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02 どう考えても、ミッションインポッシブルだろ

 
 まぁ、そこまでは良い。全然良くないけど、とりあえずは良いことにする。更なる問題はここからだ。
 
 
 十六歳の誕生日を一ヶ月後にした四月、月乃に政略結婚の事実が告げられた。それを聞いた時は、へらへらと笑う両親を、陽太も月乃も唖然と見つめた。
 
 
「ちょっと待って。じゃあ、あたし、顔も知らない人と結婚しなくちゃいけないわけ?」
 
 
 そう問い掛ける月乃の声は、怒りで微かに上擦っていた。月乃の憤怒に気付かない父聡史が何とも暢気な声をあげる。
 
 
「そうだぞー。やったな月乃、棚ぼた玉の輿だ」
「親父、何呆けたこと言ってんだよ。月乃には彼氏いるだろうが」
 
 
 両親の能天気な物言いに、流石に陽太も黙っていられなくなった。月乃には、数ヶ月前ようやく付き合い始めた恋人がいた。恋人が誰なのかは知らないが、陽太はよく月乃の恋愛相談にも乗っていたので、月乃がどれだけその相手を好きなのかは十分に解っていたつもりだ。そんな相手がいるのに、どうやって知らない相手に嫁げと言うのか。
 
 反対に、陽太は月乃に対して一度も恋愛相談をしたことはない。それには、陽太の『とある特殊な性癖』が関係する。こんな女みたいな可愛い顔をして、どうやって妹にあんな事を打ち明ければいいのか。恥ずかし過ぎて、一生誰にも話せるわけがない。
 
 
「あら、そうだったわ。どうしようかしら」
 
 
 母麗子が今更思い出したように、頬に手を当ててのんびりと声をあげる。両親は暫し悩むように唸った後、ぽんと手を叩いてこう言った。
 
 
「その方は思い出にしましょう。初恋はきれいなまま終わった方が素敵だし」
 
 
 両親の無神経さは筋金入りだ。これで悪気がないのだから、余計に性質が悪い。月乃に彼氏ができた時に『良かったね、おめでとう』と言った事をすっかり忘れているのか。
 
 月乃の顔が般若のように歪む。整った顔立ちをしている分、怒りを滲ませた表情は恐ろしいほどだった。女の子顔負けに可愛い顔立ちをしている陽太に対して、月乃は宝塚じみた精悍な顔立ちをしていた。切れ長な眦をギリギリと吊り上げて、月乃が怒りに奥歯を噛み締めている。バンッと鋭い轟音が響く。月乃がテーブルに掌を叩き付けていた。
 
 
「巫山戯ないでよ! あたしの人生何だと思ってんのよ!」
 
 
 微かに震えた月乃の声音に、ようやく両親は月乃の怒りを悟ったのだろう。途端、おろおろと顔を見合わせ始めた。
 
 
「でも、もう約束しちゃったし…」
「断ってきて、今すぐ!」
「まだ借金全部返してないのに、そんなこと言ったらどうなるか…」
 
 
 しゅんと項垂れる両親の姿に、月乃の怒りが更にヒートアップしていくのが解る。今にも両親に掴み掛かりそうな月乃を背後から取り押さえながら、陽太は冷静を装って言った。
 
 
「とにかく、親父とお袋が自分で蒔いた種だろう。月乃にツケを払わそうとすんな。自分達で何とかしてこいよ」
「えぇー…」
「えぇー、じゃない」
 
 
 子供っぽい声をあげる両親に軽い目眩を覚える。四十を目前にして、どうして自分の子供達よりも精神年齢が低いのか。父聡史が眉尻を下げて、申し訳なさそうに呟く。
 
 
「でも、もう会う約束しちゃったし…」
「はぁ!?」
 
 
 いきり立つ月乃の両腕を押さえる。両親はまるで先生に叱られた生徒のように、椅子の上で小さく縮こまっている。陽太は短く訊ねた。
 
 
「いつだよ?」
「今週の土曜日。その日から、娘はお宅で暮らして嫁入り修行しますって言っちゃった」
「言っちゃったって…」
「もう向こうの学校の転入手続きもすましちゃったし」
 
 
 この世の中でこれほど苛付く『てへぺろ』があるだろうか。四十代間近のオッサンの可愛い仕草なんて見たくもない。殺意というのは、こういうのを言うんだな、と陽太は上の空で考えた。月乃の殺意は、陽太とは比べものにならないだろうが。
 
 両親が床の上へと膝をついて、神様に祈るように両手をパンとあわせる。
 
 
「ごめん! そういうことだから、月乃にお嫁に行って貰うしかないんだ! 月乃がお嫁にいかなかったら、借金が利子付きでお父さん達に返ってきちゃうんだよ。そしたら、もういっそ首を括って保険金で返すしか…」
「そんな……あなたっ!」
 
 
 わざとらしい愁嘆場を演じる両親に、陽太は呆れて物も言えなくなった。今までは脳天気なだけでそれほど悪い両親だとは思わなかったが、まさか娘を借金のかたに売り飛ばすとは…。
 
