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04 え、お尻? 触ったよ、それが何?

 
 篠原陽太は生まれながらにして業を背負っている。
 
 それを罪だと口に出せば、様々な人達から『それは決して罪ではない。世の中には貴方と同じような人が胸を張って生きているのだから』と口々に叱られる事だろう。それでも、陽太にはそれが人生の責め苦にしか思えない時がある。
 
 もしかしたら、一生誰からも愛されないかもしれない。それを業以外の何と呼べばいいんだろう。
 
 
 自分がゲイだと自覚したのは中学校をあがって直ぐの頃だった。元々周りの男子のように女子に対して興味を抱けない事から、自分が他人と違うことは何となく解っていた。
 
 決定打になったのは、中一の時に体育教師のでか尻に猛烈な性衝動を覚えた事だった。水泳の授業中、尻肉でピチピチ張り詰めた海パンが飛び込み台の上でぷりぷりと左右に揺れるのを見た瞬間、頭の中でベートベンの『運命』が鳴り響いた。
 
 ジャジャジャジャーンと壮大に鳴り響く旋律を聞きながら、よりにもよって引き金が中年男の尻かよ、と自分に突っ込んだのを覚えている。そんなツッコミを入れたにも関わらず、その中年の体育教師は、陽太の中学時代最多のオカズになったのだけれども。
 
 
 自分がゲイであると知っても、陽太はそれほどショックを受けなかった。自分が生まれつき女の子のような顔立ちをしている事を知っていたし、小学生の頃から女子ではなく男子ばかりに告白されていた。だから、自分が同姓にしか興味がもてなくても仕方がないとすら思っていたのだ。
 
 だが、そう割り切れたのも数ヶ月間だけだった。
 
 
 陽太の好みは、長身の男だ。細身というよりかは筋肉質で、できれば尻は大きめな方が良い。ホストのようなイケメンよりも、スポーツマン的な爽やかで真面目そうな顔立ちが好きだ。顔立ちは一見きつめに見えるが、笑うと途端に表情が幼くなる相手だともう堪らない。
 
 今まで陽太が好きになってきた相手は、年齢や立場などは様々ながら、大抵その好みのどれかに当てはまっている男ばかりだった。そして、全員もれなくノンケだった。
 
 
 それが陽太の一つ目の業だ。ノンケしか好きにならない。
 
 
 毎回、異性を恋愛対象にしている相手ばかりを好きになってしまう。叶わぬ恋をしては、好きな相手に彼女ができて、気が付いたら失恋というパターンを懲りずに繰り返してきた。その度に、誰にも相談できず、一人涙で枕を濡らしてきたのだ。
 
 それでも、何度かはそんな陽太にも奇跡が起こった。陽太の熱烈な視線に気付いた好きな相手が告白してきてくれた事も過去あったのだ。勿論、陽太は狂喜乱舞したが、大抵その喜びは直ぐに失望へと変わった。
 
 
 恋人とようやくベッドを共にし、大人への階段を一歩踏み出そうという時、陽太は恋人から必ずこう言われるのだ。
 
 
「え、お前が入れんの?」
 
 
 二人の間を流れる重苦しい沈黙…。
 
 
 つぅか、何信じられないものでも見るみたいな目ぇしてんだ。当たり前だろうが。身長が百六十ちょっとしかなくたって、顔が女みたいだからって、俺は女じゃねぇんだよ。れっきとしたタチなんだよ。そこそこ立派なチンコだってついてんだよ。年頃の男の子らしく、頭ん中はセックスでいっぱいなんだよ。今だって、お前の尻に突っ込みたい衝動でチンコはち切れそうだっつうの。
 
 
 そう言ってやれたら、どんなに清々した事か。大抵の場合、恋人は陽太がタチだと知った瞬間、引き攣った薄ら笑いを浮かべて陽太の元から去っていった。陽太に無理矢理女役をさせよう無理強いしてきて、反対にボコ殴りされた相手もいる。とにかく、恋愛に関して陽太には悲惨な思い出しかない。
 
