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9 弱い生き物

 
 毎日の家族の団欒に、カヤが加わった。
 
 カヤは寡黙で、そして勤勉だった。日中は母やエマに教えてもらって料理や掃除に励み、夜中になると不慣れな手付きで衣服を繕う。たどたどしいながらも、カヤの覚えは早い。
 
 ユーティも刺繍のやり方を教えて貰った。真夜中にランプの灯りを頼りに、二人で一枚の布に刺繍糸を通していく。眠たくなると、どちらともなく欠伸を零して布団に潜り込んだ。
 
 最初の激昂していた姿が嘘のように、カヤは静かに穏やかに、ミド家の生活へと馴染んでいった。父とボラドとイギーは相変わらず様子見といった態度を崩さなかったが、最初あれだけ反発していたエマの態度は少しずつ緩和されつつあった。当初は警戒するように遠巻きにしていたが、一緒に仕事をこなす内に慣れてきたのか、今では恐る恐るながらも話しかけるようになっている。
 
 
 今は、カヤは庭に洗濯物を干しに行っている。エマは夕食のために豆剥きをしており、ユーティも仕事の合間に豆剥きを手伝っていた。小さな椅子に向かい合うように腰掛けて、足元の籠へと二人黙々と豆を剥いている。その最中に、エマがふと呟いた。
 
 
 
「カヤさんって、全然笑わないわよね」
 
 
 何気なく零された一言に、ユーティは手を止めてエマを見つめた。手元へと視線を伏せたまま、エマが言葉を続ける。
 
 
「掃除とか裁縫を誉めるとね、一瞬ほっとした表情はするけど、笑ったりは絶対にしないの。いつも遠慮気味な目で、私やお母さんを見てるのが解るの。なんだか叱られるのを怖がってる子供みたい。下手に嘘臭くニコニコ笑われるよりかは良いけど、なんていうか喋り方も他人行儀なのよね。きっとまだ不安なんだと思う」
 
 
 エマは淡々と口に出すが、その一言一言がユーティに突き刺さった。エマが視線を上げて、問う。
 
 
「ユーティ、ちゃんとカヤさんと喋ってる?」
「…それなりには」
「それなりって、どのくらいよ」
 
 
 詰問じみてきたエマの問い掛けに、ユーティは困り果てたように眉尻を下げた。
 
 
「夜に、刺繍をどのあたりまでやったかとか、縫い糸の色は何色にするかとか…」
 
 
 ぽつりぽつりと思い出すように答えれば、エマの顔に露骨に呆れが浮かんだ。
 
 
「業務連絡じゃないんだから。そりゃあ本物の夫婦みたいに相思相愛になれとは言わないけど……カヤさんを一番解ってあげなきゃいけないのはユーティなのよ?」
 
 
 ぐうの音も出ないとはこの事だ。エマの言葉に、ユーティはガックリと肩を落とした。確かにカヤを幸せにしたいなどと嘯いておきながら、今のユーティはただ添え物のようにカヤの傍に突っ立っているだけだ。
 
 
「そうだね。エマの言うとおりだ」
「それが解ったなら、こんなところで豆剥きしてる場合じゃないでしょ。さっさとカヤさんのところに行ってきなさい」
 
 
 まるで母親のようなエマの台詞に、ユーティは慌てて立ち上がった。ごめん、とエマへと言い残してから、庭の方へと早足で歩き出す。背後から「ユーティ、がんばって!」というエマの声が届いた。
 
 
 
 
 
 庭に着くと、洗濯物が干された前で立ち尽くすカヤの姿が見えた。はためく紅の布の前に立ったまま、カヤは遙か遠くを見据えている。その遠い眼差しが何を見ているのか、何を見ようとしているのか、ユーティには解らなかった。
 
 
「カヤ」
 
 
 声を掛けると、カヤはゆっくりとした動作でユーティを見つめた。
 
 
「悪い、少しぼんやりしてた。直ぐにそっちを手伝いに行くから」
 
 
 足下に置かれていた籠を手に持って、カヤが左足を引き摺りながら歩き出す。それを制するようにユーティは慌ててカヤへと近付いた。
 
 
「違う、手伝いに呼びにきたんじゃない」
 
 
 言い訳するように言うと、カヤは一瞬訝しげな表情を浮かべた後、籠をそっと地面へと戻した。視線をふっと逸らして、再び遠くを見つめる。視線の先には、突き抜けるような青空が広がっている。雲一つないスカイブルーを見つめて、カヤは眩しそうに目を細めた。
 
