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6 罅割れた卵

 
 そうして婚礼当日。
 
 ベールの隙間から垣間見たカヤの顔には一週間前と同じ、警戒と拒絶、そして憎悪が色濃く浮かび上がっていた。その眼差しを見つめ返しながら、ユーティは柘榴酒が注がれた杯をカヤへと近付けた。
 
 
「朝から何も飲んでいないだろう。まだ婚礼は続く。少しだけでも水分を取っておかないと、気分が悪くなるぞ」
 
 
 宥めるように囁くと、カヤは躊躇うように唇を歪めた後、ようやく杯を受け取った。その指先が微かに戦慄いているのは緊張のせいか、それとも怒りのせいだろうか。柘榴酒を含んだカヤの咽喉が上下に動くのを、ユーティはベールの隙間から見つめた。
 
 その時、入口の方から雄々しい声が聞こえてきた。
 
 
「ユーティ!」
 
 
 呼ぶ声に、視線を巡らせる。布扉をくぐって、叔父のバハルが近付いて来るのが見えた。
 
 
「叔父さん、来てくれたんだ」
「当たり前だろう。可愛い甥っ子の結婚式なんだからな」
 
 
 ふさふさとした黒髭を掌でぞんざいに撫でながら、叔父はユーティの斜め前へとどっかりと腰を下ろした。隣に座っていたボラドの肩をぐいっと抱くと、ニヤニヤと茶化すような笑みを浮かべる。
 
 
「ボラドも、まさか一番下の弟に先を越されるとはなァ」
「五月蠅ぇな」
 
 
 叔父の言葉に、ボラドが煙たがるように片手を左右に振った。実際は兄よりも先に弟が所帯を持つ事などあり得ないのだが、今回は族長である父の一存でユーティの結婚が決まったという事になっている。
 
 その叔父も、まさかユーティの結婚相手が男などとは思ってもいないのだろう。この場所で、花嫁が男だと知っているのはミド家一家だけだ。だからこそ、参列してくれたイェフィムの皆も、この場を目出度いものとして祝ってくれている。
 
 
「まぁ、お前にもいつか良い嫁さんが見つかるさ。見つからなけりゃ、うちのヨヨをくれてやる」
「ヨヨはまだ五歳だろうが。十五も離れた相手に嫁がせるなんて可哀想な真似すんなよ」
 
 
 これ以上叔父の与太話には付き合ってられるかとばかりに、ボラドが立ち去っていく。ボラドに逃げられてしまうと、叔父は矛先をカヤへと向けた。上から下までベールを被ったカヤをじろじろと無遠慮に眺めて呟く。
 
 
「そういえば、あんたは何歳なんだ?」
 
 
 叔父の一言で、ユーティはカヤの年齢すら知らない事に気が付いた。押し黙ったままのカヤに顔を寄せて、ベール越しに訊ねる。
 
 
「俺は十八だ。君は幾つになるんだ?」
 
 
 そっと囁き掛けて、辛抱強く答えを待ち続ける。沈黙の後、ユーティにだけその小さな声が聞こえた。
 
 
「…二十歳」
 
 
 ユーティよりも二つ年上だ。つまり、ボラドと同い年か。そう叔父に伝えると、叔父は豪快な声を上げた。
 
 
「そうか、年上女房か! なら、早めに子供を産んでもらえよ! 子供は多ければ多い方がいいからなァ!」
 
 
 そう言って笑う叔父には、娘のヨヨしか子供がいない。叔父の妻は身体が弱く、長い間子供を作ることが出来なかったのだ。五年前にヨヨが生まれたが、出産に耐え切れず叔父の妻は命を落とした。叔父には、もうヨヨしかいない。
 
 バンバン子作りに励めと言って、肩を強く叩いてくる叔父に、ユーティは曖昧な笑みを返した。
 
 
「それにしても、お前の花嫁は随分と静かだな」
 
 
 一向に喋りもしない、ベールを被ったまま微動だにしないカヤを訝しむように叔父が呟く。
 
 
「妻は、こういう場が得意ではなく、酷く緊張しているんです」
「だからって、顔の一つぐらい見せてくれてもいいんじゃないか?」
「とても恥ずかしがり屋なんですよ」
 
 
 ともすればカヤにまで詰め寄ってきそうな叔父を阻むように、ユーティは答えた。それでも叔父の視線は、カヤから離れようとはしない。
 
 
「それに、随分と大柄な女なんだな」
 
 
 遠慮のない叔父の一言に苦笑いを返した瞬間、不意に外から馬の鋭い嘶きが聞こえてきた。激しい土踏みの音が響いた瞬間、外からざわめきが伝わってきた。驚きと焦りの声が聞こえてくる。
 
