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3 歪んだ左足

 
 その時は、アジム族の嫁を受け入れることで全員が納得した。だが、その二十日後に事態は急変した。
 
 結婚式の四日前、ようやく花嫁がミド家へと訪れることになった。
 
ボラドは朝からそわそわと落ち着きがなく、矢鱈と鏡を覗き込んでは短い髪を撫で回していた。イギーは口数が少なく、エマはむっつりとした表情で刺繍をしている。ユーティは、いつも通り家の外で山羊達の世話をしていた。
 
 
 昼過ぎに、無遠慮な馬蹄の音が聞こえてきた。地鳴りじみた振動、舞い起こる土埃、そして馬の嘶きが近付いてくる。その音は、ミド家の前で止まった。
 
 二十頭ほどの馬に、猛々しい顔立ちをした男達が跨がっている。銀糸で刺繍が施された漆黒の長衣を纏い、荒野を走る者らしくその髪色は赤っぽい色に褪せていた。腰帯には三日月のように湾曲した刀剣が差されている。一目見て、荒事に慣れた戦士達だと判った。
 
 大量の馬の気配に驚いて、草を食んでいた山羊達が驚いたように家畜小屋へと我先に走っていく。山羊達が逃げまどう庭に立ったまま、ユーティは男達を眺めた。
 
 ユーティの視線に気付いて、先頭にいた男が馬上から声を上げる。四十過ぎであろう、左頬に大きな刀傷のある男だ。
 
 
「貴様は、ミド家の者か」
 
 
 まるで腹の底から轟くような、威圧的な声音だった。声だけで相手を威嚇するような傲岸さが滲んでいる。
 
 
「はい、ミド家三男のユーティと申します。貴方がたはアジム族の方ですか?」
「そうだ。花嫁を連れてきた。イェフィムの族長を呼んでもらおう」
 
 
 殆ど命じるような口調で言い切って、刀傷のある男が馬から飛び降りてくる。それに合わせて、次々と他の者達も馬から降りた。
 
 だが、その中で一人だけ馬から転がり落ちるように降りたものがいた。落馬まではいかないが、地面に着地した瞬間、ガクリと左膝を折っている。蹲ったまま立ち上がろうとしない男を見て、ユーティは男の傍へと駆け寄った。
 
 
「大丈夫ですか?」
 
 
 声を掛けながら、ゆっくりと右手を伸ばす。だが、肩先へと触れようとした瞬間、その掌が勢いよく弾かれた。
 
 蹲っていた男がユーティの手を跳ね除けて、鋭い眼差しで睨み付けている。その憎悪を滲ませた琥珀色の瞳に、一瞬ぞくりと背筋が粟立つのを感じた。
 
 
「俺に、触れるな」
 
 
 明らかな拒絶を滲ませた声に、返す言葉を無くす。
 
 唖然と男を見つめている内に、男は静かに立ち上がった。そのまま左足をずるずると引き摺って歩き出す。よく見ると、左足が僅かに捻れているのが衣服の上からも解った。
 
 それほど古くはない怪我なのか、歩く度に痛みに眉を顰めているのが見える。この足でよく長時間馬に乗れたものだ。
 
 苦痛に顔を歪ませる男を見て、ソバカス面の男が小馬鹿にするような声を上げる。
 
 
「お嬢ちゃん、一人で歩けるんでちゅかー?」
 
 
 にたにたと湾曲した目が酷く気色悪かった。声からも顔からも、底意地の悪さが滲み出ている。だが、その『お嬢ちゃん』という一言がユーティには理解出来なかった。見渡しても、この場にいるのは全員男性のように思える。花嫁を連れてきた、と言った筈なのに。
 
 ユーティが呼びに行くよりも早く、騒ぎを聞きつけた父やボラド、イギーが家の外に出てくる。エマは、扉の隙間から怖々とした視線でこちらを見つめていた。
 
 父が一歩進み出て、口を開く。
 
 
「ようこそいらっしゃいました。私はミド家の家長バッデロと申します」
「私はギュバル家の家長ギバと言う」
 
 
 刀傷のある男、ギバは相変わらず威圧的な口調を崩さずに言った。その返答に、父が訝しげに眉を顰める。
 
 
「…確かギュバル家の家長の名は、シバだったかと思いますが」
「シバは私の兄だ。二月ほど前に事故で亡くなり、私がギュバル家を、アジム族を引き継いだ」
 
 
 父の眉間の皺が深くなる。予想外の事態に、その瞳に警戒の色が滲んでいた。きょろきょろと周囲を見渡していたボラドが困惑した声で呟く。
 
 
「花嫁は何処だ?」
 
 
 ボラドの言葉に、唐突にソバカス面の男が噴き出した。腹を抱えて、げひゃひゃひゃと下品な笑い声を上げている。その笑い声に、ボラドとイギーが露骨に顔を歪めた。自分達が嘲られている事を、その笑い声で感じ取ったのだろう。
 
 笑い続けるソバカス面の男を窘めるように、ギバが声を上げる。
 
 
「ヤッソ、止めろ」
「父さん、だってよォ…」
 
 
 父さんと呼んだところを見ると、ヤッソはギバの息子らしい。ヤッソはまだ腹を抱えて、ヒィヒィと掠れた笑い声を漏らしている。
 
 
「ヤッソ、二度も言わせるな」
 
 
 ギバが低く唸るような声で言い放つ。途端、ヤッソが慌てて口を噤むのが見えた。それでも、その目元は醜悪に歪んでいる。その目線の先には、先ほど左足を引き摺っていた男が立っていた。
 
