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19 虚ろ

 
 雨だ、と天を仰ぎ見て言ったのは、ボラドだったのかイギーだったのか。それとも自分だったのか思い出せない。
 
 マント状の雨除けの上着を被せられた瞬間、大粒の雨が空から降り注ぎ始めた。ぱたぱたと上着に雨が打ち付ける音が聞こえる。
 
 ぼんやりと虚空を見つめたまま動かないユーティを見かねたのか、イギーが真横から顔を覗き込んでくる。
 
 
「ユーティ…お前、大丈夫か…」
 
 
 不安げな声に、ユーティは緩慢に瞬いてから声を漏らした。
 
 
「あぁ…」
 
 
 自分の声が遠い。まるで膜一枚隔てたかのように世界が色褪せて、生きている感覚が薄くなっていた。
 
 ゆっくりと一歩を踏み出す。湿った土がぐちゃりと音を立てるのが聞こえた。ぐちゃぐちゃと足音を立てながら足を進めていく。
 
 勝手に歩き出したユーティの後を、ボラドとイギーが慌てて追い掛けてくる。
 
 
「おい、ユーティ、何処に行く気だっ」
「何処? さぁ、何処だろうな」
 
 
 上の空でいい加減に答える。実際、自分が何処に向かっているのか、ユーティ自身ですら解らなかった。ただ身体が自分の意志とは関係なく動くのだ。何か冷たい歯車のようなものが自分を突き動かしていた。心は何も感じない。何も考えられない。
 
 ボラドがユーティの腕を強く掴む。
 
 
「待て、ユーティ。何処に行くのか、ちゃんと教えろ」
「叔父さんのところだ」
 
 
 唇まで勝手に動き出した。自分の声を聞いて、ユーティはその瞬間自分がこれから何をしようとしているのかようやく理解した。
 
 
「叔父さんは嘘を吐いた。カヤに濡れ衣を着せて、処刑させようとしている。その理由を聞きに行くんだ」
「…お前、それは聞きに行くって面じゃねぇぞ…」
 
 
 イギーがユーティの顔を見据えたまま、引き攣った声を上げる。だが、イギーにそう言われても、ユーティは今自分がどんな表情をしているのかさっぱり解らなかった。ただ、体内が凍り付いたかのように寒い。
 
 
「カヤが死んだら、叔父さんも殺す」
 
 
 また唇が自動的に言葉を紡ぐ。もしかしたら本当に自分は壊れてしまったのかもしれない。口角が引き攣って、笑みの形に吊り上がるのが解った。
 
 
「全身をバラバラに引き裂いて、苦しみながら死なせてやる。償いは必ずしてもらう。必ず」
 
 
 物騒を通り越して残忍なユーティの言葉に、ボラドとイギーが目を見開く。まるで怪物でも見ているかのような眼差しだった。
 
 そんな二人を尻目に、ユーティは再び歩き出した。大股で、叔父の家へと足を進める。その後を再び二人が追って来る。
 
 
「待て、俺達も一緒に行く」
「二人はエマや母さんを連れて、村の外へ逃げてくれ。アジムが村を襲撃に来る前に」
 
 
 カヤから説明された事を掻い摘んで説明すると、ボラドとイギーは言葉を失った。僅かな沈黙の後、ボラドが呻くように呟く。
 
 
「それが事実なら…父さんはきっともう気が付いている。エマも母さんも安全な場所に逃がしてるだろう」
「兄さん達も早く行った方がいい」
「馬鹿言うな。弟一人残して、何処に行けるって言うんだ。お前が残るなら俺達も残る」
 
 
 ボラドが吐き捨てるように言う。それに続くようにしてイギーが口を開いた。
 
 
「バハル叔父をまずは吐かせるぞ。何故こんな事をしたのか解れば、突破口が開けるかもしれないしな」
 
 
 イギーがユーティへと向かって、腰に差していた短刀を差し出す。鞘に入った短刀を片手で受け取って、じっと見つめる。
 
 ユーティの不穏な眼差しに気付いて、イギーが釘を刺すように呟いた。
 
 
「殺すなよ。もし殺すなら全部終わった後だ」
 
 
 
 
 
 
 
 バハル叔父の家は静まりかえっていた。扉を蹴破る勢いで開くと、居間の椅子に力なく座っていた叔父がビクンと肩を揺らすのが視界に入った。
 
 
「お、お前たち、い、いきなり何だっ!」
 
 
 動揺に震える叔父の声を聞きながら、ユーティは室内へと足を進めた。靴にこびり付いた泥を払いもせず、ずかずかと叔父へと詰め寄っていく。
 
 ユーティの様子に尋常ではないものを感じ取ったのか、叔父が部屋の片隅へと逃げていく。逃げ道を塞ぐように、叔父の進行方向の壁へとユーティは右足裏を叩き付けた。薄い壁がギギッと軋んだ音を立てるのが聞こえる。
 
