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8 カヤの決意

 
「あの人、いつまで部屋に閉じこもってる気なの!?」
 
 
 翌朝も、お決まりなエマの一声から始まった。婚礼があった翌日からエマは毎日のようにカヤへの愚痴を声高に叫んでいる。花嫁がやってきたにも関わらず、仕事が減るどころか、一人分の食事やら洗濯やらの負担が増えただけなのだから、エマが怒るのも当然だ。
 
 最初は同意を示していたボラドやイギーも、最近では朝のBGMか何かのようにエマの小言を聞き流している。母に至っては怒るどころか、新しい息子が増えたとばかりに毎日カヤの服を縫っては「ちょっと派手過ぎるかしらぁ」と暢気に呟いていた。父は淡々と現状を受け流しているように見える。
 
 蜂蜜が練り込まれたパンを千切りながら、ユーティは苦笑いを浮かべて呟いた。
 
 
「悪いな、エマ。手間を掛けてしまって」
「そんなのユーティが謝る事じゃないわ! 全部あの人が悪いんだからっ!」
 
 
 聞こえよがしにエマが二階を仰ぎ見て叫ぶ。カヤが来て、もう二週間近く経つ。今更カヤに対する遠慮も恐れもなくなってしまったのだろう。
 
 
「あんまり責めないでやってくれ。カヤも見知らぬ土地に来て、まだ慣れていないんだ。もう少しだけ時間をあげて欲しい」
 
 
 宥めるように言うと、エマが頬をぷっくりと膨らませるのが見えた。
 
 
「そうやって…ユーティは優しすぎるのよ! あんな人を甘やかしてたら、我が家に開かずの部屋が出来ちゃうわ!」
 
 
 開かずの部屋、とエマが仰々しく言い放つものだから、思わず笑いが零れてしまった。背中を震わせて笑うユーティを見て、エマが眦を吊り上げる。
 
 エマが怒鳴ろうと口を大きく開いた時だった。二階の扉が開く音が聞こえた。その音に、ハッとしたように家族が二階を振り仰ぐ。引き摺るような足音が聞こえて、階段からカヤの姿が見えた。階段の下に立ち尽くしたまま、視線を伏せて唇を引き結んでいる。
 
 
「カヤ…」
 
 
 声を漏らすと、カヤが目蓋を震わせてユーティを見つめた。まるで迷子の子供のような眼差しだ。その眼差しをみた瞬間、口元に笑みが浮かんでいた。
 
 
「おはよう、カヤ。今ちょうど朝食を取っていたんだ。君もおいで。一緒に食べよう」
 
 
 立ち尽くしたままのカヤを引き寄せて、隣に座らせる。その手に蜂蜜パンを握らせた。
 
 
「美味しいよ。食べてみな」
 
 
 背中を緩く叩くと、ようやくカヤが鈍く動いた。拙い手付きでパンを千切って、口元へと運んでいく。怯えたような咀嚼の後、カヤの小さな声が聞こえてきた。
 
 
「…おいしい…」
 
 
 不意に、猛獣がちらりと指先を舐めてくれたかのような愛おしさが込み上げた。
 
 
「もっと食べて。ゆっくりでいいから」
 
 
 そう呟くと、カヤはぎこちなく頷いた。一口一口丁寧に噛んで呑み込んでいく仕草がまるでリスのようで愛らしい。大人しくパンを食べるカヤの様子を、まるで鳩が豆鉄砲食らったような眼差しでボラドやイギー、そしてエマが眺めていた。
 
 パンを一つ食べ終わったところで、カヤがそっと視線をエマへと向けた。途端エマの肩がビクッと跳ねる。それまで散々カヤへの悪態を吐いていたのだから仕返しされるとでも思ったのかもしれない。だが、カヤは拍子抜けするほど落ち着いた声でこう言った。
 
 
「…今まで、迷惑掛けてきてすまなかった…。貴方がたに気ばかり使わせて、申し訳ないと思っている」
 
 
 カヤの謝罪の言葉に、エマが大きな目を更に見開く。狼狽したように左右へと視線を忙しなく動かしてから、エマはか細い声を漏らした。
 
 
「あの…いえ、そんな…」
 
 
 助けを求めるようにエマがユーティを見つめてくる。予想だにしていなかったカヤの謝罪に、エマは半泣きになっていた。
 
 
「それで…俺は足が悪くて力仕事が出来そうにない。だが、俺にできる仕事なら何でもしたいと思っている。掃除でも、料理でも、機織りでも…。だから、どうか俺に教えてくれないだろうか…」
 
 
 そう言って、カヤは両拳を床へと付いて、深々と頭を下げた。その姿を見た瞬間、堪えようもなく歓喜が込み上げた。カヤは、この家で生きていく覚悟を決めている。
 
 ユーティもカヤに倣うように、家族へと頭を下げた。
 
 
「俺からも頼みます。教えるのに手間が掛かる分は、俺がその分働きます。今の仕事だけでなく、庭掃除でもパン焼きでも、何でもやらせて欲しい」
 
 
 伏せた視線の上で、家族達の間に戸惑いが広がるのが解った。僅かな沈黙の後、父の淡々とした声が聞こえた。
 
 
「あんたはそれで良いのか?」
 
 
 ユーティではなく、カヤへと問い掛ける声だ。カヤが視線を持ち上げて、真っ直ぐに父を見つめる。確かめるように父が続ける。
 
 
「女と同じ仕事をすることに抵抗はないのか」
「…抵抗がない、と言えば嘘になります。でも、もう決めましたから」
「決めた?」
「この場所で、生きていこうと」
 
 
 恥を忍んで生きていくことを決めた、潔い声音だ。前を向いたカヤの姿は、先日子供のように泣きじゃくっていた人物とは思えないほど堂々としている。
 
 
「俺は、きっとここに居るだけで侮辱に等しい存在なんだと思います。疎まれても憎まれても仕方ないと解っています。その分、一生懸命働きます。家族の皆さんに、誠意を尽くします。だから、俺をここに、この家に置いて欲しい。どうか、お願いします」
 
 
 カヤは再び頭を下げた。それに合わせて、ユーティも深々と頭を垂れる。
 
 
 暫く沈黙が広がった。もしこれで拒絶されたら、ユーティもこの家に居続けることは出来ない。カヤと一緒に何処か遠く、離れた場所で暮らそう。そう思い始めていた時、不意に母の長閑な声が聞こえた。
 
 
「カヤさん、柘榴を剥くのは得意?」
 
 
 唐突な問い掛けに、カヤが顔を上げて目を丸くする。
 
 
「はい…たぶん、得意です」
「なら良かったわ。私もエマも柘榴を剥くのが下手なの。今日のお昼ご飯は柘榴サラダにしますから手伝って下さいな」
 
 
 にっこりと母が微笑む。その微笑みを見て、カヤが微かに唇を震わせた。拳をぎゅっと膝の上で握り締めて、カヤが答える。
 
 
「はい」
 
 
 少しだけ泣き出しそうで、それを必死に堪えている声だ。
 
 ボラドとイギーが顔を見合わせて、ふぅと小さく溜息を付いた。それは嫌な溜息ではなく、何処か仕方ないなぁと受け入れた溜息に聞こえた。
 
 

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Published in 花嫁のカヤ

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