Skip to content →

03 因果応報の理

 
「御前ら馬鹿げた兄弟喧嘩はすんな。近所迷惑やろうが」
 
 
 飄々とそんな事をほざく兄貴の姿に、ふつふつと苛立ちが込み上げて来る。何処の口が“近所迷惑”だなんて言ってやがる。手前こそ、数年前まではやりたい放題暴れ放題な“凶暴三兄弟”の一人だったじゃねぇか。腹の内で燻るようにそう吐き捨てる。
 
 
「兄貴も俺責めるんか。俺が悪いって言うんか!」
 
 
 噛み付くみたいに吠えたら、同じく芝生に転がったままのミツルが「二郎のクソボケが悪いんやろうが!」と叫び返してきた。それに唸るように歯を剥き出して、ミツルを睨み付ける。実際、咽喉からグルルルと犬じみた唸り声が溢れた。
 
 
「二郎だけが悪い言うとらんやろうが。俺は、御前ら二人に馬鹿な喧嘩はすんな言うとんや。また死に掛けたいんか御前らは」
「でもっ!」
「でも、やないやろうが。御前らそんなに兄弟で殺し合いたいんか。そんなに御互い憎らしくて堪らんのか? 殺さんにゃ気がすまんのか?」
 
 
 そこまで言われると、ぐうの音も出なかった。ミツルに対して腹は立つが、殺したいわけじゃない。当然憎いわけでもない。『兄弟』という単語は、俺の中で意味のない無力な言葉なんかじゃない。
 
 悔し紛れに奥歯を噛み締めた途端、殴られた頬の痛みが痺れるように伝わってきて、じわりと眼球に涙が滲んだ。兄貴のパンチはきつい。強いとか痛いとかの前にきつい。威力が半端ないのは当然だけど、殴るのに理由がある。理論整然とした理屈がある。だから、殴られた後もずっときつい。殴られた場所だけじゃなくて心臓がジクジクと疼いて、段々悲しくなってくる。
 
 浮かんできた涙をぞんざいに拭って、鼻を啜る。そうしたら、不意に兄貴の細い指が頭を撫でて来た。毛並みを梳くような柔らかな手つきが気持ちいい。
 
 
 
「姫子殺されて、御前がギャアギャア喚くんのも解るけどな、ミツルに当たるのは違うやろ?」
「わかっとる。わかっとるけど、どうしたらええかわからん」
 
 
 情けないことに声が涙声になってた。気持ちが地面にめり込みそうなぐらい落ち込んでるのが自分でも解る。たかが犬一匹と客観的に思う心と、姫子が殺されるだなんて嗚呼あんまりだと感情的に嘆く心が混ざり合って、自分でも制御不可能な程に陰鬱になっていた。
 
 
「姫子が、可哀想や。俺しか悲しまんなんて可哀想過ぎる。兄貴やミツルにとっては姫子は家族やなかったんか。なら、姫子は何やったんや。それ思うと、悲しいし、可哀想や。だから、悔しい。姫子が家族やって思われとらんかったことが、悔しくて堪らん。俺は姫子好きやのに。姫子が一番俺のそばにおってくれたのに、もうおらん。俺は、姫子がおらんのが悲しくて寂しくてたまらんで、どうしたらええんかわからん。わからんのんやぁ」
 
 
 鼻声でたどたどしく呟く。芝生に座り込んだミツルが、これみよがしな溜息を吐いたのが聞こえて、俺は再びミツルを睨み付けた。ミツルがまた馬鹿にしてくるのかと思った。その予想を反して、ミツルは薄笑いも嘲笑も浮かべていなかった。両足を投げ出したまま、気怠そうな仕草で髪の毛に付いた土を払いながら、ミツルははっきりと言った。
 
 
「どうしたらええかなんて解り切っとることやないか。姫子殺した奴をぶっ殺しにいけばええことや。何でそんな簡単なことも分からんのかが俺には分からん。兄貴に『二郎ちゃん、かわいしょうでしゅねー』って慰めてもらっとる間に姫子殺しの犯人でも探したらどうなんや阿呆二郎」
 
 
 捲くし立てるように喋ってから、ミツルは俺の頭を撫でる兄貴の手をパシリと払い除けた。その顔は不愉快そうに歪んでいる。
 
 
「姫子殺した奴を、ぶっ殺しに、行く?」
「それ以外に御前に出来ることがあるんか?」
 
 
 切り付けるように問い掛けて来るミツルの声に、さして思考もせず頷いた。
 
 
 そして、不意に視界に白い何かが動くのが映った。視線を据えれば、庭柵の向こう側で白い詰め襟を来た男がおどおどとした様子でこちらを窺っているのが見えた。背が低くて、少年と言っても過言でないほどの幼い顔立ちをしていた。ミツルほどではないが、可愛いらしいと言える顔立ちをしている。しかし、怯えながらも好奇心を抑えられないといった視線が小庶民な野次馬根性丸出しで、その不快感に一瞬で皮膚の毛穴がぶわっと開くのを感じる。ヒュッと息を呑み、ギリと力の篭る右手に砂利を握り締めて振りかぶる。
 
