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11 大丈夫。きっと全部上手くいく。

 
 気詰まりな夕食の時間が終わった途端、陽太は美濃家で与えられた自室へとほうほうの体で逃げ込んだ。最低限の物しか置かれていない、がらんとした部屋に座り込んで、大きく溜息を吐き出す。
 
 初日から疲労の度合いはMAXで、今の状態で後一年間もあのハチャメチャな家族を騙し切れる自信なんか欠片もなかった。長男からは攻撃的求婚、次男からはウザ過ぎるラブアピール、三男からは性的欲望を刺激させられて、そんな状態で正気を保てという方が土台無理な話だ。特に、空介が醸し出す無自覚なエロスには気が狂いそうになる。
 
 
 つぅか、何だあのプリプリで肉感的な尻は…。見てるだけで、指やらチンコやらいろんな物を突っ込みたくなって勃起するっつうの。突っ込んだら絶対柔らかいんだろうなぁ。きゅうきゅう締め付けてくるのに、柔らかくて温かくて、湿った粘膜が裏筋に纏わり付いてくるみたいなーー
 
 
 座り込んだまま、自身が着ているセーラー服のスカートへと視線を落とす。空介の尻の想像だけでスカートを緩く持ち上げ始めたヤンチャ坊主がそこにはいた。なだらかにテントを張るスカートを見下ろして、陽太は未だかつてないほど自分の正直すぎる性欲を恨めしく思った。
 
 こんな状態では、女装がバレるのも時間の問題だ。バレれば、婚約は解消。篠原家は借金まみれで一家離散の崩壊を迎える。それも両親の自業自得だが、一番の被害を被るのは間違いなくあの脳天気な両親ではなく、苦労性な自分である事は容易に想像できた。
 
 
 ちくしょう、何であの馬鹿両親のせいで俺ばっかりこんな酷い目に合わされるんだ…。
 
 
 そう呻いても、もう美濃家での生活は始まってしまったのだ。今更『ごっめーん、実は月乃は男の子でしたー。てへぺろー★』なんて冗談が通るはずもない。スタートしたが最後、これから一年間ひたすらゴールを目指して逃げ続けるしかないのだ。
 
 
 半ば空虚感にも似たやるせなさに支配されながら、既に部屋へと運び込まれていた荷物へと手を伸ばす。広い部屋に、ぽつんと置かれたボストンバッグは悲しいぐらいに小さかった。中に入っているのは女性物の洋服やウィッグだ。それまで陽太が身に付けていた男物の服などは一枚も入っていない。
 
 見知らぬ洋服を一枚一枚取り出しながら、そのフリルがついたデザインや愛らしい色合いに溜息を吐きたくなって来る。何だか、男なのに男である事を否定されているような気分だ。
 
 あらかた荷物を取り出し終わったところで、バッグの底に小さな袋が入っているのに気付いた。ピンク色の袋に嫌な予感を抱きつつも、ゆっくりと中を覗き込む。その中身が目に入った途端、くらりと目眩が走った。
 
 
 『やっぱり今年の春は水玉柄で決まり! コケティッシュな魅力でダーリンのハートを射とめて! パパンとママンより』
 
 
 白と赤の水玉模様のブラジャーとパンティーと一緒に入っていたメッセージカードを見て、ふるふると肩が震えた。
 
 
 て、手前ら、絶対息子の性別忘れかけてるだろ。この平べったい胸にどうやってブラジャーを付けろと。その上、そこそこでかい息子をどうやってこの小さなパンティーに収めろって言うんだ。絶対具がはみ出るぞ。万が一はみ出た具を見られた時に、どうやって説明しろって言うんだ。きゃあん、私ってちょっとビラビラが大きくってぇ…
 
 
 そこまで考えた所で、プツリと脳味噌の奥で何かが切れた。下着を握り締めた手を大きく振りかぶる。
 
 
「ふ、っざけんなぁああ!! 誰が付けるか、こんなもんー!!」
 
 
 怒声と同時に鷲掴んでいたブラとパンツを投げ付ける。部屋の扉が開いたのは、それと同時だった。
 
 
「月乃さ……ぇ、うぶっ!」
 
 
 開かれた扉の前に、お盆を片手に持った空介が立っていた。部屋着に着替えたのか、服が灰色のスウェットに変わっている。その空介の顔面中央に、投げ付けたブラとパンツが見事クリーンヒットするのが見えた。野球なら、ストラーイクバッターアウトーな光景だ。そのコントのような映像に、陽太はサーッと頭から血の気が落ちていくのを感じた。
 
 
「え、えぇ、何? 何ッ?」
 
 
 頭に引っ掛かったブラが見事に空介の視界を覆っている。唐突に視界が遮断された事に驚いたのか、空介はお盆を持ったまま、ふらふらと身体を左右に揺らしている。慌てて駆け寄って、引っ掛かっていた下着を毟り取ると、空介はぷはっと大きく息を吐き出した。
 
 
「あー、吃驚した。月乃さん、大丈夫だった?」
 
 
 突然顔面に物を投げ付けられたというのに、暢気にこちらを気遣う台詞を吐く姿に胸が詰まる。
 
 
「あの、ごめんなさい。私が投げちゃったのが当たっちゃって…」
 
 
 歯切れ悪く答えると、空介は、ふぅん、と小さく相槌を返してきた。そうして、陽太が握り締める物へと視線を落とすと、途端カッと頬を赤らめた。先ほどまで自分が被っていたのが女物の下着だと判ったのだろう。挙動不審にきょろきょろと左右を見渡した後、弱り切った眼差しで陽太を見つめてくる。
 
 
「ごめん、ノックしても返事なかったから扉開けちゃったんだけど……着替え中だった?」
「あ、ううん、全然違うの! ただ、ちょっとテンションが弾けちゃって」
「テンション?」
「テンションというか、フラストレーションというか…」
 