 その数秒後、どかどかと荒々しい足取りで数人の男達が踏み入って来た。アジム族のヤッソ達だ。
 
 
「我らが姉妹の婚礼、祝いに来てやったぞ!」
 
 
 押し付けがましい台詞を吐き捨てながら、ヤッソが歪んだ笑みを浮かべる。その眼差しは、ユーティとカヤへと向けられていた。
 
 それまで参列者達の対応をしていた父がヤッソ達へと近付いていく。
 
 
「…ようこそいらっしゃいました。婚礼の日取りをお伝えしたのに返事が返ってこなかったので、まさか来られるとは思っておりませんでしたが」
「美しい花嫁の姿を一目見たくてなァ。同じ部族だった者としては、祝いの言葉の一つでも投げてやらなくては」
 
 
 僅か棘のある父の言葉に反応を返さず、ヤッソはただニタニタと嫌らしい笑みでカヤを見つめている。そうして参列者達を押しのけるようにして、こちらへと近付いて来た。ヤッソ達が放つ不穏な気配に、参列者達が怯えたようにざわめく。
 
 
「カヤぁ、目出度いなァ! 従兄弟の俺もお前の花嫁姿を見られて、酷く誇らしいぞ! さぞ美しく化けさせてもらったことだろ。顔の一つくらい見せてくれないのかァ?」
 
 
 ベールを被ったカヤの顔へとヤッソが鼻先を寄せる。心の柔らかい部分を土足で踏み躙るような、その仕草が酷く不愉快だった。
 
 カヤは動かない。ただじっと心を殺すように押し黙ったままだ。
 
 
「参列している皆も、お前の顔を一目見たいと思ってるんじゃないか? ほら、ベールをめくって、顔を見せてやれよ」
 
 
 ヤッソの手がカヤのベールへと伸ばされる。その掌がベールを引き剥がそうとした瞬間、ユーティはヤッソの腕を掴んでいた。ヤッソがぎょっとした表情でユーティを見ている。その表情を見返しながら、ユーティは穏やかに微笑んだ。
 
 
「私の妻に、触れないで下さい」
 
 
 まるで悪戯っ子に言い聞かせるようなユーティの声音に、ヤッソの顔がカッと怒りに染まるのが見えた。
 
 
「…お前の妻、だとォ?」
「そうです。カヤは、私の妻です。夫の前で許可もなく妻に触れるのは、親類といえども無礼に当たるのではないですか?」
 
 
 微笑んでいるのに、ユーティとヤッソの間には緊迫した空気が流れていた。先ほどまで騒がしかった婚礼会場が静まり返っている。
 
 
「はッ、こんな奴を妻と呼ぶのか。随分と物好きな男だな」
「何とでもおっしゃって下さい。私はカヤを妻として貰い受けました。もうカヤはアジムではなく、イェフィムの人間です。私がカヤを守っていきます。もし貴方が私の妻を愚弄するなら、私が許しません」
「許さない、だとォ? アジムと戦でもするつもりか?」
 
 
 引き攣ったヤッソの声音に、一瞬イェフィムの参列者達にさざめくように動揺が広がるのが解った。イェフィムとアジムが戦争を始めれば、大量の血が流される。戦いに慣れていないイェフィム族が劣勢に立たされる事は間違いないだろう。
 