 
「何を見てるんだ?」
 
 
 訊ねると、カヤは遠い空を指さした。目を凝らすと、青空を黒い点が飛び回っているのが見える。
 
 
「鷹だ」
「鷹が好きなのか?」
「少し前まで鷹を飼っていた」
 
 
 上の空な声で呟いて、カヤが視線をユーティへと向ける。一瞬吃驚するぐらい透明な眼差しだった。何処か空虚で、透き通るほど純粋な。
 
 
「雌の鷹だ。名前はアンジェ。俺が生まれた時に雛鳥として拾われて、ずっと一緒に育ってきた。大食らいで、餌を強請るときの鳴き声がとても五月蠅い」
 
 
 思い出したように、カヤが口角を僅かに吊り上げた。だが、それは笑みとは言い難い。何処か悲しみを含んだ表情だ。
 
 
「一緒に、連れて来れなかったのか?」
 
 
 そう問い掛けた瞬間、カヤの顔から表情がすっと消えた。何処か茫洋とした眼差しで、再び遠くを見つめる。
 
 
「父と俺が崖から落とされた次の日、村に連れ帰られると、アンジェは矢に射抜かれて殺されていた。ヤッソの仕業だ。あいつ、アンジェの死体を木からぶら下げてやがった」
 
 
 カヤの声音は、酷く淡々としていた。だからこそ、より深い悲哀が伝わってきた。
 
 
「山に置き去りにされた父の死体も、ぶら下げられたアンジェの死体も、どちらも埋めてやることが出来なかった。アンジェの死体が少しずつ腐って、禿鷹共に啄まれるのをずっと見ていた」
 
 
 カヤは独り言のようにぽつぽつと零す。聞き役を必要としていない、自分自身の心を覗き込むような静かな口調だった。
 
 
「こんな最期が父やアンジェの運命だったのかと。もしそうなら、運命はなんて残酷なんだろうと呪いもした。こんな終わり方で、父もアンジェも幸福な人生だったと言えるのか、俺にはずっと解らなくて――」
 
 
 そこで言葉を止めて、カヤはすっと顔をユーティへと向けた。ユーティがその眼差しに一瞬たじろぐと、カヤは醒めた声音で呟いた。
 
 
「…つまらないことを話した。仕事に戻る」
 
 
 籠を拾い上げて、カヤが歩き出す。咄嗟にその手を掴むと、カヤの表情が一瞬痛みを堪えるかのように歪んだ。それは泣き出しそうな表情にも見える。
 
 
「つまらなくなんてない。俺は、君ともっと話がしたい」
「…俺は、あんたと話したくない」
 
 
 カヤの咽喉がひくりと上下する。
 
 
「あんたと話していると…どんどん自分が弱くて、情けない生き物になっていくような気がする」
「俺は、君を弱いとも、情けないとも思わない」
「だからそれが…っ!」
 
 
 僅かいきり立ったようにカヤが押し殺した声で叫ぶ。ユーティを睨む目が微かに潤んでいるのが見える。その瞳を黙って見つめていると、カヤが唇を小さく震わせた。
 
 
「…どうしたらいいのか、わからなくなる…」
 
 
 まるっきり迷子の子供のような台詞だ。くしゃくしゃに歪んだ顔を見た瞬間、不意に心臓の奥から愛おしさが込み上げた。目の前の男が無性に可愛くて堪らなくなった。
 
 無意識に手が伸びていた。赤毛に触れると、カヤはビクリと肩を跳ねさせた。何処か窺うような表情でユーティを見つめている。そのあどけない表情を見つめ返したまま、ユーティはそっとカヤの頭を撫でた。幼い子供にするように指先で短い髪をといて、地肌を柔らかく撫でる。
 
 そうしている内に、カヤの目にじわりと涙の膜が張っていくのが見えた。下唇をキツく噛みしめて、必死に涙が溢れるのを堪えようとしている。その姿が痛ましくて、切ないくらいいたいけだった。
 
 カヤ、と名前を呼ぼうとした瞬間だった。馬の蹄の音が近付いてくるのが聞こえた。視線を向けると、馬に乗ったボラドとイギーが家へと戻ってくるのが見えた。二人の姿が見えた瞬間、カヤがユーティからパッと離れる。
 
 
「ボラド、イギー、おかえり。狩りはどうだった?」
 
 
 馬から飛び降りた二人へと声を掛ける。二人とも今日は久々に狩りに出かけていた筈だ。近頃はなかなか獲物が仕留められず、新鮮な肉にありつけていない。それはミド家だけでなく、この村全体がそうだった。
 