 
 段々と言葉が尻すぼみになっていく。馬鹿両親が息子に女物の下着を渡してきやがったから、ちょっとブチ切れてました。なんて正直に言えるわけがない。
 
 陽太が言葉に窮しているのに気付いたのか、空介は特に続きをせっつくわけでもなく長閑な声でぽつりと漏らした。
 
 
「いろいろあったもんな。そりゃ月乃さんも疲れるよ」
 
 
 宥めるように呟いて、ふにゃりと頬を緩めて笑う。その柔らかな笑顔に、ガチガチに緊張していた全身の力が抜けていくのを感じる。空介の笑顔は特別だった。凍り付いていた心を柔らかく溶かしてくれる。
 
 空介が手に持っていたお盆を差し出して、少し窺うような眼差しで見てくる。
 
 
「あのさ、さっきいろいろゴチャゴチャ言われて、月乃さんあんまりご飯食べれてなかっただろ。もしかしたらお腹すいてんじゃないかと思って持ってきたんだ。食べる?」
 
 
 お盆の上には、ラップに包まれた大きな握り飯が二つ乗っていた。形は少し崩れているが、その不完全さが家庭の匂いを感じさせてくれる。まだ握られて間もないのか、ラップの表面には湯気による水滴が少し浮かんでいた。
 
 その米粒の瑞々しい色艶を見ていると、今まで忘れていた空腹感がふつふつと蘇ってきた。先ほどの夕食は、緊張のせいで殆ど咽喉を通らなかったのだ。
 
 
「あの…もしかして、これって空介君が作ってくれたの?」
 
 
 形の歪さから、もしやと思って問い掛ける。すると、空介ははにかむように笑った。
 
 
「うん。ちょっと形が変になったんだけどさ、そこは許してよ」
 
 
 照れ臭そうな口調に、きゅうっと胸が締め付けられる。初対面の他人のために、わざわざ握り飯を作ってくれた空介の労りが堪らなかった。
 
 
「嬉しい。本当はお腹すいてたの」
 
 
 ぽつりと呟くと、空介は嬉しそうに頬を緩めた。笑うと、頬にえくぼができるのが何とも可愛らしい。
 
 
「うん、なら良かった。でも、ごめんな。門下生達がおかず全部食べちゃってたから、これ塩握りなんだ」
「ううん、私、塩握りが一番好きなの」
 
 
 本当は握り飯では、焼きたらこが大好物だ。でも、今は空介が作った塩握りが世界中の何よりも食べたかった。
 
 差し出されたお盆を受け取って、部屋の中央に置かれたローテーブルの上に置く。絨毯に座り込んで、塩握りのラップを剥いで一口食べると、米粒とほのかな塩の柔らかい味が咥内いっぱいに広がった。
 
 
「美味しい」
 
 
 自然と唇から言葉が零れていた。もう一口噛み締めて、同じ言葉を呟く。
 
 
「おいしい」
 
 
 ここ最近食べた物の中で一番美味しい握り飯だった。胸が苦しくなるくらい、優しい味だ。こんな優しい食べ物を、ここ何年も味わっていない気がして、陽太は自分の眼球が微かに潤むのを感じた。
 
 扉の前に立っていた空介がゆっくりと近付いて来る。陽太の傍らに座り込むと、空介はその大きな掌を伸ばして、陽太の背中をぽんぽんと軽く叩いた。
 
 
「知らないところに独りぼっちって怖いよな。周りからもいろいろ言われてーー」
 
 
 しんどかったよなぁ。と拙く呟かれる声が胸に染み込んでくる。背中を撫でる温かい掌が胸を詰まらせる。握り飯を食む唇が微かに震えて、動かなくなった。どうしてだか、目の前の光景がぼやけて曖昧に揺らいでいく。
 
 
「大丈夫だよ。俺は、月乃さんの味方だから。辛いことがあったら、俺が月乃さんを助けるからさ。何か嫌なことがあったら、全部俺にぶつけてもいい」
 
 
 だから、たくさん泣いたっていいよ。そう囁く声に、ようやく自分が泣いている事に気付いた。握り飯を頬張りながら、ぽろぽろと両目から涙が零れていた。自覚した途端、余計に涙は大粒になって溢れ出した。
 
 
「ごめん、…なさい…」
「何で謝るのさ。月乃さんは何も悪くないよ」
「だ、だって…」
 
 
 だって、俺は貴方達に嘘を吐いているんだ。借金を肩代わりして欲しくて、女のフリまでして意地汚く寄生しようとしているんだ。結婚する事など端から眼中になく、ただ一年間逃げ切ることばかりを考えている。そうやって、必死に助けを求めて嫁を呼び入れた父親の気持ちを裏切っているんだ。その上、こんなに優しくしてくれる空介まで騙していて…。
 
 
 考えれば考えるほど涙が溢れてくる。空介から与えられる優しさが自分自身の卑しさを浮き彫りにしていくようで堪らなかった。いっそ今この場ですべてをぶち撒けてしまいたい。この優しい子に心から謝罪をしたい。でも、それは出来ない。あんな馬鹿な両親でも、陽太の家族だ。どうしても、見捨てることは出来なかった。
 
 声を殺して泣く陽太の細い背を、空介は飽きる事なく撫で続けている。そのゆるゆるとたゆたうような手付きが心地良かった。
 
 
「大丈夫だよ。大丈夫。きっと全部上手くいく」
 
 
 祈るような空介の声が頭上から降ってくる。陽太は俯いたまま、零れそうになる嗚咽を必死に殺した。大丈夫、大丈夫、と繰り返す声が聞こえる。その穏やかな声がまるで子守歌のように思えた。
 
 

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Published in きみすき

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