 
「いいえ、アジムと戦をするつもりはありません。これは族と族との諍いではなく、貴方と私だけの問題だ。やるならば、個人的に決着を付けましょう」
 
 
 声音が荒くならないように、落ち着いた声音で言い放つ。途端、ヤッソの額に稲光のような血管が浮き上がるのが見えた。ピクピクと戦慄く血管が醜く、そして浅ましい。
 
 
「…個人的に決着ねぇ。平和ボケした一族のお坊ちゃんが生意気な口を聞くもんだな」
「そうですね…。他人を愚弄する事しかできない荒くれ者よりかはマシだと思いますが」
 
 
 そう静かに漏らして、にっこりと微笑む。その瞬間、ヤッソの目が極限まで開かれた。見開かれた眼球は、殺意に満ちている。
 
 ヤッソの手が腰帯にさした剣へと伸ばされる。剣が引き抜かれ、その切っ先がユーティの首を切断しようと真横に振り払われるのが見えた。咄嗟、逃れようと後方へと仰け反る。だが、その切っ先がユーティの首へと届くことはなかった。
 
 まるで突風にでも吹かれたかのように、視界の端を一瞬で真っ白いベールが通り過ぎる。ベールを振り払って飛び出したカヤが次の瞬間、ヤッソの身体を床へと引き摺り倒していた。剣を握り締めたヤッソの手首と、その咽喉元を鷲掴んで、カヤが真上から苛烈な眼差しを向けている。噛み締められた唇の隙間から、獣のような唸り声が聞こえてきた。
 
 ベールを脱いだカヤの姿を見て、参列者達が大きくざわめくのが聞こえてきた。「男?」「まさか、あれが花嫁なのか?」そんな声が届いてくる。
 
 ヤッソは驚愕に目を剥いていたが、ざわめきを聞いた瞬間、その唇に歪んだ笑みを浮かべた。
 
 
「ふへ、へッ、随分と派手な花嫁のお披露目だなァ」
「黙れ、ヤッソ。今ここで手前の首をへし折ってやる」
 
 
 ヤッソの咽喉を掴んだカヤの手に力が篭もる。ヤッソの連れ達が剣へと手を伸ばすのを見た瞬間、ユーティはカヤの腕を掴んでいた。
 
 
「カヤ、駄目だ」
 
 
 今ここでヤッソを殺せば、カヤも一緒に殺される。そう告げるように、その横顔を見据える。カヤは血走った眼差しで、ユーティを横目に睨み据えた。眼球の奥で、殺意が燃え盛っているのが見える。威嚇する犬のように、尖った犬歯が剥き出しになっていた。
 
 緊張の糸が張り詰めていた。だが、数秒後、カヤの腕からふっと力が抜けるのが解った。カヤはすべてを振り払うように立ち上がると、そのまま左足を引き摺りながら駆け出した。左右に割れた参列者達の真ん中を通って、婚礼会場から逃げ去って行く。その背へとヤッソが叫んだ。
 
 
「結婚おめでとう、花嫁様よォ!」
 
 
 げひゃひゃ、と下卑た笑い声が聞こえてくる。
 
 ユーティは、静かに立ち上がった。物言いたげな参列者達の視線を受けながら、出て行ったカヤを追い掛ける。
 
 会場から出ると、まず地面に脱ぎ捨てられた花嫁衣装が目に入った。装飾もすべて地面へと捨てられている。
 
 点々と落とされた衣装や装飾の後を追うようにして進む。その足取りは、住居が多く立てられた場所とは逆の、人気のない川の方へと向かっているようだった。
 
 嫌な予感がして、ユーティは駆け出した。消えたカヤの姿を、必死で追い求める。
 
 
 そうして、川縁へと辿り着いた時、水面を波打たせながら川の中へと入っていくカヤの姿を見つけた。カヤは白い肌着だけを身に付けて、ずんずんと川の深い場所まで突き進んでいっている。
 
 
「カヤ!」
 
 
 ユーティの声に、カヤがハッとしたように振り向く。その背を追うように川へと足を踏み入れた瞬間、カヤが引き攣った声で叫んだ。
 
 
「来るなッ!」
 
 
 そう喚いて、カヤは焦ったように水の中へと突き進んでいく。もう胸元まで水に浸かっていた。
 
 
「カヤ、死ぬつもりか!」
 
 
 水を掻き分けながら叫ぶと、カヤの憎悪に燃えた眼差しが向けられた。
 
 
「お前に何が解る!」
「解らない、何も! だから、解りたいと思っている! 君と話したいと――」
「黙れッ! お前なんかに、お前等なんかに解るわけがない! この悔しさも、屈辱も…誰も、誰にも、解られて堪るか…ッ!」
 
