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05 うはは、バルスバルス

 
 連れて来られた美濃家のキッチンは、篠原一家が暮らしていたアパートの部屋の総面積よりも大きかった。広いキッチンの中で、数名のガタイの良い男達が忙しなく動いている。明らかに業務用に見える巨大な鍋からは、コンソメらしき匂いが柔らかく漂ってきていた。そういえば、後数時間で夕飯の時間だ。
 
 
「うちの住み込みの門下生の人達」
 
 
 手短にそう説明をされる。家族だけで住むには随分とでかい家だとは思っていたけれども、何と門下生まで家に住ませているのか。改めて美濃家の由緒正しさと金持ちっぷりを認識しながら、陽太は自分の身体が小さく縮こまっていくような錯覚を覚えた。比べて篠原家は、祖父一代で道場を潰した上に今は借金まみれで一人娘を売り飛ばすまで至っている。何とも見事な没落っぷりだ。
 
 …というか、結局売り飛ばされたのは一人息子というオチだけれども。
 
 
 勝手知ったる様子で、空介がキッチンを横切って巨大な冷蔵庫へと近付いていく。陽太は空介の後ろにこそこそと隠れるようにして着いて行った。
 
 空介が冷蔵庫の扉を開いたところで、近くで玉葱をみじん切りにしていた男が鋭い声をあげる。
 
 
「くーすけ、冷蔵庫漁るな!」
 
 
 そう叫びながらも包丁を動かす手は止めていない。割烹着を身に纏った二十歳中頃の垂れ目の男だ。声の荒っぽさに反して、その忙しない仕草等はどこかお母さん然としていた。
 
 それに対して、空介が不貞腐れた声をあげる。
 
 
「えー、いいじゃんか。一口だけー」
「夕飯前にお菓子食べたら、ご飯が入らないでしょーが!」
 
 
 やっぱり言ってる事もお母さんみたいだ。それが何だか母親と子供とのやり取りのように思えて、陽太は思わずくすくすと笑い声を零してしまった。空介が陽太の存在を重い出したように肩越しに振り返る。
 
 
「あ、それに今日はお客さんもいるんだから特別」
「あぁ、お客さん?」
 
 
 訝しげな声をあげて、男が空介の背後に隠れていた陽太へと視線を向ける。男の視線を感じて、陽太は控えめに頭を下げた。途端、息を呑む音が聞こえた。そうして、一瞬後の大絶叫。
 
 
「ギャー! 美少女ー!」
 
 
 すいませんその美少女は男です、と突っ込む暇はなかった。男の悲鳴に呼応するかのように、キッチンにいた他の男達も悲鳴をあげ始める。
 
 
「ヒェー! 可愛いー!」
「萌えぇええええぇー!」
「目がぁ、目があぁあああぁっ!」
 
 
 これぞ阿鼻叫喚。一体ここは何処だ。天空の城ラピュタか。こいつらは量産型ムスカか。頭の中でぐるぐるとツッコミが回る。と、思っていたら空介が暢気に笑いながら「うはは、バルスバルス」と呟いているのが聞こえた。ということは、さしずめ陽太と空介はシータとパズーか、って言ってる場合じゃねぇし。
 
 
「あ…あの…」
 
 
 まるでデスメタル会場のように頭を上下に振り乱す男達を止めようと、小さく声をあげる。途端、気の狂った鳥のような声があがった。
 
 
「キィヤァアァアア! シャベッタァアアアアアー!」
 
 
 そりゃ喋りますよ、にんげんだもの。byみつを風。って現実逃避してる場合じゃない。
 
 ますます発狂していく男達を見つめたまま、陽太は呆然と立ち尽くした。空介がへらへらと笑ったまま、陽太へと喋り掛ける。
 
 
「この家、あんま女の人いないし、この人達生粋の体育会系だから、全然女の子に耐性ないんだよな。だから、ちょっと可愛い子みるとテンションあがっちゃうみたい」
 
 
 ちょっと、どころじゃねぇし。陽太は、ひくりと頬を引き攣らせた。
 
 
 
 デスメタルライブはそれから数分間続いて、その後ようやく賢者タイムが訪れた。汗だくになった男達はキッチンの床にへたり込んで、はぁはぁと官能的な息をついている。その息遣いだけで、キッチンの温度が三度ぐらい上がったように感じた。
 