 
 これも自分がこんな顔をしてゲイのバリタチなせいだ…。せめてノンケに生まれるか、もしくはゲイでもネコになれていれば、好きな人に心から愛してもらえたのかもしれないのに…。
 
 そんな事を考えたのも一度や二度ではなかった。自身の性癖によって誰からも愛されないと思い込んでからは、恋愛に対して酷く臆病になった。今では、好きになった相手を直視することすら躊躇ってしまう。指先が触れるだけで耳まで真っ赤になって、まるで乙女のような反応を返してしまう。だが、乙女な反応とは裏腹に、身体は完全に雄で…。
 
 
 切ない恋心に、反比例して強まっていく肉欲―――何とも“いびつ”だ。
 
 
 でも、仕方ないじゃないか。だって、十六歳だぞ。高校生なんて一番セックスに興味津々な時期だ。
 
 見た目は女の子みたいでも、陽太だって自分好みの男を押し倒して、突っ込んでヒィヒィ啼かせたい欲求の一つや二つや、まぁ百ぐらい持っている。自分よりも図体のでかい男に取り縋られて泣きじゃくられたりしたら、もう堪らない。根本まで突っ込んだまま、大きめな尻をぎゅうぎゅう揉んだり、平手で赤くなるまで叩いたり――
 
 
 
 
 
 
「うわぁ!」
 
 
 妄想の世界へ潜り込んでいた意識が叫び声でようやく現実へと戻ってくる。ハッと顔をあげると、目の前を歩いていた男が片手で尻を押さえて、陽太の顔を凝視していた。
 
 
「な、何?」
 
 
 困惑した空介の声に、陽太はサッと血の気が引いていくのを感じた。自分の手は何かを握り締めたような形のまま空中で固まっている。その掌には、思った以上に柔らかい感触がふんわりと残っていた。
 
 
 か、完全にやってしまった…。
 
 
「い、今、尻触った?」
「ちっ、違うから!」
 
 
 慌てて叫び返すものの何一つとして違わない。どうやら妄想に浸っている内に、ついつい目の前を歩く空介の尻を無意識に触っていたようだった。
 
 
 はい、触りました。触ったというか、思いっきり鷲掴みました。『超マシュマロお尻、たまんねぇ、うっはー』ぐらいまで考えたところで、妄想から戻ってきました。
 
 
 冷汗がだらだらと溢れそうになるのを必死に堪える。誤魔化すように、自分でもこれ以上はないくらい最上級の笑顔を浮かべた。今こそ輝け、俺のエクストリームスマイル。
 
 
「ズボンに汚れがついてたから落とそうと思って」
 
 
 上擦りそうな声を、何とか平静に装う。あそこまでガッシリ鷲掴んでおきながら、この言い訳はないだろう。空介が叫ばなかったら、間違いなく尻を揉みしだいていた自信がある。
 
 
「汚れ?」
「そう、汚れ」
 
 
 引き攣りそうになる笑顔を更に深める。ここで折れたら駄目だ。無茶苦茶な言葉も押し通せば真実になる。それがどれだけ胡散臭かろうが、大事なのは堂々とすることだ。『え、お尻? 触ったよ、それが何?』ぐらいの勢いでいた方が上手く誤摩化せるはずだ。
 
 
 空介は暫く悩むように眉根を寄せていたが、にっこりと微笑み続ける陽太を見ると、途端ふにゃりと顔を崩した。
 
 
「何だ、汚れか。教えてくれてサンキュー。どこで汚れたんだろうな」
 
 
 信じるんだ! え、マジで信じてんの!? ちょっと素直過ぎるだろう、こいつ!
 