 
 カヤの唇がわなわなと震える。川の中程で立ち止まると、カヤは両掌を見つめた。指先の隙間から流れ落ちていく水を眺めて、カヤが咽喉を大きく上下させる。
 
 
「族長は…父は、殺されたんだ。ギバ達の手によって、狩りに出ている途中、俺と一緒に崖から落とされて…」
 
 
 憎悪に満ちていたカヤの瞳に、じわりと悲しみの色が滲んだ。
 
 
「…父を助けたかったのに、日が暮れて、足も捻れて動けなかった。…父の身体から体温が消えていくのを、暗闇の中で一晩中感じ続けた。結局、父は朝を待たずに俺の腕の中で生き絶えた。お前だけは生き延びろと言い遺して…」
 
 
 カヤの瞳が再び鋭く尖る。悲しみに潤みながらも、憎しみに深く囚われた眼差しだ。
 
 
「だが、生き延びたところで何だという。結局俺はギバに捕らえられて、こんな惨めな立場まで追いやられた。復讐したくても、こんな足になって、まともに戦うことすら出来ない。俺は…俺は、戦士だったのに、父の跡を継いでアジムを率いるはずだったのに…今は男の花嫁だって…? 一族から見捨てられた挙げ句に、誇りも何もない連中共の餌にされるだなんて、冗談じゃない。お前の妻なんて…冗談じゃない…」
 
 
 最後は殆ど呻くような声だった。吐き捨てるなり、カヤは身を翻して川の深みへと大きく足を踏み出した。死へと突き進む、迷いない足取りだ。
 
 
「カヤ…っ!」
 
 
 そう叫んだ瞬間、カヤの姿が水中へと呑み込まれた。ごぼっ、と大きく気泡が水面へと浮かび上がるのが見えた。咄嗟にユーティは水中へと潜った。水を掻き分けて手を伸ばし、カヤの手首を鷲掴んで引っ張る。手首を掴まれた瞬間、カヤが振りほどこうと大きく藻掻いた。その抵抗を必死にねじ伏せて、カヤの身体を川縁へと無理矢理引き摺り上げる。
 
 水から出た瞬間、カヤが大きく息を吸って喚いた。
 
 
「死なせろ…! 死なせてくれ…ッ!」
 
 
 それは哀願の言葉だった。死を願う悲しい声だ。
 
 川へと再び飛び込もうとするカヤを後ろから必死で抱き止める。そのままキツく抱き締めていると、濡れそぼった身体が小刻みに震え出した。掠れた嗚咽が聞こえる。
 
 
「こんな…こんな人生…耐えられない…。こんな惨めな生き方は…いやだ…もう全部…くるしい…。頼むから、…死なせて…」
 
 
 まるで子供に戻ったかのように、カヤは泣きじゃくっていた。たどたどしく死を強請る声が切ない。しゃくりあげる度に、腕の中の身体が戦慄く。震える身体から、カヤの悲しみが伝わってくるかのようだった。その孤独や苦悩が、ユーティの皮膚へと静かに染み込んでくる。
 
 
「カヤ…死んだら駄目だ。ここで死んだら、君の人生が本当に惨めなものになる。君を陥れた連中が一生、君を嗤い続ける事になる。だから、悔しくても、苦しくても、生き続けるんだ。いつかきっと幸せだと思える日が来るから…」
 
 
 祈るように、耳元へとそっと囁き掛ける。カヤの小さな声が聞こえてきた。
 
 
「…幸せ、になんて…なれるわけがない…」
 
 
 空虚な声は、人生の何もかもを諦めているかのようだった。カヤを抱く腕に力を篭めて、ユーティは力強く言った。
 
 
「俺が、君を幸せにする。必ず、君を守る。君を世界で一番大事にする。男だし、子は成せないけど、君を心から愛せるように努力するから…」
 
 
 だから、どうか俺と一緒に生きて欲しい。そう小さく囁くと、強張ったカヤの身体から、ゆっくりと力が抜けていくのが判った。カヤは項垂れたまま、赤ん坊のように啜り泣き続けた。
 
 まるで罅割れた卵を抱き締めているかのような感覚だった。壊れやすい卵を守るように、ユーティはカヤの身体をそっと抱き締め続けた。
 
 川のせせらぎが悲しいくらい穏やかに聞こえた。
 
 

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