 
「叔父さん、何処に行くんですか。何処に逃げるつもりですか?」
「に、逃げるなんて…」
「逃げるんでしょう? 他人に濡れ衣を着せた上に、この村を見捨てて嘘吐き野郎は逃げ出すんだ」
 
 
 ユーティは叔父の顔を覗き込んで、淡々と言葉を漏らした。まるで能面のように凍り付いたユーティの顔を見上げて、叔父が怯えたように視線を逸らす。
 
 
「お…俺は嘘なんてついていない、本当にあいつが…」
「カヤが井戸に毒を投げ込んだ? よくもまあそんな白々しい嘘が付けますね」
「だから…嘘じゃないと言っているだろうがッ!」
 
 
 自棄になったように叔父が咽喉から怒鳴り声を張り上げる。そのヒステリックな金切り声を、ユーティは鼻白んで聞いた。荒い息をつく叔父を冷たく見据えたまま、言葉を続ける。
 
 
「で、幾らですか?」
「…は?」
「幾らでイェフィムをアジムに売ったんですか?」
 
 
 事務的なユーティの声に、叔父がぶるりと皮膚を震わせる。
 
 
「金で自分の故郷や仲間を売ったんですか? 貴方は、井戸に毒が投げ込まれるのを黙って眺めていたんですか? 悶え苦しんで死んでいく仲間達を嘲笑っていた?」
「お、俺はそんな…そんな…」
 
 
 わなわなと叔父が唇を戦慄かせる。その惨めな痙攣を見つめながら、ユーティはそっと叔父へと顔を寄せて吐き捨てた。
 
 
「本当の裏切り者はアンタだろう」
 
 
 寒々とした一言に、叔父が勢いよく顔を上げる。その瞳はまるで憐憫を乞うように潤んでいた。
 
 
「違うっ! 俺は裏切るつもりなどなかった!」
 
 
 その言葉は言外にカヤへと濡れ衣を着せたことを肯定しているも同然だった。背後に立っていたボラドとイギーが苦々しく口元を歪める。
 
 
「では、何故あんな嘘を吐いたんだ」
 
 
 ボラドがそう問い掛けると、叔父はずるずると壁を背にしてその場にしゃがみ込んだ。両手で頭を抱えて、力なく首を左右に振る。
 
 
「い…言えない…」
「叔父さん、これ以上隠し事をすると自分のためにならねぇぞ」
 
 
 イギーがそう諭すものの叔父は取り付かれたように首を振るばかりだ。
 
 
「言えない…。どうしても、言えないんだ…」
 
 
 その時、不意に気付いた。ユーティは顔を上げて、左右を見渡した。そこに普段あるはずの存在がない。
 
 
「…ヨヨは、何処に行ったんだ」
 
 
 そう呟いた瞬間、叔父がハッと目を見開いてユーティを見上げた。その恐怖を滲ませた眼差しですべてを悟る。込み上げてきたのは、吐き気を催すような不快感だ。
 
 
「ヨヨを…人質に取られているのか」
 
 
 口に出した途端、叔父がわぁっと声を上げて泣き出した。まるで小さな子供のように蹲って、頭を抱えて泣いている。
 
 
「すまない、すまない…! こうするしかなかったんだ…! どうか許してくれ…っ!」
 
 
 哀れに許しを乞う叔父の姿を、静かに見下ろす。
 
 ヨヨを人質に取られて、叔父はアジムに命じられるままに動いた。カヤに濡れ衣を着せ、処刑させるように動いた。それもすべて一人娘のためだった。
 
 叔父にはヨヨしかいない。本当に、ヨヨしかいなかったのだ。
 
 
「…叔父さん、ヨヨは何処に捕らえられている」
 
 
 微かな脱力感に襲われながらも問い掛ける。叔父は涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げて、しゃがれた声を上げた。
 
 
「北の山の…中腹にある廃屋に…」
 
 
 聞くなり、ユーティは家の出入口へと向かって歩き出した。背後から泣き叫ぶような叔父の声が聞こえてくる。
 
 
「やめてくれ…! お前達に話したことがバレたら、ヨヨが殺される…ッ!」
 
 
 懇願する声に、ユーティは肩越しに視線を向けた。ぐしゃぐしゃに歪んだ叔父の顔を見据えて、唇を開く。
 
 
「バレなくても、ヨヨは殺される」
 
 
 現実を突きつけるようなユーティの言葉に、叔父の表情が凍り付く。その面へと吐き捨てる。
 
 
「ヨヨを連れて戻ってくる。そうしたら、貴方にはカヤの誤解をといてもらう。自分のツケは自分で払え」
 
 
 そう言い放って、ユーティは家から出た。
 
 まだ外は雨が降っている。夜明けまで、あと数時間もなかった。
 
 

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Published in 花嫁のカヤ

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