 
 胸の中でそう叫びながら、陽太はふにゃふにゃと笑う空介の顔に釘付けになっていた。一目見た瞬間から、ヤバイと思っていたのだ。陽太と同い年の男は、見れば見るほど“陽太好み”の顔をしていた。
 
 男らしい精悍な顔立ちをしているのに、笑うと途端に子供っぽくなる。頬に少しえくぼが出来るのも可愛い。背は高く、身体には筋肉が綺麗についているのが見える。でも、尻はちょっと大きめで、触り心地も最高だった。左右に大きくて少しぶ厚めな唇が妙にエロティックに見えるのは、やっぱり陽太の邪な視線のせいか。
 
 
 あの唇にチンコ突っ込みたいなぁ…。えずくぐらい咽喉の奥まで犯して、顔面にぐちゃぐちゃにザーメンぶっかけてやりてぇ…。
 
 
 童貞の妄想力は偉大だ。また、思考が脳内お花畑へと駆けて逝きそうになる。清純そうな少女がこんな卑猥な事を考えていると知ったら、目の前の男はどんな反応をするのだろう。軽蔑するか。嫌悪するか。憤怒するか。
 
 
 そもそも、自分の嫁になるかもしれない相手が実は女装した男だなんて知ったら…。
 
 
 自分の想像に身震いしそうになった時、じっと見下ろしてくる視線に気付いた。珍しいものでも見つけたかのように、空介がまじまじと陽太を凝視している。
 
 
「ビックリした。よく見たら、すげぇ綺麗」
「え、何が?」
 
 
 突拍子のない言葉に陽太が怪訝そうに首を捻ると、空介が肩を揺らして小さく笑った。キラキラと輝く目をぎゅっと細めて、真っ直ぐ陽太を見つめてくる。
 
 
「きみ」
 
 
 迷いも衒いもない、無邪気な声だった。その声が鼓膜を通して、脳味噌へと入ってきた瞬間、まるでハンマーで後頭部を殴られたかのような衝撃が走った。空介の笑顔に、痛いくらい心臓が鼓動を打つ。ぐらぐらと頭が揺れて、アドレナリンが脳内で大量放出される。
 
 
 簡単に言えば、猛烈にときめいた。
 
 
 嗚呼、畜生。ダメだダメだダメだ。どう考えても、何があっても、この男だけはダメだ。この男に“落ちる”のだけはナシだ。
 
 何があっても、これからの一年間、陽太は男であることを隠し通さなくてはならない。そうしなくては、月乃は一生家に戻って来れなくなるし、あのバカ親が首を括る羽目になる。そうならないために、陽太は女装までしてこんな所に来たのだ。だから、どれだけ好みの相手だろうが、どれだけ素直で可愛かろうが、この男だけは好きになってはいけない。
 
 
 それなのに、決意とは裏腹に全身の体温が急上昇していく。自分の顔が赤くになっていくのが判って、陽太は顔があげられなくなった。空介の顔を直視できない。セーラー服の裾を掌にぎゅうと握り締めながら、半ば怒っているかのように言い返す。
 
 
「い、いきなり何、言ってるんですか…!」
「何って、きみが綺麗だって言っただけ」
「くっ…口説いてるつもりですか?」
「花を見たら、綺麗って言わない?」
 
 
 空介の奇妙な質問に、陽太は思わず顔をあげてしまった。目を白黒させて、空介を眺める。
 
 
「まぁ、綺麗な花なら言いますけど…」
「それと一緒」
 
 
 そう言い切ると、空介はニカッと笑みを浮かべた。人の意識を悉く奪っていくような天下無敵な笑顔だと思った。この男、最強に卑怯だ。意図せず、無自覚に、その笑顔ひとつで人の心を奪い去りやがる。
 
 
 耳朶まで真っ赤にした陽太へと、視線を合わせるように空介が腰を屈める。そのまま、かくりと首を傾げて、こう問い掛けてきた。
 
 
「甘いの、好き?」
 
 
 近付いた空介の身体からは、微かに甘い砂糖の匂いがした。
 
 
 あぁ、甘いのは、大好きだ。
 
 

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Published in きみすき

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