 
「てめぇ、何見とんじゃグォラァア゛ア!」
 
 
 出来の悪いヤクザのようなどすをきかせた声で吼えながら、数十メートル先にいる相手へと向かって砂利を投げつける。砂利は届かないが、威嚇程度にはなる。男が肩を大きく震わせ、ひゃあぁ、と情けない声をあげて去って行く。その後ろ姿を反射的に追いかけようと立ち上がったところで、殴られた鼻頭がガツンと脳味噌を揺さぶる勢いで痛んだ。
 
 
「いでぁああ」
 
 
 赤く腫れ上がった鼻頭を、右手で抑えたまま蹲る。視線を上げれば、小さな背中は既に見えなくなっていて、その事にみるみる気持ちが落ちて行く。
 
 
「あ、あ゛ー、逃げられちったじゃんよぅ。何でテメェら追っかんのんやぁ」
「顔は見えたんやけぇ、必要ないやろうがアホ」
「制服もな」
 
 
 俺の涙声に被さるように、ミツルと兄貴が続けざまに言う。いかにも平静なその様子に、ムッとする。何だか俺だけが慌ててるみたいで気に食わない。何格好付けてるんだ、カッコつけマン共めが。
 顔を逸らしたまま、ぐちぐちと呟いていると、ミツルが蹲る俺の尻をつま先で蹴って来た。
 
 
「あれ、池森高校の制服やろうが。二郎、何かしたんか?」
「何かしたんか言うたって、身に覚えがありすぎて何したんかも覚えとらんわ」
 
 
 挑発するようにいい加減な事を吐いてみると、ミツルが憎々そうな目付きで睨み付けてくる。その視線を、ふふんと鼻先鳴らして受け止めれば、ミツルの小さなこめかみに血管が浮かぶのが見えた。俺とミツルの共通点、馬鹿にされるのが嫌い、で、血が上りやすい。そして、血が上ったら、大抵誰かをぼろぼろになるまで痛め付けるまで止まらない。背後から、兄貴の溜息が聞こえた。
 
 
「二郎、ええ加減にせえ。いい加減、学習能力っつうもんがないんか御前は。また喧嘩するんか。そんな事しとる場合やないやろうが阿呆」
「だって、兄貴」
「だって、やない。言い訳すんな」
 
 
 兄貴のきつい目にねめつけられると、俺はしょんぼりする。まるで飼い主に叱られた犬のようになってしまう。それは兄貴が俺のことを考えて叱ってくれていると知っているからだ。親以上に親らしく兄貴は俺を育ててくれた。大事にしてくれた。毎年の参観日に来てくれたのは、うちの両親じゃなくて兄貴だ。自分だって学校があるのに、それをサボってまで。何も言わなくたって、兄貴は俺を一番最優先にしてくれてた。そう解っているからだ。
 
 しょぼくれて肩を落とした俺を見て、兄貴が俺の頭をくしゃりと撫でてくる。
 
 
「二郎、最近池森の奴ら相手にした覚えないんか?」
「そんなん言うたって、覚えとらん」
 
 
 泣き出しそうに言うと、兄貴が小さく溜息を付いた。そんな溜息つかれても、俺の脳味噌の容量が少ないのなんて解り切ったことじゃないかぁ、と言いたくなる。
 
 
「この一週間で御前が迷惑かけた奴、思い出してみぃ」
 
 
 おざなりな声音で言われて、仕方なく指折り指折り思い出してみる。
 
 
「一週間前ぇ? 火曜日はぁ、数学のサワダの授業ボイコットして、水曜日は、ヴぁあ、何したんだろうな。桃井とパフェ食べに行って、そこでムカつくカップルいたから男の方殴って、女川に突き落としてぇ、あれ、それは木曜日か? そんで他には、クラスのいじめっ子をイジメよう大会を開いて、裸のまま校内一周させてぇぇ、そんでそんで、帰り道とかにそいつ引きずり回して遊んでたら、なんかそいつの兄貴って奴が来て、乱闘して、警察来て、ダッシュで逃げて」
 
 
 言えば言うほど、墓穴を掘っている気がして仕方ない。兄貴やミツルの俺を見る目がどんどん呆れたものに変わって行く。ミツルに至っては、頭を抱えて「馬鹿すぎる」と小声でうめいているほどだ。五月蝿ぇやい、御前だって似たようなもんだろうが。
 