 ボラドとイギーは顔を見合わせると、大きく溜息をついて首を左右に振った。
 
 
「駄目だ。一匹も仕留められなかった」
 
 
 イギーが答えた。ボラドが背に担いでいた弓を手に取って、ぶすっとした表情で続ける。
 
 
「矢が届く距離まで近付く前に、獲物に気付かれて逃げられちまう。どいつもこいつも俺達が現れると、半径一キロ以内からすたこらさっさと消えちまうんだ」
「獲物に気付かれるのは、ボラドの声がでけぇからだろうが」
 
 
 茶化すようなイギーの言葉に、ボラドが顔を赤くして目を吊り上げるのが見えた。
 
 
「お前だって、そんな細ぇ目してるから獲物の一匹も見つけられないんだろうが」
「はぁ? 俺のせいだって言うのかよ」
 
 
 ボラドとイギーが不穏に睨み合う。そのまま喧嘩でも始めそうな二人を宥めようと、ユーティは二人の間に割って入った。まぁまぁと声を上げながら、制止するように二人の胸を押さえる。その時、不意に小さな声が聞こえた。
 
 
「――弦の」
 
 
 ボラドの手に握られた弓を眺めて、カヤが呟く。
 
 
「弦の張りが甘い」
 
 
 と続けて、カヤは当たり前のような動作でボラドの手から弓を奪い取った。慌ててボラドが声を上げる。
 
 
「お、おいっ…」
「だから飛距離が伸びない。距離を縮めようとして近付き過ぎるから獲物が逃げる」
 
 
 殆ど独り言のように漏らして、カヤは右足裏で固定して弓をグッとしならせた。弦を外してしまうと、慣れた手付きで先ほどよりも短い位置で弦を結び直してしまう。そうして、先ほどよりも反りが大きくなった弓を構えて、弦をキツく引いた。カヤの胸前で、ギリギリと弦が引き絞った音を立てるのが聞こえる。
 
 弦の張りを確かめた後、カヤはゆっくりと力を抜いていった。弓をボラドへと差し出して、唇を開く。
 
 
「本当は弓の材質も変えて、もう少し全長も長くした方が良い。それと、兎は素早くて小回りがきく。人間の足では追えない。馬上から射るか、巣穴を見つけて待ち伏せするのが一番良い」
 
 
 普段の寡黙さが嘘のように滑らかに話すカヤを、ボラドが呆然と見つめている。差し出しされた弓を受け取ることすら忘れているようだった。
 
 目を丸くしたまま動かないボラドを見つめて、カヤが困ったように首を傾ける。その仕草を見て、ユーティは思わず噴き出してしまった。声を上げて笑うユーティを見て、カヤがますます困惑したように眉尻を下げる。
 
 
「カヤ、もし良ければ一緒に狩りに行かないか?」
 
 
 笑い声を止めて、そう誘いかけると、カヤの表情に驚きが広がった。
 
 
「俺とか?」
「あぁ。俺達よりも君の方がずっと狩りに慣れてるだろうし、知識もある。俺達が知らない色々なことを教えて欲しいんだ」
 
 
 告げた瞬間、カヤの頬が僅か喜びに色づくのが見えた。イギーがユーティの腕を肘でつついて耳打ちしてくる。
 
 
「おい…大丈夫なのかよ…」
「そんなに危ない場所には行かないよ」
「そういう事じゃなくて…」
「イギー、俺は狩りついでに、自分の妻と散歩に行くだけだよ」
 
 
 イギーの言いたい事は解っていた。イギーは、カヤと二人きりで出掛ける事に対する危険性をユーティに伝えたかったのだろう。
 
 だが、ユーティはカヤを疑おうとは思わなかった。カヤがユーティに危害を加えるとは思えない。そんな事が出来るほど、カヤは残酷でも非道でもなかった。むしろ可愛そうなくらい感傷的だ。
 
 あくまで散歩だと言い放つユーティに、イギーが諦めたように溜息を吐く。その心配げな表情に笑い掛けて、ユーティはイギーの肩を軽く叩いた。
 
 
「ボラド、弓と矢を借りるよ。おいでカヤ、紹介したい子がいるんだ」
 
 
 ボラドが持っていた弓と矢筒を奪って背に担ぐ。それから、カヤの手を掴んでゆっくりと引っ張った。背後から「あいつあんなに頑固だったかぁ?」と嘆くようなイギーの声が聞こえた。
 
 

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Published in 花嫁のカヤ

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