 お母さんっぽい男が生まれたての子鹿のように膝をガクガクと揺らしながら立ち上がる。男は汗が滴る額を拭いながら、空介へと声をかけた。
 
 
「く、くーすけくん? そ、その女性はどなたかな…?」
「兄ちゃんの婚約者の月乃さん」
 
 
 一瞬不可解なものを感じた。どうして、先ほど父親の前では「兄ちゃんか俺の婚約者」と言ったのに、今は「兄ちゃんの婚約者」と自分を抜いてしまうのか。
 
 陽太は怪訝そうに空介を見上げた。空介は陽太の視線に気付くと、微かバツが悪そうに苦笑いを浮かべた。だが、苦笑いを一瞬で消すと、再びふにゃんとした笑顔に戻ってしまう。まだぶるぶると膝を震わせる男を掌で示す。
 
 
「それで、こっちが“にゃるた”さん」
「にゃるた?」
「成田、です!」
 
 
 不思議そうに首を傾げた陽太へと、成田が声を張り上げる。それに対して、空介は不服そうに唇を尖らせた。
 
 
「みんなから、にゃるたさんって呼ばれてるじゃん」
「そんなこと知りません! 僕の名前は成田です!」
 
 
 頑なな成田の言葉に、空介が呆れたように肩を竦める。陽太は微かに笑みを浮かべて、成田へとじっと視線を向けた。
 
 
「にゃるたさんって、可愛いお名前ですね」
「はい、僕の名前はにゃるたです!」
 
 
 顔を真っ赤に染めた成田が高速の早さで前言撤回する。あまりの変わり身の早さに、陽太は「ふふ」と声をあげて笑った。陽太の笑顔に、成田の顔面が更に茹で蛸のように染まっていく。
 
 
「今日からこちらでお世話になります篠原月乃です。どうかよろしくお願いします」
 
 
 慎ましやかな女の子っぽく静々と頭を下げる辺り、自分も相当演技派だと思う。一年間我慢すればいいと解ったんだ。それなら敵より味方を作っている方がずっと楽だ。そっちの方が嫌われて追い出されるよりかは、ずっと精神的ダメージも少ない。
 
 
 それに…。
 
 
 ちらりと視線を空介へと向ける。陽太の視線に気付いた空介が「なに?」とでも言いたげにかくりと首を傾げる。その子供っぽい首を傾げ方に、また胸がきゅーんと高鳴った。
 
 
 っつうか、こんな極上のおかずを一年間も見放題なんてハッピーライフ、早々手放せるか。
 
 
 というゲス丸出しな本音は胸の奥に仕舞っておく。どうせ女のフリをしなくちゃならないし、恋やらセックスやらには至らないとしても、まぁ一生のおかずならぬ宝物を手に入れることはできる。と、前向きに考えることにした。
 
 
 ぶっちゃけ、この鈍感そうな男なら、後二三回ぐらいは尻揉んでも誤魔化せそうだし。
 
 
 うっしゃっしゃっ、と悪い笑いが出てきそうなのを堪えつつ、ふにゃりと笑う空介へと向かって、にっこりと微笑んでおく。仲睦まじげに微笑みあう二人を、成田がじっとりと疑わしい眼差しで見ている。
 
 
「…お兄さんの婚約者とか言って、本当はくーすけの彼女とかってオチじゃねぇだろうなぁ」
 
 
 成田の疑惑に対して、空介が慌てたように首を左右に振る。
 
 
「違ぇって」
「どーだか」
「本当だって。俺、家継ぐ気ないし」
 
 
 その一言に、酷く驚いた。顔を上げて、空介の顔を凝視する。途端、空介がハッとしたように口を噤む。その表情がみるみるうちに苦く歪んでいく。
 
 
「シュークリームふたつ持ってくよ」
 
 
 冷蔵庫の扉を開いた空介が二つほどシュークリームを取り出す。空介の表情が変わった事に気付いたのか、成田が申し訳なさそうに眉尻を下げている。
 
 
「なぁ、くーすけ…」
「にゃるさん、俺に気ぃ使わなくていいから。俺は大丈夫だよ」
 
 
 へらりと笑う表情が先ほどよりも無理をしているように見えるのは気のせいか。行こう、と言って、空介が陽太の掌を掴んで引っ張る。キッチンの中で、成田が物言いたげな表情で立ち尽くしていた。
 
 
 
 
 
 
「これ賄賂な」
 
 
 キッチンから離れた頃に、シュークリームをひょいと手渡された。おそらく市販のものではないだろう、少し形の崩れたシュークリームを両手に乗せたまま、陽太は戸惑いの眼差しで空介を見上げた。
 