 
 月乃の顔面から血の気が引く。顔色を真っ白にした月乃は、酷く冷たい眼差しで両親を見下ろしていた。それは世の中のすべてに呆れ果てたような表情だった。
 
 
「わかった」
 
 
 数分の沈黙の後、月乃が一言だけ呟いた。沈痛な面持ちをしていた両親が途端パッと顔を明るくさせる。陽太は慌てて月乃へと訊ねた。
 
 
「解ったって、本当にいいのかよ月乃」
「もういい」
 
 
 切り捨てるようにそう言い捨てて、月乃は何も言わずに自分の部屋へと戻ってしまった。たぶんその時は、月乃以外の誰もその言葉の意味を理解していなかった。
 
 
 その意味が理解できたのは美濃家との顔合わせの一日前だ。書き置き一つ残さず、月乃は消えた。部屋の荷物は、殆ど置き去りにされていた。今度恋人と一緒に行くんだと嬉しそうに言っていたアミューズメント施設のパンフレットすら、机の上に広げられたままだ。新しく通うはずだった学校のセーラー服がカーテンレールに寂しく取り残されていた。
 
 
 
 
 
 その後の阿鼻叫喚は容易に想像できるだろう。
 
 両親は泣き喚いたが、陽太は極自然に月乃の失踪を受け入れた。人並み外れてバイタリティのある月乃なら、何処に行ってもやっていけるだろうという奇妙な信頼もあった。双子の片割れがいなくなった寂しさはあっても、陽太はそれほど不安は感じていなかったのだ。まさか、両親の焦燥の矛先が自分に向かうとは思いもしていなかった。
 
 
 女装して嫁に行って、と言われた時は、聞き間違いかと思って反射的に耳穴をかっぽじってしまった。それが聞き間違いではないと解った時には、両親の正気をまず疑った。
 
 
「俺、男ですけど」
「お前は女の子より可愛い顔してるから大丈夫! あぁ、ほんとキュートな顔に産んでよかった! 助かったー!」
「いやいや、全然助かってないし」
「結婚がイヤで娘が逃げたなんて言ったら、美濃さんに絶対に怒られる。借金増やされて、首括らされる!」
「自業自得じゃん」
「わぁん、人でなし! こんなにも親が困ってるのに見捨てるの!? 酷い子! 死んだら呪ってやるぅ!」
 
 
 母麗子がわざとらしく声をあげて泣き出す。実の子供を呪う親の方がよっぽど人でなしと思うんだが。母麗子の背を撫でながら、父聡史が何とも弱々しい声をあげる。
 
 
「いろいろ考えたんだが……こちらから結婚を断ることは出来ないが、向こうから断らせるのは問題ないんじゃないかと思うんだ」
「はぁ」
「つまり、だ」
 
 
 父聡史がビシリと人差し指を、陽太へと突き付ける。
 
 
「そんなにお塩を入れて高血圧で私達を殺す気!? 恐ろしい嫁ね、そんな鬼嫁は実家に帰りなさい作戦! 略してSOS作戦を決行する!」
 
 
 …どこから突っ込んだらいいのだろうか。まるでアニメキャラのような甲高い声をあげるあたり、お前ら全然反省してないだろう、と裏拳を入れたくなる。打って変わってキャッキャとはしゃぎ出す両親を見ていると、世の中のすべてがどうでも良くなってくるような虚脱感に襲われた。
 
 
「ちょっと意味が解らないんですが…」
「つまり、男だってバレずに美濃さんに嫌われてくればいいだけの簡単なお仕事です!」
「どう考えても、ミッションインポッシブルだろ」
「不可能を可能にする男は格好良いよね! よっ、和製トム・クルーズ! ひゅーひゅー!」
 
 
 無茶苦茶な持ち上げ方をする辺り、この脳天気な両親も相当切羽詰まっているのだろう。とうとう口真似でパッパラーとラッパまで鳴らし始める両親に、陽太は額を押さえて溜息をついた。この両親とは一生まともに意思疎通できない気がする。
 
 
「あのなぁ…」
「お願いだよ、陽太ぁ。これが上手く成功したら、月乃もうちに戻って来れるし」
 
 
 泣き出しそうな父聡史の声に、一瞬心が揺らいだ。確かに婚約が解消されれば、月乃は堂々とうちに帰宅する事ができる。以前と同じ生活に戻れる。
 
 
「それに、僕らも月乃に謝りたいんだよ」
 
 
 父聡史が叱られた子供のようにぽつんと呟く。母麗子の潤んだ瞳を見ていると、バカはバカなりに親だったのかと少しだけ感心した。月乃が出て行った時に、あれだけ泣き喚いていたのは借金の事だけではなく、娘が失踪したという心配があったからなのかもしれない。だが、娘を心配しておきながら、今度は息子を人身御供にするとはどういう事だ。
 
 
「…月乃に謝るんだな」
「超謝る」
「超はいらない」
「謝りますっ」
 
 
 ちょっと頭の抜けた子供のように、父と母が声を揃えて答える。その素直な返答に、陽太は腹を括ることにした。今までの人生の中で最大の決断だった。
 
 
「失敗して、首括ることになっても呪うなよ…」
 
 
 呻き声混じりの陽太の一言に、途端両親がひゃっほーいと声をあげて狂喜乱舞する。
 
 
 その姿を呆然と眺めながら、陽太はやっぱり選択を間違ったかなと自問自答した。仕方がない。恨むなら、このあんぽんたんな両親の元に生まれてきた自分を恨むしかなかった。
 
 

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Published in きみすき

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