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17 毒

 
 村へと近付いたところで、ざわめきが聞こえてきた。道端を慌ただしく人々が駆け回り、何事かを大声で叫んでいる。その不穏な気配に、無意識に全身の筋肉が強張った。
 
 
「何事だ」
 
 
 近くにいた者を呼び止めて、ボラドが問い掛ける。途端、若い男は目を剥いて、震えた声で喚き出した。
 
 
「レギドラ家のシギが死んだ!」
「シギが!? 何故!」
 
 
 イギーが鋭い声を上げると、男は取り乱したように首を左右にぶんぶんと振った。首がもげて飛んでいってしまいそうな勢いだ。
 
 
「シギだけじゃない! アーリンも、ビジュヌも! そこら中で死人が出てる!」
「原因は何だ!?」
「全員井戸の水を飲んで、苦しんで死んじまった! きっと井戸に毒に投げ込まれたんだ! ここいらの井戸全部!」
 
 
 男の金切り声を聞いた瞬間、ボラドとイギーの顔が真っ青になるのが見えた。それはユーティも同じだ。一瞬目の前が真っ暗になるような恐怖だった。
 
 村中の井戸に毒が投げ込まれた。何故、一体誰に。
 
 
「それは村の者は全員知ってるのか!?」
 
 
 ユーティは思わず男へと叫んでいた。ユーティの鬼気迫る様子に男が怯んだように目を瞬かせる。
 
 
「わ、判らない…。この辺りの住人は気付いてるが、村外れの方までは…」
 
 
 男の言葉を聞き終わる前に、ユーティはボラドとイギーへと視線を向けた。
 
 
「手分けして村中にこの事を伝えに行こう!」
「俺は東に行く! イギーは西へ! ユーティ、お前は家に戻って、父にこの事を伝えろ!」
「だが…!」
 
 
 言い返そうとしたユーティを遮るように、ボラドが言い放つ。
 
 
「家族を死なせるな!」
 
 
 そう叫ぶボラドは力強く、牽引力に満ちていた。普段は涙もろかったりする兄だが、矢張り不慮の事態に陥った時の判断力は次期族長だと思わせられる。
 
 イギーが西へと向かって駆け出すのを見た瞬間、ユーティも綱を強く牽いていた。
 
 騒ぎが起こっていた場所から遠ざかるにつれて、村は少しずつ静かになっていった。まだ自分達の命が危機に晒されている事に気付いていないのだ。
 
 馬で駆けながら、ユーティは声の限りに叫んだ。
 
 
「井戸の水を飲むな! 毒が入っている可能性がある! 周りにも伝えてくれ!」
 
 
 ユーティの叫び声を聞いた瞬間、慌てふためいたように人々が隣の家へと走っていく。こうしておけば人伝いに情報は広がるだろう。
 
 我が家にたどり着いた瞬間、ユーティは馬上から飛び降りた。勢いのまま駆け出し、厨房へと向かっていく。今頃、家族は夕食の準備をしているはずだ。
 
 厨房の扉を勢いよく開くと、驚きに満ちたエマと母の顔が見えた。
 
 
「ユーティ、どうしたの…。そんな汗だくになって…」
「二人とも水を飲むな。村の井戸に毒が投げ込まれている」
 
 
 ユーティの言葉に、エマが手に持っていたスープ鍋を床へと落としてしまう。ガチャンと音を立てて、スープが床へと広がっていく。その流れへと視線を落としてから、ユーティは左右を見渡した。
 
 
「父さんとカヤは」
「お…お父さんは書斎にいるけど…カヤさんは井戸に水を酌みに行くって…」
 
 
 エマの震える声を聞いた瞬間、足が動いていた。家の裏手にある井戸へと全速力で走る。
 
 井戸の前にカヤは屈み込んでいた。地面に膝を付くようにして、井戸の底から桶を引き上げようとしている。
 
 
「カヤ!」
 
 
 ユーティの呼ぶ声に、カヤが振り返る。その頬が微か嬉しげに綻ぶのが見えた。
 
 
「あぁ、ユーティ、おかえり」
 
 
 長閑に言いながらも、カヤの片腕は井戸へと向かって伸ばされている。桶を掴もうとしていると気付いた瞬間、血の気が一気に引いた。
 
 
「カヤ、水に触るな!」
「え?」
 
 
 駆け寄ると同時にカヤの両腕を掴んで、後方へと引き寄せた。二人揃って、地面に強く尻餅をつく。カヤの手から離れたせいで、ロープと滑車がカラカラと空回りしている。その直後、水面へとに桶が落下する音が大きく聞こえてきた。
 