 
「賄賂?」
「さっきの話、親父には内緒にしててほしいから」
 
 
 廊下の端で立ち止まって、空介が唇に人差し指を押し当てる。
 
 
「さっきのって、家を継がないってことですか?」
「そう。それ言ったら、親父怒るからさ」
 
 
 すっげぇ怖いんだ、と笑う空介は、それをわざと笑い事にしているように見えた。少し歪んだ目尻が妙に痛々しい。
 
 
「あの…どうして継がないか聞いてもいいですか?」
 
 
 躊躇いがちに問い掛けると、途端空介の顔がぐっと近付けられた。至近距離になった顔に、ぎょっとして思わず後ろずさる。空介が自身の左目をピッと指さす。
 
 
「俺の左目、殆ど見えないんだ」
「え、見えない?」
「昔、事故で」
 
 
 説明が面倒くさくなったのか、それとも深い部分は隠したかったのか「まぁ、いろいろあってさ」と空介はいい加減に事故の話を締め括った。
 
 
「親父はそんな事で諦めたりするなって言うけどさ、どう考えても目が見えない奴が剣道の跡継ぎになるなんて駄目だろ。だからさ、俺はそもそもこの家継ぐ気ないんだよ。それは兄ちゃん達の役目だと思ってる」
 
 
 そう雑に言って、視線を逸らす。何だかそれが余計に切なく見えた。
 
 
「だからさ、俺が月乃さんと結婚することはないから。俺のことは、ときメモで言うところの情報通な友達役とでも思ってくれればいいよ。兄ちゃん達の情報ならいくらでも流すから、何でも聞いてくれればいいし」
 
 
 重苦しい雰囲気を振り払うように、空介が明るい声をあげる。
 
 
 不意に、気付いた。空介は、いつも言い訳するように喋る。この男は、大雑把で何も気にしていないようなフリをしながら、実は物凄く繊細で傷つきやすい人間なんじゃないだろうか。
 
 そう思った瞬間、不意に胸を込みあげるものがあった。目の前の男が苦しいくらい愛おしくなった。
 
 
「…辛ければ、辛いって言ってもいいと思いますよ」
「え?」
 
 
 空介が不思議そうに目を大きく開く。その目を真っ直ぐ見上げながら、陽太はゆっくりと囁いた。
 
 
「大丈夫って言わなくていいです」
 
 
 その一言に、空介の顔がくしゃりと歪む。まるで幼稚園児が泣き出すのを堪えているような表情に胸が締め付けられる。
 
 その顔を見ていられなくて、陽太は咄嗟に俯いた。気持ちを逸らすために掌に持ったシュークリームにかぶりつく。途端、咥内に甘いカスタードとバニラの味が広がった。
 
 
「美味しい」
 
 
 無意識に言葉が零れていた。手作りのシュークリームにしては、バニラビーンズも使われていて本格的な味がした。形さえ整えれば、今すぐにでもお店に出せそうな代物だ。
 
 空介が少し赤くなった鼻を擦りながら、唇をそっと緩める。
 
 
「それ、俺が作ったんだ」
「え、本当!? すっごく美味しいよ!」
 
 
 世辞も誇張もなく、そう純粋に誉めると、空介が嬉しげにふにゃりと顔を崩した。泣き笑うみたいな、それでも嬉しそうな表情。
 
 不意に、頭の中が真っ白になった。息が止まって、くらりと足下が揺らぐ。
 
 
 …あ、ヤバイ。落ちる。
 
 
 だって、可愛い。超可愛い。この場で押し倒して、ぐちゃぐちゃに犯してやりたい。女みたいに足を開かせて、泣いて懇願させてやりたい。この男の血の一滴まで、全部俺のものにしてやりたい。
 
 衝動に目が眩む。全身を暴れ狂う熱を下唇を必死に噛んで堪える。
 
 それなのに、陽太の衝動に気付きもせず、目の前の男は気の抜けた笑みを浮かべ続けるのだ。
 
 
「あー、今回はカスタード結構上手くいったなー」
 
 
 シュークリームを頬張った空介が批評するように呟く。カスタードが溢れたのか、その唇の端にカスタードが盛大にこびり付いている。
 
 
 その汚れを見た瞬間、頭の奥で何かが弾ける音が聞こえた。
 
 
 目の前の男の下顎を真下からきつく掴む。空介が驚いたように目を見開く。半開きになった唇が何か言葉を発する前に、陽太はその唇へと顔を近付けた。
 
 

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Published in きみすき

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