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4 ユーティの選択

 
 アジム族が去ってからの数時間、ミド家は荒れに荒れた。
 
 カヤを二階の部屋へと押し込んで、一階の居間で家族会議が開かれた。一番声高々に吼え猛ったのはボラドだ。自分の花嫁が来るはずが、男が来たのだから、いきり立つのも当然だろう。
 
 
「何なんだ、あいつらは! 一体どういうつもりで、あんな男を連れて来やがった!」
 
 
 檻の中の獣のようにぐるぐると同じところを回り続けていたボラドが地団駄を踏んで喚き散らす。
 
 
「どういうつもりかなんて解り切ってるだろうが。あいつら、俺達を挑発してるんだ。男を花嫁として連れて来て、断ったらアジムを侮辱したって難癖付けて、イェフィムを潰しに来るつもりなのさ。畜生、巫山戯やがって」
 
 
 吐き捨てて、イギーは鼻梁に深々と皺を寄せた。苛立ちを抑えるためなのか、イギーは頻りに小刀を動かして小枝を弓矢の形に削っていた。イギーの膝元には、削られた木屑が散らばっている。
 
 ユーティは床に散らばった木屑を指先で撫でながら、緩く二階を仰ぎ見た。もしかしたら、ボラドとイギーの声は、カヤに聞こえているかもしれない。
 
 
「ねぇ、あんな人、今すぐ追い出しましょうよ…。目が獣みたいにギラギラしてて怖い…」
 
 
 きっと何か酷い事をやらかすに違いなんだから、と怯えた声音でエマが囁く。震えるエマの肩を、慰めるように母が抱き締めていた。
 
 
「そうだ! この家から放り出せ! いいや、八つ裂きにしてアジム族に送り返してやればいいんだ!」
 
 
 ボラドが怒りに任せて吼える。
 
 
「いや、死んだことがバレたら、それもアジム族に攻撃される理由になっちまう。バレないように殺して、死体は荒野にでも埋めるか…」
 
 
 ボラドに煽られて、イギーまで物騒なことを言い出す。イギーが握り締めた小刀が炎に反射して、鈍く輝くのが見えた。ミド家一家があの足の弱い男を追い詰めて、嬲り殺しにするのか。それは随分と凄惨な光景のように思える。
 
 それまで目蓋を伏せていた父が目を開く。
 
 
「…アジムの前族長のシバは、こちらが礼節を返せば、決してそれを裏切ったりはしない誇り高い男だった。だが、新たに族長になったギバという男は、それとは真逆の男のようだな。何故突然イェフィムに花嫁を嫁がせると言ってきたのか不思議だったが、これで解った。アジムはイェフィムを攻撃する要因を作ろうとしている。その要因があの『花嫁』だ」
 
 
 怒りすら越えてしまったかのように、父の声は酷く冷淡だった。底冷えした声音に、僅か皮膚が凍える。
 
 父の言葉に、ボラドが同調するように叫ぶ。
 
 
「だから、とっととあの男を…!」
「殺すことは、出来ない。アジム族は目敏く、執念深い。あの『花嫁』が消えれば、我々が『何を』したのか直ぐに気付くだろう。いなくなった事が解った瞬間に、アジムはイェフィムに牙を剥く。それは間違いない」
 
 
 悟り切った父の様子に、ボラドがぐっと言葉を飲み込む。小刀を動かしていたイギーが据えた眼差しで、父を見つめた。
 
 
「じゃあ、俺達はどうすりゃいいんだ。あんな爆弾を家ん中に置いておかなきゃなんねぇのか。足も弱くて、クソの役にも立たねぇ穀潰しを養ってやるなんて、冗談じゃねぇよ」
「それでも、我々はあの男を『花嫁』として受け入れなくてはならない」
 
 
 怒りを滲ませたイギーの言葉に、それでも父は事務的な声で呟いた。その一言に、ボラドの顔面からサッと血の気が引いていく。
 
 
「ま、まさか、本当に結婚しなくちゃいけないのか?」
 
 
 父の言葉で、ようやくあの男が自分の花嫁としてやって来た事を思い出したのだろう。動揺を滲ませたボラドの声に、無表情だった父の顔に初めて同情の色が滲んだ。
 
 
「そうだな」
「お、俺は…」
「ボラド、誰かがあの花嫁の夫にならなくてはならない」
 
 
 ボラドの唇がわなわなと震える。だが『誰かが』という父の一言を聞いた瞬間、ボラドはキツく唇を噛み締めた。もしも自分が拒否すれば、望まぬ夫の役割を弟達に押し付ける事に気付いたのだろう。
 
 固く目蓋を閉じたまま、ボラドが呻くように呟く。
 
 
「…ど、どんな嫁がきても受け入れると覚悟していた。俺が、あの男の夫になる」
「馬鹿言うな。お前はイェフィムの次期族長だぞ。族長の妻が男だなんて笑い話にもならねぇ。俺が夫役を引き受ける」
 
 
 噛み付くように言い放つイギーを、ボラドが微かに潤んだ眼差しで睨み付ける。
 
 
「馬鹿野郎。弟に厄種押し付けるような奴が次期族長になれるか」
「上に立つ人間が厄種背負うことの方が馬鹿じゃねぇか。要らねぇもんは下のもんに押し付けて、お前はどんと構えてりゃいいんだ」
 
 
 言い合うボラドとイギーの姿を、ユーティはじっと眺めた。二人の押し問答が右から左へと抜けていく。言い争っている二人の声を何処か遠くの出来事のように聞きながら、ユーティはぼんやりとカヤの姿を思い出した。
 