 
「ユーティ、何を…」
「村の井戸に、毒が投げ込まれたらしい。もう何人も死人が出ている」
 
 
 息切れの合間に必死に言葉を紡ぐ。毒、と聞いた瞬間、カヤの顔色が真っ青になった。
 
 
「ど、毒か?」
「あぁ…まだ詳しい事は解っていないが…」
 
 
 ぶるりと胸元に抱き留めたカヤの身体が震える。カヤは口元に手の甲を押し当てたまま、掠れた声を上げた。
 
 
「まさか…」
「カヤ?」
「ユーティ、どうしよう。どうすればいい」
「どうしたんだカヤ」
「村が襲われる。お前が…家族が殺されてしまう…」
 
 
 恐慌するカヤの姿に驚く。落ち着かせようと、庭に置いていた長椅子へと腰掛けさせる。その前へとしゃがみ込んで、カヤの顔を下からそっと覗き込んだ。カヤの顔は既に真っ青を通り越して、白くなっている。
 
 
「カヤ、説明してくれ。村が襲われるというのはどういう事だ?」
 
 
 白く色を失くしたカヤの頬を撫でながら問い掛ける。カヤは両手を固く組み合わせたまま、下唇をキツく噛み締めている。
 
 
「…アジムが、襲ってくる」
「何故」
 
 
 出てきた言葉に、ユーティは咄嗟に驚愕の声を上げていた。カヤが歯の根をカチカチと鳴らしながら必死で言葉を紡ぐ。
 
 
「アジムは、対象を襲撃する前に、その村の川や井戸に毒を撒くんだ。村中を混乱の渦に落としてから、その隙をついて襲い掛かる。だから、これは…」
「襲撃の前兆だと?」
 
 
 言葉の続きを呟くと、カヤはこくんと弱々しく頷いた。カヤは震える手でユーティの腕を掴むと、殆ど懇願するような声を上げた。
 
 
「ユーティ、頼む。家族を連れて逃げてくれ」
「何を、言うんだ」
「俺の力じゃ家族全員を守れるか解らない。他の村人にも逃げるように、俺が説得する。だから、頼む。今すぐ何処か遠いところへ…」
 
 
 騒々しい馬の蹄の音に、カヤの声がかき消される。馬の足音は真っ直ぐミド家へと近付いてきた。
 
 その音の群れは、直ぐにユーティ達の目の前に現れた。馬から飛び降りた男達がユーティとカヤを取り囲む。全員、イェフィムの村人達だ。
 
 
「ユーティ、そいつを渡してくれ」
 
 
 年嵩の男が声をあげる。常日頃ミド家とも交流のある、村人の中でも発言権の強い男だった。カヤの前に遮るように立ったまま、ユーティは年嵩の男を見据えた。
 
 
「カヤを? 何故?」
「そいつが井戸に毒を投げ込んだ犯人だからだ」
 
 
 年嵩の男が憎悪の篭もった声で吐き捨てる。その言葉に、ユーティはキツく奥歯を噛み締めた。
 
 
「カヤが犯人? 冗談を言わないでくれ、カヤがそんな事をするわけがない」
「いいや、間違いない。そいつが井戸に毒を投げ落とすところを見た人間がいる」
 
 
 そう年嵩の男が言った直後、野太い叫び声が聞こえた。人だかりの中からバハル叔父がカヤを指さして、声高に喚き散らしている。
 
 
「お、俺は見たぞ! そいつが真夜中に村中を歩き回って、井戸に何かを投げ落としているのを! そいつが犯人だ! そいつが殺したんだッ!」
 
 
 常軌を逸した叔父の様子に、思わず顔が苦々しく歪んだ。あの叔父は一体何を言っているんだ。
 
 
「叔父さん、何を言っているんだ。真夜中に歩き回る? カヤはいつも俺と一緒に寝ているのに、何故そんな芸当が出来る」
「そ、そいつが睡眠薬でも飲ませたに決まってる…! あ、アジムは危ない薬なんかにも詳しいらしいからな! そいっ、そいつはアジムから送り込まれた敵だったんだ…! 最初から俺らを殺すつもりだったんだ…ッ!」
 
 
 思い込みと偏見にまみれた叔父の言葉に、次第に怒りが込み上げてくる。ピリピリと張り詰めた空気の中、カヤの小さな声が聞こえてきた。
 
 
「…俺、じゃない…」
 
 
 肩越しに振り返ると、カヤが小刻みに震えているのが見えた。カヤは顔を上げると、押し殺した声で叫んだ。
 
 
「俺じゃない…! 井戸に毒なんて投げ込んでない…! 誰も殺そうなんて思っていない…っ!」
 
 
 訴えかけるようにカヤが叫ぶ。だが、取り囲む村人の誰も、その声に応えようとはしない。ただ冷ややかな視線でカヤを見据えるばかりだ。
 
 僅かな沈黙の後、人だかりの中から、こんな言葉が聞こえてきた。
 
 
「――矢張り、お前はイェフィムの人間じゃなかったんだ」
 
 
 俺達の仲間ではない。そう告げる言葉に、カヤの顔が痛々しいまでに引き攣る。笑っているような悲しんでいるような、哀れな泣き笑い。あぁ駄目だったのか…、と呻くような表情。その痛ましさにユーティの心臓まで締め付けられる。
 