 ギバが足が不自由な男の右腕を鷲掴んで、引き摺るようにして父の前へと突き出す。
 
 
「これが花嫁のカヤだ」
 
 
 その一言に、一瞬でミド家全員の動きが止まった。ボラドは唖然とした表情を浮かべ、イギーは苦虫を噛み潰したように唇を歪め、父は憎々しげにギバを睨み付けている。
 
 ユーティは、カヤと呼ばれた足の不自由な男を、ただ真っ直ぐ見つめていた。カヤは、じっと地面を見据えたまま動こうとはしない。
 
 父が怒りを堪えるように、殊更ゆっくりと唇を開く。
 
 
「そちらは男性のように見えますが。私達が待っていたのはギュバル家の娘です」
「これがギュバル家の娘だ。亡くなった前族長のたった一つの忘れ形見だな」
「馬鹿な」
 
 
 父がらしくもなく感情的に吐き捨てる。どう見ても男であろう人間を、無理矢理娘だと言い聞かせて押し付けるなど、こちらを愚弄にするにも程がある。ミド家だけでなく、イェフィム族まで侮られている事は明白だった。
 
 だが、父の怒りに頓着する様子もなく、ギバはその口元に粘着いた笑みを浮かべた。
 
 
「ミド家の家長は、アジム族を馬鹿だと申されたか? 我々を侮辱するつもりか?」
「先に侮辱しているのは、そちらです」
「我々は約束どおり花嫁を連れてきた。そちらが花嫁を気に入るか気に入らないかは我々の責任の範疇外だ。だが、折角連れてきた花嫁を受け入れぬと言うのであれば、アジム族への宣戦布告と取らせてもらう」
 
 
 尊大極まりないギバの返答に、父の顔が鬼のように歪んでいく。ユーティは生まれて初めて父が怒り狂うのを目にした。普段は冷静な父が怒りに我を忘れようとしている。ボラドとイギーも同様に屈辱に打ち震え、猛っている。
 
 それを感じ取った瞬間、咄嗟にユーティは父の右肩を掴んでいた。父がハッとしたようにユーティを振り返る。ユーティは一歩前に進むと、朗々と声を上げた。
 
 
「花嫁を頂きます」
 
 
 その一言に、俯いていたカヤが視線を上げるのが見えた。カヤは信じられないものでも見るかのようにユーティを見つめている。
 微笑むユーティを見て、にたにたと笑っていたギバとヤッソ達が笑みを引っ込めた。
 
 
「我らの花嫁をお連れ頂き、誠に有り難うございます。ギュバル家の皆様のご厚意に、心より感謝申し上げます」
 
 
 心にもない言葉がすらすらと唇から溢れてくる。にこにこと微笑むユーティを見て、鼻白んだようにヤッソが「ヘッ」と小さく吐き捨てるのが聞こえた。露骨に面白くない表情をしている。
 
 ユーティは緩く息を吐き出すと、カヤへと向かって手を伸ばした。
 
 
「ミド家にようこそ。家族の一員として、貴方を歓迎します」
 
 
 差し出されたユーティの掌を見つめたまま、カヤは動こうとはしない。仕方なくユーティはカヤの手首をそっと掴んだ。掴んだ掌は、今度は振り払われなかった。
 
 よろめくカヤを傍らへと引き寄せた途端、ギバが舌打ちを漏らした。まさかミド家が花嫁を受け入れるとは思っていなかったのだろう。予想外の事態に、忌々しさを隠し切れていない表情だ。
 
 
「それを『家族』と呼ぶか」
「はい、我々の家族です」
 
 
 淀みなく答える。睨み付けてくるギバの眼差しを、ユーティは真っ直ぐ受け止めた。
 
 ようやく冷静さを取り戻したのか父が淡々と声を上げる。
 
 
「長旅で花嫁も疲れていることでしょう。皆さんも慣れぬ場所では落ち着かないかと思います。お話も切り上げて、今日はこれにて失礼させて頂いても宜しいでしょうか?」
 
 
 伺いをたてるような台詞だったが、その声音には有無を言わせぬ響きがあった。父の目には据えた光が宿っている。
 
 ギバが唸るように声を漏らす。
 
 
「貴様…」
「この婚姻が結ばれることによって、より一層アジムとイェフィムの友好的関係が深まると信じております」
 
 
 ギバの言葉を遮るように、父は上っ面だけの友好の言葉を吐き出した。その言葉に、ギバが不愉快そうに唇をへし曲げる。暫くギバは父を睨み付けていたが、そのまま何も言わずに馬へと飛び乗った。
 
 
「確かに、花嫁は渡した」
 
 
 言い捨てて、ギバが土煙を上げて去っていく。その後ろを、馬上に戻ったアジム族達が追いかけて行く。最後にヤッソが振り返って、甲高い声を上げた。
 
 
「せいぜい可愛がってやりな!」
 
 
 嘲笑の声に、ボラドとイギーが歯噛みする。
 
 ユーティは、所在なく立ち尽くすカヤを静かに見つめた。カヤの掌はキツく握り締められている。その掌の隙間からぽたぽたと赤い血が乾いた地面へと零れ落ちていた。
 
 

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Published in 花嫁のカヤ

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