丈夫さ。二人から見たら正気じゃないかもしれないけど、俺は今とても幸福なんだ。きっとこれからも、カヤが傍にいてくれるなら」
 
 
 この上なく幸せそうに微笑むユーティを見て、イギーが自身の頭をぐしゃぐしゃと掻き回しながら懊悩するように呟く。
 
 
「お前は…一体いつからそんな奴になったんだ?」
「そんな奴?」
「前までは自分の意見なんかちっとも言わずに、俺たちに流されっぱなしだっただろう。それがこんな頑固者になっちまってよぉ」
 
 
 まるで嘆くようなイギーの声に、ユーティは思わず笑い声を上げてしまった。頑固者と言われたのは、これで二回目だ。
軽やかなユーティの笑い声に、イギーとボラドが酷く珍しいものでも見たかのように目を丸くする。
 
 
「ふ、はっ、ははっ、そうだな。俺は頑固者だな」
「おい、ユーティ」
「父さんに似たんだ」
 
 
 悪戯っ子のようににんまりと笑いかけると、ボラドとイギーがとうとうガックリと肩を落とした。何だか試合に完全敗北したような様子だ。
 
 二人の様子を眺めながら、ユーティは殊更穏やかに言葉を続けた。
 
 
「俺とカヤの関係を、今すぐ認めてくれとは言わない。でも、…何年でも何十年でも掛かってもいい、いつか認めて欲しいと思う。俺はボラドもイギーも好きだから、二人に認めてもらえないのは辛い」
 
 
 訴えかけるように小さな声で呟く。そうすると、ボラドが鈍い動作で顔を上げた。
 
 
「…お前は頑固な上に、ずるい奴にもなった」
「ずるい、かな?」
「ずるいだろ」
 
 
 と、もう一度ボラドが繰り返す。
 
 既に日は夕暮れへと近付きつつあった。遠くの青空に薄く朱色が混じり始めるのを見て、ユーティは声を上げた。
 
 
「もう帰ろう。きっとみんな、俺達の帰りを待ってる」
 
 
 近くに繋いでいたアベルの背へと飛び乗る。二人の兄がしぶしぶといった様子で馬上へと上がるのが見えた。
 
 

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Published in 花嫁のカヤ

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