 
「さぁ、一緒に来てもらおうか」
 
 
 年嵩の男がカヤへと手を伸ばす。咄嗟にユーティは、その手を払い落とした。
 
 
「カヤに触るな」
「ユーティ、庇うつもりか」
「カヤは何もしていない。無実の者に罪を着せようとしているのはあんた達だ。絶対に、死んでもカヤを連れて行かせない」
「…どいてくれ、ユーティ」
「嫌だ」
「どくんだッ!」
 
 
 年嵩の男が叫ぶのと同時に、周りにいた者達が一斉に飛びかかってきた。顔や胴体に衝撃が走る。力任せに殴られ、全身の骨が軋むように痛んだ。殴り掛かってくる輩を、条件反射で殴り返す。
 
 
「ユーティ! ユーティ、やめろ! やめてくれ…っ!」
 
 
 カヤの悲痛な叫び声が聞こえる。だが、やめられない。
 
 ここで大人しくカヤを引き渡すなんて死んでも嫌だった。連れて行かれたが最後、カヤがどんな目に合うのかなんて容易に想像ができる。
 
 殴られた顔面や身体がビリビリと痺れるように痛む。拳の皮が剥けて、殴りつける度に赤い血が飛び散るのが見えた。拳から感覚が遠くなる。
 
 目の前の男の鼻頭に拳を叩きつけた時だった。家の裏口から怒号が聞こえてきた。
 
 
「お前達、何をしている!」
 
 
 その声に、一同の動きがピタリと止まる。裏口の扉の前に、肩をいからせた父が立っていた。扉の後ろには、エマと母が怯えた表情でこちらを窺っている。
 
 鼻を手の甲で拭うと、べったりと血がこびり付いた。どうやら鼻血まで出ているようだ。
 
 険しい顔をした父を見据えて、叔父が泣き声じみた声を上げる。
 
 
「こいつが毒を入れたんだ! 今すぐこいつを牢に入れろ!」
「馬鹿な」
 
 
 父が苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てる。だが、叔父は気が狂ったように叫び続けた。
 
 
「そいつだ、間違いない! 俺が見た! この目で見た!」
「バハル、お前の見間違いではないのか」
「見間違いなわけがない! おい、お前は人殺しの肩をもつのか! 族長でありながら仲間を殺した奴を見逃すのか! それとも、お前もこいつの仲間なのか…ッ!」
 
 
 半狂乱な叔父の言葉に感化されたように、周りにいた村人達がざわめき始める。
 
 
『まさか族長までグルなのか…?』
『そんな…イェフィムを見捨てて、アジムに売り飛ばす気じゃ…』
 
 
 村人達の声に、父の顔がすぅっと色を無くしていく。その唇が神経質に引き攣るのが見えた。
 
 
「お前は…自分が何を言っているのか解っているのか」
「…あぁ! あぁあぁ、解ってるに決まってる! お前もアジムの仲間なのか! どうなんだ、答えろ!」
「そんな訳がないだろうが。我々がイェフィムを裏切る訳がない」
「ならッ! なら、こいつを処刑しろ! イェフィムを奪い、村人を殺しに来たこいつを殺せぇえ!」
 
 
 叔父は地団駄を踏みながら喚き散らしている。まるで駄々を捏ねる子供のようだ。父の顔が真っ白になって、握り締められた拳が小さく戦慄くのが見えた。
 
 その瞬間、解った。父は、もうカヤを守れない。カヤを守れば、ミド家が裏切り者の烙印を押されてしまうから。
 
 再び村人達がカヤを取り囲む。カヤは茫然自失のまま地面にしゃがみ込んでいた。カヤへと無数の手が伸ばされる。その光景を見た瞬間、憎悪が弾けた。背負っていた弓を両手で握って、人だかりへと向かって棍棒のように大きく振りかぶる。
 
 
「ユーティ!」
「カヤに触るな! 俺の妻だ!」
 
 
 カヤを守るように背にしたまま、牽制するように弓を構える。
 
 だが、次の瞬間、頭部に重い衝撃が走った。真横から頭を殴られたらしいと気付いたのは、地面へと倒れた後だった。
 
 カヤがユーティの肩を掴んで、泣き出しそうに名前を呼んでいるのが聞こえる。その声に応えたかったのに、唇は微かに戦慄くばかりに言葉が出てくる事はない。その直後に、意識がプツリと途切れた。
 
 

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Published in 花嫁のカヤ

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