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2 花嫁が来る

 
「花嫁が嫁いでくるぞ」
 
 
 イェフィム族の族長であり、ユーティの父であるバッデロがそう告げたのは結婚式の一月ほど前だった。母のアーリア、長兄のボラド、次男のイギー、三男のユーティ、妹のエマ、家族全員が集合した食事の最中だった。
 
 ユーティはラム肉のスープを啜りながら、父の言葉を聞いた。その瞬間は、特に驚きも戸惑いも感じなかった。そもそも自分とはあまり関係のない話だとすら思っていたからだ。
 
 最初に声を上げたのはボラドだった。奥歯の辺りでパンを咀嚼しながら、僅かに弾んだ声で訊ねる。
 
 
「俺の嫁ってことか?」
「そうなるだろうな」
 
 
 ミド家の息子三人は、まだ誰も妻帯を持っていない。花嫁がくるとしたら、まずは長兄であるボラドのところだ。
 
 ボラドの目尻が微かに赤味を帯びる。ようやく一人前として家族をもてる喜びがその顔に滲んでいた。ボラドが前のめりになって、勢い込むように喋る。
 
 
「何処の娘なんだ?」
「アジムの族長であるギュバル家の娘だ」
 
 
 その言葉に反応したのは、ボラドではなく次男のイギーの方だった。イギーは野狐じみた切れ長な目を、更に糸のように細めると、苦味走った声を上げた。
 
 
「父さん、本気かよ。アジム族なんて事あるごとに難癖を付けて、他の部族を襲撃してるような血の気の多い連中だぜ。よりにもよってその族長の娘が、どうしてうちに嫁いでくる。厄介な火種を抱え込むだけじゃねぇか」
 
 
 口調はぶっきらぼうだが、イギーの言い分は正しかった。
 
 アジム族は武闘派として名高い好戦的な部族だ。何よりも誇りを重んじ、我らに対する侮辱は死を持って償わせる、と公言している。馬術に長け、一人一人の闘争心も強い。
 
 イェフィム族とは敵対関係にはないが、だからといって友好的でもなかったはずだ。そんな部族の族長の娘が、何故イェフィムに突然嫁いでくる事になるのか。
 
 
「父さん、あたしも反対。アジムの娘って、男に混じって狩りに出たりするような乱暴者だって聞いたことある。血の滴る生肉をそのまま食べたりもするんですって。そんな人が義姉さんだなんて、怖いわ」
 
 
 ユーティよりも四つ年下、今年で十四歳になる妹のエマがそう言って唇を尖らせる。首を左右に振ると、腰まで伸ばされた二つのおさげが小さく揺れた。
 
 その声に続いて、母のアーリアが頬に手を当てて呟くのが聞こえた。
 
 
「あら、生肉だなんて…それは困るわねぇ」
 
 
 眉尻を下げてはいるものの、その間延びした声音には大した困惑も滲んでいなかった。天然気味な母のことだから、明日の夕飯に迷ったぐらいにしか感じていないのだろう。
 
 家族からの批判に、父は静かな声を返した。
 
 
「お前達の言い分も解る。だが、向こうからの申し出だ。無碍に断れば、一族を侮辱したと取られて襲撃される。断る方法はない」
「嫁いできた花嫁がうちに蔑ろにされているとでも訴えたら、逆にイェフィムが襲われる理由を作っちまうことにはならないか?」
 
 
 念を押すようにイギーが問う。父はゆっくりと頷いた。
 
 
「その可能性もあるだろう。だからこそ、どんな嫁が来ようとも大事にしなくてはならない。甘やかせということではなく、家族の一員として尊重する。それが肝要だ」
 
 
 その言葉で、ようやく父が既に覚悟を決めている事が解ったのだろう。イギーが大きく息を吐いて、諦めたように肩を落とした。エマはまだ不服げな表情を浮かべていたが、それ以上文句を言い出すこともない。
 
 父が家族へと視線を巡らせる。
 
 
「婚姻は一月後だ。ボラド、構わないな」
「あぁ、勿論だ。どんな嫁が来ても、イェフィムの次期族長として受け入れる覚悟はある」
 
 
 右拳で胸をどんと叩きながら、ボラドが答える。その声音は、嫁いでくる妻への期待に満ちている。
 
 ボラドの悩みすぎない性格がユーティには好ましかった。やや短絡的な性格とも言えるが、一族の長は多少楽天家な方が有り難い。ボラドに足りない部分は、慎重派のイギーが補ってくれるだろう。何だかんだ言いながらも、イギーが面倒見が良いことをユーティは知っている。
 
 ボラドの自信に溢れた仕草を眺めてから、父は最後にユーティへと視線を向けた。
 
 
「ユーティ、お前も異論はないな」
 
 
 確かめるような父の声に、ユーティは軽く右手を上げた。
 
 
「俺は、父さんの判断も、ボラドの覚悟も信頼してるよ」
 
 
 暢気に答えるユーティを見て、イギーが呆れたように溜息を付くのが聞こえた。
 
 
「お前は相変わらず暢気な奴だな。もう少し自分の意見ってものがないのか?」
 
 
「自分の意見かぁ。でも、決断は父さんやボラドがしてくれるし、心配しなくてはいけない事はイギーが言ってくれるだろう? わざわざ俺の意見を挟む必要がないだけだよ」
 
 
 そう穏やかに返すと、イギーは小さく肩を竦めた。
 
 
「お前なぁ、そんな流されっぱなしじゃ、いつかとんでもねぇ嫁を掴まされることになるぞ」
「とんでもない嫁?」
「そうだな、たとえば料理も裁縫も出来ない、筋肉だらけで男みてぇな嫁とか」
 
 
 その喩えに思わず噴き出しそうになった。くっくっと背中を笑いに震わせていると、エマが窘めるように呟いた。
 
 
「笑い事じゃないわよ。イギーの言うとおり、ユーティはちょっと抜けてるところがあるんだから、ちゃんとした人に奥さんに来て貰わなくちゃ」
 
 
 まるで母親のような口調で諭される。エマは歳の近い兄に対して、やや弟に対するような過保護さを向けてくるところがある。
 
 ユーティの何処かふわふわとした捕らえ所のない性格がそうさせているのだろう。実際三男という立場なおかげか、家族の中で一番気楽に暮らさせて貰っている自覚はあった。イェフィム族が末っ子相続でなくて良かったと心底思う。
 
 イギーとエマから向けられる心配げな眼差しを見返しながら、ユーティは長閑な声で呟いた。
 
 
「そうだな。どんな相手でも、愛せるように努力するよ」
 
 
 ユーティの的外れな言葉に、イギーとエマが脱力したようにガックリと肩を落とす。その様子を眺めて、母が小さく笑い声を上げるのが聞こえた。
 
 

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Published in 花嫁のカヤ

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