 乾いた赤毛、琥珀色の瞳、あの猛々しい眼差し。まるで刀の一太刀のように、目蓋の裏に深く刻まれて離れない。
 
 
「――俺が貰うよ」
 
 
 無意識に唇が動いていた。その口調があまりにも穏やかだったから、ボラドとイギーは一瞬ユーティが何を言ったのか解らなかったようだった。二人とも目を真ん丸くして、この暢気な三男が今度は何を言い出したんだ?といった表情を浮かべている。その表情に小さく笑い声を零しながら、ユーティは繰り返した。
 
 
「俺があの人を貰う」
 
 
 自分でも不思議なほどに心は平らかだった。悲壮な決意も、甘美な自己憐憫もない。無理に押し付けられたのでもなく、自己犠牲の精神で引き受けたのでもなく、ただ当たり前のように自分があの男を貰うべきなのだとその瞬間思った。
 
 
「ユーティ、引き受けてくれるか」
 
 
 確かめるように父が言う。父の眼差しを見返しながら、ユーティは頷いた。
 
 
「俺は三男だから族長にも補佐にもならない。俺が貰うべきだと思う」
 
 
 客観的に見ても、族の中で役割を持たない三男が持て余している花嫁を引き受けるべきだろう。逆に言ってしまえば、こういう時のためにユーティはミド家で育てられてきたのかもしれない。兄二人が背負えないものを代わりに背負うために。ふと、そう思った。
 
 だが、その時エマの劈くような声が響いた。
 
 
「ダメよ、絶対にダメっ! 何でユーティがそんなハズレくじ引かなきゃいけないの! 父さん、ユーティが断れないからって、あんな人と夫婦にさせるなんて酷いことしないでっ!」
 
 
 金切り声を上げながら、エマがまるで守るようにユーティの腕を抱き締めてくる。その瞳は真っ直ぐ父を睨み付けていた。
 
 
「エマ、俺は押し付けられて、あの人を貰うわけじゃないよ」
 
 
 そう諭すように呟く。だが、エマは頑なに首を左右に振った。
 
 
「嘘よ、そうやってユーティはいっつも皆の余り物ばっかり貰うことになるんじゃない。ご飯だってお土産だって、ユーティは兄さんやあたしに先に選ばせて、残った物を貰ってるって私知ってるんだから。その上、こんな…お嫁さんまで貧乏くじ引かされるなんて…ユーティが可哀想過ぎるじゃない…」
 
 
 ぐずと鼻を鳴らして、エマが涙ぐむ。
 
 
「そうだ、ユーティ。俺が最初に嫁を貰うと言い出したんだ、俺があれを引き受ける」
「お前にゃ、あんな獣は扱い切れねぇだろう。無理すんな」
 
 
 エマの涙に触発されたように、ボラドとイギーまで過保護なことを言い出す。腕にしがみ付いたまま小さくしゃくり上げるエマに、ユーティは困り果てたように頭を掻いた。
 
 
「みんな、心配しなくても大丈夫だ」
「大丈夫なわけ…」
「犠牲になるつもりで言い出したんじゃない」
 
 
 そう告げると、ボラドとイギーは納得出来ないように眉を顰めた。エマは目に涙を浮かべながら、しゃくり上げるように呟いた。
 

「犠牲じゃないなら、なんだって言うのよ…。男と結婚するなんて、皆から笑われて、気の毒だって哀れまれるわ…。自分の子供も、孫も抱くことができないのよ…」
 
 
 心からユーティを気遣うエマの声に、申し訳ないなという気持ちは湧いてきても、逡巡や迷いは欠片も浮かんで来なかった。きっと、あの男の手を掴んだ瞬間から、ユーティの心は決まっている。
 
 男に一目惚れしただとかそんなロマンチックな理由ではなく、やっと自分の役割を果たす時が来たんだと理解しただけだ。
 
 震えるエマの肩をそっと抱き寄せて、その頭を緩く撫でる。エマはユーティの胸元に顔を埋めて、声も出さずに啜り泣いた。じわりと服越しに皮膚へと染み込んでくるエマの涙を感じながら、ユーティはその耳元へとそっと囁いた。
 
 
「エマ、泣かなくていい。何も悲しいことなんてない」
「いやよ。ユーティ、ちゃんと嫌だって言って。いつもみたいに流されたりしないで」
「流されたんじゃない。俺の選択だよ」
 
 
 はっきりと口に出す。エマがハッとしたように顔を上げる。その潤んだ瞳を見下ろして、ユーティは繰り返した。
 
 
「俺の選択だから」
 
 
 だから、これ以上何も言わないでくれ。と祈るような気持ちで言う。ユーティのためを思ってくれているエマに申し訳なかったが、エマが泣いても喚いても、ユーティの決心は揺らぐ事はない。
 
 それにユーティがあの男を貰わなくては、このどん詰まりな現状が変わることもない。優先するべきはユーティ一人の幸福ではなく、イェフィム族の存続の方なのだ。
 
 しゃくり上げながらも口を閉ざしたエマの代わりに、父がようやく結論を口にする。
 
 
「ユーティ、お前に任せる」
 
 
 どうしてだろう。父のその言葉を聞いた瞬間、ユーティは酷くほっとした。ずっと宙ぶらりんだった自分に、ようやく明確な役割が与えられたような気がしたからだ。
 
 
「有り難う、父さん」
 
 
 損な役回りを与えられたにも関わらずお礼を言うユーティを見て、エマが胡乱げに顔を顰める。エマは、どうしてユーティが父に感謝するのか、その理由を理解出来ないのだ。ただ父だけが理解したように、深く頷いた。
 
 ユーティは、その場からゆっくりと立ち上がった。家族の円から抜け出て、二階の一室に閉じ篭もったままの男の元へと向かう。ユーティの花嫁の元へと。
 
 

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Published in 花嫁のカヤ

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