 
「そんで、逃げてる途中でよう知らん奴らに喧嘩売られて、あ、そいつら白い制服着とったかもしれんわ」
「もう、ええ。もうそれが理由でええけぇ、二郎はもう何も言うな」
 
 
 ガックリと両肩を落としたミツルが疲れたように言う。
 
 
「御前ほんまにアホか。んなことばっかしとったら、周り敵ばっかになるで」
 
 
 改めて言われると、ムカッとくるものがある。
 
 
「そんなん言われんでもわかっとる。そもそも俺が喧嘩せんかったら、周りは敵にならんのか? うちの家族は好かれるんか? 郵便ポストに脅迫状とか入れられんですむんか?」
 
 
 畳み掛けるように言う。俺だって好きで敵だらけにしたいわけじゃない。好きで嫌われたいわけじゃない。でも、俺が喧嘩しようとしまいと、うちは町中から嫌われてるし、敵しかいないじゃないか。毎月脅迫状を送られたり、年に一回は包丁片手に男が乱入してくるような家が今更いくら嫌われたって関係ない。俺だって、こんな家、どれだけ憎まれたって構わない。子供が誘拐されて、身代金すら出さない親なんかどうだっていい。
 
 
「御前の言うとるのは屁理屈や。やったらあかんことを、まるでやって当然みたいに言うな」
 
 
 噛み付くように言った言葉が冷静な兄貴の声に叩き落とされる。
 
 
「恨みの上に更に恨みを重ねてどうするんや。こんなん続けとったら、いつか収集付かん事になる。そのとき後悔するんは御前や」
「後悔なんかせん」
「姫子が死んでもか」
 
 
 首筋がひやりとする。顔を上げると、兄貴の冷たい眼差しが俺を見下ろしていた。まるでゴミでも見るかのような、その視線に俺の身体はガチガチに強張る。体温がすっと下がって、指先がかじかんだように動かなくなる。声すら出せない。唇を噤んだまま押し黙っていると、後ろからぐいと肩を掴まれた。ミツルが俺の肩を掴んで、兄貴を睨み付けている。その視線は、兄貴に対する確かな憎悪を孕んでいた。頬肉の内側で、ミツルの奥歯が固く噛み締められているのが解る。兄貴はミツルの視線を受け止めて、小さく溜息を吐いた。
 
 
「もうええ。二郎は明日池森行って、あの男探して来い。ミツルも付いてってやりぃ」
「何で俺が付いてやらにゃあかん」
「御前が放っとけんやろうが」
 
 
 兄貴がそう言うと、ミツルは歯噛みしたまま鈍く唸り声をあげた。そうして、八つ当たりするように俺の頭をぽかりと殴った。
 
 
「いでぇ、御前何するんや」
「アホ二郎が、しゃあないけえ付いてったる。ほんまアホや、アホ」
 
 
 アホアホと繰り返すミツルの顔面を殴り飛ばしたい欲と戦いながら、俺はそっと姫子の身体を見下ろした。死んでも艶やかな姫子の毛並み、死体を焼いたら、もう二度と触ることは出来ない。口から飛び出した長い舌を指先で弄くって、その冷たさに胸がきゅうと締め付けられる。姫子、姫子、俺の大切な子、俺の一番傍にいてくれた大事な犬、俺の心からの家族、こんな可愛い子はいやしなかった。
 
 
「姫子ぉ」
 
 
 鼻声で呟くと、眼球の奥からぽろりと涙が零れて来た。風が流れて、その生温い風に姫子の耳がぱたぱたと揺れる。その光景に、俺の心臓は引き裂かれる。ぐらりと膝頭が震えて、そのまま蹲る。蹲ったまま、この世界から消えてしまいたくなる。
 
 
「二郎、泣くなや」
 
 
 戸惑うようなミツルの声が聞こえる。だけど、そんな言葉で泣き止むようなら初めから泣いてなんかない。そんなのは涙じゃない。姫子の身体を撫で続けながら、止まらない涙をもてあます。涙の分だけ、愛おしさが込み上げた。きっと俺は姫子を愛していたんだ。この町に住むどんな奴らよりも、姫子の方が何百倍も大事だった。姫子を殺した奴を絶対に殺してやる。だけど、そいつ殺したところで姫子は生き返らない。それが俺にはどうしても不条理に思えて、不公平に思えて、思わず神様と喉の奥で零した。
 
 
「姫子かえして」
 
 
 掠れた声で漏らした言葉は、きっと神様には届かないだろうけど。
 
 

backtopnext

Published in 凶暴三兄弟

Top